46   デモンストレーション
更新日時:
H19年11月9日(金)
 合気道では試合が無い為に、世間に合気道を宣伝する為の手段として、演武というものが有ります。ところがその行為が行きすぎて、まるで演劇の様だったりする場合が有ります。しかし合気道の宣伝手段として演劇をした場合、まるでそれが合気道そのものと誤解される危険性も有るわけで、それは節度が必要だと思うのです。
 
 デモンストレーションは時に必要ですが、それを目的にしては本末転倒です。
 
 

 47   一流な人の精神
更新日時:
H19年11月9日(金)
 プロ野球メジャーリーグのイチロー選手は、こどもの頃高価なグローブを与えられた影響も有って、毎日自分のグローブを磨く習慣が有るそうです。その日の試合に勝っても負けても試合後にグローブを磨くそうです。周りにはグローブよりクルマを磨く事の方が熱心な選手もいるようですが、彼はグローブを磨く毎日です。
 また、アメリカの選手は平気で他人のグローブを尻に敷いて座るそうですが、イチロー選手は自分のグローブの上に座るなど、例え監督でさえ許さないそうです。
 
 こういうのを武士道精神というのではないでしょうか。昔の言葉に「刀は武士の魂」というのが有りますが、この人はそういう心が判るのです。こういう人は、武道の世界に入れば、達人になれる人です。ところがたまたま野球に興味を持ったので、その道を究めるべく努力しているわけです。
 
 分野が違っても、一流な人であればその人に学ぶ精神は多いに有るはずです。例えば合気道で、仮にどんなに強くて技が上手な人がいても、その人がいつも自分の袴をグチャグチャに畳んでしまっていたら、その人は尊敬される存在にはなれないし、その前に、そういう人は、強くも上手にもなれないんですね。袴と黒帯は、有段者の象徴です。それを大事にする心というのは、まさに「これに魂が宿っている」という自覚です。そういう事が自分を強くも上手にもさせるのだと思います。
 
 

 48   大型店舗の時代
更新日時:
H19年11月10日(土)
 私のこどもの頃、お菓子が欲しければお菓子屋へ、本が買いたければ本屋に行くのが当たり前でした。そしてそれらは自分達の家の近くに点在していました。
 
 現在は次々とテンポの複合化、デパート化が進み、次々と郊外へ大型複合商業施設が出来ています。代わってかつての中心市街地が空洞化しています。
 私達は主に、郊外の大型店へクルマで出かけ、衣類から食料品、色々な物を買いそろえる事が出来ます。新しい大型店舗が出来たら、「ちょっとのぞいて見よう」とばかりに大勢の人達が訪れます。そして元々大して用も無いのに、あっちこっちぶらぶら散策したりします。
 
 ぶらぶら散策するというのも、それはそれで楽しみの一つになりますが、「自分にとって本当は何が必要なのか?」と考えると、実は何も必要無いのです。でもこれはレジャーですから個人の自由です。
 
 しかし合気道の稽古でこういうぶらぶら散策みたいな事をやっていては、修行ではなくレジャーになるわけです。やたらと色々な先生に習って「この技は面白い」とか、やたらと変化応用技ばかりに興味が行くようでは、興味本位につまみ食いしているだけで、いつまでたっても技の本質にはたどり着けないと、つくづく考えています。
 
 稽古においては、「自分にとっては何が本当に必要なのか?」という事をいつも考えていないといけません。

 49   志の高さ
更新日時:
H19年11月11日(日)
 稽古において、高い志を持っている人は伸びていくし、そうでない人はなかなか進歩しません。道場に入門する人達も、適当にやればいいと思っている人は、結局は続かない。しかし最初は高い志を持っていたのに、その心を忘れてしまう人もいます。
 
 なぜ忘れるのか?一つは試合が無い事で目標設定が難しく、かつ、刺激が無くなってしまう、さらに周囲の理解が得にくい事が考えられます。
 
 私も山徳道場時代に一時的に手首を痛めてしまった時、通っていた接骨院の先生から、「そんな思いまでしてなぜにそんなに稽古するのですか?」と聞かれた事が有りました。答えは簡単です。「この合気道というものがたまらなく好きであるから、この道を極めたい。」これに尽きます。そう考えたら稽古を休んでいる暇など無いし、ただ稽古を休まないだけではまだ不足です。
 
 志を高くすれば、稽古は楽しくなります。若くて一生懸命稽古する人は、そういう純粋な向上心を持っています。そういう人の心はやがて周りの人達にも刺激を与え、稽古の輪が広がっていくわけです。

 50   身を以て示す
更新日時:
H19年11月11日(日)
 これは合気道を有る程度やっている人達はみんな判っている事ですが、稽古をする上で、あまり言葉で説明するよりも、先輩は後輩に、技というものを身を以て示し、後輩もそれを身を以て感じる事です。
 
 私は現在はこういう立場にいる為、立場上言葉で色々説明しますが、一修行者に戻った場合、元々は稽古中にはほとんど喋らないタイプなんです。例え後輩でも、白帯相手でも、よっぽどの事が無い限り、相手が間違った技をしていると判っても、あえて言葉でどうのこうの言いません。その代わり、何か相手が感じるように努めます。これは所詮自分自身が感じて憶えた技でなければ役に立たないと考えているからです。
 
 稽古はあれこれ考えて喋り合ってやるよりも、まず動いて動いてその中でだんだん正確な技に収まっていくようにした方がいいと思うし、実際私の先輩方もそうやってきたものです。そしてそれをそこの師範はチェックして変な癖が付きそうに感じたら注意するというわけです。



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