■エビネくんとグレムリン■page 20

第六章 体験飛行
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 膝の上で猫が欠伸をした。それにつられて、エビネはキーボードを叩く手を止め、自分も大きく伸びをする。
 部屋は静かだった。頭を撫でられ気持ちよさそうに喉を鳴らす猫の声だけが、広報部室に響く。
「ここの先任たちって、ほとんど部屋にいた試しないけど、毎日ドコ行ってんだろうね?」
 エビネは猫に向かって話しかけるが、当の彼女は馬耳東風――いや、猫耳東風といったところか、我関せずとばかりにもう一つ欠伸をし、再び居眠りを始めようとする。だが、ふと何かに気づくと、その蒼い目を鋭く光らせた。
「――?」
 その様子に、エビネが何気なく振り返る。
 と、鼻先で銃口が鈍い光を放っていた。
「うわっ!?」
「あーあ。ビックリさせようと思ったのに、見つかっちゃった」
 音もなくエビネの背後に立っていた〈グレムリン〉たちは、さも残念そうに肩をすくめると、構えていた玩具のリボルバーを下ろした。
「い、いや……充分驚いたよ……」
 バクバクいう心臓を落ち着かせながら、エビネは喘いだ。
「やった! これで五勝三敗!」
 エビネの敗北宣言に、少年たちはガッツポーズを作って喜ぶ。エビネはそんな子供たちに苦笑した。
 どうやら彼らは自分を驚かせる遊びをしているらしく、ここ数日さまざまな手を使って「驚いた」という言葉を吐かせようとしてくる。
 先任たちによると、新しく〈森の精〉に来た者はみな、この「仲良くなるための洗礼」を受けるのだという。ま、大抵は「仲良くなる」というより「溝ができる」そうだが。
 しかしエビネにとって、こういった如何にも子供らしい部分と、〈馴致〉の時に見せた、妙に子供離れした部分を持つこの〈グレムリン〉たちは、充分興味深い存在であった。〈森の精〉のことと同様に、彼らのことをもっと知りたいと思う。
 が、この数日のあいだに「遭ったコト」を考えると、あまり深入りしない方が身のためだと思わなくもない。
 背反二律する気持ちを持て余しつつ、エビネは〈グレムリン〉の「攻撃」に備えた。
「で、じゅ〜んいっ!」
「もう、その手には乗らないよ」
 少年たちと目を合わさないようにしながら、エビネは間髪容れずに返す。満面の笑みを浮かべた子供たちの「無邪気そうな」顔を見たら、つい気持ちが揺らいでしまうのだ。
「まだ何も言ってないのに……」
「どうせまた、『遊びに行こう』でしょ? 昨日その話に乗ったお蔭で、あの迷路みたいな地下通路で遭難しかけたんだから。そのうえ勤務交代の引継ぎに遅れて、ペイズ中尉に懲罰食らうしさ――背中に先任乗っけて、腕立て伏せ三〇〇回だよ、三〇〇回! 死ぬかと思ったんだから。それに、偽の命令書で備品の棚卸させたり、その倉庫に閉じ込めてくれたり、せっかく作ったデータを書き換えてくれたり、変なコラージュ画像を〈森の精〉メルマガで流してくれたり――えーと、とにかく〈森の精〉来てから君たちが俺にしてくれたコト、全部忘れてないからねっ!」
 鼻息を荒くして、エビネは一気に捲くし立てた。あの〈グレムリン〉たちが言葉を挟む余地もないほどだ。
「あ、あと俺の卵焼きを食べたことも!」
 食物の恨みは何とやら。あれから数日経ったいまでも、まだ根に持っているエビネであった。
 一方、准尉の剣幕に気圧され唖然としていた〈グレムリン〉たちだが、これくらいのコトでへこたれるワケがない。相手の攻撃が収まったと見るとすぐさま反撃を開始した。
「地下道でほったらかしにしたコトは謝るよ。でも『懲罰』のことまでは責任持てない」
「何で?」
 大して悪びれた風もなく、却って胸をそらすヴァルトラントに、エビネは険しい顔で聞き返す。
