■エビネくんとグレムリン■page 16

第五章 馴致
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 学校帰り、〈森の精〉へ向かう地下鉄Uバーンの車内で、ヴァルトラントはご機嫌だった。「刑期」は今日を入れてあと二日残っているが、明日はウィルが非番のため基地へ行かなくてもいいからだ。
 ヴァルトラントは、別に基地で過ごすことは嫌いではなかった。むしろ寝泊りして暮らしたいぐらい好きだ。だが、それも基地内を自由に動き回れるからこそ愉しいのであって、今回の罰のように、四六時中だれかの監視つきで延々と退屈な勉強をさせられるぐらいなら、家にいた方がずっとマシだった。
 辛い山道を登りきれば、素晴らしい景色が望める――。少年は、広報部に新しく配属された士官との「楽しい日々」を心密かに描くことによって、この五日間を乗り切った。窮屈な思いをするのは今日一日の辛抱だ。これで不機嫌になる者はいないだろう。
「嬉しそうだね」
 にやけ顔で鼻歌を歌っている親友に、隣のシートに座るミルフィーユが苦笑した。
「あったりまえだろ。これからの数時間を我慢すれば、『ホルヴァース鬼教官』ともおさらばできるんだから。これが喜ばずにいられるかよ!」
 よほど辛かったのだろう。ヴァルトラントは拳を振り上げて訴えた。
「ったく父ちゃんてば、『私が直々に〜』とか言ってたくせに、俺が傍にいると自分がサボれないもんだから、結局ホルヴァース曹長に押しつけやがってよ。おかげでこの五日間、どんだけシゴかれたことか! 溜息の一つでもつけばジロリと睨まれるし、モニタに隠れて息抜きしてたら物が飛んでくるし。それにあの曹長、トイレ行くのにもついてくるんだもんな……やんなっちゃうよ」
 さすがのヴァルトラントも、叩き上げの熟練軍人ベテランを出し抜くのは難しかったようだ。
「そういうミルフィーはいいよな。楽しそうでさ――って、システムログの解析なんて、俺はヤだけどね」
 少年は相棒のやっている作業の困難さを想像して、目鼻立ちのはっきりした顔をしかめた。そんな彼に、ミルフィーユは涼しい顔で答える。
「僕は全然ヤじゃないけどなぁ。自分としても、どうして〈森の精〉システムがダウンしたのか、原因を知りたいもん。それに、ノール大尉もこっそりいろんな『裏ワザ』とか教えてくれるしー」
 ニヤリ――と金髪碧眼の少年は、天使のようなかわいらしい顔に、小悪魔めいた笑みを浮かべる。
 ヴァルトラントと同じく罰を受けたミルフィーユだが、「正しいコンピュータの使い方」を勉強するというのは建前で、実際には〈森の精〉システムがダウンした「直接の原因」を調べる手伝いをさせられていた。彼がシステムダウンの引き金となったプログラムを組んだのだから、当然と言えば当然か。そして彼はその罰をそれなりに楽しんでおり、親友とは対照的に、もうすぐ刑期が終わることを残念に思っていた。
「ヴァルには悪いけど、僕はもう少し〈地精〉ツヴェルクに通おうと思ってるんだ。ちょっと気になることがあってさ……」
「気になるって?」
 ヴァルトラントは、言葉を濁すミルフィーユを横目で見た。
「いや、まだハッキリしてるわけじゃないから……。詳しく判ったら教えるよ」
「……ふーん」
 相棒のつれない返事に、ヴァルトラントは少々不満だった。無理やり聞き出してやりたいとも思ったが、やはり考え直して感心なさそうな振りをした。もし事情を聞いてミルフィーユを手伝うようなことになった場合、いつもの「いたずら心」が頭をもたげてこないとも限らない。いや、十中八九もたげてくるだろう。そして、彼はそれを抑える自信がなかった。そのようなことでミルフィーユとまた喧嘩するのもバカらしいし、やっとのびのびと基地を探検できるというのに、地下深くのコンピュータ室でひたすらモニタと睨めっこなどしたくはない。
