私は元々高崎市の山徳道場で合気道を始めました。最初に専門道場で始めたので、そういう雰囲気の場所で稽古するのが当たり前の感覚なのです。
ところが私が二段の頃、師匠の荒井師範から、「伊勢崎市民合気会で指導してくれ」と直々にお話が有りまして、とりあえず何人かの指導員が交代で指導する中、私は水曜日の担当という事になりました。本当は「まだ指導など早い」という思いが先行していたのですが、この事が自分自身の糧となればいいという気持ちで指導を2年間行いました。
その頃の事はそれはそれで思い出の一コマでは有りますが、伊勢崎市の公共施設で稽古する事に違和感を感じていました。
公共施設のメリットとしては、公共の場という安心感から多くの人が近づきやすい。そして多くの場合その施設の床面積が広い為に、多くの人が一度に稽古出来るという事が挙げられると思います。しかしそれらの施設は合気道の為だけに作られたものではないので、そこでは色々な武道やスポーツ団体が使用しているのです。そしてそれらの関係者の様々な思いが交錯しているのです。そうするとそういう場所で稽古しようとしても、「どうも集中出来ないなあ」と感じるのです。
その後和歌山県新宮市の熊野塾道場に通うようになりましたが、そこはまさに私が思い描く最高の道場でした。「道場!!!」
と叫びたくなるくらい私は引土先生やその教え、その道場の先輩方とともに、その建物としての道場自体を気に入ってしまいました。
合気道は精神と体を鍛えますが、その上でまずは精神が先のわけですから、やはりそれを行おうとすれば、その為の雰囲気を整えた場所、つまり専門道場で始めるのが理想のはずなのです。その上で有る程度専門道場で稽古すれば、例えば公共施設でも極端な話自宅や野原でも出来るような自分を作れるようになるのではないでしょうか。
私はこのような思いが有って、10年前に独立する際、近くの公共施設を借りて稽古を始めましたが、その時から「彩新道場」と名乗っていたのです。世の中には様々な事情が有って、誰もが専門道場で稽古出来るわけではないですから、その事情を理解した上で、それでも稽古する時はその場所を「道場」と認識する事で、いくらかでも良い稽古が出来るのではないでしょうか。
この道場の道場生の中で、大変憶えの良い人が、昨年新潟県に引っ越してしまいましたが、彼はそれでもこの道場に毎月定期的に来ています。彼は地元で公共施設を借りて自主稽古を行っていますが、やはり「どうも集中出来ない」と言うのです。なるほどこの人には私のDNAが伝わったと感じました。
どこで合気道を始めるのは個人の自由ですが、最終的には道場で稽古出来る人を目指さないといけないと考えています。これは建物としての道場という事に限定しているわけではないです。その人がその場所を「道場」と思えるかが大事だと考えます。
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