「ひとつ確認するけど、ペイズ中尉は『引継ぎに遅刻した』といって怒ったの? それとも、『俺たちと遊び歩いてた』といって怒ったの?」
 理由をすぐには答えず、少年は逆に問い返した。その口調があまりにも静かで落ち着いていたため、エビネは一瞬虚を衝かれ、そのままヴァルトラントのペースに嵌ってしまった。ふっと視線を漂わせて、記憶を手繰る。
「え……と、中尉は『遅刻した罰だ』と――」
「じゃあ、腕立て伏せさせられたのは、准尉の責任。どういう事情でも、許可なく遅刻した人が悪いんだよ。もしあれが何かの作戦だったとしたらどうすんの? 『敵が邪魔したから時間に間に合わなかった』じゃ、済まないんじゃないの?」
「――!」
 エビネの顔が紅潮した。
 急に自分が恥ずかしくなった。
 いったい自分は、士官学校で何を習ってきたのだ。「時間厳守」は基本中の基本だ。それが守れないのは、理由はどうあれ全て自分の責任ではないか。
 「軍人たるもの、いかなる事態にも対応できるよう、常に心しておくべし」――常日頃の何気ない行動や心がけこそが、最大の訓練なのだ。
 ペイズ中尉はそれを思い出させようとしてくれたというのに、自分はそんなことにも気づかずに、〈グレムリン〉たちを逆恨みした。そんな自分に、エビネは嫌悪感を抱いた。
 少年たちに謝らなければならない――。
 だが、士官学校で軍人としての基礎を学んだ者が、基幹学校も終えていない子供に諭された――という屈辱感が、彼を意固地にさせた。思わず心と裏腹な言葉を口走る。
「と・に・か・くっ! エビネ・カゲキヨ准尉の現在の任務は、この部屋の留守番と、資料の整理をしながら、猫の遊び相手になることでありますっ、以上!」
 エビネはそう言い捨てると机に向き直り、荒々しくキーを叩きはじめた。
 〈グレムリン〉たちは傍に立って、しばらく呆然とその様子を見ていたが、エビネが無視を決め込んでいると、気を惹くためかワザとらしく呟いた。
「あーあ。せっかく〈ティターニア〉が工場に入ったから、整備風景を一緒に見学しようと思ったのにさぁ」
「ホ〜ント。それに〈オーベロン〉と並んでるところなんか滅多に見れないのに、残念だね〜」
「え……」
 珍しい光景と聞いて、エビネは思わず反応してしまった。心ならず振り向いた先には、〈グレムリン〉たちの勝ち誇った憎たらしい笑顔。
 どうやらまず、「何があっても揺るがない精神力」を鍛える必要があるようだ――と、新米士官は思った。

 一〇分後、エビネは二機の戦闘機を、あんぐりと口をあけて見上げていた。
 両機とも、黒に近い濃緑色のボディを美しい図案で彩っている。垂直尾翼に描かれた妖精王オーベロンとその妃であるティターニアのシンボルが、眩いほどの照明を受けてその存在を誇示する。
 〈森の精〉基地司令官と副司令官の機体、〈オーベロン〉と〈ティターニア〉である。どちらも〈天王星独立紛争〉時に活躍した〈ガイーヌ〉型の戦闘機で、ウィルもアダルもこの戦闘機を駆使して戦功をあげ、胸にずらりと並ぶ勲章リボンの数々を手に入れたのだ。
 大掛かりな整備が終わり、専用の格納庫への搬出を待つ〈オーベロン〉と、これから整備が始まる〈ティターニア〉の周囲を、整備士たちだけでなく、話を聞きつけた戦闘機マニアな隊員たちが取り巻いていた。みな一様に目を輝かせ、口々に賞賛の声をあげている。
「運用ローテーションがズレてるため、この二機がこの整備工場で並んでるところは滅多に見れないんですよ」
 エビネの隣に立つマルロー軍曹が説明した。彼とは「到着した日の件」もあって、それ以来懇意にしている。階級の違いから、マルローは必要以上に馴れ馴れしくすることはなかったが、ここへ来て日の浅いエビネにとっては、気さくに話のできる初めての人間であった。
