■エビネくんとグレムリン■page 4

−4−
 〈森の精〉で司令官と〈グレムリン〉たちが慌てふためいてた頃、遠く離れた土星の第1衛星タイタンにおいても、小さな混乱が生じていた――。
 この日は土星圏の各地で、一斉に卒業式が行われた。〈機構軍〉の管理する、ここタイタン士官学校も例外ではない。
 先ほどつつがなく式を終え、希望に満ちた表情の卒業生たちは、いまは「辞令」という新世界への切符を受けとるために、校長室を訪れている。みな部屋へ入る時は緊張で顔が強張っていたが、出てくる時は誇らしげに顔を輝かせていた。
 そしてエビネ・カゲキヨ候補生も、先に辞令を受けた級友と同じく期待に胸を膨らませ、執務机をはさんで校長の前に立ち、うやうやしい気持ちで恩師の言葉を受けとった。
 任官先はあらかじめ知らされている。だから当然、その名前を正式に告げられるのだと彼は信じていた。しかし校長の口から発せられた勤務先の名前は、まったく聞いたこともないものだったのだ。
 彼はたったいま校長が言ったことばを、瞬時には理解できなかった。思わず助けを求めて、傍に立つ担任のキナ教官を振り返る。だが教官は難しい顔をし、「早く応えろ」と目で訴えるだけだ。辞令を伝え終えた校長は、じっと自分の返事を待っている。
 もちろん応える言葉は決まっている。これは命令なのだから、何も考えずに「拝命します」と言えばいいだけだ。だがエビネ候補生は、素直に答えていいのか解からず、ただひとこと呟いた。
「……カリスト……ですか?」
 自分は確か、タイタン司令本部のロメス大佐の次席副官になる予定だったはずだ。それがなぜ、突然木星の第4衛星カリストにあるヴァルト何とかという航空隊の広報部員に任命されるのだ? しかも校長や教官は、予告なく急に任地が変更になったことについて、タイタン司令本部へ説明を求めたり抗議もしないまま、「カリストへ行け」と言う。
 事態が呑みこめずに黙っていると、校長のトーゴーが再び口を開いた。
「この辞令は少しおかしい。もちろん、直前になって勤務地が変更になるということは珍しくないが、どんな場合においても、七二時間前には当人に知らされることになっている。なのに、何の打診もなく変更されるというのは、何らかの手違いである可能性が高い。そうした場合、こちらとしては人事部の方に問い合わせをするべきなのだが、私はあえてそれをしなかった。なぜなら、このまま黙ってこの辞令を受けても、君を含め、我々に責任はないからだ。何しろ軍では上からの命令は絶対だからな」
 エビネ候補生は、校長が何を言わんとしているのか量りかねた。彼は無言で校長を見つめ、わずかばかり首を捻った。校長は構わず言葉を続ける。
「どういう経緯で木星の部隊からお呼びがかかることになったのか解からないが、この辞令を見た瞬間、私は安堵したのだよ。『これで未来ある士官を一人、潰さなくてすむ』と……。だがエビネ候補生、一方これは賭けでもあるのだ」
「賭け……?」
「そう、賭けだ」
 校長はゆっくりと、そして大きくうなづいた。
「当初の予定では、君はタイタン司令本部・総務部のロメス大佐の次席副官になるはずだったな。確かに、卒業したばかりのいわば〈ひよっこ〉が司令本部勤めになるのは、すごいことだ。私もそういう生徒を育てることができたことを誇りに思う。だが、『副官』という仕事は他の仕事と違って、上官との人間関係がうまくいかないと、あっというまに斬り捨てられる。つまり、『上』への道が閉ざされるのだ。まあ人付き合いのうまい君なら、誰とでもうまくやれると信じているよ。しかし彼――ロメス大佐は、君のためにはよくないんじゃないかと、私は思う」
「……それはどういう意味でしょうか?」
 エビネ候補生は、意外なことばかり告げる校長を不安げに見つめた。何だか晴れやかな旅立ちに、突如暗雲が立ち込めてきたかのようだ。
 そんな不安を隠し切れない生徒を見る校長の目は、教官というよりむしろ「厳格な父」のものに近い。厳しくはあるが、どこか慈愛の光を帯びている。
「あまり大きな声では言えないが……、彼は小物だ。一見やり手に見えるが、それは小手先が器用なだけで、実力はさほどでもない。いまは後ろ盾もあって羽振りがいいが、あのままではきっと先は知れてるだろう。そして、彼が転覆すると、君も一緒に転覆することになる。それならまだしも、自分だけが助かろうとして、君を海に蹴り落としてしまうかもしれん。以前、実際にそういうこともあったのだ。その時はいろいろ面倒な事情があって、うやむやになってしまったがな……。とにかく私は、そんな奴の許に自分の育てた生徒をやるのは忍びないのだよ。かといって、〈森の精〉とかいう部隊を私はよく知らないので、安心して勧められるというわけでもない。もしかしたら、そこではもっと辛い目に遭う可能性もある……。つまり、そういう意味での『賭け』というわけだ」
