56   自分を見つめているか?
更新日時:
H19年11月22日(木)
 とかく我々は、他人の事は良く見ていて、自分の事は良く見ていないものです。そこで争いが生まれるわけですが、でも、自分の事を見ていないと、合気道は上達しない。そして他人の事をどうのこうの言う前に、自分の事を直す努力を続けるからこそ、そこに輪が生まれると思っています。 
 
 だいたい「自分の事が判っているつもり」の人が多いわけです。そういう人は間違いを指摘されても、その時にさえその指摘どおりに直せない場合が有ります。しかし中にはいつも自分の状態が判っている人がいて、そういう人は、間違えを一度指摘すると、急に変わります。やはり普段から自分の状態を見つめていないといけないんですね。
 
 せっかく現代はこれだけビデオ、DVDといっや物が闊達しているのですから、たまには自分の状態を録画して見るといいと思います。私もビデオで見ると、自分自身に不満たらたらなんです。

 57   祝祭日でも稽古する理由
更新日時:
H19年11月23日(金)
 当道場では祝祭日関係なく稽古しています。これはとにかく私が稽古したいからで、道場設立以来、ずっとそうしてきました。
 
 例えば普段忙しくて稽古に来られない人は、こういう日にぜひ稽古に来てほしいと願うのですが、そんな願いとは裏腹に、そういう人は来ない習慣が身に付いているから、やっぱり来ません。来るのはやはり、普段から稽古に来ている人達です。
 
 それでも私は、日曜しか来られない人は、今日来て欲しいと願い続けるのです。

 58   稽古日についての説明
更新日時:
H19年11月26日(月)
 当道場では週4日稽古日を設けています。
 
 しかしその事で、結構質問を受ける事として、「週1日しか出られませんが、それでもいいのでしょうか?」というのが有ります。この事からも推測するとおり、もしかしたら週4日必ず出席しなければいけないと考えて、「自分には無理だ」と思いこんでしまう人がこれまで何人もいたのでは?と考えたりもします。
 
 そこで説明しておきますが、週4日稽古日を設けているのは、出来るだけ多くの人が参加出来るようにする為であり、私自身が沢山稽古したいからです。したがってその中の都合の良い日だけ来る事も出来るし、その人の都合によっては稽古の途中からの参加や、途中で帰る事も認めているのです。実際週1日だけ来る人、週2日来る人と、様々です。勿論やる気が有って毎回出て来る人もいますので、それは理想的であります。
 
 さらに言うと、正規の稽古日以外でも、申し出が有れば稽古する時も有るわけですから、適当にやりたい人にも、徹底的にやりたい人にも対応しているわけです。月会費3,000円でここまでやる道場はそうそう無いという自負は持っています。これは金儲けでやっている事ではないので出来る事で、この会費というのは、ここの道場生達が、道場生達の手で、道場維持の為だけに管理しているのです。
 
 私だって現在は合気道を極めるべく個人稽古を含めると毎日稽古していますが、最初から今のような志が有ったかというと、もっと安易な考えでした。「週一回ぐらいやって楽して合理的に強くなりたい」などというような、非常にご都合主義的な甘い考えの元に高崎市の山徳道場を訪ねました。そして「週3日、火・木・土にやっています」と聞いて、「え〜!週3日もやってるの〜!」という驚きが有りまして、その内の1日か2日出るようにすればいいやという、全くもって情けないほどの低い志で入門しました。でもやっぱりやっていれば、面白く
なっていくのですね。
 
 最初から燃えて努力し続けて、上達していく人もいれば、最初は燃えていても、そのうちプツンと火が消えて道場に来なくなる人も山徳道場時代からずいぶん見てきました。そして中には私みたいに最初はトーンが低くて、稽古を重ねる事でやる気が上昇し続ける人もたまにいます。
 
 それなので、合気道に興味を持って、さらに当道場に興味を持った人は、とりあえずは週一回でも始めるような気持ちで見学、体験、入門してもらって結構です。そしてその人のやる気を伸ばすのは、私の役目です。

