■森の少女■page 18

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 〈ヴァルハラ〉は衛星カリストの中枢であり、最大の都市である。
 都市の器となるクレーターの内径は約六〇〇キロメートル。そしてそれを取り巻く多重構造リングは、三〇〇〇とも四〇〇〇ともいわれる。
 クレーター内に大気を供給する人工森林はクレーター山脈の麓を覆うだけでなく、尾根を越えてさらに外側のリング数本にまでおよぶ。だがそれだけではこの巨大なクレーターに充分な大気を満たし、保持することは難しいのか、生活空間となる盆地さえも、こんもりと茂る大森林に覆われていた――。
 着陸する〈空飛ぶ鍋〉から〈ヴァルハラ〉を見下ろしたハズリットは、眼下の光景に息を呑んだ。
 いまの〈ヴァルハラ〉は〈夜〉のため、クレーター内に敷き詰められた森はただの黒い絨毯にしか見えない。しかしその絨毯のあちこちに、光の塊が転がっている。
 砂粒のように小さな光が数千、いや数万以上も集まってできている塊は、まるで宇宙に浮かぶ星雲のようだ。
 大小さまざまな星雲は、それぞれが小都市であった。中くらいのもので、直径五十キロメートルほどは優にあるという。ちょうど〈ヴァルトマイスター〉ぐらいだろうか。
 大都市といって差し支えないものが、一つのクレーターにいくつも収められている――ハズリットは〈ヴァルハラ〉の巨大さを実感した。
 やがて〈空飛ぶ鍋〉は、カリスト最大の宇宙港である〈フギン〉の軍用滑走路へと着陸した。
 ここで一旦、〈空飛ぶ鍋〉の乗客たちが二手に分かれる。ヴィンツブラウト父子とエビネ准尉、そしてレンツ少佐が司令本部へ、ハズリットとレンツ夫妻が、迎えにきたアリシアの案内で〈ヴァルハラ〉の中心地〈ヴォーセグス〉へと向かった。
 アリシアの運転するエアカーが、アウトバーンを駆ける。
 〈昼間〉なら、アウトバーンの両側には鬱蒼とした森が見えるという。だがいまはただの暗闇でしかなく、窓から見える景色はトンネル内を走るUバーンのものとそう変わらなかった。だが一つ違うのは、天井が星空であるいうことだ。
 地上をエアカーで初めて走る少女は、サンルーフから見える満天の星に目を奪われた。
 東の空には、射手座を背景に木星が完全な姿でぽっかりと浮かんでいる。南東には赤いさそりの心臓が鈍い光を放ち、西では獅子が稜線の向こうへ駆け去ろうとしている。天頂には星の河が流れ、白鳥がその翼を大きく広げていた。
 レンツ夫人が土星の〈シンホォア〉や〈シント〉に伝わる牛飼いと天帝の娘の話をしてくれた。ハズリットは夫人の肩に頭を預けてその話に聞き入った。レンツ夫妻に対する不思議な感情を覚えながら。
 初対面以来、彼女はずっと彼らにつきまとわれていた。その最もたるのがいまの状態だ。
 ハズリットの〈ヴァルハラ〉行きを知った彼らは、予定を繰り上げて少女に同行すると言い出した。そして実際、その言葉を忠実に実行しているのだ。実に天晴れなストーカーぶりといえよう。
 だが少女を見る夫妻の目は偏執者のものではなく、孫を心配する祖父母のものに近い。限られた時間を、できるだけ長く孫とともに過ごしたいという祖父母そのものだ。
 しかし彼らがなぜ自分を孫のように扱いたがるのか、ハズリットには理解らなかった。それに自分の面倒は自分で見ることができる彼女は、必要以上に他人から構われるのは苦手だった。だから初めは、夫妻が自分に対して異常なまでの関心を示し、何かにつけ世話を焼こうとする態度や、頬に触れてくる手に警戒心を抱いていた。
 それが出会って一週間経つあいだに、ごく普通のことのように思えるようになっていたのだ。彼らが差し伸べてくれる手に安堵を覚え、名前を呼ぶ口調が心地好く耳に響く。
 その自分の変化に、ハズリットは戸惑っていた。
