昨年の世相を表す言葉は「偽」でした。しかしそれは何も昨年に始まった事ではなく、それが一気に明るみに出たという事でしょう。その少し前も、建築確認の構造計算の不正が有りましたし、昨年は食品関係の偽りを突っつく人が現れたら、次々とあれもこれもという具合で、世の中の偽りを見つけ始めたら、結局「1億総うそつき」とでも言いたくなるようなありさまでした。
断っておきますが、私は決して古い人間に属する年齢ではないのです。しかしそれでも私の少年時代には、祖父や親戚の叔父達が、「他人をだましても、お天道様が見ているぞ!」と言ったものです。この「お天道様(おてんとさま)」を恐れ、敬うという心が我々日本人の心には受け継がれてきていたはずなのです。「日本人は無宗教」と言われる事も有りますが、日本人には日本人の、大自然を神として敬うという信仰心というのが有ったはずなのです。
ところがそういった信仰心が失われた現在、「他人に見つからなければ不正してもいい」という発想がそこら中に広がっているという事だと思います。
合気道は真の精神を持った人を育むというふうに私は教わりましたが、そういう事を後世に正しく伝えるのがまた真だと思っています。そこで私は、少なくとも現時点で「これが正しい合気道だ」と考える事しか道場生達に教えたくないし、そこに脚色を加えたり、「万人向け」と称して本来合気道とは関係無いような事を行うのは不本意なのです。
私がこの道場で子供クラスをやっていないのも、実は偽りが嫌いな事に起因するもので、他の武道のような、子供の頃からこの武道を始めて大成したという成功例が、あまりに少ないのが現実です。それどころか小学生の時に合気道の子供クラスに来ていた子供が、そのまま合気道を続ける事の実例の少なさの方を見ても如何に実りの少ない子供クラスという答えを出さざるを得ません。
実際私が以前伊勢崎市民合気会での指導を請け負った時も、合気道の受け身は憶えられても、技を憶えられる子供は小学校高学年でやっと簡単なものだけでした。だとするなら、その親御さんだって、合気道を習わせるというからには、合気道の技が例え形だけだとしても出来るようになってほしいはずです。だから「合気道を教えます」と言って入門を受け入れて、合気道の受け身しか教えられなかったとしたら、私にとって「牛肉です」と言って売った食品が豚肉なのと同じ事なのです。
しかし私はそれでも子供に合気道を教える事が全く不可能とは考えていません。しかし私が考える子供の合気道稽古というのは、教える方も相当レベルが高くないと出来ないし、また、私一人でも出来ないし、その協力者たる存在も不可欠なので、そういう環境も全て整ったら子供クラスをやりたいと考えています。それが私にとって「真の子供クラス」なのです。
何しろ子供は社会全体の宝であり、それを預かるという事は生半可な気持ちではいけないと思うのです。その子供が合気道に費やす時間を決して無駄にしてはいけないわけです。
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