26   師匠の責任
更新日時:
H19年9月10日(月)
 師匠は弟子に自分の合気道を伝え、弟子を通して自分のコピーを作ろうとします。弟子は人それぞれの考え方があり、やはり長く続ける人と途中で辞めてしまう人を比較すれば、やはり長い年月の中では辞めてしまう人の方が多いかもしれません。
 
 私が合気道を志して山徳道場に入門してから、引土先生との出会い、そして彩新道場として独立、そして現在までの時の中を振り返っても、ずいぶんと多くの後輩達が山徳道場に入門し、そして去っていきました。彩新道場においても入門してからすぐに来なくなってしまった人や、事情で続けられなくなってしまった人もいます。
 
 そういった中で、私が最初の師匠から言われた事の一つに、「来る者拒まず、去る者追わず」というのが有ります。
 
 その言葉自体は妙に格好良いのですが、しかし私は自分の中でその事に異論を唱え、「去る者は追う」を実践してきました。それは今まで去った人達の中に、実は大きな理由など無く、少しの事情で休んでしまったら、なんとなくまた道場に行きづらくなってしまい、そのまま来なくなってしまったという、いわゆる「フェードアウトタイプ」が非常に多いと感じていたからです。彼らはその能力、資質において、決して今いる人達より劣っているわけではなく、たまたま本人達の環境が稽古に来られなくなる状態を一時的に作っていた場合が多いと感じていました。そして彼らに電話やメールで連絡したところ、それが後押しとなって復帰し、その後道場の重要な立場になった人もいます。
 勿論本当に合気道が嫌になってしまい、はっきり辞める意思表示を以て辞めた人も少数ですがいます。そういう人は追いません。
 
 私自身も昔結婚する前後に1年ほど稽古を休んでしまった事が有りますが、その時たまたま道場の先輩が私の職場に来て声を掛けてくれたのが後押しとなって復帰したという事が有りました。
 
 また、私の大先輩の話ですが、、ある時イヤな事が有り、「もう合気道は辞める」と宣言して自分の道着を海に投げ捨てたそうです。その後その人の先輩が「これを着てまた合気道をやれ!」と言って新しい道着を差し出したそうです。(なんだか青春ドラマそのまんまでしょ?)
 
 自分の後輩や弟子が見込みの有る人間で、彼らがちょっと休んでしまったら、声を掛けるのは師匠や先輩の責任の範疇だと考えています。その為にはその人が見込みの有る人間かどうかを見極める力が無いといけません。

 27   観察力を養う
更新日時:
H19年9月12日(水)
 私の先輩達を見ても、実力の有る人、優れた人というのはまず観察力が優れています。師範の一挙手一投足というものを見逃さず、ちょっとした違いについてもチェックしています。
 
 合気道ではまず師範が手本を示し、それを弟子達がそのとおりにやってみるという稽古方法を取っています。私が新人の頃、「もっと細かい所まで丁寧に説明して欲しい」と思ったものでした。しかし自分が師範となった今は別の考えが有って、私自身もあえて言葉による説明を省いて教える事が有ります。
 
 新人の頃、前に出ている荒井先生があまり細かく説明していただけないので、必然的に自分の目で良く観察して憶えるような癖を付けざるをえなかったのです。そしてその頃の荒井先生の指導方法は正しかったのだと、今は納得しています。
 所詮言葉でいちいち説明していても、言葉の受け止め方だって人それぞれです。「右へ転換する」「手を下ろす」といった事も、実はその言葉だけでは説明が付かない部分が有ります。それよりも、その人自身が師範の動きを見て感じて「手を下ろす」とはどういう事なのかを自分自身の感覚に翻訳する必要が有るわけで、したがって最後は自分がどう感じるかなのです。
 
 やはり言葉で細かく説明する方が万人向けに思えますが、それではかえって弟子を甘やかす事に繋がると思うのです。武道にとっては、今の状況を集中して観察し、適切に対応するという事こさ元々生きるか死ぬかの問題の解決の為の手段として必要な事で有り、その大切な観察力を養う訓練を行ってこそ本当の武道と言えるでしょう。ところがあまり親切に言葉で教えようとすると、その観察力が育たないから、結局は不親切に繋がるのです。
 
 そういった事で、私は有る程度稽古した人に対しては、どの程度の観察力が有るかを試す事が有ります。勿論初心者レベルの人に対して無理難題をふっかけるという事ではないですし、そういうテストをやった後は、観察力について説明しています。

