■エビネくんとグレムリン■page 12

第四章 〈グレムリン〉
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 〈森の精〉ヴァルトガイストがざわめいていた。
 エビネが〈森の精〉に着任して四日目のことだ。
 到着した日は「ハプニング」で混乱していた〈森の精〉だが、二日目にはそれも収まり、基地は落ち着いた雰囲気を取り戻した。三日目ともなると、隊員たちはハプニングなど何もなかったかのように平然と振る舞い、〈森の精〉のその優れた統制力を新米士官に見せつけた。
 そして四日目の今日――。エビネが出勤してきた時はまだその状態が保たれ、誰もが穏やかに自分に課せられた任務を遂行しているかに見えた。それが時間を追うごとに、隊員たちの様子に変化が現れはじめたのだ。
 誰も彼もがソワソワし、やたらと時間を気にするようになった。なかには五分おきに窓の外を窺う者や、意味もなく廊下をうろつく者もいる。そのうえエビネに対する彼らの態度も、友好的に迎えられたこの数日とは違って、妙によそよそしいものに変わっていた。
 エビネの予想に反して、〈森の精〉の隊員たちは彼に対して好意的だった。エビネの行く先々で、隊員たちは歓迎の言葉をかけてくれた。それは単なる形式的なものではなく、本当に心のこもった言葉だと実感できるものだった。「この手応えなら、すんなりと〈森の精〉部隊に馴染めそうだ」とさえ思えたほどだ。
 ところが今日の彼らは、打って変わってエビネを避けている。興味深そうな目で新入隊員を見るのは変わらないが、その「興味深さ」の質がどことなく違う。そしてエビネの方から声をかけようとすると、彼らは慌てて目を逸らし、逃げるように新米准尉の前から姿を消してしまうのである。
 初仕事として「基地中を見て歩き、その感想をレポートにして提出する」という一風変わった「任務」を与えられていたエビネは、基地内を彷徨っているうちにそういった奇妙な現象が基地全体に及んでいるということに気づいた。
 エビネは彼らの急激な態度の変化に戸惑い、その理由を知りたくなった。心当たりは全くなかったが、もし自分に非があるならそれを正すよう努力するし、謂れない疎外なら誤解を解かねばなるまい。
 そこで彼は輸送船の時のように、手ごろな士官を捕まえて質問しようと試みた。しかし彼らはエビネと目が合いそうになると足早に立ち去り、こちらの「攻撃」を巧みに躱す。
 声をかける前に相手に逃げられてしまっては質問どころではない。どうしたものかとエビネが考えあぐねていると、スラックスのベルトに引っ掛けてあった携帯端末の呼び出し音が通路に鳴り響いた。
 発信元は彼の教育係であるジュリアン・ペイズ中尉だ。
「あ、しまった!」
 オフィスを出る前に中尉から釘を刺されていたことがあったのを思い出し、エビネは自分のミスに小さく舌打ちした。隊員たちの動向に気をとられてすっかり忘れていた。
 エビネはそして相手の第一声を想像し、心の中で顔をしかめながら通話に出る。
「エビネ准尉! 一八〇〇時までにオフィスに戻るよう、言ってあったでしょう!」
 スピーカーからは案の定ペイズ中尉の怒声が飛び出し、新米准尉の鼓膜を激しく震わせた。
「申し訳ありません、中尉っ! 直ちに戻ります!」
 エビネは小さなモニタの向こうにいる女性士官に応えると、相手がそれ以上小言を続ける前に通話を切った。士官学校や隊付教育と呼ばれる一年間の実地訓練で身につけた「技」を、彼はここぞとばかりに発揮したのだ。その手早さとタイミングは、それを遠巻きに見ていた隊員たちを唸らせた。
 エビネは彼らのそういった見定めるような視線を痛烈に感じていたが、「新入りなのだから、品定めされるのは当然のことだ」と努めて気にしないようにし、急いでオフィスへ戻るため歩き出した。
 とその耳に、囁きにしては大きすぎる「ヒソヒソ話」が飛び込んできた。木星訛りが混じっていたが、この数日意識して聞き取ろうと努力した甲斐あって、内容はなんとか理解できる。
「案外、要領がいいぞ。それに広報は〈グレムリン〉に対抗する構えみたいだ。とすると、ちょっと粘るかも……」
「バカだな〜、それは『無駄な抵抗』って言うの。だから俺は当初の予想通りでいくぜ!」
 〈グレムリン〉――?