「――ところで、その〈地精〉ツヴェルクっていうのが何の暗号なのか、教えてくれると嬉しいんだけど……」
「きゃっ!?」
 頭上から唐突にかけられた声に、〈グレムリン〉たちは飛び上がった。振り返ると、シートの背もたれ越しにエビネ准尉が顔を覗かせている。目を爛々と輝かせた彼は、携帯端末を手にいつでも入力できる態勢だ。
 准尉に驚かされるのは、これで二回目だ――。
 いつもなら驚かせる側にある〈グレムリン〉たちは、二度も驚かされたことに少なからずショックを受けた。
「こ、こんにちは、准尉……。でも後ろに座ってたんなら、声をかけてくれればよかったのに。ビックリするじゃない」
 動揺を隠し切れない子供たちは、ぎこちない挨拶を返す。が、それでも不平を言うのは忘れない。
「や、ごめん。なんかよく知らないけど、君たちは『罰』とかで俺と会っちゃいけないことになってるらしいし、俺も『絶対に〈グレムリン〉とは口をきいちゃいけません!』って言われてたから……」
 答えながら、エビネは〈グレムリン〉たちの正面の席へとやってくる。謝罪と言いわけの言葉とは裏腹に、あまり悪びれた様子ではない。
「――とか言いながら、結局口きいてるし」
 ヴァルトラントが冷めた調子で揚げ足を取る。だが対するエビネはその突っ込みに動じもせず、手にした携帯端末を少年の鼻先で振りながら答えた。
「それは、気になる言葉があったから。俺、知らない言葉なんかをそのままにしておくと、気になって眠れなくなるんだよね。――というわけで、〈地精〉って何のことなのか教えてくれると、今晩安らかに眠れるんだけどなぁ」
 どうやらエビネ准尉は、疑問に思ったことはすぐに解かなければ気がすまない性質のようだ。そういう部分が何となく「自分たちに似ている」と、少年たちは思った。
「ああ、〈森の精〉のコンピュータ施設や隊員のことをひっくるめてそう呼ぶの。地下四階にあるから〈地精〉ツヴェルク。ついでに、基地支援群の隊員のことは〈家精〉コボルトなんて言ったりするよ。あと――飛行隊は、雪組、月組、花組、星組に分かれてて、それぞれ担当する任務が違うんだよ」
 エビネに話しかけられて嬉しかったのか、顔を明るくしたミルフィーユがヴァルトラントを押し退けて答える。親友が抗議の声を上げるがお構いなしだ。エビネは眼鏡の奥で蒼い大きな瞳をクルクルさせている少年の言葉を、洩らさず携帯端末へ入力していく。
「それ、全部調べたの?」
 ミルフィーユに押し退けられたヴァルトラントは、准尉の傍らに避難すると、手元を覗き込んで訊ねた。
「まさか! 先任がまとめてくれてあった『〈森の精〉カタログ』に、書き加えていってるだけだよ」
 そう言ってエビネは、少年に端末を差し出した。
「見てもいいの?」
「見られて困るようなデータは入ってないもの。君たちが知ってるコトばっかりだと思うよ」
 ヴァルトラントは端末を受け取ると、適当なページを開いて内容を確認してゆく。
「しかし『〈森の精〉カタログ』って……。広報部も、相当気合い入ってんだなぁ」
 ひととおり目を通したヴァルトラントは、感心したとも呆れたとも取れる感想を述べた。
 「カタログ」には広報部員としての心得や、基地に関する必要最低限のデータなどが揃えられていた。このようなものを用意しただけでも、広報部のエビネ准尉に対する期待が窺い知れるというものだ。