 夫妻は自分を孫だと思いたがっている。そして自分は――彼らを祖父母だと思いたいのだろうか。
 子守唄のような夫人の語りを遠くに聞きながら、ハズリットは薄れていく意識の片隅で考えていた。

 どれくらい眠っていたのだろうか。ハズリットは夫人の呼ぶ声で目を覚ました。
 しょぼくつ目をこすりながら、エアカーを降りる。慣れない空の旅をしたせいか、少し疲れを感じた。だが少女の疲れと眠気は、目の前に広がる光景を見た瞬間に吹っ飛んでいった。
 〈アッシュール〉――〈機構〉世界において、業界で五本の指に入ろうかという一流ホテルだ。ホテルなどに縁のないハズリットでさえも、その名を知っている。
 その〈アッシュール〉が、少女の目の前にあった。
 事態が呑み込めずきょとんとしているハズリットに、ドアマンが恭しく頭を下げる。ベルボーイがやってきて、手際よくエアカーから荷物を運び出した。
「さ、こっちよ」
 にこやかに微笑んだアリシアが少女を促した。
 思考が麻痺しかかっているハズリットは、言われるままについていくしかない。チェックインは済ませてあるのかフロントを素通りし、エレベータに乗り込む。
「ちょうどベッドが四つある部屋でよかったわ」
 エレベータが動き出すと、アリシアがレンツ夫妻に話しかけた。思いがけない幸運をもたらしてくれた女神に、レンツ夫妻も嬉しそうに答える。
「いやはや、この歳になって〈アッシュール〉に泊まれるとは思いもしなかった」
「そうですね、あなた」
 少女が眠っているあいだに、何やら話がついていたらしい。どうやら夫妻も同じ部屋に泊まるようだ。
 独りで夜を過ごすのではないと判って、ハズリットは少し安心した。自宅で独りは慣れているが、さすがに右も左も分からない土地で独りなのは心許なかったのだ。
 〈アッシュール〉の素晴らしさを嬉々として確認しあう大人たちをぼんやりと見ていたハズリットは、ふと首を傾げて呟いた。
「ベッドが四つ――って、こんな高級ホテルにも大部屋があるのかしら?」
 こんなことを口にしようものなら、失笑されるのがオチだ。
 だが少女の呟きを聞きつけたアリシアは、いたずらっぽい笑みを浮かべて肯いた。
「あるのよ。それが」
 そして彼女の言葉どおり、確かに大部屋はあった。「プリンセススイート」という、少女の想像を裏切る形で。
 部屋に一歩入って固まってしまった少女に、アリシアが芝居がかった動作で広いリビングを示して言った。
「自分の部屋だと思ってのんびりしてね。部屋にあるものや食事は好きにしてくれていいから」
 ハズリットは数秒かけて、彼女の言葉の意味を考えた。そしてようやく自分の置かれた状況を理解した。
 自分がこの部屋に泊まるということ――?
 途端に少女は蒼ざめた。
 自分は、この部屋にはあまりにも不相応だ。それに「自由にしてね」と言われて、「はい、そうですか」と言えるほどずうずうしくはない。
 泣きそうな顔で、アリシアに「普通の部屋でいい」と訴える。ホテルに泊まったことなどないので、普通の部屋がどんなものかは判らない。だが、この部屋より狭くて質素なのは確かだろう。
 しかし美貌のデザイナーは、少女の訴えをやんわりと棄却した。
「実は私も、この部屋には驚いてるのよね」
 苦笑しながら、アリシアはこの部屋が用意された経緯を語る。
 ここのオーナーは、彼女の「出資者」の一人であった。そのオーナーに「大切なお客をもてなしたい」と言ったところ、この部屋が用意されたのだという。
 さすがにアリシアも気が引け、「もう少し小さな部屋を」と頼んだのだが――。
「でも、これが彼なりの『友情の証』と言われちゃ、それ以上断わるわけにもいかないでしょ?」
 そう言って、数多くの「出資者」を持つデザイナーは肩をすくめた。