 59   休む間など無い
更新日時:
H20年1月5日(土)
 私は10年前からこの道場の道場長となりました。最初はたった一人ですから当然私が自分で「道場長」と名乗ったわけです。しかしそう名乗った以上は、そこから道場長の責任が生まれました。そうなるとよほどの事でも無い限り、稽古を休む事は許されません。そういう状態を「大変だね」と言う人もいましたが、実はその事は、私が稽古を休まない口実になっていたのです。仕事が忙しくても、少々体調が優れなくても、この立場だから稽古を休まずに来られたという事です。さらに、休めないという意識が有れば、体調も崩れなくなっていくものです。
 
 道場長の立場が私に継続的な努力を与えてくれたという上で、そういう立場など関係なく、この道を極めたいと思えば、稽古を休む間など無いと思うのです。
 
 ピアノを習っている子供だって、レッスン日以外の日もピアノを弾いています。別に試合で勝つとかではなくピアノを習って上達するという行為において、これは当たり前の事なのです。物事を修得するというのは正にこういう事であり、合気道でも毎日稽古するという基本スタンスは崩さないようにすべきだろうと思います。
 
 「合気道は道場で稽古するのが理想」と書いた事が有りますが、道場が基本という事で有って、「道場に行かないと稽古出来ない」と思いこんでしまうのがいけない事です。道場に来ないと他人と組んでの感覚や、転がるという事が出来ないという事で有って、実はそれ以外は、一人で復習出来るものです。一人だからこそ自分を見つめる事も出来るわけです。そう考えれば、他人の見ていない所で如何に努力するかで、ずいぶん変わるように思います。だから、都合であまり道場に来られない人は、来た時を最大限大切にするとともに、来ない日に努力しないといけません。

 60   楽しければこそ
更新日時:
H19年12月1日(土)
 合気道には様々な人々が、それぞれの目的、動機で入門してきます。「強くなりたい」「護身に役立てたい」「健康法としてやりたい」あるいは「色々な人との出会いの場」というのも有るでしょう。
 
 どんな目的にせよ、やはり稽古に来るという事が楽しくなければ続きません。ではどのように楽しいのかという事が問題です。体を動かす事が気持ちいいと感じる人もいるでしょうし、人によってはその道場に気の合う仲間がいるからいいという場合も有るでしょう。また、道場内に好意を抱く異性がいるという人もいます。
 
 しかし体を動かす事であれば、他の武道でもスポーツでも出来るのであり、気の合う仲間もたまたまその道場にいたというだけであり、もしかしたら他のコミュニティにも可能性が有るのです。ましてや道場内の好きな異性というのも、その思いが失敗に終わった事で、道場に行けなくなってしまった人達というのも、私は見てきました。
 
 したがって結局は、合気道の稽古そのものが楽しく感じられなければ、長く稽古する事が出来ないわけです。その楽しさとは、真剣な気持ちで稽古するから楽しいのです。
 
 「自分は健康法のつもりで稽古しているのだから、適当にやればいい。」というのは明らかに間違いであり、こういう目的の人こそ「では健康法として長く続けていくにはどうしたらいいか?」という問いかけが無ければいけません。健康法だったら、長く続けなければ意味が無いのです。人生の中のたかが3年やそこら稽古して、健康だった時が有っても、残りの人生を考えたら、少しは意味が有るかもしれませんが、大して役に立たない事になります。
 
 稽古を通して技が上達すれば、稽古が楽しくなるし、それによってさらに稽古を続けられるようになるわけです。合気道は修行ですが、それが苦行というのではありません。私も稽古が楽しくてしょうがないから続けるのです。
 
 「正しく憶える」という事をしなければ、やがて合気道が楽しくなくなってしまいますが、「正しく憶えるための喜び」を知れば、その人は、稽古をする事を妨げる困難を乗り越えるようになります。



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