■エビネくんとグレムリン■page 21

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 本当に、戦闘機に乗せてもらえるのか――。
 この一週間、エビネは半信半疑で過ごした。
 いまでは〈森の精〉の〈夜〉も明け、〈外〉はすっかり明るくなっている。しかし〈グレムリン〉や少佐からの「招待状」が届く気配は全くない。
 ところが「やはりあれは彼らの冗談だったのだ」とエビネが思いはじめたある日、飛行計画部から突然に呼び出されたのだ。
 当然エビネは唐突な呼び出しに泡を食った。急に「乗せてやるから来い」と言われても、こちらにも心の準備というものがある。
 慌てて飛行計画部に出頭し、その旨を訴える。しかし受付の担当官は、事務的に応対するばかりだ。
「このフライトはもうスケジュールに組み込まれ、パイロットもスタッフも貴官のために待機している。べつに遊びで貴官を乗せるわけではなく、それなりに意味があってのことなのだ。こっちは忙しいんだから、つべこべ言わず、さっさと支度しやがれ」
 と、いったことを慇懃に説明されると、エビネはもう何も言えなかった。その後はまな板の上の鯉よろしく、担当官の指示に従うのみ。
 まず、医療センターで健康診断を受ける。採血採尿から始まって、心肺機能、運動機能などが、何項目にもわたって検査された。
「パイロットの人たちって、毎回こんな検査を受けるんですか?」
 あまりの念入りさに、エビネが思わず血圧を測っている医療兵に訊ねてしまうほどだ。
「普段はこれほどではありませんよ。パイロットたちのデータは、〈インプラント〉によってモニタされますから。でも、准尉は〈インプラント〉をお持ちではありませんからね」
 医療兵は安心させるように、穏やかな表情で答える。が、次に出た言葉は、そう穏やかとは言い難かった。
「〈森の精〉は、研究飛行団でもあります。航空機が人体に及ぼす影響を調べるのも、任務の一つです。そして、取得できるデータは多いほどイイというわけでして……」
「なるほど」
 エビネはここで、飛行計画部員の「お遊びではない」という言葉の意味が、ようやく理解できた。
 自分は実験対象として扱われているのだ。彼らは、パイロットとしての訓練を受けていない自分の身体が、戦闘機に乗ることによってどのように変化するのか知りたいのだ。
 そうと判ると、エビネは気が楽になった。きっかけはともあれ、わざわざ特別にこのような機会を設けてくれたというわけではなく、それなりの利用価値を見出した上で計画されたフライトということだ。ならば気兼ねなく楽しませてもらおうではないか。
 そう割り切れると現金なもので、あとは鼻歌気分で担当官のなすがままとなった。
 そうして検査を終えたエビネは、飛行服を着せられ、いよいよ主格納庫前の駐機場に置かれた機体へと案内された。
 駐機場には五機の戦闘機が並んでいた。
 一機はあの〈ティターニア〉だ。他の三機は、垂直尾翼に描かれた花の精のマークから、〈花組〉の機体であることが判った。
 そして残る一機は〈パック〉といい、練習機として使われているものだった。先任の例の「カタログ」によると、〈オーベロン〉や〈ティターニア〉と同じ〈ガイーヌ〉型の機体で、単座であるか複座であるかが違うだけで、スペックは二機とほとんど変わらないという。
 その〈パック〉の後部座席に、エビネは押し込まれた。そして〈パック〉機付整備長であるコハネッツ曹長から、計器類の説明、非常時の対処法などのレクチャーを受ける。
 〈パック〉の操縦席は狭かった。到着時に見学させてもらった〈アウストリ〉も狭いと思ったが、こちらに比べるとファーストクラス並みのゆとりがあるといってもいい。こんな身動きもままならないシートに固定され、何時間も過酷な飛行を続けるなんて、並大抵の精神と体力ではできないだろう。
 エビネは、パイロットであることがどれだけ大変なことであるか、少しだけ解かったような気がした。
 そうしてレクチャーが終盤に差しかかったころ、不意に目の前を影が横切った。
「運転手のご登場〜」
 曹長のふざけた声に、エビネは視線を上げた。しかしパイロットはすでにシートに収まった後で、その姿は目の前に堆く積み上げられた主計器盤に遮られて、見ることができなかった。ただ、横切った影に違和感を覚えた。「ずいぶんと小柄なパイロットのようだ」と考えて、なぜか胸騒ぎがした。
 コハネッツ曹長が、もう一度エビネの身体を座席に固定しているハーネスを点検する。異常がないのを確認すると、親指を立てて幸運を祈る仕草をした。笑いを堪えているように見えるのは気のせいか。
 ゆっくりと天蓋キャノピーが閉じる。
 主計器盤に並ぶ大小のパネルやメーターが、命を吹き込まれたかのように明るくなった。徐々に暖機運転していたエンジン音が大きくなる。
 そしてその音に混じって、エビネは聞いてしまったのだ。まだ声変わりもしていない、能天気な少年の声を――。
「んじゃ、行ってみよっか〜っ!」
「――っ!?」
 それは、エビネが息を呑む音、あるいは声にならない悲鳴だったのかもしれない。すきま風のような音が、エビネの口から洩れた。しかしその音は、ヘルメットに内蔵されたスピーカーから聞こえる少年と管制官のやりとりにかき消され、エビネ自身にも聞こえなかった。
 しばし頭の中が真っ白になった。が、少年――ヴァルトラントの自分を呼ぶ声で我に返った。
「ど、どどど――」
 エビネはなんとか返事をしようとするが、動転していてうまく声が出ない。それでもヴァルトラントは、エビネの言いたいことを察してくれたらしい。あっけらかんとした声が返ってくる。
「どーしてって? だって、これは俺の機体なんだもん。俺が飛ばすのは当たり前でしょ?」
 その答えにエビネは恐怖した。
 冗談じゃないっ――!
