■エビネくんとグレムリン■page 9

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 茫然自失の状態から回復したエビネは、自分の失態を恥じて自己嫌悪に陥っていた。先ほど宙港でとった行動――いや、「とれなかった行動」について、反芻しては大きな溜息をつく。もちろん、カリストへ来るからには「いつか〈外〉へ出ることになる」と覚悟はしていた。ただ、それが「今日」だとは思ってもみなかったのだ。
「軍人たるもの、いかなる事態にも対応できるよう、常に心しておくべし」
 士官学校の教官たちから、そう教え込まれてきた。それにいままで突発的な事態に遭遇しても、それなりに巧くこなしていたので、自分は大丈夫だと高を括っていた。だから今回、何も対応できなかったことがショックだった。
 エビネは少し自信を失った。思わずそれをマルロー軍曹に洩らす。だが軍曹はそれに応えず、人懐っこい笑顔で彼をコクピットへ誘った。
 〈アウストリ〉――これがこの機の開発コード名だった。三〇人乗りの小型旅客機で、カリストでの兵員輸送用に開発された。〈森の精〉はその飛行試験やマニュアルの作成を担当している――そういった説明を受けながら、エビネはフライトデッキのハッチをくぐった。
 初めて見る航空機のコクピットは、想像以上に狭かった。照明を抑えた暗い室内に、計器類のほのかな光が浮かび上がっている。身長は高くない部類に入るエビネでも、立っていると機械に圧しつぶされそうな気分になった。
 操縦席に座っていたアダルが、気圧されて入り口に突っ立っていたエビネを呼び寄せ、隣の席を勧めた。少佐の隣といえば副操縦士席だ。エビネは躊躇した。飛行中の操縦席に、資格のない者が座ってもいいのだろうか。
「いまは空席だから構わないよ。『僕』が許可する」
 士官候補のためらいを察した少佐は、言外に命令の風味を利かせてもう一度勧める。上下のしきたりに囚われている者にとって、その言葉は安心できた。
 エビネはおずおずとコ・パイロットシートに潜り込んだ。主操縦士席とは左右対称に配置されている計器類が目に飛び込んできて、彼は思わず感嘆の声を上げた。エビネは機械のことはさっぱり解からなかったが、こういったメカニカルな雰囲気は嫌いではなかった。首を廻らせて、全身を取り囲むモニタやスイッチ類を興味深そうに眺める。
 ひとしきり周囲を見回したエビネは、ふと副操縦士席の右脇に設置されている操縦桿に目を留めた。思わず 食い入るように見つめる。操縦桿スティックは機体の動きに合わせ、ゆっくりと左右に揺れている。
「手を置いてもいいよ。ただし握るんじゃなくて、軽く添えるだけだよ」
 唐突にかけられた少佐の声に、エビネは赤面した。先刻からすっかり頭の中を見透かされている。自分はそんなに解かりやすい思考回路をしているのか――と、ちょっとブルーになる。そんな士官候補に、少佐は目を細めた。
 エビネは少佐の言葉に甘え、おずおずと右手を伸ばした。細心の注意を払って、操縦桿に触れる。自動操縦で動いている操縦桿が、てのひらを軽く叩いた。
「腕の力を抜いて、スティックの動きに手を合わせてごらん」
 操縦桿の動きに合わせ、エビネは手首を左右に動かしてみた。なかなかタイミングが合わなかったが、何度か手首を捻っているうちに、動きのコツを掴んだ。途端にそれが面白くなる。自分が操縦しているわけではないが、この機体を自由自在に操っているような錯覚に囚われた。彼は顔を輝かせ、その感触を味わった。
 そこでふと、疑念を抱いた。
 これは少佐の気遣いなのではないか。自分が変に落ち込まないように、気晴らしをさせてくれているのかもしれない。
 エビネは弾かれたように顔を上げ、鼻筋の通ったアダルの横顔を見た。少佐は彼の視線に気づいたが、チラリと目をくれただけで何も言わなかった。しかしその顔に浮かぶ、穏やかな笑みが応えている。
 急に不安感が消えた。
 どうしてだか解からない。だが、もやもやしていたものはすっかり霧散し、いまはとても爽やかな気分だった。
 エビネはもう何も考えず、着陸準備に入るまでのひとときをパイロット気分で過ごした。