 自分が無理を言うと、アリシアの仕事に差し支える――「出資者」の正しい意味を理解していない少女は、アリシアの説明をそう解釈した。自分のせいで〈アリシア・オーツ〉が倒産しようものなら、寝覚めが悪いどころではない。
 結果、ハズリットは自分の訴えを取り下げ、この部屋に泊まることを承知した。
 とはいえ、殺風景な狭いアパートの部屋しか知らない少女が、「自分の部屋だと思ってね」と言われて即座に順応できるはずもない。
 お茶を一杯いただき、パーティで着る衣装の仮縫いを済ませ、再び一息ついてもなお、ハズリットは緊張し、落ち着かなかった。
 ハズリットのアパートの一フロアが余裕で入りそうなこの部屋は、カウンターバーつきの広いリビングとダイニングキッチン、そして二つの寝室から成っていた。
 内装は〈聖夜〉に合わせて赤と緑でシンプルにまとめられ、暖かい色の照明が部屋全体を照らしている。
 床から天井まである窓は磨き上げられ、室内の様子を映し出していた。その向こうに、〈ヴォーセグス〉の夜景が透けて見える。街の光は、窓辺に置かれたツリーの電飾のようにゆっくりと瞬く。
 壁には繊細なタッチの風景画がかけられ、テーブルやサイドボードの上には色とりどりの花やみずみずしい果物、手作りの菓子が積み上げられていた。床に敷かれた絨毯はふわふわしていて、長い毛足に足をとられそうだった。
 それらのひとつひとつに、レンツ夫妻は大はしゃぎだ。座っているのに飽きた彼らは、ハズリットの衣装の仮縫いが済むと、好奇心を抑えきれないとばかりに部屋中をうろつきはじめた。
「ハズリットや、これ見てごらん」
「それよりもこっち、ハズリットちゃん!」
 何かを発見しては少女の気を惹こうとするが、いくら呼ばれようともハズリットは動かなかった。いや動けなかった。
 彼らのように手当たりしだい調度や備品に触れるなど、とんでもない。この部屋の宿泊料金がどれくらいするのか見当もつかなかったが、目に入るもの全てが最高級のものだというのは判る。少しでも傷をつけようものなら、全財産はたいても弁償しきれないだろう。
 結局ハズリットは軍人組が訪れ、ダイニングでの夕食が始まるまで、身体が沈むようなソファから離れることはなかった。
 ところがこの部屋とこの雰囲気に臆したのは、彼女だけではなかったらしい。
 レンツ夫妻の息子クラウス・レンツ少佐――彼も夕食の準備が整うまでのあいだ、少女の隣に腰掛けたまま、立ち上がろうとはしなかったのだ。
 少佐はソファの上で尻をもぞもぞさせながら、周囲を見回している。その横顔を、ハズリットは遠慮がちに見上げた。
 ここへ来る前に着替えたのか、いまのクラウスは私服だった。ウール素材でできたチェックのシャツにジーンズというラフな恰好が、いままで制服姿しか見たことのなかった少女にとって妙な違和感を覚えさせた。
「――何か?」
 あまりにハズリットが目を向けるので、クラウスは気になったのだろう。少女に目を留めて怪訝な顔をした。
「いえっ……あの、私服だと雰囲気が変わるんだ――と思って」
 ハズリットはしどろもどろ答える。「見ていた」ことを知られたのが気まずかった。彼女は自分の軽挙を後悔して小さくなった。
「そんなに変わるかな?」
 一方クラウスは、意外そうに自分の恰好を見下ろした。そしてまた少女に視線を戻すと、同じ言葉を投げ返した。
「そういう君も、今日は雰囲気が違う。とても似合ってるね、そのドレス。自分で選んだの?」
「あ、いえ……ミス・オーツが貸してくださったの」
 ハズリットはふるふると首を振ると、消え入りそうな声で答えた。
 「身ひとつで来い」と言ってくれたアリシアは、本当に滞在中の着替えまで用意してくれていた。ディナー用のドレスからカジュアルなシャツとボトム――。種々様々なアイテムがクローゼットにぎっしり収められているのを見たときは、思わずハズリットも感嘆の声をあげたほどだ。