 カリストへきて以来たびたび耳にする単語に、エビネは思わず足を止めて振り返った。しかしこそこそと話していた隊員たちは、エビネが気づいたと知ると慌てて口をつぐみ、何気なさを装いながら散っていく。
 エビネはそんな彼らに追いすがって訊ねたかった。しかし現在の優先事項は、オフィスへ戻ることだ。しかたなく彼は、首を捻りながらも広報部室へと足を向けた。
 一体〈グレムリン〉とは、何なのだろう――? 「グレムリン」とは、おとぎ話なんかに出てくる「飛行機に悪さする小悪魔」を指すという。あのイルミネーションのイベントは、〈グレムリン〉の仕業だとクリストッフェル少佐は言ったが、その小悪魔が迷信の類いなんかではなく、実際に存在しているということだろうか。
 だが与えられている情報が少なすぎるため、いくら考えてもエビネの頭は余計に混乱するばかりだった。彼は「思考の無限ループ」に陥る前に、大きく首を振って頭の中を占領している〈グレムリン〉を追い払った。そしてもう間もなく落とされるであろうペイズ中尉の「カミナリ」に心の準備を整えつつ、広報部のドアをくぐる――。
「ただいま戻りまし――でぇっ!?」
 広報部員たちの強張った顔が、エビネを待ち受けていた。
「す、すみません……」
 鬼気迫る勢いに、エビネは思わず後退る。その様子に、先任部員たちが慌てる。
「待て待てっ!」
 広報部員たちは怯える新人を掴まえると、有無を言わさず部屋へ引きずり込んだ。ドアを中からロックするだけでは飽き足らず、適当な家具をバリケードにして立てこもり態勢に入る。それでようやく安堵できたのか、彼らは一斉に大きく息をついた。
 たった五分戻るのが遅れただけで、こんな大事になるなど思いもしなかったエビネは、何か重大な過ちでも犯したのかと蒼ざめた。とはいえ「仕事」といっても基地内をうろついていただけの彼に、過ちなど犯せようはずもない。もちろんそのようなことをした覚えもない。だがただならぬ雰囲気に呑まれて思考停止してしまったエビネは、怖い顔で自分を取り囲んでいる先任たちを、ただ茫然と見つめるしかなかった。
「エビネ准尉!」
 その先任たちをかきわけて、教育係のペイズ中尉がエビネの前に姿を現した。ほんのわずかエビネより背の高い彼女は、自分の「生徒」の無事を確認すると、緊張を解いて形よく整えた眉を開いた。
「ああ、間に合ってよかった。准尉に『もしも』のことがあったら、も、どーしようかと思ったわ」
「え……あの……?」
 何だか解からないが、自分はそんなにマズイことをしでかしてしまったのか――?
 中尉の「かなりヤバイ状態だったが、なんとか回避できた」といった口ぶりに、新米士官はうろたえた。
 だが問題はエビネの案ずるような事ではなく、もっと意外な事柄だったのだ。
「まもなく〈グレムリン〉が帰ってくるの」
「〈グレムリン〉!」
 真剣な表情で放たれたペイズ中尉の言葉に、エビネは即座に反応する。
 気にかかっていた疑問の答えが、突如目の前に現れようとしていた。
 彼は我をとり戻し、正面にある中尉の瞳を見つめた。長いまつげに縁取られた鳶色の瞳は、新米部員の視線をしっかりと受け止めている。落ち着いた色の紅で彩られた唇が、言葉を紡ぎ出す。
「彼らは目新しいものが大好きで、それをおもちゃにして遊ぶんだけど、加減ってものを知らないからブッ壊れるまで遊んでしまうのよね。で、いま〈森の精〉で新しいモノといえば、准尉――『あなた』だったりするわけよ」
「ええっ、俺っ?」
 いきなりのご指名に、エビネはうろたえた。思わず「士官モード」から素に返ってしまう。だがペイズ中尉は彼の不適切な返答など気にもせず、言葉を続ける。
「そう、新入隊員であるあなたは〈グレムリン〉の恰好の標的と言えるわ。彼らはあらゆる手段で『あなたで遊ぼう』とするはず。だから何があっても、絶対連中の誘いに乗っちゃダメよ。でないと、どんな目に遭わされるか判ったモンじゃないんだから」
 真顔で語るペイズ中尉の言葉は、〈グレムリン〉が迷信などではなく、実在しているのだと示唆していた。
 では〈グレムリン〉とは、いったい何なのだ?
