■森の少女■page 1

第一章 少年は溜息し、少女は駆ける
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 少年はひたすら「嵐」の収まるのを待っていた。
 被害の及ばない処へ避難することもできたが、彼はあえてその場に留まった。避難したらしたで、さらに激しい嵐に見舞われるのが予想できたからだ。
 身動ぎもせずに背を預けている座席を通して、走行するリニアシステムの振動がかすかに伝わってくる。
 〈森の精〉ヴァルトガイスト基地官舎駅を発った地下鉄Uバーンは、最寄の都市である〈ヴァルトマイスター〉へ向かって進んでいた。
 少年の頭の中は、その〈ヴァルトマイスター〉に一刻も早く着いてほしいという思いでいっぱいだった。
 学校で級友たちと会えば「嵐」の気も逸れ、自分への一極集中攻撃から逃れられるはず――。
 そんな、祈りともいえる胸の内をおくびにも出さず、少年――ヴァルトラント・ヴィンツブラウトは、隣の席でほっぺたを膨らませている相棒ミルフィーユ・ディスクリートを、神妙な顔で見ていた。
「ヴァルもヒドイと思うでしょう? ガニメデの母さんに会うのは、もう三ヶ月も前から決まってたコトなんだよ? なのに、『仕事が入ったから延期』だなんて! 普段、『母さんコリーンに会いたい』って言ってるのは、父さんの方なのにさっ」
 怒りで顔を紅潮させているミルフィーユは同意を求める。だが求められた方は、答えあぐねて目を瞬かせるばかりだ。
 ディスクリート一家は夫婦の仕事の関係上、別居状態にあった。この数年間、ミルフィーユと父親のイザークはこの第4衛星カリストで、母コリーンと弟バルケットは第3衛星ガニメデでの生活を続けている。
 いくら定期便が頻繁に往来しているとはいえ、夫婦のスケジュール的に「しょっちゅう会う」のは難しい。それでも三ヶ月に一度はなんとか都合をつけ、交互に行き来することになっていた。
 そして、その三ヶ月目が明日であった。
 今回はミルフィーユ父子がガニメデへ行く番だったのだが、イザークの急な任務よって二週間後へと延期になってしまったらしい。それでミルフィーユは憤慨しているのだ。
 ミルフィーユは普段、「お母さんに会いたい」などとは口にしない。母親のいないヴァルトラントを気遣ってのことなのだろう。
 だが本当はとても母親に会いたがっていて、三月に一度の面会を心待ちにしているのだということを、ヴァルトラントは知っていた。
 そして、彼の父親であるイザークの立場も知っている。
 イザーク・ディスクリート大佐はヴァルトラントの父であるウィルの同僚で、〈機構軍・航空隊〉の基地〈森の精〉ヴァルトガイスト兵站へいたん群司令官である。
 確かにこれほどの地位にあれば、ある程度の融通をきかせることも可能だ。しかし、その地位にあるからこそ外せない任務もある。
 ヴァルトラントが軍人の息子に生まれて一〇年あまり。「任務」が「親子間の約束」より優先されるものなのだということは、イヤというほど思い知らされてきた。どれだけ「そばにいて」と泣き喚こうとも、決して「任務」に就く父親たちを引き止めることなどできないのである。
 ミルフィーユだって、生まれたときから軍人の息子をやっているのだ。己の言い分が単なるわがままだということは理解しているだろう。ただ彼は、母や弟に会えなくなった寂しさで、ちょっと拗ねているだけなのだ。
 なら、口先だけでも同意してやれば、多少の気休めにはなるだろう。
 だがヴァルトラントは、相棒に同意するのをためらった。息子に「約束を反故にする」と告げねばならなかったイザークの顔を、つい想像してしまったのだ。
 返答に窮する彼の顔を、ミルフィーユは「何か答えるまで赦すものか」とばかりに睨みつける。
 その気迫に圧され、ヴァルトラントは渋々口を開いた。
