合気道には様々な人々が、それぞれの目的、動機で入門してきます。「強くなりたい」「護身に役立てたい」「健康法としてやりたい」あるいは「色々な人との出会いの場」というのも有るでしょう。
どんな目的にせよ、やはり稽古に来るという事が楽しくなければ続きません。ではどのように楽しいのかという事が問題です。体を動かす事が気持ちいいと感じる人もいるでしょうし、人によってはその道場に気の合う仲間がいるからいいという場合も有るでしょう。また、道場内に好意を抱く異性がいるという人もいます。
しかし体を動かす事であれば、他の武道でもスポーツでも出来るのであり、気の合う仲間もたまたまその道場にいたというだけであり、もしかしたら他のコミュニティにも可能性が有るのです。ましてや道場内の好きな異性というのも、その思いが失敗に終わった事で、道場に行けなくなってしまった人達というのも、私は見てきました。
したがって結局は、合気道の稽古そのものが楽しく感じられなければ、長く稽古する事が出来ないわけです。その楽しさとは、真剣な気持ちで稽古するから楽しいのです。
「自分は健康法のつもりで稽古しているのだから、適当にやればいい。」というのは明らかに間違いであり、こういう目的の人こそ「では健康法として長く続けていくにはどうしたらいいか?」という問いかけが無ければいけません。健康法だったら、長く続けなければ意味が無いのです。人生の中のたかが3年やそこら稽古して、健康だった時が有っても、残りの人生を考えたら、少しは意味が有るかもしれませんが、大して役に立たない事になります。
稽古を通して技が上達すれば、稽古が楽しくなるし、それによってさらに稽古を続けられるようになるわけです。合気道は修行ですが、それが苦行というのではありません。私も稽古が楽しくてしょうがないから続けるのです。
「正しく憶える」という事をしなければ、やがて合気道が楽しくなくなってしまいますが、「正しく憶えるための喜び」を知れば、その人は、稽古をする事を妨げる困難を乗り越えるようになります。
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