 まもなく、新入隊員を乗せた機が到着する――。
 愛機〈オーベロン〉の格納庫で整備記録をチェックしていた基地司令官は、次席副官であるトール・クローチェ二等軍曹の知らせで、自分のオフィスへ戻った。
 オフィスにはすでに、ミルフィーユの父親で〈森の精〉兵站へいたん群司令官のイザーク・ディスクリート大佐と、広報部長のマックス・ルビン中佐が来ており、落ち着かない様子でソファに座っていた。マックスは直属の上官として、イザークは単なる野次馬として、エビネの着任を見届けに来たようだ。
「お、どうしたイザーク。浮かない顔だな?」
 鼻唄まじりに部屋へ入ったウィルは、腕組みをして眉間にしわを寄せているイザークに声をかけた。 いつになく機嫌のよさそうなウィルに、ミルフィーユの父親は嫌味を含ませた口調で応える。
「俺にはそうやって呑気にしてられるおまえの方が不思議だよ」
「なんで?」
 のほほんと聞き返すウィルに、イザークは溜息をついた。
「〈グレムリン〉を他所へ追いやって、それでもう大丈夫だと思ってるのか? いくらこっちが警戒してても、毎回裏をかかれているじゃないか。連中のことだから、今回もなにか他の手を打ってくるんじゃないのか?」
「なんだ、そんなことを心配してんのか」
 イザークの傍までやってきたウィルは、不安そうに訴える同僚を見下ろし、鼻で笑いとばした。
「確かに連中、今日のために何やら画策してたらしいがな。それもいつものごとく、『使っていない部屋に閉じ込める』といったタイプの『奇襲』をな。あいつらにとって〈新入隊員到着の儀〉を行う最大の目的は、新人の驚き困った顔を『見る』ことだ。それができなくなった時点で、連中の計画は潰れたも同然てわけだ。てなわけで、そう心配する必要なし、ナシ!」
 ウィルは安心させるように、軽くイザークの肩を叩いた。そこへ、納得しきれない顔のマックスが口を挟む。
「けど、それは朝の時点での話ですよね。現在、彼らが〈ヴァルハラ〉へ発ってから三時間あまりが経ちますが、それは別のプランを練るのに充分な時間だとは思いませんか?」
 広報部長の言葉に、ウィルの笑顔が凍りついた。
「……マックス。俺が極力考えまいとしてることを、ズバッと言ってくれるな」
「あ、やっぱりおまえも楽観してないんじゃないか!」
 ウィルの言葉で安心しかけていたイザークは、裏切られた思いで叫んだ。基地司令官は「まあまあ」と手振りで彼をなだめる。
「そりゃ反撃に備えて、守りも固めとかんとな。連中のことだから、このまま大人しくなるってことは、まずないだろうし。で、新人の驚く顔を見れなくなった連中の、次にとる行動だが――」
 ウィルは一旦言葉を区切り、表情を確認するように二人の方へ目を遣った。
「標的を新人から俺たちに変えてくるのは間違いない。つまり新人の代わりに、俺たちを困らせる何かをやらかす――と。そこで、本人たちが遠くにいてもできることで、連中が一番使いそうな手は、〈森の精〉システムへのクラックだ。システムに侵入して、俺たちが困る程度に中身をちょっと引っ掻き回す――ってところか」
「うむ、確かにやりそうだな」
 イザークとマックスは基地司令官の意見にうなづいた。ウィルはその反応に満足し、さらに言葉を続けた。
「連中は司令本部カリストへの侵入を成功させたことで自信をつけただろうが、〈森の精〉のシステムはそう簡単にはいかないはずだ。常に〈グレムリン〉のクラックを想定して、司令本部以上にセキュリティを強化してあるからな。特にこの一週間は、データの出入りを入念にチェックさせて、不審なプログラムが組み込まれないように気をつけていたし、現在もリアルタイムで監視させている。たとえ連中が万一のことを考えて、それなりの『下拵え』をしてあったとしても、〈森の精〉うちのシステムは数時間やそこらでは破れんだろう。まあ、司令官級のコードキーを持ってれば、話は別だが」
 ウィルは悦に入ったように笑みをこぼし、胸を反らせた。いまにも高笑いせんばかりだ。
 だが彼の最後の言葉に、イザークの顔色が変わった。低い唸り声を上げながら、苦々しい顔で天を仰ぐ。しばらくそのままの状態で思案に暮れていたが、ついに思い余って切り出した。
「あのな、ウィル。あまり言いたくないんだが……俺、システムへのパスワードを抜かれた……よーな、気がする」
 イザークの告白に、今度はウィルが血相を変えた。
「なにーっ!? すぐ違うのに変えたんだろうなっ? まだだったら、いますぐ変えろっ!」
 自分のデスクにある端末を示して、ウィルは怒鳴った。その顔に驚愕と焦りの色が浮かぶ。しかしイザークは、髭の蓄えられた顎をなでながら、投げやりな口調で答えた。
「それが変更しようにも、連中がすでに変えちまってるので、もう俺はログインできないんだなぁ、これが。とりあえず、管理人アドミンに何とかするようには言ってあるんだが……」
「――!」
 ウィルは慌てて自分の端末に飛びつくと、自分のコードを打ち込んでシステムにログインする。だが端末は反応しなかった。彼の背筋を冷たいものが走る。思考が停止するがそれは一瞬で、直後には反射的にインターホンへ手を伸ばしていた。叩きつけるようにキーを操作して、地下のメインコンピュータ室を呼び出す。
 ウィルの呼び出しに応答したシステム管理官は、ちょうど連絡しようとしていたところだと告げると、切羽詰まった様子で訴えた。
「大佐っ、先ほどからシステムへのアクセスができなくなりました!」
「被害はっ?」
「生命維持機構および、管制、防衛システムへの影響はなく、通常の業務にはほとんど支障ありません。ですが、メインコンピュータとサブの両方から、『こちら』が締め出されました」
 自由にアクセスできる権限を持っているはずの自分が、システムから拒絶される――。
 〈森の精〉システムの管理を任されている士官は、専門家スペシャリストとしてのプライドを傷つけられ、いまにも泣き出しそうな声を上げた。
「くそっ、〈グレムリン〉!」
 基地司令官は忌々しげにデスクを叩きつけ、宙を睨んで歯ぎしりした。
 機はまもなく到着する――。

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