 その中からアリシアがこれからの夕食のために選んでくれたのが、いま着ているドレスだった。
 ふくらはぎの半ばまで隠れるドレスはハズリットの瞳に合わせた深い緑色で、ほんの少しだけ配された赤が、やはり〈聖夜〉を思わせた。生地はベルベットのような手触りだが、思ったほど重くない。見栄えだけに凝っているのではなく、子供の体力まで考慮してデザインされたというのがよく判る。
 そういったことを説明しようかとハズリットは思ったが、クラウスの「なるほど」という素気ない返事に断念した。
 会話の接ぎ穂を失った少女は、恐る恐るクラウスを窺う。その拍子に、いままで微妙にすれ違っていた視線がまともにぶつかった。
 クラウスの青い瞳の奥で、動揺の色が一瞬浮かぶ。
 ハズリットは慌てて彼の目から逃れると、そのまま黙り込んだ。
 何か言わねばと思うが、声を出すことはできなかった。
 そして隣に座る男が同じ状態にあるのを、少女は鋭く感じとっていた。
 今日に限らず、初めて会ったときから、ハズリットとクラウスの関係はぎこちなかった。
 クラウスはどこか近寄り難い。
 両親や他の者への態度を見ると、気さくで本音を隠すタイプでないのは明らかだ。しかしハズリットに対すると、途端に心の扉を閉ざす。だからハズリットも彼への警戒を解かなかった。それを感じ取ってか、さらにクラウスもガードを固める。そうするうちに、お互いそこから抜け出せない悪循環へとはまり込んでしまったのだ。
 再び、二人のあいだに沈黙が横たわる。
 ハズリットは窓に映る自分とクラウスを、気づかれないよう盗み見た。
 ふと、先日行ったDNA鑑定の結果を思い出す。
 この人と自分は、全く血が繋がっていない――。
 だが、どこかで接点があるのだ。そしてその接点は彼だけでなく、彼の両親にまで及んでいるらしい。
 いったい自分とレンツ一家は、どういう関係があったのだろう?
 ハズリットはもう何度も自分の記憶をまさぐっていた。しかし何度確かめても、彼らに関する記憶はない。
 となると、関係があったのは物心がつく前か、リディアだ。
 リディアもクラウスも、キーファの父親であるキュンメル中佐の部隊にいたという。だから、二人が知り合いだったのはまず間違いない。
 母とこの人が天王星で一緒だったのなら、何か知っているだろうか。私が天王星で生まれた理由を。そして本当の父親を――。
 いや、彼は知っている。だから私のことを意識しすぎるのだ。
 彼なら知ってる。彼なら教えてくれるかも知れない。
 なんとかして聞き出さなくては――。
 そのためには、クラウスとの悪循環から抜け出す必要がある。だがそれはそう難しいことではない。ほんの少し、こちらから歩み寄ればいいだけだ。
 そう思いつつ、もう一週間近くになる。
 勇気のない自分に嫌気が差して、少女は一つ溜息をつく。そして何気なくもう一度窓に目を向けて、ドキリとした。
 背後にヴァルトラントが立っていた。
 第二のレンツ夫妻よろしく、エビネ准尉とともに部屋の中を探索していたはずの少年は、窓ガラスの中でにっこりと笑った。そして手に持っていた箱を、少女と〈陸戦隊〉少佐のあいだに差し出した。
「食べる?」
 見ると、サイドボードの上にあったチョコレートの化粧箱だった。蓋は開けられ、繊細に形作られたチョコが整然と並んでいる。これ一粒で、ごく普通に売ってる板チョコが二、三枚は買えるという代物だ。
 きょとんとしている二人に、少年はわずかに箱を上下させ摘むよう促す。直後、少女と少佐が慌てて声をあげた。
「い、いや結構!」
「私も!」
 血相を変えて断わられた少年は、二人の勢いに目をぱちくりさせた。そして首を傾げると、不思議そうに言う。
「これも部屋代のうちなんだから、食べなきゃもったいないよ?」
「え――」
 数秒の沈黙を経て――二人はヴァルトラントの言葉の意味を理解した。