 押し殺した声で、校長は語り続ける。
「だが同じ険しい道を行くのなら、いっそのこと、この〈森の精〉とやらで一から始めた方がいいのではないかと思うのだよ。木星へ行くことは、君にとってもプラスになるはずだ。外の世界を知ることによって、物事を考えるのに幅が広がるからな。ひいては、よりよい指揮をとることができ、部下を無駄に失わずにすむことになる」
 それはそうかも知れない――とエビネ候補生は思った。自分は生まれてこのかた、この土星圏内サターンから出たことがない。自分の知る「外の世界」は、〈機構軍〉艦隊に勤務していた父親が聞かせてくれた話や、〈ユニバーサルネットワーク〉を流れる映像や文字でしかなかった。でもそれだけでは、その世界を知っているとは言えない。実際にその場所に立ってみないと判らないことがほとんどなのだから。
 これは、自分がいままで知らなかった世界を見るチャンスなのかもしれない――ふと、エビネはそんなことを考えはじめた。
 彼のそんな心の揺らぎを衝くように、校長は説得を続ける。
「それに不安材料ばかりじゃないぞ。キナ軍曹が言うには、〈森の精〉の司令官であるヴィンツブラウト大佐は、〈天王星独立紛争〉の折に多大な功績を上げ、部下からも慕われていた優秀な指揮官だったとか――そうだな、軍曹」
 明るい話題になるよう校長は無理に声を弾ませ、キナ教官に同意を求めた。教官は「はい」とうなづくと、自分の記憶にあるヴィンツブラウト大佐を語りはじめる。
「まず、自分はヴィンツブラウト大佐とは直接の面識はありません。ですが天王星にある同じステーション――〈竜の巣窟〉に勤務しておりました。そこでは彼のことを知らない者はおりません。彼が〈竜の巣窟〉の英雄的存在だったからです。大佐は誰もが認める凄腕のパイロットで、〈地球へ還る者〉たちを次々と検挙し、また、〈月・火星連邦〉と〈天王星独立軍〉のいざこざに伴う戦いにおいても、さまざまな作戦を成功へと導かれておりました。その彼が〈竜の巣窟〉で勤務した七年半の間に、少尉から少佐にまで登りつめた姿は、他の隊員たちの士気を高めることにもなったのです。それはもう、一種カリスマ的と言っても過言ではないでしょう。当然、彼の部下たちからは全幅の信頼を寄せられていました。……まあ、別の意味でも『撃墜王』でいらしたので、プライベートでは『敵』も多かったみたいですがね」
 それが地顔の仏頂面で、真面目に答えていたキナ教官だが、最後の「撃墜王」の部分でニヤリと笑った。しかしエビネ候補生はその意味に気づかず、真剣な表情で教官の言葉を聞いている。そんな初心うぶな生徒を見て、教官は内心苦笑した。
「とにかく、彼が基地司令官へと出世したことによって悪い方へ変わっていなければ、充分信頼できると思います」
 そう締めくくってキナ教官は口を閉じた。校長は教官を軽くねぎらうと、エビネ候補生に目を戻し、決断するように促す。
「どうするかはエビネ候補生、君に任せる。このまま命令に従うか、当初の予定どおり副官としてロメス大佐のところへ行くか、君の望み通りにこちらは手配しよう」
 だがエビネ候補生は、ぼんやりと校長の執務机の上に視線を落としたまま黙っている。校長と教官は、生徒の決断を急かすことなく待った。
 生徒にとって、これはこのさき生きていく上の大事な第一歩である。確かに軍では上からの命令は絶対だ。どんなに理不尽な命令であっても、背いたら即処罰――。だが、せめてこの第一歩ぐらいは、自分で決めさせてやりたい。エビネが副官への道を選ぼうと、木星への道を選ぼうと、最善の努力をもって便宜を図る――校長はそう決めていた。
 そうして、壁にかかったアナログ型の時計の秒針が、何度も同じところを巡り――。
 不意に静寂に支配されていた空気が微かに揺らぎ、ざわめいた。
 俯いていた生徒は意を決し、ぐいっと顔を上げた。口元を引き締め、澄んだ黒い瞳には決断の光が宿っている。すでにその顔には一片の迷いもなく、自分の下した結論に満足しているようでもあった。彼は姿勢を正し、校長をまっすぐ見据えて声を発した。
「この辞令を、謹んで拝命いたします――」
 言い終えると、エビネ候補生は大きく息をついた。

■エビネくんとグレムリン■page 4