■エビネくんとグレムリン■page 31

第九章 拘禁
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 エビネから広報部に連絡があった。対応した広報部長から、疲れた様子ではあったが思いつめた風ではなかったと知らされて、ウィルとイザーク、そして〈グレムリン〉たちは、ひとまず胸を撫で下ろした。
「じゃあ、いまからUバーンに乗ったとしても、〈森の精〉に着くのは夜になるな」
 自分のデスクで応答していたウィルは、腕時計をちらりと見ながらインターホンの向こうにいるマックス・ルビン中佐に言った。すると中佐は、苦笑しながら軽く愚痴をこぼす。
「早く戻ってくれないと困りますよ。コーディが准尉の机の下から出てこなくて……」
「コーディ?」
 ウィルは「そんな名前の女子隊員が広報部にいただろうか」と首を捻る。そして「野郎ならともかく、女性の名前を忘れるのは由々しきこと」と、急いで頭の中にある名簿をめくった。だがそれで判ったのは、五人いる広報部の女性隊員は、いずれも「コーディ」という愛称で呼ばれるような名前ではない、ということだけだった。
 結局「コーディ」が誰だか判らず、ウィルが匙を投げようとしたところへ、傍にいたヴァルトラントが助け舟を出す。
「〈黒しっぽ〉だよ」
「あ? ……ああ、猫か」
 広報部長の愛猫の名前が「コーデリア」だったことを思い出し、ウィルは拍子抜けした。思い出せなくて当然だ。いくら「女性」であっても、さすがに猫は彼の守備範囲にはない。
 その猫を巡って新人に敵愾心を燃やす広報部長を、ウィルは意地の悪い笑みを浮かべて冷やかす。
「しかし、えらく懐かれたもんだな」
「いまじゃ、どっちが飼い主だか判りませんよ」
 インターホンの小さなモニタに映るマックスは、冷やかされたことにも気づかず、拗ねたように口を尖らせた。
 苦笑まじりの笑い声をたてた〈森の精〉司令官は、次の言葉を発しようと口を開きかける。が、そこへクローチェ軍曹が割込んできた。ウィルはマックスとの通話を切ると、副官に報告を促した。
「大佐、ハフナー中将からの通話が入っています」
「中将?」
 そういえば、基地に来るよう中将に声をかけてから、かれこれ一時間にはなる。〈森の精〉の官舎街からはエアカー、またはUバーンで一五分の距離。もうとっくに着いていてもいいはずだ。
 ったく、あのオヤジは一体どこで道草食ってんだ――。
 などと考えながら、〈森の精〉司令官は外線を繋ぐ。画像はインターホンのモニタではなく、コンピュータ端末のディスプレイに表示させた。
「はい、ヴィンツブラウトです。中将、どう――」
「ウィルっ、エライことになったぞ! ロメス大佐が――!」
 しかしウィルの応答が終わるより早く、血相を変えたハフナー中将が喚きたてる。その声の大きさに、ウィルは思わず顔をしかめた。
「そんなに大声を出さなくても聞こえますよ――って、どーしたんですか、そんなに慌てて。いまどちらに?」
 いつものように軽口で返そうとしたウィルは、ハフナー中将のただならぬ様子に、笑うと愛嬌のある顔を引き締めた。
「ロメス大佐の官舎前だ。出掛けにカリスト司令本部から連絡があって、その対応に追われてたのだよ――と、それより!」
 ウィルの問いかけに律儀に答えたハフナーは、ウィルの相槌を待たずに自分の用件を述べる。
「悪いが〈森の精〉の警務隊MPを貸してくれ」
「はぁ、それはいいですけど――」
 警務隊は、カリスト司令本部に直轄されている独立した部隊であり、〈森の精〉司令官の指揮下にはない。つまり、カリスト司令本部の副司令官なら〈森の精〉に駐屯する警務隊をどう使おうと勝手だし、わざわざ〈森の精〉司令官に断わる必要はないのである。なのに中将は、駐屯先の司令官に対して断りを入れてきた。その義理堅さに感心しつつ、ウィルはこういった場面での定番台詞を吐く。
「何かあったんですか?」
 ウィルの当然の問いに、ハフナーは苦虫を噛み潰したような顔で答える。