「じ、じゃあ、一つもらおうかな」
 ホッとしたように肩の力を抜いたクラウスが手を伸ばし、チョコレートを摘みあげる。
「ハズは?」
 なおもためらう少女が取りやすいよう、少年は箱をわずかに傾けた。
 少年の「当然、食べるよね」といった有無を言わさぬ気迫に、少女は圧された。膝の上で組んでいた手を恐る恐る上げ、アーモンドがトッピングされたものを選ぶ。
 少女の手にチョコが収まったのを見届けた少年は、満足げに顔をほころばせると、再び室内探検の旅へと出発した。
 少年を見送ったハズリットは、視線を手の中の小さな塊に戻した。そこへ、不意にクラウスが言葉を発した。
「実は……この部屋のものをうっかり食べたら、とんでもない請求書がくるんじゃないかと思ってたんだ」
 ハズリットは思わず発言者の顔を見た。いままさに自分も同じことを考えていたのだ。
 少女は驚きの眼をクラウスに向けたまま、「私も」と肯いた。
 今度はクラウスが目を丸くする番だった。ハズリットの同意がよほど意外だったようだ。不思議なものを見るような目で、少女をしげしげと眺める。が、すぐに苦笑して言う。
「どうやらここで『庶民』なのは、私たちだけらしい」
「――みたいですね」
 「食べなきゃもったいない」と言うヴァルトラントも、充分「庶民」といえよう。しかしそれに気づかず、屈強な戦士と天才少女は肩をすくめた。そして同時に、チョコをぽんと口に放り込む。
「うん、これは美味い」
「ホント」
 二人でチョコレートの美味さに感動する。
「よし、もう一つ」
 請求書の心配がなくなったと知るや、クラウスは「庶民パワー」を発揮しはじめた。うきうきとテーブルの上にあるクッキーに手を伸ばす。
 一瞬、何気なく向けられたクラウスの目に、ハズリットは彼の本心を感じとった。
 クラウスの目はいままでと違って穏やかで、そして悲しげだった。彼の両親が自分に向ける目と同じだった。
 やはり彼との距離を縮めるべきだ――と、ハズリットは思った。
 彼もまた、きっかけを求めている。
 初めて会ったときから、この大柄な男を敬遠していた。またクラウスも自分に近づこうとはしなかった。それはお互い気づかれないよう探り合い、警戒していたからだ。お互いが同じ話題に触れるのを恐れていた。
 だが避けあっていたのは間違いだったのかもしれない。歩み寄って、お互いを知るべきなのだ。きっと自分たちはそれを望んでいる。お互いのために。
「――だから、レンツ少佐に訊ねてみる」
 ホテル内にあるショッピングモールの広場で、ハズリットはヴァルトラントに宣言した。
 夕食を終えたハズリットは、ヴァルトラントと二人でホテル内を探検していた。少年によって半ば強引に連れてこられたのだが、部屋の中でじっとしているのも苦痛だったので、かえっていい気分転換になった。
 開放感が少女の口数を多くする。広い施設内をうろつきながら、ハズリットは思っていたことをポツリポツリこぼしていた。そこで先の言葉が飛び出したのだ。
「ハズがそう決めたのなら、反対しない」
 少女の言葉に耳を傾けていたヴァルトラントが、真顔で応えた。かすかに曇った眉間に彼の懸念が滲んでいる。
 少年がなにを心配しているのか、ハズリットには理解っていた。
 真実が喜びをもたらすとは限らない。逆に、つらいものである可能性の方が高い。
 その事実を、すぐさま受け入れるのは難しいかもしれない。だがそれでも知っておきたいのだ。
「うん。覚悟はできてる」
 ハズリットは力強くうなづいた。
 少女の意志が固いと知ったヴァルトラントは、つと彼女から視線を外した。そして目の前にそびえる大きなツリーを見上げ、独りごとのように呟いた。
「もし本当のことを知って悲しかったり、つらかったりしたら――俺、いつでも力になるから」
「……ありがとう」