 だがそれ以上にヴァルトラントの興味を惹いたのは、エビネが書き加えた部分だ。准尉が実際に見た〈森の精〉や行く先々で出逢った隊員たちの印象などが、簡潔ながらも的確に記されている。その准尉の観察力に、ヴァルトラントは舌を巻いた。さすが「元副官候補だった」だけあって、顔についている奥二重の小ぶりの目は、いままでの〈ヒヨコちゃん〉たちのような「単なる節穴」ではないらしい。
「他にも教えてくれる?」
 小首を傾げて素朴な笑みを浮かべる准尉に、少年たちは元気よく肯いた。
 そうして列車が〈基地駅〉へ到着するわずかな時間、〈グレムリン〉たちによる〈森の精〉講座が行われた。それはエビネにとっても〈グレムリン〉たちにとっても、お互いを知るいい機会になったのは間違いない。
 列車を降りて検問所ゲートでのIDチェックを受けているあいだも、彼らのおしゃべりは止まらなかった。三人はすっかり打ち解けたかに見えた。
 しかし検問所前の小さなコンコースの中ほどまで来た時、子供たちは突然立ち止まり、ぴたりと口を閉ざしてしまったのだ。
 知らずに五、六歩先を行ったエビネは、〈グレムリン〉からのいらえがなくなって、ようやく二人がついてきていないことに気がついた。慌てて振り返り、少年たちの姿を求める。
 〈グレムリン〉たちは意外そうな顔をして、その場に突っ立っていた。
 エビネは彼らがいきなり立ち止まってしまった理由が判らず、二、三度目を瞬かせる。たっぷり五秒かけて「自分がいま、どこにいるのか」を思い出し、やっと子供たちの行動を理解した。しかもそれだけでなく、このあと彼らが発するであろう言葉まで予想できた。
「まだ陽があるのに、地下道から司令部へ入るの?」
 ヴァルトラントは地上へと続く通路を手で示す。
 どこか心の片隅で予想の外れることを期待していたエビネは、少し悲しげに溜息をついた。彼はここ数日、ほかの隊員たちからも同じ言葉を聞かされていたのだ。
 自分の住んでいた土星と違い、大気を手に入れた木星圏の人々は、陽のあるあいだはできるだけ〈外〉に出たがるものなのだ――ということを、この数日のやりとりでエビネは知った。そしてその行為は、いまの自分には到底できそうもないことも思い知った。どんなに望もうとも――。
 〈グレムリン〉たちに向けたエビネの顔は、自分を嘲笑うかのように歪んでいた。
「俺、土星から来たから〈外〉に出れないんだよ」
 言い慣れてしまった返事が、土星から来た士官の口から吐き出される。投げやりな口調は諦めではなく、悔しさのニュアンスを帯びていた。
「あ……」
 触れてはいけない部分に触れてしまったのだと気づいて、子供たちは気まずそうに身を捩った。何度か口をパクパクさせながら、詫びの言葉を絞りだす。
「ご、ごめんなさい。タイタンが〈密閉型〉なの、すっかり忘れてて……」
 不安そうな目を向けてくる〈グレムリン〉たちに、今度はエビネの方が気まずくなった。そして、つき返すような言い方をしてしまったことを少し悔やんだ。
「あ、いや……こっちこそごめん。カリストへ来てもう一〇日になるのに、まだ〈馴致〉がクリアできないもんだから、ちょっとイラついて……」
 エビネがすまなそうに頭を掻く。張りつめた空気がふと緩み、少年たちは愁眉を開いた。そして子犬のようにエビネの傍に駆け寄ると、彼を気遣うようにそっと見上げた。
「年齢とともに〈馴致〉の期間は長くなるって、俺の父ちゃんは言ってたよ。だから心配ないって」
 准尉に付き合って地下道を歩きはじめたヴァルトラントが、明るく声をかける。しかしその言葉は、まだ二〇歳になったばかりのエビネのハートに、グサリと突き刺さった。悪気はないのだろうが、どこか棘を含んでいる。