 エビネは核心に迫るべく、しっかりと上官を見据え口を開いた。
「ひとつ質問があります。ここへ来てからしばしば耳にするのですが、そもそも〈グレムリン〉とは何なのですか?」
 だが質問された方は意外そうな顔をすると、エビネの質問には答えず隣の士官に確認した。
「誰も、准尉に説明してないの?」
 その場にいる部員たちは揃って首を横に振り、目で「それは中尉の仕事であって、自分たちの仕事ではない」と訴えた。ペイズ中尉は薄情な同僚たちに何か言ってやろうと口を尖らせたが、気が変わったのか「ま、いっか」と呟くと、直立不動の姿勢でじっと待っているエビネに向き直った。
「いい? 〈グレムリン〉とは――」
「〈鍋〉が着くぞ!」
 解説を始めようとする彼女の声に、窓の外を見ていた士官の声が重なった。
「――!」
 広報部員たちの間に再び緊張した空気が流れる。先任たちは硬い表情で互いの顔を見合わせた。そして無言のうちにも心が通じ合ったのか、おもむろにエビネの包囲を解くと、我先に窓際へと駆け寄る。
「なべ――?」
 独りその場に取り残されたエビネは、窓にへばりつくようにして外を眺める先任たちの背を、しばらく呆気にとられて見ていた。が、またもや出てきた〈鍋〉という謎の言葉が気になって、自分もいそいそと彼らの列へ加わった。外気を完全に遮断してくれる窓に張りついて、その正体を見極めるべく目を凝らす。
 広報部のオフィスは、司令部ビルの滑走路に面した側の五階にあった。ここからだと離着陸する飛行機がよく見える。
 エビネは先任たちの見ている方に目を向けた。
 十数時間におよぶ〈逢魔が刻〉の支配する薄闇の世界はいまようやく終焉を迎え、〈森の精〉は明るいすみれ色の空に覆われていた。東の空はかすかに金色を帯び、あと数時間で太陽が昇ってくることを予告する。暁の足元には基地を取り巻いている人工森林とクレーターの稜線が横たわり、その稜線附近にゆっくりと点滅する光が動いていた。
 はじめは人工衛星の光かと思えたが、それにしては軌道が低い。次第に近づき、飛行体のフォルムが認識できるようになってはじめて、それが大型の航空機であるということが判った。
 エビネはふと、先任から目を通しておくように言われていた資料を思い出し、携帯端末からそのデータを呼び出した。それには〈森の精〉の概要とともに、普段この基地で使われている航空機のカタログも記載されている。
 エビネは機体の外観や大きさなどから判断して、着陸態勢にある航空機が〈ラプンツェル〉型の大型輸送機――〈空飛ぶ鍋〉ミスター・フライパンであると知った。
「あ、〈空飛ぶ鍋〉を略して〈鍋〉か――」
 思わず納得したように独りごちる。それを耳にした先任の一人がちらりと勉強熱心な新人を見やって、「当たり」と口元をほころばせた。エビネは思わず、答えを誉められた生徒のように頬を赤く染めた。
 やがて〈空飛ぶ鍋〉は、堂々とした機体を滑走路に滑り込ませた。着陸を見物していた者たちの視線が、左から右へと移動する。
「あれに〈グレムリン〉が乗ってるんだ。荷降ろしでこの下の駐機場に入ってくるから、連中の姿が拝めるぜ」
 先ほどエビネを誉めた士官が、ちょうど眼下にある駐機場を示しながら説明する。見ると駐機場の隅には大型のトラックが控え、輸送機のもたらす積荷を各部署へと配送する準備が整えられていた。
 だがそれとは別にエビネを驚かせたのは、大勢の将兵たちが防寒具をまとって整列していたことだ。その数は積荷の処理にあたるにしては、どう見積もっても多すぎる。よく見ると副司令官まで混じっているではないか。
「なんだって、あんなに人が? しかもクリストッフェル少佐まで……」
「お出迎えと野次馬ってところかな。〈森の精〉の連中は何かと『お祭り』が好きだから、その見物がてらだろ。どうやらこのあいだの一件で、幹部連中と〈グレムリン〉との間でひと悶着ありそうな感じだからな。まあ確かに〈グレムリン〉のやらかすコトは、傍から見る分には面白いンだが……」