「統合作戦本部からカリスト司令本部の方に、ロメス大佐の身柄を拘束するよう命令が下ったのだが、当のロメスが官舎にいない」
「はあっ?」
 中将の言葉に、司令官室の四人は素っ頓狂な声をあげた。穏やかならぬ展開に、ウィルとイザークが緊張した顔を見合わせ、少年たちはひと波乱ありそうだと目を輝かせる。
 ソファで寛いでいたイザーク親子が、端末の傍へ寄ろうと慌てて立ち上がる。それを見届けた端末の持ち主は、正面のディスプレイに目を戻してさらに訊ねる。
「どうして彼が逮捕されるんです?」
「彼には、〈機構軍〉システムへ意図的にウィルスデータを混入し、第三者に〈機構軍〉の機密情報を流していた疑いがある」
「ウィルス――?」
 ウィルは一緒にディスプレイを覗き込んでいた息子に、意味ありげな視線を送った。少年は軽く父にうなづき返すと、小首を傾げて中将に問う。
「それって、あの〈ワーム〉?」
「そう、〈森の精〉が発見した〈ワーム〉だ」
 ハフナーは少年の言葉を肯定すると、続けてロメスの逮捕命令が出るまでの経緯を語った。
 彼の話によると、一〇日ほど前に〈森の精〉からカリスト司令本部経由で〈ワーム〉感染の報告を受けたエウロパ統合作戦本部は、当然のことながら、〈機構軍〉のコンピュータシステムを司る〈機構軍〉システムのメインサーバからも、その〈ワーム〉を発見した。そしてそれを詳しく分析したところ、〈森の精〉のレポートに記されていた不正アクセスを手助けするプログラムの他に、〈機構軍〉システムから取得したデータを、どこかのサーバに向けて発信するプログラムも含まれていることが判明したというのである。
「そのプログラムは、取得した情報を特定のIDを持つメールデータに組み込み、転送するというものだったのだが、そのIDが……」
「ロメスのものだったと?」
 言いよどむ中将の言葉を、ウィルが引き継ぐ。中将が重々しく肯くのを確認すると、〈森の精〉司令官は続けざまに質問した。
「その『転送先』というのは判ってるんですか?」
「それが、肝心の部分は複雑な暗号でプロテクトされており、解読に手間取っとるのだよ。なんせ『ロメスのID』に辿り着いたのが、昨日の夕刻だからな。とりあえず、彼が出したように見せかけたメールデータを作り、実際に〈ワーム〉のプログラムを実行させてそのデータの動きを追跡している。だが、パケットが中継されるごとにヘッダを書き換えるようになっておって、こっちも難航しとるようだ」
「ヘッダを……」
 苦々しい顔を浮かべる中将の答えに、ウィルは目を細めて呟く。
 アラム少年が〈惑星間通信〉の中継サーバからコピーした〈分裂するパケット〉は、〈カリスト〉システムのメインサーバに到着すると、ヘッダを書き換えるよう細工されていた。それと同様のプログラムを、この〈ワーム〉も実装している。ということは――。
 ウィルの中で、〈分裂するパケット〉とロメス、そして〈森の精〉の発見した〈ワーム〉が、一つに繋がってゆく。これまでこれらの関連性に確証がなかったが、今度こそ間違いはない。
 そして〈グレムリン〉たちの思考も、どうやら同じゴールに達したらしく、少年たちは「あ!」とかすかに声を上げた。
 しかし〈森の精〉側の反応を気にするでもなく、中将は続ける。
「それはともかくとして――機密漏洩の可能性があるということで事態を重く見た統合作戦本部は、即刻対応を検討した。その結果、一度ロメスをエウロパに召喚して、真偽を問い質そうということになったのだ」
 説明を終えたハフナー中将が口を閉じると、司令官室はしばし静まりかえった。〈森の精〉の司令官たちと〈グレムリン〉は、いま聞いた話を各々吟味する。
 普段は何か問題が起こっても、なかなか重い腰を上げようとしない統合作戦本部が、これほどの短時間でロメス拘禁の決断を下した。つまり連中は、この事態をそれだけ深刻に受け止めているということだ。
 そして、問題の〈ワーム〉を発見した〈森の精〉も無関係ではない。いまなお〈森の精〉のシステムセキュリティ班では、〈分裂するパケット〉の分析が進められているのだから。