「いや、もう仮想空間バーチャルはクリアして、最終段階にはきてるんだけどねっ。でも……その最後の〈外〉へ通じるドアが、どうしてもくぐれないんだよ……」
 若い士官はつい大人気なく反論した。だがはじめは威勢よく飛び出した台詞も、終わりになるにしたがって勢いが殺がれてゆく。
「大丈夫、大丈夫。その段階まで進んでるんだったら、直にクリアできるよ」
 ミルフィーユがガッツポーズでエビネを励ます。
「そうだといいんだけど……」
 不意に不安に襲われたエビネは、少年の励ましを受け取りかねて肩を落とした。
 内心、彼は焦っていた。
 まさか、これほど〈外〉に対して恐怖を抱くとは思ってもみなかったのだ。早く〈森の精〉に慣れたいと思っているのに、意外なところで引っかかっている。
 エビネの肩にのしかかっている、「どうにかしなくては」という焦燥感と、「もしクリアできなかったら」という不安感が、さらに重みを増す。
「仮想空間がクリアできたってコトは、『広所恐怖症』というわけではないんでしょ? 〈外〉に慣れてない人は、広いところが怖くて仮想空間の段階でつまづくんだけど……」
 小難しそうに眉間にしわを寄せて、ヴァルトラントが確認する。
「うん、それは大丈夫みたい。仮想空間内では平気で〈外〉に出れるんだよね。なのに実際に出るとなったら、妙に『このドアの向こうは〈外〉なんだ』って意識しちゃって……」
 もっと強い意志をもって挑めば、克服できるのかも知れない――。
 そう思いはしても、結局は恐怖に屈してしまう。エビネはそういった自分の弱さというか、甘えのような部分に、腹立たしく、また情けなくなった。
 そんな葛藤に渦巻くエビネの心を知ってか知らずか、ヴァルトラントがクールに言い放つ。
「だったら、意識しないようにすればイイだけじゃん」
「無茶言うなぁ。それができりゃ苦労しないって」
 子供らしい、率直でかつ辛辣な意見に、エビネはただ苦笑するしかなかった。
「え……できないかなぁ……?」
 しかし意見した少年は、普通なら「そりゃ、そーか!」と笑って終わるべきところを、真顔になって唸りこんだのだ。唐突に思考の歯車が回りだしたらしく、悩める新入隊員のことなどそっちのけで、腕組みをして考え込む。
「あのぉ……?」
 ヴァルトラントの突然の変化に、エビネは戸惑った。声をかけても、返ってくるのは生返事ばかりだ。途方にくれた准尉は、助けを求めてもう一人の〈グレムリン〉に目を向けた。
「ああ、いつものことなんで、放っといていいから」
 親友の気紛れには慣れっこのミルフィーユは、面倒くさそうに手をひらひらさせる。が、ふと顔を上げると、気遣わしげにエビネを見た。
「――それより准尉。司令部ビルには、別々に入った方がイイんじゃないかな。もし経理部長やミス・バーバラに見つかったりしたら、僕たちだけじゃなく、准尉まで怒られちゃうかも知れないし……」
「ミス・バーバラって、〈ざます眼鏡〉の?」
「〈ざます眼鏡〉……?」
 突拍子もない言葉に虚を衝かれ、ミルフィーユの目が点になる。しかし半月が二つ並んだようなバーバラ大尉の眼鏡を思い出し、少年は思わず吹きだした。
「って、もう! 准尉ってば!」
 ミルフィーユの反応で正解だと判断したエビネの脳裏に、着任初日に事務手続きや支給品の手配をしてくれた、お世辞にも若いとは言えない女性士官の姿がよぎる。神経質そうで、けたたましいところが、「なんとなく鶏に似ている」とエビネは思った。
 ――そういえばこのあいだ、総務部の仕事がどうとか言ってたけど、何のことだろう?
