41   道場への道案内
更新日時:
H19年10月27日(土)
 この道場が建てられたのは、今から8年前、平成11年春に落成しました。
 
 その当時に入門した人達の話を聞くと、「道場への行き方が判りませんでしたが、道場に電話して教えてもらってやっとたどり着けました。」と言う人や、「こんな近くに合気道の道場が有るとは知りませんでした。」と話す人がいました。
 
 現在ではこのホームページでも地図を載せているので、それまでよりは判りやすくなったはずですがそれでもここで、もう少し詳しく場所を説明しておきます。
 
 最近ウニクス上里という複合商業施設が出来ましたが、その前の大通りを藤岡方面に行くと、まず関越自動車道の下をくぐります。すると左にラーメン屋、右にカリモクショールームが見えます。その次に新幹線のガードが現れまして、良く見ると、こちらから向かって左側、新幹線の下に自動精米器が有ります。これを発見出来ればもう道場のすぐ近くです。
 その新幹線のガード下を藤岡方面に向かって左側へガード沿いに左折です。その後はしばらくガード沿いに進みます。その次は右折なのですが、ここで落とし穴が有って、最初に右折出来る所を右折すると、別の場所へ行ってしまいます。その先は道が細くなるので、心理的にここで曲がりたくなるのかもしれません。なのでとにかく畑が見えてくるまで進んでください。
 畑が見えたらそこで右折です。右側に民家が見えますが、やがて白いプレハブの建物が見えます。そこが当道場です。
 
 藤岡方面から来る場合は新幹線が見えたら右折し、その後は同様です。
 
 ウニクス上里まで歩いても行ける位の距離ですので、ウニクス上里に用が有って行ったら、そのついでにでものぞいて見てください。

 42   年齢の壁を超える合気道
更新日時:
H19年10月28日(日)
 合気道を創始された開祖植芝盛平大先生は、常に研究を重ね、晩年まで技が進化し続けたと言われます。つまり年を取っても出来る合気道をやられたわけです。
 新宮の故引土道雄先生は、そんな大先生に付いていき、最後まで晩年の大先生のような合気道をやろうという姿勢を貫いていました。
 
 合気道は正しくその道を求めれば年を取っても進歩する事が出来るのです。普通考えられている格闘技やスポーツは年齢による実力の衰えが有り、それでも何とか衰えを少なくしようと努力するものです。そんな中で、私はプロ野球の工藤公康投手と同い年の44歳ですが、その工藤投手が努力と工夫を重ねて現役を続けている事は、本当に立派な事だと思い、出来るだけこの状態を続けていく事を期待しています。
 
 ところで合気道で44歳というのは、全くもって成長期であります。私もこれからピークを迎えるべく研究を重ねて進化していきたいと考えています。
 

 43   大人の英知 こどもの純粋さ
更新日時:
H19年10月29日(月)
 合気道は人がより大人になる為の武道だと私は思っています。しかしどんな大人かという事が人によってとらえ方が違うかもしれません。
 
 こどもの頃の良い所として、邪心が無く純粋というのが有ります。それがだんだん持って生まれたDNAの覚醒や、周りの影響によって大人になっていくにつれて純粋さが失われていきます。合気道では人間が経験に伴って身につける英知と、放っておくと失われるこどもの心を両方求めます。
 
 合気道を上達させようと思う人は、その両方を考えないといけないでしょうね。大人の英知については大体の人が考えが及ぶのですが、それとこどもの純粋さについても考えているでしょうか?
 
 上達する人は両方持っています。この道場でも急速に上達する人は私が技を掛けると一瞬驚き、次に嬉しそうな顔をします。こういう邪心の無い純粋な顔を持った人に出会えた喜びというのは、私にとってかけがえのないものなのです。

 44   俺流は捨てる為に有る
更新日時:
H19年11月5日(月)
 「俺流」なんていう言葉がちょっと流行ったりしています。自分流の生き方や、方法など、個性が尊ばれるのは良い事だと思います。
 
 しかし合気道ですぐに「俺流」に走るのは、自分の間違いの正当化に他ならないと思うのです。
 こんな高度で難しい、最初から極意を習い、達人技を稽古しているような武道で、そう簡単に自分流を作れるはずは無いのです。むしろ自分流を捨てる事こそ有る程度のレベル以上において向上する為の手段だと考えています。
 
 そこで難しいのは、誰しも今の自分が間違っていると思って教えている指導者はいないし、習う側も、今の自分に間違いが有るという事を気づく機会がだんだん減っていくという事です。
 
 そこで自分の間違いについて判りやすくする為に、「これから私の真似をしてください」と言って、合気道の技でも何でもないような手の形、手の動かし方といった事をやって真似させると、それぞれ違うのです。良く真似出来る人は観察力が有り、順応性が有りますが、そうでない人はやはり間違いです。その場で指導者が説明したとおりに出来ないという事は、逃れようもなく間違いです。
 間違いとはこんなものです。こういう人がそのまま記憶した事を後輩に伝えれば、それが正しい事となってしまうのですね。それを安易に個性などという言葉で逃げていては、自分の立場は守れるかもしれないけれど、自分の向上にはならないのです。
 
 どんなに実力が上がっても、人間ですから、どこかに間違いが有るはずです。だからこそ、自分の間違い探しが必要でしょう。私は俺流を捨てる稽古をしていきたいと考えています。
 

 45   メッキがはがれる人になりたくないので
更新日時:
H19年11月6日(火)
 今から10年近く前の事でした。独立してから一年程度の頃です。ある近くの道場の人がどんな稽古をやっているのかと見学に来ました。その人の感想は、「技が荒井先生とだいぶ違いますね。よく変えられましたね。普通変えられないと思うんですけれど。」でした。いやその人の言葉を正確に再現すると、技ではなく「型」でしたが、ともかくそういう風に感じたわけです。
 
 それはそうですよ。私がどれだけの気合いで独立した事か。それまで荒井先生の元で稽古していた私が、「これからは引土先生の教えを追求したい」と願い、一時は新宮に引っ越そうとまで真剣に考えていたのですから。それがままならないなら、定期的に熊野塾へ通い、戻ったら必ず復習して憶えると誓い、5年間は基本的に毎月新宮までビデオとノートを持参で行きました。今でも時々行ける時を見つけて行きます。
 最初に通い始めた頃は、家に帰ったら徹底的に自己チェックの日々です。ビデオを見て、引土先生はどういう動きをなさっていて、それに対して自分はどこが違っているのかを発見して、「こう動くのか!」と自分なりに一人で動いて見る。その時の稽古でこういう技を行い、こういう感じを受けたという事を初めて行った時から現在に至るまで、全部ノートに書いて有ります。
 
 私がこういう事をしているのも、そもそもそれまで身につけた動きを変えるというのは、並大抵では出来ない事を自覚しているからです。ただ時々稽古に参加しただけでは憶えたと言っても地金の上にメッキを施した程度でしかないわけで、そのままほったらかしにしておけば、すぐにメッキがはがれてくる。ましてや元の道場に行けば、見事に元の地金のままになる事が予想出来たので、私は独立の道を選んだのです。その頃の私は徹底的に荒井先生の教えを拒絶して引土先生の教えについて考えていました。そんな私を当時の荒井先生は苦々しく思ったかもしれません。複雑な思いが有ったかもしれません。しかし後に荒井先生は、「君は引土先生に惚れ込んで引土先生の元に通うようになったのだから、その教えを徹底的に追及すべきだよ。」とおっしゃってくれました。
 
 中途半端に出る杭は打たれるが、大いに出た杭は打たれなくなるというわけです。



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