「……そりゃあ、約束は早いモン順だとは思うよ。けど、大佐も〈機構軍〉の一員なんだから、家族より任務を優先しなきゃいけない時もある――と思うな」
 結局、どっちつかずな意見しかできなかった。
 はじめは同意する素振りを見せたが、最終的にはそれを覆したヴァルトラントの答えに、ミルフィーユは天使のような顔を強張らせた。
 金髪の相棒のひきつった顔に、慌ててヴァルトラントは言葉を継ぐ。
「ほら、再来週ってちょうど〈聖夜〉ヴァイナハテンだし、家族で過ごすのにはうってつけじゃん! それに、あと数ヶ月もすれば――ええと四月からだっけ? お母さんコリーンたちもカリストに来て、一緒に暮らせるようになるんだろ。もう少しの辛抱じゃん」
 なんとか明るい未来を思い描かせ、現在の寂しさを忘れさせるよう仕向ける。
「そうだけどさぁ……」
 ヴァルトラントが彼なりに気を遣っているのだと気づいたのか、ミルフィーユはもう噛みつこうとはしなかった。代わりに消え入るような声で答えると、ぶすっとむくれたまま黙り込んでしまった。頭では理解したが、感情はまだ納得しかねているのだろう。
 そんな相棒の態度に、ヴァルトラントはこっそり溜息をつく。機関銃のような愚痴トークも困るが、気まずい沈黙も居心地が悪い。
 水を打ったように車内が静まりかえった。
 このUバーンは、〈森の精〉基地と〈ヴァルトマイスター〉を繋ぐだけの路線である。
 都市部から基地を訪れる者はあまりなく、利用者は主に〈森の精〉に勤務する隊員たちと、官舎に住むその家族だ。そして早朝というこの時間帯に官舎から〈ヴァルトマイスター〉へ向かうのは、基幹学校へ通う子供ぐらいであった。
 しかし若者か定年に近い隊員で構成されている〈森の精〉に、五歳以上一五歳未満という就学年齢を満たしている子供は、ヴァルトラントとミルフィーユの外はいなかった。下はいずれも学校へ通える歳ではなく、また上の者は大学なり幼年学校なりへ進んで寮に入ったため、基地を離れている。
 そんなわけで、日頃この時間の乗客は、ヴァルトラントとミルフィーユの二人だけであることがほとんどだった。
 たった二人の乗客のうちの一人が口を閉ざしてしまい、間がもたなくなった少年は、もう一つ息を吐き出すと、天を仰いで再び「早く駅に着け」と祈りはじめた。
 〈ヴァルトマイスター〉北駅には、あと三分ほどで着く。だが彼にとってその三分間は、何時間にも思える長さであった。

 少女は狭く薄暗い通路を足早に進んでいた。
 生まれたのは天王星であり、このカリストではなかったが、物心ついたころにはもう〈ヴァルトマイスター〉の〈旧市街〉アルトシュタットで暮らしていた。
 〈旧市街〉といっても、二種類ある。地球時代の古い建築物を再現した観光街と、開発初期に敷設され、いまでは打ち捨てられようとしてしている都市の一角を指す場合だ。
 そして彼女の住む街は、後者の方だった。
 そこには、希望を失って社会から脱落した者、法に触れるようなことをしてその日を暮らす者たちが主に住む。
 地下をメインとした区画はとうの昔に〈機構〉の整備対象から外され、日増しに古びていく一方だ。通路は狭く、壊れていない照明を数える方が早い。埃や落書きで薄汚れた壁や天井は破れ、ライフラインのパイプが顔を覗かせている。そこかしこに〈新市街〉ノイシュタットからゴミとして出たジャンクが散乱し、酒や怪しげな薬に酔った連中が至るところに転がる――それが〈ヴァルトマイスター〉の〈旧市街〉だ。
 少女は一生をこの街で終える気はなかった。いつか――いや早急に、この街から出て行くつもりだった。別に「この街が嫌い」というわけではなく、むしろこの街を想ってのことだ。
 この街を出て必要な知識を身につけ、この堕落しきった街を新しく変えてやる。そうすれば、この街に住む連中の意識も変わる。絶望し世を嘆いたり、法に触れる商売に手を染める必要も無くなるはず――。