 ふと、たまたますれ違った大尉に何やら捲くし立てられた時の記憶が蘇った。話の要点がつかめなくて適当に相槌を打ったのだが、なんだかまずい対応だったような気がしなくもない。
 エビネは一瞬、新たな、そして漠然とした不安に囚われた。が、あえてそれを無視しして、ミルフィーユと一緒に爆笑した。そしてひとしきり笑い飛ばしてから、エビネは片目を瞑ってミルフィーユの提案に同意する。
「地下鉄でも検問所でもみんなに見られまくってたから、いまさらって気もするけど――まあ、用心に越したことはないか。それじゃあ、君たちが晴れて自由の身になったら、また話を聞かせてくれる?」
「いいよ」
 少年が嬉しそうに肯くのを確認してから、エビネは玄関ロビーへと通じる階段を上っていった。
 ミルフィーユは准尉の姿が見えなくなったのを見届けると、まだ首を捻っている親友へ向き直った。探るようにヴァルトラントの顔をねめつける。
「で、今度は何をしようと考えてるわけ?」
「え? 別にぃ……。ちょっと准尉のお役に立てないかな〜と思っただけ」
 思考の海から戻ってきたヴァルトラントは、とぼけた目で相棒を見返した。しかしミルフィーユはヴァルトラントの言葉を信用せず、さらに身を乗り出して追及する。
「んなこと言って、一人だけ楽しむつもり?」
 疑り深い少年に、ヴァルトラントは苦笑した。
「ないない! いますぐ実行できることでもないし、実行できるかどうかも判らないもん。いろいろハナシ通さなくちゃならないからね。実行できる段階になったら声かけてやるから、ミルフィーはログの解析に専念しててよ」
 ヴァルトラントは、安心させるようにミルフィーユの肩に手を回した。抱え込まれた方は、なおも胡乱げに口を尖らせる。
「……絶対だよ?」
「絶対、絶対」
 相棒の肩を軽く叩きながら、ヴァルトラントはにこやかに約束した。

 その後ミルフィーユと別れたヴァルトラントは、司令官室へ向かった。さっき思いついた計画がとてもいいことのような気がして心が弾む。
「たっだいまっ!」
 浮かれ気分で司令官室へ入ると、いつものように入口の右脇にあるカウンターを覗き込む。そこはクローチェ二等軍曹の定位置だ。しかしいまそこに彼の姿はなく、代わりに淹れたてのコーヒーの香りが漂っていた。
「……?」
 ヴァルトラントは視線を部屋の奥へ向けた。入口から伸びる短い通路の左手がウィルの執務室であり、その先の正面奥が副官室である。向こうから通路が見えるよう、副官室の壁は上半分がガラス張りになっている。少年はそのガラス越しに、ホルヴァース曹長にカップを手渡すクローチェ軍曹を見つけた。
 軍曹の方も半秒遅れてヴァルトラントを認め、垂れ目がちなラテン系の顔を陽気にほころばせながら、少年のもとへとやってきた。
「おかえりなさい。今日のおやつはパンナ・コッタだけど、飲み物は何にする?」
 ヴァルトラントは間髪容れず、声を張り上げてオーダーする。
「カフェ・マッキアート!」
 少年のそのオーダーに、クローチェ軍曹は一片たりとも面を変えず、甘めのマスクに完璧な微笑みを貼りつけたまま復唱した。
「はい、『ラテ』マッキアートね」
「違〜うっ! それじゃ比率が逆じゃん!」
 一か八かのオーダーを却下され、ヴァルトラントは頬を膨らませた。
 エスプレッソコーヒーにほんの少しだけミルクを垂らしたその飲み物は、子供には苦過ぎるということでウィルから飲むことを許されていない。
「幼年学校に入学したら、淹れてあげるよ」
 そう言って軍曹は上官の息子の頭をひとつ叩く。父親の次席副官も、まだ駆出しとはいえ一筋縄ではいかないようだ。
 恨めしそうな目で軍曹を見上げていたヴァルトラントは、ぷいと膨れっ面のまま踵を返す。が、副官室でホルヴァース曹長が睨んでいるのに気づくと、慌ててウィルの部屋へ飛び込んだ。
 少年の背後で扉が閉じる。「追いかけてくるのでは」と心配になったヴァルトラントは思わず振り返った。扉が完全に閉まっているのが確認できると、彼はようやく安堵し、視線を部屋の中へと戻した。
