16   真っ正面から向き合うという事
更新日時:
H19年8月11日(土)
 素直ではない人の心をよく、「斜に構える」とか言いますが、合気道ではまさにその、心も体も相手に斜めに向かう事を是正します。少なくとも私が習っている合気道というものはそういったものです。
 
 そういえば、先月こちらの道場生の結婚式に出た時の事です。教会で式を挙げた後、新郎新婦を囲んで何人かのグループで記念撮影をしました。私達彩新道場のグループがカメラに向かった時、式場のカメラマンが「みんな真っ正面を向き過ぎているので、もう少し斜めになってください。」と笑いながら指示してました。そうでした!世間では斜めに立った方がカッコイイのです。そしてその方がスキが無いという事で大体の武道や格闘技では半身に構えるのです。
 そういう発想を変えて、構えると相手も構えさせる事になるため、そのような争いの姿勢を止めさせる事が合気道のわけですので、例え相手が身構えても、自分は真っ正面から向き合う姿勢を貫く事で、争いを無くす武道となるのです。
 しかしそんな姿勢がついカメラに対しても出てしまった我が道場でした。

 17   美容と健康を求めるなら
更新日時:
H19年8月15日(水)
 現代では多くの人が美容や健康を求めて様々な運動、スポーツ、武道にチャレンジします。合気道にも同様にやってきます。
 
 しかし多くの人達が見落としている事が、「この武道(スポーツ)の、この動きがどのように体に良いか」という事にばかり目を向けてしまい、「この武道(スポーツ)が、どれだけ自分の心に良い影響を与えるか」という事に注目しない事です。
 
 健康は心だけでもなく体だけでもなく、両者がクルマの両輪のごとくバランスをとって存在するものなので、心だけ追求しても、逆に体だけ追求してもうまくいかないです。
 
 そういう意味では心と体をバランス良く鍛え、魂の健康が体を良くし、体の健康がまた魂を浄化するという合気道を正しく稽古し、また正しく伝える事は、人類にとっての最良の健康法だと考えています。そして大切な事は、その合気道の稽古は、道場で神前に礼をする事の意味からスタートしないと身に付かないという事です。そうでないとやはり体にばかり注目が行ってしまい、心とのバランスを欠く事になるでしょう。
 
 これは体の問題ばかり注目する人が私の周りで多いのでこういう事を書きますが、逆に心の問題にばかり捕らわれている人に対しては「もっと体を動かす事ですよ。」と言う事が有ります。確かに心が体を動かしますが、体もまた心に良くも悪くも影響を与えます。バランスを欠いたらいけないんですね。
 

 18   武道の愛とは
更新日時:
H19年8月28日(火)
 合気道は愛の武道です。これは植芝大先生が厳しい修行の末に、「武は愛なり」という境地にたどり着いた上で、その理想郷と、その上での合気道の目標、役割を説かれました。
 武道は本来人が人を殺す事が目的であり、殺す為の技が武術だったので、その中で「愛」とは理解しがたい表現かもしれません。
 
 そこで少なくともこれまでの武道とは違う発想を持つという事は漠然と感じられる事でしょう。
 そしてとりあえずは、相手を思いやり、怪我をさせないよう気を付けるという考えにはすぐにたどり着きます。
 
 しかしここで考えが止まってはいけなくて、合気道の愛とは「アイラブユー」という単純な愛ではない事は、大先生の修行過程をちょっとでも勉強してみると判るはずです。自分を殺そうとする相手に「アイラブユー」と唱えて殺されるような武道ではなく、相手を思いやる前に、絶対不敗の境地に達していたのが大先生でした。そこでどんな相手も思いやる事もいたわる事も出来たという事を私は勉強し続けています。

 19   若者の合気道
更新日時:
H19年8月23日(木)
 合気道は老若男女出来る武道です。したがって他の武道よりも中高年者や女性の比率が高いかもしれません。やはり若い時だけ行い、年を取ったら出来なくなるというのでは、確かに駄目かもしれません。その意味では合気道は従来の武道とは違う側面を持っています。
 
 しかしだからといって反対に中高年や女性ばかりいて、若者が入ってこないような合気道では、これまた困ると思うのです。組織は限りなくピラミッド型に近いのが理想であり、頭でっかちになっているとすれば、その組織には何らかの問題が有ると考えるのが普通でしょう。
 
 私は中高年者が頑張るのは、本人にとっても今の道場にとっても良い事であると考えているのですが、それはそれとして、現在中高年者の人達が、数十年後に道場の指導的立場を継いでくれるというのは、生物学的に不可能です。若い人が入って育ってこそ健全な組織です。
 
 ですので、道場では、武道としての合気道に期待してやってきた若者達の期待に応える道場でなくてはいけません。いつの時代も若者達は、強くなりたいと思って武道や格闘技を求めます。私の山徳道場時代の先輩の中にも「ケンカに強くなりたいのでお願いします」と言って入門した人がいましたが、その人は正直だと思います。私だって口には出さなかったですが、「合気道を通して楽をして強くなりたい」という虫のいい考えで入門しました。
 そして何しろ今は、武道も格闘技も多種多様です。昔はテレビでプロレスを観たからといって、それを自分でやってみようと考える人は少なかったです。ところが最近はちょっとした都会なら、k−1やプライドを観た人が、街に有る総合格闘技の道場に通ったりするわけです。
 そういう選択肢の広い中で、合気道を選んだ若者達は、私は合気道界にとって宝だと思うのです。よく「子供は社会の宝」と言われますが、正に合気道を選んだ若者達は、合気道の次世代を担う宝ではないでしょうか?
 ならばまずは彼らが武道としての合気道の有効性について納得するように稽古すべきであり、その上で「合気道とは本当はこういうものである」と示せば充分だと思います。
 子供は急に大人に成れない。階段を少しずつもしくは早いペースで登る人はいても1階から2階へジャンプは出来ないです。
 例えば「蹴られたらどう対処するのですか?」とか聞かれたら、言葉で濁すのではなくはっきり「こーだ」と体で説明出来るようでなければ、彼らははぐらかされたように感じるでしょう。
 
 合気道は技でも言葉の上でも両方納得を得られるような武道でなければいけないと考えて修行しております。

 20   気の交流の場
更新日時:
H19年8月25日(土)
 合気道の素晴らしい事の一つに、様々な人が、世代を越えて気の交流を行える事というのが有ります。
 現代的な発想で考えれば、合気道も子供クラスに始まり、女性クラス、一般クラス、壮年クラスという具合に細分化するという方法が有ります。私もそういったクラス分けという事を考えた事も有ります。
 
 しかしクラスを分けてしまうのが、果たして合気道の本質から離れる事にはなりはしないでしょうか。
 合気道では人類が一家兄弟のようになる事を理想として掲げ、少なくともその道場に来た人達は一家兄弟を目指して全員で気の交流を行うべきです。
 稽古では若者は熟練者と触れる事で、若くて体力が有るだけでは叶わぬ事を知り、熟練者もまた、若い修行者の若い気を受けて、気持ちを若返らせる事が出来るのです。これを年齢別に分けたら、そういう交流が出来なくなってしまうのです。
 
 人の考えは様々で、例えば「シルバークラスが有ったらいいな」と考える人もいるでしょうが、我が道場で言えば、ミスター松ボックリさんあたりは、そういうのは嫌でしょうね。「こんなジジババだけでやっても面白くない。若いエキスが必要だ。」という声が聞こえてきそうです。
 
 そういうわけで、一家兄弟を築くべく気の交流を図りたいりたいと思います。



前のページ 目次 次のページ


| | |