「お二人が飛行教官をなさってた時は、並んで飛んでるところなんかもしょっちゅう見れたんですけどね。模擬戦の様子なんて、迫力モンですよ。記録があるはずなんで、よかったらライブラリを漁ってみてください」
 自分のことのように自慢する軍曹に対し、戦闘機の威風堂々とした姿に圧されているエビネは、声もなくただコクコクと首を縦に振るしかできなかった。マルローはエビネのそんな反応を見て、誇らしげに胸を張った。
 〈ティターニア〉は自分の整備する機体である。この機が飛ぶのは、パイロットの能力だけではなく、それを支える自分たち整備士の仕事があってこそなのだ。そして自分は、その仕事に自信と誇りを持っている――。
 直接口で言ったわけではないが、軍曹の活き活きとした表情がそう物語っている。そんな彼を、エビネは羨ましく感じた。いや、マルローだけではない。周囲に目をやると、整備士やほかの隊員たちも、実にいい顔をして働いているではないか。
 ふとエビネは、父や兄トキヒコの顔を思い出した。二人も自分の仕事の話をする時は堂々とし、誇りに満ちた顔をしていた。
 ――自分もいつか、彼らのようになれるのだろうか。学校で習ったこともろくにできないヒヨッコの自分も、経験を積めば自分の仕事に自信が持てるのだろうか。
 新米士官はぼんやりと、目の前で作業する整備士たちを見ながら、そんなことを考えた。
「やあ、准尉。どう、気に入った?」
 不意に声をかけられて、エビネは我に返った。見ると、〈グレムリン〉をはべらせたクリストッフェル少佐が、こちらへ向かってくる。エビネは慌てて敬礼し、少佐を迎えた。
「はい。自分はあまり戦闘機について詳しくはありませんが……それでも、この二機は素晴らしいと思います」
 准尉は言葉を飾らず、率直な感想を述べた。アダルは嬉しそうに目を細めた。
「この〈ガイーヌ〉があったからこそ、僕はこうやって生きて〈森の精〉にいられるんだ。本当に素晴らしい戦闘機だよ」
 ウィルとともに「〈機構軍〉におけるパイロットの双璧」と称されているアダルは、感慨深げに愛機を見上げた。
 エビネもつられて〈ティターニア〉を見上げる。そして、何気なく呟いた。
「こういう、『戦闘機に乗って空を飛ぶ』っていうのは、どんな気分なんだろう……?」
 本当に、口の中で呟いただけなのだ。なのに耳聡く聞きつけた〈グレムリン〉たちによって、話は思いもよらない方向へと転がりはじめたのである。
「乗ってみれば判るじゃん」
「そーだよ!」
「え?」
 一瞬何を言われたのか解からず、エビネは聞き返そうとした。しかし少年たちが少佐に話を振る方が、半秒早かった。
「ねえ、少佐。准尉が戦闘機に乗ってみたいんだって。准尉を乗せてあげてもイイでしょ?」
「お願い〜」
 二人でアダルの手を掴むとそれを振り回し、思い切り甘えた声でおねだりのポーズをとる。少佐は突然のことに目を丸くしたが、すぐに満更でもなさそうに相好を崩した。
「別に構わないよ。〈ティターニア〉の整備に一週間かかるので、それからになるけど――」
 意外とすんなり出た許可の言葉に、〈グレムリン〉たちは躍り上がった。
「充分、充分。来週だと〈昼間〉になってるから、カリストの景色も見れてちょうどイイよ。よかったね、准尉!」
「ええっ!? あ、あのっ?」
 本人の意志は全く無視され、話はあれよあれよという間にまとまっていく。エビネは目を白黒させながらアダルと〈グレムリン〉たちを見比べていたが、終いにはどうしていいか分からなくなって、助けを求めるようにマルローを見た。だが軍曹は苦笑して、お手上げとばかりに両手を広げるだけであった。

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