例えばポルシェやフェラーリといった高性能スポーツカーが有ります。それらは抜群の加速性能を持ち、素早いコーナーリングを可能にし、それこそ時速300キロを越える事さえ出来ます。しかしその性能を公道でフルに発揮すれば、それは違法です。でもそれを以て「日本ではそんなクルマは必要無い!」と言ってしまうのは違うと思います。
それらはそういう高性能なクルマを所有する喜びを与え、それを所有する人達は、それによって夢を買うのです。そしてそういうクルマを危険なクルマと認識して理性を以て操るからこそ他人からも認知されるのです。だからこそそのクルマの性能に嘘や偽りが有ってはいけないのです。
牛肉だと思って買った食品に豚肉が混ざっていただけで大騒ぎになるのも、そこに嘘や偽りが有るから怒るので、これだって別に豚肉が混ざっていたからと言って、死ぬ事もなければ体に異常をきたす事も無いはずです。
現代で日本刀を作る人がいて、それを買う人がいるのもまたしかりで、これは本来人殺しの道具です。人殺しが法律で禁止されているのに、その人殺しの道具が生産され続けるのは、そこに芸術品としての価値を求める人がいる事や、それを持つ事で精神面での高い境地を目指す人がいるから価値が有るわけです。
居合道はその日本刀を使う武道ですから、それを習ったからといって、それで人を斬る事は許されないわけです。それでも居合道に生きる人達は修行を積みます。そしてよく、「この武道とこの武道が試合をしたらどっちが強い」といった低レベルな論議に居合道が登場しないのも、刀を使うという判りやすいほどに試合が許されない立場が認識されている証拠だろうと思います。
ここまで読んで判るかと思いますが、合気道だって他の武道だって、本物の武道であれば、武器を使うとか使わないに限らず、危険で試合など出来なくなるんです。
そして本来人殺しの道具だった武道に、人間形成の意味を見いだすのが現代の武道人で、だからこそ実際に使う使わないの論議はあまり意味が無いのです。
我々にとって、合気道の技とは本物でなければ価値が無いし、本物を求めて修行するからそれが決して苦行とはならず、楽しいものなのです。
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