 少女も少年と同じように、聖なる木を見上げて呟いた。
 広場には雪が降っていた。人工の雪がツリーやそれを眺める人々に降りかかる。
 子供たちが木の周囲に積もった雪で遊んでいる。少女たちは小さな雪だるまを作り、少年たちは雪玉を投げあう。
 ヴァルトラントはすぐそちらに気をとられたが、考えに耽っていたハズリットはいつまでもツリーを眺めていた。

「では明々後日、〈フギン〉で――。楽しい〈聖夜〉をお過ごしください、大佐」
 〈森の精〉司令官たちをホテルの地下玄関まで見送りに出たクラウスは、去り行く者たちにおやすみの挨拶を述べた。
「ああ、レンツ少佐も。しっかり親孝行しろよ」
「おやすみなさい、少佐」
「失礼します、レンツ少佐」
 耳の痛いウィルの言葉に続いて、少年と新米士官も挨拶を返す。そしてその直後、彼らを乗せたエアカーは〈ヴォーセグス〉の地下道へと消えていった。
 クラウスはそれを、釈然とせぬ思いで見送った。
 なぜ自分は、彼らと行かずにここにいるのだろう。ポケットの中には、カリスト司令本部から借りた宿舎の鍵が入っているというのに。
 どう話が転がってこんな結果になったのか、クラウスには理解らなかった。用を足して戻ってきたときには、両親だけでなく自分も少女の部屋に泊まることになっていたのだ。「せっかくベッドが空いているのに、使わなくてはもったいない」というのが、この部屋を用意したアリシアの言い分だった。
 できるだけ長く少女と居たいと思っている両親にとって、アリシアの申し出は願ってもない幸運だろう。だがクラウスにとっては拷問に等しい。
 ここに泊まれば、それだけ少女と顔を合わす時間が長くなる。そしてこれまでのように会話を避けつづけるのは、難しいだろう。
 両親たちのように、少女に対して心を開くことができればどんなに気が楽か。しかしそれは許されていない。
 自分は、少女がいま一番知りたがっていることを知っている。下手に少女との距離を縮めると、やがてその問題に触れることになる。そうならないためにも、必要以上の接触を断ち、彼女が踏み込んでくる隙を作らないようにしなければならないのだ。
 なのに、なんでこういう展開になるんだ――?
 このまま逃げ出してやろうかと、クラウスは思った。
 だが、それはすぐに両親からミス・オーツ、そしてヴィンツブラウト大佐の知るところとなるだろう。さらにはキュンメル中佐にまで伝わり――その後は身の毛もよだつ体験をするのは必至だ。
 いま逃げるのは危険だと判断したクラウスは、暗鬱な気持ちを抱えつつ、地下玄関から地上階のロビーへと戻った。
 しばらく飲まないつもりだったが、一杯ひっかけたい気分だった。それに適当に時間を潰せば、今日はもう少女と顔を合わせなくてすむかもしれない。明日は明日で、適当に用事を作って逃げ出すことにしよう――。
 今後の逃亡計画をフル回転で練っていたクラウスは、視界に入ってきた人物を見て飛び上がりかけた。
 てっきり両親と部屋へ戻っていると思っていた少女が、ミス・オーツとともにフロントの前で立っている。
 彼女たちはクラウスを見つけると、足早に近づいてきた。
「あの、うちの親は――?」
 そばへやってきたアリシアに、クラウスは両親の消息を尋ねた。
 苦い顔で訊く〈陸戦隊〉士官に、アリシアは艶やかな笑みを浮かべて答える。
「素敵なご両親ね。『恋人時代に帰ってみよう』と仰って、ラウンジの方へ向かわれたわ」
「はあっ? 何を考えてるんだっ、あの二人はーっ」
 思わずクラウスは素っ頓狂な声をあげた。が、他の客やホテルマンから一斉に注目され、慌てて口を閉じる。
 そんな彼にアリシアはすくすくと笑いながら、夫妻からのことづてを伝える。
「で、一、二杯カクテルを飲んだら部屋に戻るから、それまでハズちゃんをよろしくって」
「――って」
 ハメられた――!?