 28   稽古をする習慣、しない習慣
更新日時:
H19年9月20日(木)
 「稽古は毎日行いなさい。例えわずかの時間でも、毎日やり通すという事がその人の力となり、自信となるのです。」
 これは引土先生の言葉です。言うまでもなく、どのジャンルを問わず、何かをモノにしようと考えれば毎日行うのは当たり前で、合気道においても毎日稽古する心構えが必要という事です。
 当道場については週4日稽古日を設けていますが、それ以外の時も、私は無理の無い範囲で自主稽古するように心掛けています。道場生達にも、「稽古日以外でも来ても構わない」と伝えていますので、臨時で稽古を行う日というのも有ります。
 
 稽古をする習慣を身につけている人は、活き活きとしています。逆に気が萎えてしまった人は稽古をしない習慣を身につけてしまいがちです。そうすると合気道の場合稽古に来ない事で道場に対して責任を問われる事が少ないので、結構それで済んでしまうのですね。そこから稽古に復帰する事が困難になります。本人がやっとその気になっても、例えば結婚している人であれば、家族の理解を得るのが難しいという場合が有ります。何しろ稽古には行かないという事が習慣になっているので、「何で稽古にいくの?」と言われるかもしれません。
 
 しかしですね。繰り返しますが、稽古を習慣化している人は、活き活きとしているのです。そういう状態というのは頭も冴え、問題解決力も冴えているのです。本人にとっても周りの人にとってもいいわけです。稽古をしない習慣が身についた人は、その事を忘れているのです。
 
 道場生達には私みたいな合気道バカになれとはいいません。稽古に行くという習慣を続けて欲しいといつも願っています。

 29   復帰を受け入れる合気道
更新日時:
H19年9月24日(月)
 合気道修行者の中には、途中稽古を中断してしまって復帰した例は多いようです。これは他の武道よりも多いのではないでしょうか。
 
 「合気道は一度入門したら、一生会員だ」
これは私が少し合気道を中断した後、復帰する前に思い切って先輩に電話を掛けた時の先輩の言葉です。このように、合気道には休んだ人の復帰を受け入れる土壌が有ります。この意味としては人によっては「そんなの甘いぞ」と捉える人もいるかもしれません。しかしこの「受け入れる」という精神が実は合気道の教えに繋がっていて、その事をその指導者が実践するのはごく当たり前であります。
 
 弾く、跳ね返す、抵抗するというのが、普通の発想であれば、そうではなく、「受け入れることこそ最良の手段」という発想の転換を行うのが合気道です。ましてやそれが敵対心ではなく、「再び習いたい」と教えを請いにきた弟子であれば当然の事です。
 
 ちなみにこの話は合気道の技術論を含めて述べました。

 30   ベテランが気を付ける事
更新日時:
H19年9月29日(土)
 すでに観察力について書きましたが、本来はベテランほどこの観察力というものが優れていないといけません。
 
 ところが私の新人時代から今までを振り返り、また私が師範の立場で各稽古者を見ていると、むしろベテランの人達の中に観察力を鈍らせている人が多くいる事に気づきます。 
 武道を極めようと思ったらいつまでも進歩し続けるよう努力せねばならず、その為にはベテランになっても今の自分に満足する事なく研究を怠らないよう心掛ける事は肝要で、観察力というのもベテランほど磨かれなければなりません。
 しかし現実は、向上心が薄れてしまう人は、稽古に慣れたのをいいことに、観察する事を忘れてしまうようですね。そこで例えば入身投げを見ても、それも同じにただ「入身投げ」という情報しか入っていない。または何となく頭には情報が入っても、体がその事に反応しないという具合です。しかし実は同じ人の入身投げでも日によって違ったり、あるいは研究してやり方を変えたという場合も有るのです。
 そういうちょっとした変化を見過ごしてしまわないように、私は時々言葉の説明無しで数種類の技例えば入身投げ4種類とか二教の変化3種類とか行って、「はい!やってみてください」なんて言うと、残念ながら長くやっている人ほどそのとおりに出来ません。みんな何となく見ている悪い癖が付いているのです。
 
 なので長くやっている人は、いつでも新人の頃を思い出して新鮮な気持ちで師範の動きを観察し続ける事が必要と考えます。



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