 基幹学校に入学して、すぐに世の中の仕組みを知った彼女は、そう考えるようになった。
 だが、年端もいかない子供が世間に出て一人で生きていくことは、社会的に認められていない。子供は基幹学校を終えるまでは、しかるべき保護者の許に置かれなければならないのだ。
 だったら基幹学校を卒業すれば、誰にも文句は言えないはず――。
 そう考え、彼女は単位の消化に励みはじめた。
 五歳で社会構造の概念を掴んだ彼女である。もともと記憶力と応用力に優れていたのか、一度読むだけで難解な文章の内容を理解し、記憶することができた。
 初めはそんな自分に驚き、戸惑った。だがすぐに「知識を広げていく」という作業が楽しくなり、夢中でその作業に取り組んだ。それに付随して、教育課程のレベルも上がっていく。
 そしてこの「信じられない早さで単位を取得していく少女」のことは、すぐに〈機構〉の知るところとなった。
 もちろん、少々頭の回転の早い子供なら、入学一年目に二年分の単位を取ることも可能だ。実際そういった子供も少なくない。
 だから〈機構〉も、報告を受けてしばらくは様子を見るに留めていた。が、さすがに入学後半年で四年分の課程を修めたとなると、放っておくわけにはいかなくなった。
 〈機構〉は「優れた人材を確保する」という目的で、彼女がそれまで通っていた市立の学校から、〈機構〉の運営する学校へと編入させたのである。
 それは彼女にとって、最初の機会チャンスであった。
 絶好の学習環境を手に入れた彼女は、以前にも増して勉学に励んだ。
 そして現在いま八歳になった彼女は、平均的学力の子供なら一〇年かかる課程を三年あまりで終えようとしていた。
 今日行われる試験に合格すれば、大学へ進める。
 学校を通じて、もうすでにあちこちの大学から誘いがきていた。「彼女のために専用の研究室まで用意したい」と言い出すところもあるほどだ。また大学だけでなく、大手企業からの打診も数え切れないほどあった。
 引く手数多あまた――。
 彼女は着実に、彼女の望んでいた機会を掴もうとしていた。
「ハズ――ハズリット・ラムレイ!」
 今日の試験のことを考えながら歩いていた少女は、唐突に自分の名前を呼ばれて振り返った。
 さきほど通り過ぎた物陰から、薄汚れたなりの少年少女たちがぞろぞろと姿を現す。彼女ぐらいの歳の者から、二つ三つ上ぐらいの者までの、総勢一〇人ほどだ。
 彼らはいわゆるこの街の「悪ガキども」だった。孤児や、親からほったらかしにされている子供たちで、学校にもほとんど行かず、スリやかっぱらいをして暮らしている。
 同じようにこの街で育った彼女――ハズリットとは、もちろん顔見知りだ。以前は一緒に遊ぶこともあったが、転校したころから疎遠になっていた。彼女にとって、いまの彼らは「友達」や「仲間」ではなく、彼女を傷つけるだけの存在であった。
「俺たちの前を、挨拶もナシに通ってイイと思ってんのかぁ?」
 心の中で「朝から面倒な連中に会った」と顔をしかめているハズリットに、悪ガキどもはいつものように理屈を無視した言いがかりをつけてきた。
 彼らの口元は笑みの形になっているが、目は笑っていない。もしハズリットが下手な対応をすればすぐさま揚げ足を取れるよう、抜かりなく光っていた。
 下らない難癖に付き合って学校に遅れたくなかったハズリットは、自分に非はないと思いつつも、穏便に済ますために謝罪の言葉を述べた。
「ごめんなさい。考え事をしていて気づかなかったの」
 しかし連中はこの物言いが気に入らなかったようだ。ぐるりと彼女を取り囲むと、さらに絡みはじめた。
「『考え事をしていて気づかなかったのー』だってー」
「はんっ。〈新市街〉の学校へ通う『お嬢さま』は、気取ってやがる!」