 しかし、そう叫びかけるのを辛うじて呑みこんだ。声を出せば、わずかに残った理性が吹っ飛びそうだった。そうなると、自分でも何をしだすか判らない。
 叫ぶ代わりにエビネは目を閉じ、大きく深呼吸をした。そして教官の教えを、念仏のように口の中で繰り返した。
「軍人たるもの、いかなる事態に対応できるよう、常に心しておくべし。軍人たるもの――」
 一〇回ほど唱えて、なんとか落ち着いた。しかしふと気が緩みかけた時、機体が動き出した。ゴツゴツとした振動がシート越しに伝わってくる。その振動で抑えていたものがじわじわと込み上げ、瞬く間に臨界点に達した。
 やっぱ嫌だ! こんな子どもに飛ばせるワケないっ!
「降――」
 エビネが堪えきれず、ハーネスに手をかけた。その時――。
 それまで管制とやりとりしていたヴァルトラントが語りかけてきた。
「ねぇ、エビネ准尉。准尉は〈アウストリ〉に乗ったんでしょう? だったらもう、俺の操縦を体験してくれたってことだね」
「へ――?」
 ハーネスを外そうとしていたエビネの手が止まった。話の内容についていけず、きょとんとなる。
「〈アウストリ〉に積んである自動操縦システムのコードネームは〈WW〉ヴェーヴェー、つまりヴァルトラント・ヴィンツブラウト――〈アウストリ〉は俺の飛行データが飛ばしてるんだよ」
「あの……言ってるコトが、よく理解らないんだけど?」
 唐突な話に、エビネは間の抜けた声で返事する。恐怖なんてどこかへ飛んでいってしまったようだ。
「そりゃ、いままで准尉には内緒だったから理解らなくて当然だよ。といっても、いまは説明してるヒマないから、あとで少佐か誰かに訊いてよ――ってことで」
 それだけ言うと、ヴァルトラントは強引に話題を打ち切った。
「な、内緒って――え?」
 エビネは慌てて聞き返すが、離陸準備の作業に入った少年は無視することにしたらしい。まあ精神的余裕を失っているエビネも、ただ落ち着かずにキョロキョロと辺りを見回すだけで、それ以上追求もせず、その意味について深く考えることもしなかったのだが。
 そうこうするうちに、〈パック〉が離陸待機場ボールディング・ベイに到着した。そのまま離陸許可がおりるのを待つ。
「ほら、〈ティターニア〉と〈花組〉の四機が編隊離陸するよ」
 少年の声につられて滑走路に目を向けたエビネは、次の瞬間思わず恐怖を忘れた。
 滑走が始まったと思った直後には、離陸エアボーンは完了していた。それだけで相当の加速力があることが判る。
 四機はしばらく低空で滑空するが、一斉に機首を引き起こすと、そのまま上昇してループに入った。その一糸乱れぬ動きは、さすが〈機構軍〉の選りすぐりだけあって、実に見事なものだった。
 エビネはその様子を、心ここにあらずの状態で見ていた。だが〈パック〉が動き出すと、次は自分の番だと気づき、再び息を呑んだ。年端もいかない子供に、航空機――それも戦闘機の操縦ができるとは、どうしても信じられなかった。
 エビネは絶え間なく込み上げてくる恐怖に屈しないよう、歯を食いしばり、膝の上で手を固く握り締めた。緊張で身体が強張る。
 エンジンの出力が上がるとともに、機体がビリビリと共鳴する。エビネは自分の鼓動が早くなるのを感じた。
「いくよ」
 ヴァルトラントの声が聞こえるや否や、エビネは凄まじい力でシートに押しつけられた。エンジンの轟音、または耳鳴りが、頭の中に響く。あまりの速さに視界が狭まってゆく。ついには自分が目を開けているのかどうかも分からなくなった。
 次に自分を取り戻した時には、目の前が一面空だった。
 紺色を帯びた深い青。カリストの空。
 エビネは茫然とその空を眺めていた。頭が痺れたようにぼうっとなっている。自分が先刻まで恐怖していたことさえ忘れていた。軽いGを感じながら、眼前の蒼穹に吸い込まれそうな感覚に囚われた。
「あれが〈森の精〉だよ」
 少年がそう言うと機体が傾いた。視界が移動し、地平線が現れる。眼下に見えるこじんまりとしたクレーターの中は、ほとんどが森だった。あまりに濃い緑のため、黒々としてみえる。その森の中央部に、交差する二本の滑走路と大小の建物が、申しわけ程度に敷設されていた。