 さほど広くはない室内には、ウィルの机と応接セットが処狭しと置かれている。その他の調度といえば作りつけのクローゼットと小さな戸棚ぐらいで、あとは観葉植物の鉢がいくつかあるのみだ。「部隊のトップ」の部屋としては質素過ぎるほどだが、そのシンプルさが却って彼のセンスの良さを物語っていた。
 ウィルは機能的なデザインの机につき、頭上に航空機の模型を掲げて眺めていた。さして面白くもなさそうに模型を矯めつ眇めつしていたが、ドアの前で呆れたように目を丸くしている息子を見つけると、おもむろに手にした模型を突き出した。
司令本部カリストのお偉方は、『今度はコレを飛ばせ』と仰せだ」
 〈森の精〉基地司令官は、五五〇〇キロメートル離れた場所にいる連中を、嘲るように鼻で笑った。ヴァルトラントはその言葉に、さらに目を丸くする。
「それって、戦闘機に見えるんだけど?」
 少年は模型に目を据えたまま、ウィルの傍に歩み寄った。
「そう正真正銘、戦闘機。〈ガイーヌ〉の改良型だが、ひと回り小さくなってる。で、こいつに『あのシステム』を積むんだと」
「……司令本部もチャレンジャーだなぁ」
 父親の説明に、ヴァルトラントの呆れも極まる。ウィルは無造作に模型を放り出すと、椅子の上で伸びをした。吐き出す息とともに、他人事のような台詞が洩れる。
「〈アウストリ〉の実用化で、気が大きくなってるんだろ」
「――って、アレとコレとは、全然違うじゃん。〈アウストリ〉はただ飛べばイイだけだけど、コレはそんなわけにはいかないじゃない。それに、戦闘機に使えるようなデータなんて、ほとんど取れてないでしょ」
 ヴァルトラントは机の上でひっくり返っている模型を見つめた。呆れが高じて腹立たしくも感じる。
 どうして司令本部は、いつも〈森の精〉に荒唐無稽な任務を押しつけてくるのか。
「データの有無は、連中にとっちゃ関係ないことだ。とにかく『コイツにあのシステムを積んだ』という事実を作って、『研究の最終段階に入った』という体裁を繕いたいだけなんだから。それが『抑止力』になるんだとさ」
 ウィルは乾いた笑い声を上げた。だがヴァルトラントは硬い表情で模型を見つめ続けている。ウィルは気遣わしげに息子の様子を窺った。
 オフィスはしばし沈黙に包まれた。だが、重苦しい空気に耐えかねたウィルが再び口を開く。
「まあ本音としては、『あの紛争』に深く関わった連中を飼い殺しにしておきたいってだけなんだろうがな。まあ『ひょうたんから駒』で、この『夢のシステム』が使い物にでもなれば、めっけモンてなところか」
 お茶らけた調子に口調を変え、この話題を締めくくる。しかし、ヴァルトラントは依然口を閉ざしたままだ。
 ウィルはくだけた態度を改めた。そして息子を刺激しないよう、静かにそっと声をかける。
「……辛いか?」
 ヴァルトラントはゆっくりと向き直り、父親の目を見据えた。
「……これは、自分で決めたことだから」
 父の質問には答えず、子はただ自分の決心のみを声にした。その瞳は複雑な感情に彩られている。
 怒り、憎しみ、悲しみ、哀れみ――そして共感。敵対していた者たちに対する、拭いきれない感情。
 それはヴァルトラントだけでなく、ウィル、そして〈天王星独立紛争〉に関わった、全ての者に共有される心の傷だった。
「そうか……」
 ウィルは掠れた声で呟いた。常に頭の片隅にある、苦く後ろめたい思いが、俄かにその存在感を増す。天王星時代の記憶が、彼の胸を締めつける。
 あの時――。
 誰に何と言われようとも、木星に帰るべきだったのだ。そうすれば妻も亡くさず、一粒種のヴァルトラントが〈機構軍〉に縛られることもなかったのだ――。
 自分の一番華々しく、また心が引き裂かれるような体験をした時間は、こうしていつまでも自分を苛むのだろう。そしてヴァルトラントも――。
「失礼します、大佐」
 それぞれの思いに耽っている親子に、クローチェ軍曹がインターホン越しに声をかけてきた。気を取り直した司令官が入室の許可を与えると、軍曹はカップと菓子の載ったトレーを掲げて入ってくる。一瞬、妙な空気に怪訝な顔をしたが、何も訊かずにそのトレーをヴァルトラントに手渡すと、何事もなかったように出て行った。