 もちろんこの〈分裂するパケット〉も、ヴァルトラントから話を聞いた時点で統合作戦本部に提出してある。当然向こうでもこのデータの分析に取り掛かっているだろう。しかし分析を始めた時期と、その作業に取り組んでいる隊員の質から見て、〈森の精〉の方が早く結果を出せるのは明らかだった。
 そこでふと、ウィルの中である打算が生まれた。
 上層部にいる〈森の精〉の存在をよく思っていない連中は、いずれ〈グレムリン〉たちが人事データに細工したことに関して、難癖をつけてくるはずだ。その時のために、連中の矛先を少し鈍らせておいてもいいだろう。
 〈ワーム〉を発見したのは、〈森の精〉と〈グレムリン〉。〈分裂するパケット〉の分析に貢献したのも、〈森の精〉と〈グレムリン〉――。
 このカードを、〈森の精〉否認派の連中にチラつかせておくのも悪くない。
 瞬時にそう判断した〈森の精〉基地司令官は、窺うように同僚である兵站群司令官を見た。
 髭面をしきりと撫でながら考え込んでいたイザークが、ウィルの視線に気づく。無言のうちにウィルの意図を察したのか、小さくうなづいた。ウィルとイザーク、お互いの結論が一致する。
 ウィルはかすかに口元をほころばせ、十数年来の親友に大きくうなづき返した。そして姿勢を正してディスプレイに向き直ると、明瞭な口調で中将の要請を承諾する。
「了解りました。すぐロメス大佐の身柄を拘束するよう手配します。とりあえず中将は、こちらにいらしてください」
「頼む」
 中将は簡潔に答えると、通話を切った。ディスプレイが通常のデスクトップ画面に戻る。その画面を見つめながら、ウィルは唸り声に紛らせて口の中で呟いた。
「しかし――ロメスが? 何のために……?」
 土星での任務失敗で立場の危ういロメスが、いま、このようなリスクを犯すメリットが見当たらない。
 ただ、彼は保身のためには手段を選ばないところがある。もし崖っぷちに立たされている彼が、エビネを取り返せなかった時のことを考えて、崖下に向かって敢えてダイブする準備を進めていたとしたら。その崖下で、手を広げて待っている者がいたとしたら。そしてそれが、〈機構〉や自分たち親子にとって危険な存在だったとしたら――。
 俄かに考え込んでしまったウィルの袖を、小さな手が掴んだ。見ると、ヴァルトラントが小難しい顔をして自分を見つめている。
 恐らく息子も、同じような懸念を抱いているのだろう。
 そう感じとったウィルは、口元をかすかに笑みの形にすると、自分の腕に置かれた息子の手を二、三度軽く叩いた。そして警務隊の出動を要請するため、インターホンのスイッチを入れた。

 ところが、ロメスの捜索はあっけなく終わった。
 彼は〈森の精〉の高級士官用食堂で〈森の精〉特製オムライスを頬張っているところを発見されたのだ。
 彼の行方を追うべく大掛かりな捜査の準備を始めようとしていた〈森の精〉警務隊は、偶然食堂に入っていくロメスを見かけた警務隊員の証言で、作戦を実行するどころか、計画するまでもなく任務を終えた。
 そして警務隊員の代わりに基地警備兵を引き連れた〈森の精〉副司令官のクリストッフェル少佐が、食堂へと急行する。基地内での派手な捕物はあまり好ましくないということと、アダルほどの立場の者が動いたとなれば、プライドの高いロメスも連行時にごねることはないだろうという、ウィルの配慮だった。
 アダルは警備兵を食堂の入口で待たせておくと、単身ロメスのテーブルへと向かい、ハフナー中将とウィルが呼んでいる旨を伝えた。
 ところがロメスは、この呼び出しを昨日約束したチェスの試合のことだと勘違いしたらしい。
 チェスの試合ならば、そう急ぐ必要もあるまい――。
 好物をじっくりと味わいたかった彼は、食事を中断させられることに難色を示し、「後にしてくれ」の一言でアダルの言葉を払い除けようとした。
 しかしアダルは、丁寧で人当たりのよい態度を保ちつつも、頑として「いますぐに」と言い続ける。結局、落ち着いて食事のできる状態ではなくなり、ロメスは渋々腰を上げた。