「ねえ、『お嬢さま』ならもっとキレイなカッコしなよ。これじゃアタシらと変わんないじゃんか」
「髪もボサボサだー!」
 悪ガキどもは囃したてながら、彼女の服や髪を引っぱりはじめる。
 ハズリットがいま着ている古びたワンピースと上着は、彼女の持っている服の中で一番マシなものだ。アッシュブロンドの髪も、伸ばしっぱなしで毛先は傷んでいたが、出かける前にできるだけ丁寧に梳ってきた。
 そうやって彼女が精一杯の工夫をして整えた身なりを、悪ガキたちの手は無残に破壊していく。髪はくしゃくしゃになり、目立たないよう繕った上着のほころびが裂ける。
 だがハズリットは抵抗もせず、じっと屈辱に耐えた。ここで抗えば、かえって連中を面白がらせるだけだ。何の反応も見せなければ、すぐに飽きてどこかへ行く。
「何とか言えよ!」
 黙ってなすがままにされている彼女に、悪ガキのリーダーであるライアン・キーツが声を荒げた。
 いつもなら、ここで彼の煽りに乗ることはない。しかし今日は、試験のことで気持ちが不安定だったのだろう。ハズリットはつい言葉を返してしまった。
「……気が済んだら、通してよ」
 この数年子供らしい表情を見せなくなった少女は、苛立っている少年を見据えて冷たく言い放つ。
「なんだとーっ!?」
 反抗的な態度をとられたのが気に食わず、ライアンは激昂した。思わず怒りに任せて、言ってはならない言葉を吐く。
「そんなに、おまえの母ちゃんが〈機構〉の役員をたらしこんで入学できた学校に行きたいのかよ! それだけじゃなく、今度は大学のエライ先生たちをいっぱいたらしこんで、大学にいくつもりなんだろ!」
 この暴言に、今度はハズリットが激怒した。怒りで顔を朱に染めながら、ライアンに詰め寄った。
「そんなのはデタラメよ!」
「どこがデタラメなんだよっ。おまえの母ちゃんが『身体で』稼がなきゃ、あんな『授業料の要る』学校に行けるワケないだろっ」
「それは奨学金。いまは払わなくてもいいの。私が就職して給料をもらえるようになったら返すのよ」
 ハズリットは感情的になるまいと声を抑え、簡潔に説明した。だが勢いづいたライアンは、口を閉じようとはしなかった。
「でも、おまえが学校へ行ってるあいだ、オトコ引っぱりこんでるじゃねーかよ!」
「――!」
 ハズリットは咄嗟に反論できなかった。いまライアンが言ったことだけは、事実だったからだ。
 彼女には父親がいない。未婚で彼女を産んだ彼女の母リディアは、所属していた〈機構軍〉を退役すると、身を潜めるようにこの街へやってきた。以来、日々酒に溺れて過ごしている。
 堕ちるところまで堕ちた女が、手っ取り早く金を稼ぐために己の身体を商売道具にするのは、この〈旧市街〉では珍しいことではない。彼女の母親もその一人だ。
 母は相手を「恋人」だと言う。だが、ろくに働いてもいない母親から渡される食費が「どこから得たものか」を考えると、行き着く先は「そういうコト」しか考えられなかった。
 少女はしばらく言葉を失っていた。だがまもなく自分を取り戻すと、透き通るようなみどり色の瞳で悪ガキのリーダーを鋭く睨みつけ、声を振り絞った。
「そっ……それ以上言ったら、赦さないから――!」
「どうゆるさないってんだよっ!」
 かすれた声で非難する少女に、悪ガキのリーダーは怒鳴り返す。
 その直後、ハズリットの拳が少年の頬を捉えた。
 彼女の突然の反撃に虚を衝かれ、悪ガキたちは茫然となる。誰もがポカンと口を開けて、その場に突っ立った。
 その隙をハズリットは逃さなかった。よろけたライアンを突き飛ばし、一目散に走り出す。
 すぐ我に返った悪ガキどもは、なにやら喚き散らしながら彼女を追った。だが、逃げることに慣れている彼女に追いつくことはできなかった。

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