 エビネは少し拍子抜けした。かつて〈カリスト司令本部〉として使われていた基地は、その全貌を前にしてみると、意外に小さなものだったからだ。
「ちっちゃくてビックリした? でもね、〈森の精〉はカリストで一番古い森なんだ。だから一番『進化』してるの。他所の森は、まだほとんどが人工樹木だけど、〈森の精〉のは二割ぐらいが本物の木なんだよ。そしてこれからもっともっと増やしていって、いつかは〈森の精〉全体を本物の木で埋めつくすんだ!」
 少年の誇らしげな解説に、エビネは〈馴致〉後に読んだ資料を思い出した。
 〈惑星開発機構〉が手始めにカリスト開発の拠点にしたのが、この〈森の精〉だった。クレーターを取り巻くリングの状態や大きさが手ごろで、人工森林形成のモデルにうってつけだったからだ。
 その後、開発はカリスト全域に広がった。それに伴い、〈機構〉の中枢部はカリスト最大のクレーター〈ヴァルハラ〉へと移ったが、いまなお〈森の精〉では人工森林に関する研究が続けられている。その研究所が、巨大温室を持つあの〈緑の館〉だった。
 ふと、エビネは〈馴致〉の時に嗅いだ、森の香りを思い出した。あれは本物の木が放つ匂いだったのだ。
 このフライトが終わったら、もう一度あの森へ行こう――。
 そう思った瞬間、ふっとエビネの身体から力が抜けた。ヴァルトラントの技量に対する不信感は、いつの間にやら消えていた。
 ヴァルトラントの操縦は、至極丁寧だった。元気すぎて少し乱雑な部分のある普段の彼からは、到底考えられない。
 丁寧なのはどうやらエビネを乗せているためらしく、少年は大切なものを運んでいるかのように、慎重に慎重をかさねて機体を操っている。そのお蔭で、少佐と〈花組〉のアクロバット飛行が見やすいように機の姿勢を変える時も、エビネの身体に負担のかかるようなGはほとんど感じられなかった。
 やがて四機の演技が終了し、今度は〈パック〉の演技となった。ヴァルトラントは、小さなループと簡単な機動を行うと告げた。〈ティターニア〉と〈花組〉は二機ずつの基本隊形をとり、〈パック〉の両脇に控えている。
 少年が操縦桿を引き、〈パック〉の機首を持ち上げようとした。しかし、そのまま上昇するかと思いきや、ヴァルトラントは機の姿勢を元に戻してしまった。
「前方に未確認機!」
 突如、クリストッフェル少佐の緊迫した声が届いた。慌ててエビネは主計器盤のレーダースコープを覗き込む。小さな赤い輝点が一つあった。
「識別信号への反応なし。攻撃に備えよ」
 「攻撃」という言葉に、エビネはたまげた。いったい何が起こっているのか?
 しかし、パイロットたちは冷静だった。状況を把握できないうちは、迂闊な行動には出ないということか。
 しかし〈花組〉の一機が前へ出た。
「あの機は〈眼〉だよ。囮になって飛び出して、相手が本当に敵かどうか、何機いるのか確かめるんだ」
 ヴァルトラントが説明した。声が硬い。緊張しているのだ。
「それにしても、おかしいよな……こんなの、予定にはなかったのに」
 少年は小声で呟いたつもりだったのだろう。しかしヘルメットのマイクは、その言葉をしっかりと拾っていた。
 少年の不穏な言葉に、エビネは思わず訊ねる。
「それ、どーいう意――」
 言い終える前に、警報が鳴り響いた。
「ロックオンされてる!」
 少年が甲高い悲鳴をあげた。
「落ち着けっ! 回避!」
 指揮官の命令に各機はすぐさま反応した。翼をひるがえして八方へと散る。
 〈パック〉は射線から外れるために、正面の未確認機の側面へと回り込んだ。しかし警報は鳴り続ける。
「振り切れないっ、なんで――!?」
 ヴァルトラントの切羽詰まった声が、コクピットにこだました。
 エビネはなす術もなく、驚愕に目を見開くばかりだった。

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