 こうして、ロメスと食べかけのオムライスの載ったトレーが、豪華な応接室へと連行されることとなった。オムライスまで運ばせたのは、散々〈森の精〉とウィルに対する嫌味を言われたアダルの、ささやかな当て擦りだ。
「それにしても、心に疚しいことのある人間が、朝っぱらから呑気にオムライスなんか食うか?」
 ロメスを連れてきたというアダルの報告に、ウィルのオフィスで待機していたイザークが、呆れ返った声を上げた。それに対し、これからの段取を打ち合わせに来ていた〈森の精〉警務隊長のトラン・ヴァン・キェット大佐が応える。
「だからといって、いきなり行方を暗ましたり、挙動不審になっては、いかにも『疑ってくれ』と言っているようなもんだろうが。知能犯ならそんな愚かなことはしないし、確信犯だとしたら自分が悪いことをしているという自覚がないから、いつもと変わらない生活を続ける――。つまりどちらであっても、彼の行動は理に適っている」
 そして最後に鼻で笑いながら、「そんなことも解からんのか」と、キェットは小声でつけ加えた。
 小馬鹿にされて気分を害したイザークは、嫌味ったらしく言い返す。
「すまんね。俺は警務隊員じゃなく、一介の整備士なもんでな。知能犯や確信犯の心理なんて、研究したことないんだよ」
 イザークとキェット大佐とは仲が悪かった。シュークリームの食べ方を巡って口論して以来、顔を合わすと何かにつけていがみ合っているのだ。まあ、それも一種のコミュニケーションと言えなくもないが。
「まあまあ」
 あれから大急ぎで駆けつけたハフナー中将が、低い唸り声を上げて睨み合う二人のあいだに入った。
「まだ我々に気づかれていない――と、彼は思っているのかも知れんよ」
「えーっ、それはナイよ」
 しかし、中将の意見をミルフィーユがきっぱりと否定した。
「僕たちが名簿を書き換えた時みたいに、一回きりしか使わないプログラムなら、実行後に自動消滅するようにして、後はほったらかしでもイイけどさ。でもずーっと使うつもりなら、バレそうになればすぐ判るよう、細工しておくと思うよ。僕ならそうする。でないと逃げる時間がないもの。それに、ねぇ――」
 眼鏡の奥で蒼い瞳を爛々と輝かせて説明していた少年は、その先を促すように親友を振り返った。
「うん」
 バトンを渡されたヴァルトラントは、軽く相槌を打つと説明を引き継ぐ。
「大体、くすねた機密データを転送するのに、自分のIDを持つデータを使うかなぁ? それこそ『疑ってくれ』って言ってるようなものでしょ?」
「あ――!」
 意表を衝かれて、大人たちは目をぱちくりさせる。
「おお、なるほど!」
 一瞬の沈黙のあと、ハフナー中将が感心したように何度も大きくうなづいた。
「統合作戦本部がロメスを犯人だと決めつけていたので、こっちもそのつもりになっておったが……考えようによっては、『彼の犯行ではない可能性もある』というわけだな」
「そゆコト」
 得意そうな笑みを浮かべて、少年たちは肯定する。
 大人顔負けの推理力を持つ子供たちを、ハフナーは愛しげに目を細めて見つめていた。が、ふとある考えが頭をよぎると、一転して難しい顔になって唸りこんだ。
「ちょっと待て。〈グレムリン〉たちでさえ、すぐに気づいたのだ。当然、統合作戦本部が、このことに気づいていてもおかしくない――というか、十中八九気づいてるはずだな。だが、それを我々に伏せている……」
「そういうことになりますね」
 自分の考えを口に出して確認している中将に、ウィルが合いの手を入れた。それに調子づけられて、中将はさらに言葉を重ねる。
「実はここだけの話だが……統合作戦本部はロメス大佐の土星での任を解きたがっている。もしかすると連中は、これを口実にそれを実行するつもりなのかもしれない」
 タイタン司令本部総務部長という地位を得るために、ロメスは何人もの同僚や部下を蹴落として伸し上ってきた。時にはライバルのミスを大袈裟に騒ぎ立て、時には相手の弱みにつけ込んで――。
 もちろん、そのやりように文句をつける者もいたが、彼はいつも強力な後ろ盾を持っていたため、彼らの訴えは記録されることもなく闇に葬り去られていた。