「はあ……」
 ムニャムニャと言葉を濁し顔をしかめる先任に対して、エビネは戸惑った返事しかできなかった。結局いまだに〈グレムリン〉の正体が判らないのだ。何を言われても、いまはただ「はあ」としか言いようがない。それでも〈空飛ぶ鍋〉が駐機場へ入ってくるころには戸惑いより好奇心が勝るようになり、彼は興味深げに機体の動きに魅入っていた。
 やがて〈空飛ぶ鍋〉が駐機場の指定されたスポットに収まると、整列していた隊員たちは待ってましたとばかりに機に殺到した。そして搭乗口が開いてタラップが下ろされるのを、その前でじっと待つ。エビネも先任たちと共に、息を殺して〈グレムリン〉の出現を待った。
 ほどなくして搭乗口に人影が現れる。
「子供――っ!?」
 エビネは意表を衝かれて目を瞠った。
 タラップに姿を見せたのは、二人の子供であった。それもまだ、一〇になるかどうかといった少年たちだ。
「まさか、あの子たちが〈グレムリン〉? ――って、まだ子供じゃないですかっ!」
 あんな子供が〈森の精〉のシステムを操ったとは、到底考えられない。もしかすると、自分はからかわれているのか?
 〈グレムリン〉の正体が「子供」だとは想像もしていなかったエビネは、驚愕の貼りついた顔を先任たちに向けた。だが先任たちは、意地の悪い笑みを浮かべてエビネの言葉を肯定する。
「自分には、ただの――『普通の』少年たちに見えますが?」
「『普通じゃない』から〈グレムリン〉なのさ」
 狐につままれたような顔で呟く新人の言葉に、禅問答のような答えが返ってくる。エビネはそれを絶句して受け止めるしかなかった。そしてぎこちなく窓に向き直ると、再び外の観察に没頭する振りをした。彼には心を落着ける時間が必要だった。
 窓の外では、隊員たちが手を振って少年たちを迎えている。建物は防音されているため彼らの歓声は聞こえない。だが見ているだけで熱狂に沸いているのが判った。
 少年たちは出迎えてくれた隊員たちに応えて嬉しそうに手を振ると、飛び降りる勢いでタラップを駆け下りた。瞬く間に、二人の姿は手を広げて受け止めた隊員たちに呑みこまれる。そして少年たちを包み込んだ人々の塊は、ゆっくりと司令部ビルの方へと移動をはじめた。
 その人だかりの中からやっと小さな姿が識別できるぐらいに近づいてきた時、ふと少年の一人が顔を上げ、微笑んだ。
「――っ!」
 視線が合った。
 エビネはそう感じた。しかし、すぐにそれを否定した。
 このビルの窓ガラスは鏡面処理を施されており、中から外を見ることはできても、外から中を見ることはできないはずだ。だから視線が合ったと思ったのは、単なる偶然に過ぎないのだ。
 そう納得して大きく息を吐いたエビネだったが、ふと自分に集まる異様な視線に気づき、目を瞬かせながら視線の主である先任たちを見回した。
「な……何っ?」
 うろたえる新入りに、先任たちは異口同音に言った。
「おい、見てるぞ」
 これはエビネの推論を根底から覆してくれる言葉だ。
「まさか! 鏡面ガラスですよ?」
 窓を叩き、口元を引きつらせてエビネは応えた。だが先任たちが冗談で言ってるわけではないというのは、彼らの目を見れば明らかだ。
「じゃあ、手を振ってみろよ」
 先任の一人がぶっきらぼうに顎をしゃくる。仕方なくエビネは、半信半疑ながらも小さく手を振った。
 すると、少年も手を振り返すではないか。
「うそっ?」
 准尉が目を白黒させていると、先任の誰かが言い放った。
「だから〈グレムリン〉なんだよ」
 エビネは瞬きも忘れて、自分に笑顔を向けている少年を見ていた――。

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