21   試合が無い事の厳しさ
更新日時:
H19年8月29日(水)
 合気道には試合が有りません。それによって女性や中高年者が稽古を続けやすい側面が有ります。
 しかしそれをもって合気道が武道として甘く見られるようではその道場の稽古に問題が有るかもしれません。試合を行わない事で、ルールに捕らわれない自由な発想で本来の武道の稽古が出来ると考えられる方がどれだけ前向きかと思います。
 
 合気道で稽古している事は、スポーツの試合やゲームのようなものを想定したものではありません。常に日常の中で気を付けるべき事について稽古しているわけです。
 
 日常の中で突如起こる非日常な出来事、それは私達合気道修行者にとってはゲームに勝つ事よりも重きをおいているもので、その事については、むしろ試合というルールを作った争いに慣れてしまう事の方がスキが出来ると私は考えながら稽古しています。勿論試合から得られるものは多く、生半可な考えで試合をしないよりは、試合中心に打ち込んだほうが、手っ取り早く強くなるという考えも分かります。
 
 私が考えるのは、究極的にはどうなのかという話であって、そのレベルで考えれば試合をせずに高い求道心をもって全ての非日常を想定した方が良いというのが私の持論です。
 
 世間を見渡せば、ただそこを歩いていた女性という理由だけで殺されたり、マナーの悪さを注意しただけで殴り殺されたりと、全ての犯罪は理不尽で不条理で、正に反則そのものなのです。私達武道の世界に生きる者達は、そういう出来事について、深い洞察力をもって向き合うようにしなければなりません。「ちょっとぐらい武道を習ったぐらいで役立ちません」とか言うのは簡単です。しかしいやしくも武道の師範と名の付く人達は、「今の自分は何が出来るか」ぐらいは整理整頓すべきでしょう。

 22   痛いから倒れるわけではない
更新日時:
H19年9月1日(土)
 世間での合気道へのイメージは様々で、例えば二教や小手返しのような技は最も世間でイメージしやすい技かと思います。
 
 しかしそれらの技は、決して痛いから相手が倒れたり動けなくなるわけではない事は、合気道を正しく稽古し続けている人達は知っています。痛いから倒れるだなんて力任せな発想であり、合気道の原理原則、アイデンティティーから外れるものです。ただ、それで素人に合気道を説明したりする場合は比較的有効でしょうね。素人からすれば、合気道の技とはどんなだろうと思っているところに技を掛けられて痛い思いをして「凄い!」と思うでしょう。ところが本人としては「痛い」という記憶が最優先で、だから倒れたと思ってしまうかもしれません。
 ただし、合気道修行者においてもつい技を効かせようと思うあまりに痛さを追求する人もいるのも事実で、私は道場生達に、「技は倒れるように行うから倒れる」という事を道場でもよく言っています。
 確かに痛いだけの技でも、素人が「掛けてください」みたいな状態であればそれで崩れたり倒れたりするものです。でもですね、合気道を有る程度以上やっている人であれば、痛いだけの技は充分跳ね返せるし、素人でも怒っている人、逆上していてアドレナリンが分泌している人に対して、痛いだけの技を掛けたら、倒れないばかりか火に油を注ぐだけです。
 
 くれぐれも痛さを追求するだけの稽古はやめましょう。

 23   武道家の品格
更新日時:
H19年9月2日(日)
 最近「品格」という言葉が注目されていますが、武道でもまさに品格というものが求められるわけです。
 合気道でもその人の品格を高めるような効果が無ければいけませんし、それを教える立場にいる人は、なおさらそのお手本とならなければいけません。
 稽古相手は自分自身の品格を高めてくれる感謝すべき存在であり、その相手をいちいち「ここが良い。あそこが悪い。」と口にするようでは、その人は合気道の何たるかが判っていない事になります。
 
 何かにつけ直ぐに相手のせいにする心が対立の構造を生むわけで、そうではなく、稽古相手が力んでいるとか、変な受け身をするとか思ったら、その相手は自分に試練を与えてくれているのだとか考えられれば、その人の品格は上がると思うのです。
 
 しかしながら悪いところは誰かが客観的にチェックしなければいけないのは当たり前で、だからその道場には師範がいるのです。

 24   合気道の誤解を解く 其の1(気で倒す!?)
更新日時:
H19年9月9日(日)
 別に神秘的に表現するまでもなく、気は人や万物にとって必要不可欠なもので、全ての生命の源とも言えるエネルギーです。
 
 時々合気道を知らない人から、「合気道って気で相手を倒すのですか?」と聞かれる事が有りますが、これなど試合無き合気道が、名前からくるイメージだけで想像される典型です。
 
 しかし少なくとも私が習っている合気道においては、決して超能力やオカルト的に止まっている相手に気を放出して倒すという事はやっていませんし、だいいち出来ません。仮に相手に触れずに倒す事が有るとすれば、それは相手に触れて倒す技の延長上に有るものです。相手に触れて倒す技の稽古を積んだ上で、触れる前に相手が倒れざるをえない(触れてからでは危険と感じる)技が行えるようになるというだけです。
 
 例えば今私が触れているパソコンも、電気が配線の中を通ってそれにより稼働しているわけですが、そういう正しい経路が有ってこそのエネルギーであります。エネルギーは必要なものだがそれが直接物理的作用を及ぼすのではありません。

 25   投げて気持ち良く、投げられて気持ち良い稽古
更新日時:
H19年9月11日(火)
 例えば相撲や柔道で投げられればそれは「負け」を意味するので、その競技者達は、何とか投げられまいとするわけです。
 
 ところが合気道では別に投げられまいと考えません。それは馴れ合いと取られるかもしれませんが、そうではないんです。合気道には試合が無いので、ルールが無いのです。なので「投げられたら負け」と決まっているわけではないので、それによって怪我が無いよう受け身が取れれば、それは負けでも屈辱でもないのです。もしかしたら、投げられて受け身を取った方が新展開が開ける事も有るかもしれません。
 
 そこで合気道では片方が技を掛けて、もう片方が受け身を取り、それを繰り返した後、今度は交代でもう片方が技を掛け…という稽古を行います。そしてその事が「気持ちいい」と感じるようになった人は、合気道の虜になって長年稽古を続けるようになるのです。
 
 では何故気持ちいいのか?投げられる事が本当に自分にとっての利益になると知るからです。柔らかく受け身を取るという体の使い方は、即ち自分が技を掛ける上での体の使い方に繋がるし、転がって起きあがる事の繰り返しが、全身の筋肉を使うだけでなく血の循環の促進にも役立ちます。
 また、合気道の関節技を受ける事で、体の柔軟性を増します。そしてそれらが総合的に気持ちいいという事です。
 
 そういった具合に、投げて気持ち良く、また投げられて気持ち良くといった合気道の良さが少しでも理解されればと思って普及活動をしています。
 



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