 部屋に甘いミルクとかすかなコーヒーの香りが広がる。どうやら軍曹は、少し多めにコーヒーを入れてくれたようだ。
 ソファに腰を下ろしたヴァルトラントは、熱いミルクをひと口飲むと、ふうと大きく息をついた。泡立てたミルクの表面に渦を巻いているコーヒーのしみをぼんやりと眺めていたが、ふとウィルにお願いがあったことを思い出して顔を上げた。
「あ、そうそう、エビネ准尉なんだけど――彼、〈馴致〉がうまくいってないって?」
 いつものやんちゃなヴァルトラントに戻って父に訊く。
 ウィルは、突然このようなことを言い出したヴァルトラントを訝しく思いながらも答えた。
「そうらしいな。まあ、こればっかりは無理強いもできんし、気長に慣れさせていくしかないだろう」
「彼は早くクリアしたがってるよ?」
 その口ぶりは「エビネと接触した」ということを匂わせた。しかしウィルは軽く片眉を持ち上げただけで、それについては追求しなかった。
「頭でこうしたいと思っても、身体が嫌がってちゃダメだ。無理させると、頭のネジが飛びかねん」
 ウィルはカプチーノの入ったカップを取り上げ、自分もソファへと移動した。
「何か問題点でもあるの?」
「身体的にはない。でも医療部からの報告では、何か精神的外傷トラウマみたいなものがあるかもしれないとかで、『様子を見て、カウンセリングを受けさせることになりそうだ』とあった」
 ウィルは、〈馴致〉を行った後に届けられる報告書の内容を思い出した。普通ならそんな書類には目もくれないのだが、エビネの場合は別だ。
 まだ三三の若さとはいえ数多くの人間を見てきたウィルにとって、着任式の時、自分の内面を隠そうとしなかったエビネは新鮮だった。以後も准尉の噂を耳にするにつけ、その印象は強まるばかりだ。
 だから、これまで新人を育て上げることのできなかった若い司令官は、「彼に賭けてみたい」と思った。エビネを一人前にすることができれば、自分の中の何かが変わるのではないか――そんな思いが芽生えはじめていた。
 ウィルもまた、越えられない壁に挑もうとしていた。
「トラウマか――じゃあ、ちょっとキビシイかな……」
 ヴァルトラントは顔をしかめて独りごちた。
「また、ロクでもないこと考えてんのか?」
 サングラスの奥で樫色の瞳が睨みつける。戒めの色を帯びてはいるが、興味深げな色も見え隠れしていた。
 基本的に、ウィルは〈グレムリン〉たちの悪戯を阻止するつもりはない。むしろ大いに歓迎だった。なにしろ、かつて幼少時代、自分も〈グレムリン〉と呼ばれていた身だ。目くじら立てる筋合いはないし、それなりに楽しんでもいる。
 ただ自分が子供の時と違って、〈次世代のグレムリン〉はスケールがでかすぎた。〈森の精〉と隊員たちに損害が及ぶほどのことを、平気でやってのけるのだ。それはさすがに、ウィルも笑って見逃すことはできなかった。
「人聞きの悪いこと言わないでよ。俺は真剣に准尉のことを思って、どうしたらいいか考えてるんだから」
 ヴァルトラントは心外そうにむくれた。
「どーだか……。でもま、いつもみたいにコッソリやらかすんじゃなくて俺に計画を洩らすということは、そう悪いコトでもなさそうだな」
 認められたのか貶されたのかよく判らない返事に、ヴァルトラントの心境は複雑だったが、裏に「とりあえず聞いてやろう」という意志を感じとり、声を潜めて話しはじめた。
 息子の計画にじっと耳を傾けていたウィルは、その内容が明らかになるにつれ興味を示した。時折、身を乗り出して疑問点などを確認する。そしてひと通り話を聞き終えると、感心したように唸りこんだ。
「まあ、ダメもとでも試してみる価値はありそうだな。もしこれがうまくいけば、今後の〈馴致〉プログラムに組み込んでもいい」
「やった!」
 いつになくすんなり出た賛同の言葉に、ヴァルトラントは大きく万歳し、ウィルに抱きついた。
 その後、ヴァルトラントは「ホルヴァース鬼教官」の授業をキャンセルし、ウィルは書類整理を放り出して、「計画」の仔細を取り決めていった。

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