 何しろ彼は、部隊を合理的に管理することに関しては優れており、統合作戦本部においてもその能力は高く評価されている。つまり、多少の問題はあっても、彼をそれなりの地位に置くメリットの方が大きかったため、少々のトラブルは見逃されることが多かったのだ。
 しかし総務部長としては優秀だったロメスだが、「土星方面軍幕僚間のトラブルを捌く」という任務は不得手であったようだ。それに気づかず上層部は彼にその任務を与え、一〇年近くを無駄に費やしてきた。
 だがようやく、彼らは自分たちの判断が間違っていたと悟った。そして、「タイタン司令本部総務部長の首を挿げ替えたい」と考えている、というのである。
 ロメスの性質たちの悪さも困ったものだが、上層部のやり方も大概だ――。
 そう言いたげに口元を歪めるウィルたちの顔を順々に覗き込みながら、中将は語りかける。
「確かにこれがロメスの犯行だとしたら、彼が裁かれるのは当然の報いだと思う。だが、もし彼が無実だった場合、彼は不当な処分を受けることになるのだ。儂は〈機構軍〉内部でそのようなことがあってはいかんと思う。処分するにも、彼の非をきちんと調査した上で、正当かつ公正な理由を以ってしてでないと――」
「まあ、それはそうでしょうが……」
 突然ロメスに肩入れしだした中将の真意を掴みかねて、ウィルは怪訝な顔をする。だが深く考えることはせず、面倒くさそうに応えた。
「別にイイんじゃないですか? 中将だって『ロメスは裁かれるべき、それなりのことをしてきた』とお思いでしょう?」
 ウィルにしてみれば、ロメスがどうなろうと知ったことではない。お上がこの事件を利用して彼を切り捨てることに口出しする気は全くないし、関わる筋合いもない。いま彼が一番気になっていることは、「この事件がどこへ繋がっていくのか」ということだけだ。
 だが義理人情に厚いハフナーには、ウィルのその態度が気に障ったらしい。普段は温厚な笑みを湛えている目を剥き、きつい口調で息子のように目をかけている部下をたしなめた。
「なんだ、その言い草は。おまえは昨日、儂に言ったな。『部下を尊重する指揮官になりたい』と」
「彼は俺の部下じゃないですよ。それに、中将の部下でもないじゃないですか」
 ロメスとの会見の折に口走った言葉を引き合いに出されたウィルは、分が悪くなってふて腐れたように口を尖らせた。
「部下ではないが、同じ〈機構軍〉の仲間だろう。それに、こういったことを慣例化していると、軍のモラルの低下に繋がるばかりか、敵につけ入られる隙を生むことにもなる」
 中将の言うことはもっともだ。しかしウィルは納得できなかった。
 ロメスはあからさまにこちらを敵視してくる。またそれだけでなく、自分にとって大切な者たちを、己の保身ために利用しようとした。そんな男の行末を案じてやるほど、自分の懐は大きくない。
 ウィルはそう中将に訴えたかったが、辛うじて堪えた。隣でロメスが待っている。いまは中将とやり合っている場合ではないのだ。
 彼は喉まで出かかっていた反発の言葉を呑み込むと、従順な部下として返答するため、口を開きかけた。だがそれよりも半秒早く、中将が再び口を開いた。
「それにウィルよ、恩を売るチャンスをみすみす見逃す手はないぞ」
 そう言うと中将は、ニヤリと口の端を吊り上げた。モラリストが一転してマキャベリアンとなる。
「な――」
 その豹変振りに、ウィルは呆気に取られた。しばらくのあいだ、いたずらっ子のように笑う上官の顔をポカンと見ていたが、ふと中将の言葉の意味に気づくと、盛大に顔をしかめて言い放った。
「……この、狸オヤジ!」
「何も儂は、全てが理想通りにいくとは思っとらんよ。理想は理想。大勢の者たちにとってよりよい結果を生むには、目の前のできごとをうまく使うことも大事だ。そのために、一時的に目を瞑らねばならんコトもある」
 そう言うと軍歴三五年の「狸オヤジ」は、かつて引き締まっていたがいまでは見る影もない立派な腹を、愉快そうにポンとひとつ叩いた。

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