 クラウスは愕然とした。
 息子が少女と距離を置こうとするのを、レンツ夫妻は快く思っていなかった。だから荒療治に出たのだ。
 今度は言葉も出なかった。クラウスは情けない顔をアリシアに向け、両親が戻ってくるまで二人きりにしないでほしい――と、目で訴える。
 だが無情にも、アリシアはクラウスの期待を裏切った。
「ごめんなさい。私ももう少しハズちゃんと居たいけど、パーティの準備が押してて、これからまだ作業しなくちゃならないのよ。新館に泊まってるので、何かあったら連絡してね」
 申し訳なさそうにアリシアは肩をすくめる。そして二人におやすみを言うと、名残惜しそうに姿を消した。
 かくして、ロビーに少女と少佐だけが残された。
「まいったな……」
 いきなり少女の世話を押しつけられたクラウスは、途方にくれたように呟いた。少女と二人きりになるなど、最悪の事態だ。これなら敵に包囲される方がまだマシかもしれない。
 ふと気づくと、少女が不安そうな目で自分を見上げていた。いまの呟きを聞かれていたのだろうか。
 自分の迂闊さに内心舌打ちしながら、クラウスは少女に向き直った。少女を見下ろし、声をかける。
「部屋に戻る?」
 少女は碧の瞳でじっとクラウスを見つめたまま、何の反応も見せようとしない。
「じゃあ、少し散歩していくかい?」
 コクリ――と、少女が肯いた。
 クラウスと少女は、連れ立って歩きはじめた。
 少女は無口だった。
 間がもつようにと賑やかなショッピングモールへやってきたはいいが、彼女は趣向を凝らしたディスプレイには目もくれようとしない。数メートル先の床に視線を落としたまま、黙々と歩いている。
 口数の少ない子供だ。それに笑顔を見せたことがない。笑ったとしても、せいぜい口の端を軽く持ち上げる程度で、笑い声を出すことはない。
 笑わないのは自分に対してだけなのだと、クラウスは思っていた。少女が自分を警戒しているのは知っている。警戒してる相手に笑いかける者はいない。
 だが出会って三日目に、母が嘆いた。「あの子が笑ってくれない」と。
 少女が誰に対しても笑わないと知ったクラウスは、さすがに気になった。幼い子供がほとんど笑わないのは尋常なことではない。それで、それとなくキュンメル一家に訊ねてみた。
 すると彼らは答えた。「あの子は笑えなくなったのだ」――と。
 学校での迫害が、笑顔と子供らしい表情を彼女から奪った。友人たちの裏切りが、彼女の心に茨の垣根を築かせた――。
 それを聞いて、クラウスは悔やんだ。
 彼女がこうなったそもそもの原因は、自分にある。リディアが自分の許から去るのを阻止し、自分が正式に少女の父親になっていれば、こうはならなかったはずなのだから。
 自分ならあの子を守ってやれたはずだ――そう思うと、悔やんでも悔やみきれない。
 いまからでも間に合うだろうか。
 一度は諦め、もうこれ以上少女と関わりを持たないと決めたクラウスだが、ここへきてその決心がぐらつきはじめた。
 血を分けたわけではないが、出産に立会い、生まれたばかりの彼女をこの手に抱いた。そのときの感動と温もりを、まだ憶えている。
 そして今日、夕食前のほんの些細な会話がもたらした、ほんの一瞬の連帯感。そしてそれに伴う喜びと充足感。
 それをもう一度、いや何度でも味わいたい。この子を父親として抱きしめ、守ってやりたい――。
 自分が父親であると名乗り出るのは許されていた。
 少女の母親であるリディアに口止めされたのは、ただひとつ。少女の遺伝的父親のことだけだ。
 その秘密を隠すためなら、自分と婚約していたことは明かしても構わない――と、彼女は言った。いや、むしろ積極的に「少女の父親」を名乗ってくれてもいいとまで、言い放った。
 名乗り出て事実になるなら、親子として暮らせるなら、いくらでも名乗り出よう。
 だが「名乗り出ろ」と言ったリディアは自分との復縁を拒否し、少女を手放すつもりはないと言った。恐らく少女も、母親のそばを離れることはないだろう。なら、いっそこのまま赤の他人でいた方がいい。
 クラウスは溢れそうになる想いを、胸の奥底に押しやった。彼もまた、黙々と歩いた。
 やがて大柄な戦士と華奢な少女は、雪の降る広場に至った。
 小さな雪だるまや雪玉の残骸が、さきほどまでの賑わいを想像させる。だがいまは若いカップルや子供から解放された夫婦たちが、静かにこの雪景色を眺めていた。
「面白い演出だ。どこから降らせてるんだろう」
