合気道には試合が有りません。それによって女性や中高年者が稽古を続けやすい側面が有ります。
しかしそれをもって合気道が武道として甘く見られるようではその道場の稽古に問題が有るかもしれません。試合を行わない事で、ルールに捕らわれない自由な発想で本来の武道の稽古が出来ると考えられる方がどれだけ前向きかと思います。
合気道で稽古している事は、スポーツの試合やゲームのようなものを想定したものではありません。常に日常の中で気を付けるべき事について稽古しているわけです。
日常の中で突如起こる非日常な出来事、それは私達合気道修行者にとってはゲームに勝つ事よりも重きをおいているもので、その事については、むしろ試合というルールを作った争いに慣れてしまう事の方がスキが出来ると私は考えながら稽古しています。勿論試合から得られるものは多く、生半可な考えで試合をしないよりは、試合中心に打ち込んだほうが、手っ取り早く強くなるという考えも分かります。
私が考えるのは、究極的にはどうなのかという話であって、そのレベルで考えれば試合をせずに高い求道心をもって全ての非日常を想定した方が良いというのが私の持論です。
世間を見渡せば、ただそこを歩いていた女性という理由だけで殺されたり、マナーの悪さを注意しただけで殴り殺されたりと、全ての犯罪は理不尽で不条理で、正に反則そのものなのです。私達武道の世界に生きる者達は、そういう出来事について、深い洞察力をもって向き合うようにしなければなりません。「ちょっとぐらい武道を習ったぐらいで役立ちません」とか言うのは簡単です。しかしいやしくも武道の師範と名の付く人達は、「今の自分は何が出来るか」ぐらいは整理整頓すべきでしょう。
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