 振ってくる粉雪を手に受けていたクラウスは、雪の発生元を探してライトアップされたツリーのさらに上方を見上げた。だがそこに天井はなく、黒い穴が開いているだけだ。
「吹き抜けになってるのか」
 暗い空間を見つめながら呟く。と、少女が口を開いた。
「特殊ガラスで覆ってあるんだわ。〈光の広場〉みたいに」
「なるほど――で、〈光の広場〉って?」
 少女の説明にクラウスはうなづき、そして聞き返した。
「〈ヴァルトマイスター〉の〈旧市街〉にある基礎穴。ここと似てるけど、ここみたいに整備されてない――ゴミゴミしたただの縦穴よ」
 さっきまで俯いていた少女は、周囲を見回しながら答えた。その目はどんな小さなものでも見逃すまいとばかりに見開かれている。
「ふーん、もったいないな。ちゃんと整備すれば、いい公園になりそうなのに」
「そう思う?」
 少女が勢いよく振り返った。あまり深く考えずに感想を述べたクラウスは、彼女の反応に驚いた。目を瞬かせ、少女を見つめる。
 だが少女は返事をしないクラウスに興味をなくすと、目を輝かせながらもう一度広場を見渡し、「やっぱりそうよね……それがいいわ」と独りごちる。
 突然雰囲気の変わった少女に、クラウスは面食らった。この場所は、彼女にとって興味深い場所らしい。観察に夢中なのか、クラウスの存在などすでに忘却の彼方だ。
「ハズ……リット?」
 クラウスが恐る恐る声をかける。
 すると少女は我に返り、気まずそうに肩をすくめた。
「何でもないの。ちょっとした……空想あそび」
 珍しく子供らしい彼女の発言を意外に思いながらも、クラウスは話を合わせるために顔をほころばせた。
「はは、空想あそびなら私の父が得意だよ。彼の功績は空想の賜物といってもいいぐらいだ」
「博士のはただの空想じゃなくて、ちゃんとした理論に基づいた推測から成り立ってるのよ」
 少女が少しムッとした顔で反論した。
 あまりムキになるので、クラウスはちょっとからかってみたくなった。意地悪く口の端を持ち上げて言い返す。
「いや、空想だね」
 少女の顔が険しくなる。
 本格的に怒り出す前に、クラウスはあっさり降参した。
「だがその空想を現実のものにしてしまうのは、すごいと思ってるよ。天才の思考というのは、ああいうモノなのかもしれない」
 少女は表情を和らげ、満足そうに息をついた。だがすぐに顔を曇らせる。
「じゃあ、私は博士みたいにはなれないわ。すぐに理詰めで考えてしまう」
 クラウスは、少女が世間から「天才」と呼ばれていることと、植物学に興味を持っていることを思い出した。
「父のようになる必要はないと思うよ。君なりの考え方でしか作り出せないものがあるはずだ」
「そうね」
 少女は肯くが、納得していないようだった。自嘲めいた口調でこぼす。
「それでも、博士からいろいろ学んでみたいわ」
「うーん、それはお勧めしないな。彼は素晴らしい研究者だが、先生には向いてない」
 父親の短い大学教授時代を思い出して、クラウスは鼻にしわを寄せた。彼の授業についていけた学生はほとんどいない。
 だが少女は平然と言い放った。
「教えてもらわなくてもいいの。そばで見て、博士の知識を盗むから」
 一本とられた――。
 見かけに寄らない少女の豪胆さに、クラウスは舌を巻いた。彼女なら父の授業についていけるかもしれない。もし彼女にその気があれば――。
 そこまで考えて、クラウスは我に返った。さっき封印したばかりの誘惑が、頭をもたげるている。
 少女が母親でなく智を追究する方を選べば、我々は新しい関係を築ける。秘密に触れることなく、少女を自分の庇護下に置ける――。
 そんな考えがクラウスの頭の中を占領しはじめた。
「でも天王星へ行ってしまうから無理だわ」
 少女が残念そうに呟く。
 種を蒔くならいまだ。どんな芽が出るのか判らないが、蒔いてみる価値はあるはずだ。
 クラウスは一か八かの賭けに出た。
「どうして? 君にその気があれば、ついていくこともできる」
「――!」
 弾かれたように、少女は顔を上げた。やはり彼女の中に「ついていく」という選択肢はなかったのだろう。驚いたような目を、クラウスに向けてきた。
 クラウスは言い聞かせるように、ゆっくりと続けた。
「本当に君が彼の知識を盗みたいというのなら、彼は拒まないだろう。いや、むしろ喜んで迎え入れてくれるはずだ。そして、全ては君の気持ち次第で決まるんだよ――ハズリット」

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