■針とパズル■page 2

Chap.2
 唐突に視界がひらけた。森を抜けたのだ。
 陽は傾きかけていたが、空はまだ充分に明るかった。薄暗い森から陽の射す空き地へと出たヴァルトラントたちは、眩しさに目を細めながらも眼前の風景を見渡した。
 岩と氷の混じった濃灰色の荒地が左右に広がる。その荒地を隔てた向こうに、地平線に沿うようにして、さらなる樹海が横たわっているのが見える。群青の空を背にした濃緑の森は、陽射しが弱まるにつれその色を無機質なものに変えようとしていた。
 しばらく立ち止まっていた少年たちは、《黒い森》から吹き出す風に押し出されるように、荒地へと進み出た。
 物資の受け渡しは、《黒い森》南部の入口から五〇メートルほど離れたところで行われていた。半日前には何台も行き来していた補給部の輸送トラックも、いまは一台だけを残して姿を消している。軍も生徒たちの演習が終わるまでトラックを遊ばせて置くつもりはないのだろう。補給を待つ基地のために、新たな物資を積み込むべく司令本部へと戻っていったのだ。
「あれで終わり――だよな?」
 残された一台を見たラリーが、期待のこもった呟きを洩らす。
「たぶんな」
 相棒バディのベルントが自信なさげに答えた。上級生や教官たちの意地は悪い。最後と見せかけて実はもう一台――なんてことは充分にありえる。
 しかしラリーは、彼の言葉を前向きに解釈することにしたようだ。
「そうか、最後か!」
 と、拳を握り締める。無理に思い込もうとしているのが見え見えだ。顔に強張った笑顔を貼りつかせ、やけくそ気味に大言を吐く。
「残念だな、ベルント。俺たちなら一〇〇台でも二〇〇台でもまだイケるのになぁ」
「いや俺は無理だから」
 間髪容れずベルントが返す。
 ラリーの笑顔が凍りついた。――が一瞬後、彼の中で相方の言葉はなかったことになったらしい。
「そうか、イケるか!」
 と、満足げにうなづく。
「人の話を聞けーっ!」
 ベルントが抗議するが、彼の相棒バディは聞いちゃいない。
 ヴァルトラントはそんな二人のやりとりを苦笑しながら聞いていたが、ふとトラックの様子がおかしいことに気づいて眉をひそめた。
「なんか、様子がヘンじゃないか?」
 そう言って、トラックの方を目で示す。
「ヘン?」
 おちゃらけコンビとクロルはきょとんとする。が、つられるように発言者の視線を辿ると、納得した顔になった。
 先に着いていたアラムたちが、トラックの荷台付近に集まっていた。だが積荷を下ろすでもなく、運転席の方へ顔を向けて突っ立っているばかりだ。何かトラブルでもあったのだろうか。
「行こう」
 怪訝そうに顔を見合わせた四人の少年たちは、歩みを速めた。近づくにつれ、級友たちの戸惑った気配が感じられるようになる。その深刻そうな様子に、声をかけるのが躊躇われた。一歩ごとに不安が募る。
 そんな彼らに逸早く気づいたのは、ミルフィーユだった。
「ヴァルティ!」
 さも大変だとばかりに手を振り回しながら親友の名を呼ぶ。その声に、アラムをはじめとする他の級友たちも振り返った。緊迫した空気がわずかに緩む。
「なんかあったの?」
 歩み寄ってきた級友たちに迎えられたヴァルトラントは、五年来の相棒に訊ねた。
「それが――」
 ミルフィーユは言い難そうに口ごもった。チラリと背後のトラックに目を向ける。が、すぐに視線を戻して一気に答えた。
「糧食が全部ダメだったんだ」
「ダメって――どういうこと?」
 一瞬意味がつかめず、ヴァルトラントは聞き返した。ミルフィーユが根気よく繰り返す。
「全部まちがったのが送られてきてたんだよ。ウチのだけじゃなく、《蒼い狼》軍のも全部」
「マジかよ……」
 俄かに信じられず、ヴァルトラントは目を丸くして金髪の相棒をまじまじと見つめた。
 自軍である《森の小人》軍だけでなく、対戦相手となる《蒼い狼》軍のものも含めての糧食が、全て誤送されていたというのだ。これが補給経路の末端に位置する部隊から送られてきたものなら、まあ納得もできよう。中央から離れるほど在庫管理がルーズになるものだからだ。だが今回は司令本部が直接手配したのだ。「管理、管理」と口煩いお上のすることとは思えない。
「で、先輩や教官は?」
 しばらく唖然としていたヴァルトラントは、思い出したように訊ねた。さすがにこうなると、一年生たちで勝手にどうこうできるものではない。
 親友の質問に、ミルフィーユはトラックの運転席を示しながら答える。
「いまデューラ教官が司令本部と連絡をとってるところ。もちろん交換してもらうことになるはずだけど……」
 蒼い瞳に懸念の色を浮かべた少年は、最後まで言い切れずに言葉を濁した。それをアラムが一歩進み出て引き継ぐ。
「夕食が『夜食』になるかもしれない」
 そして顔をしかめた。
 司令本部から取り寄せたものを交換する場合、基本的に一旦返納してからでないと再発送してもらえない。しかし、《黒い森》と司令本部とは五〇〇キロメートル近くの隔たりがある。輸送車を往復させるだけでも五時間。荷物の確認や積み替えなどを含めると、どう手際よくできたとしても六時間から七時間はかかる。
 冗談ではすまないアラムの言葉に、少年たちがどよめく。
 学校から持参していた昼食を摂ってから数時間が経つ。そろそろ小腹も空きはじめたころだ。なのに四半日以上もさらにお預けになりそうだという。食べ盛りの少年たちにとっては死活問題だ。
「でも、そうならないかもしれない」
 ヴァルトラントは反論した。
「デューラ教官が何とかしてくれるはずだ」
「そうそう。それを信じて、僕たちはいまのうちにできることをやっとこうよ」
 すかさずミルフィーユが親友を支持した。悲観していても腹は膨れない。とにかく一心不乱に働いていれば、空腹も時間が経つもの忘れられる。
「……そうだな。運べる物は運んでおいた方が、後々ラクだ」
 一拍おいて、アラムも賛同する。他の班長たちも肯いた。
「じゃ、決まり!」
 ニッコリと破顔して、ヴァルトラントは手を打った。それを合図に少年たちは動き出す。
 仲間たちが自分の持ち場へ戻るのを確認すると、ヴァルトラントはあらためてアラムに向き直った。
「一応、プファイファー先輩にも話を通しとかないと――」
「まあ、あの先輩なら『ダメ』なんて言わないだろーけどな」
 アラムは皮肉っぽく口元を歪めた。荷降ろしを指揮する五年生のプファイファーは、同級のヘンツェと違って温厚で思慮深い。下級生たちの意見はちゃんと聞き、その上で指示を出してくれる。ただ即断するのは苦手らしく、判断を急かすとこちらの主張に流されることがままある。アラムはそこに付け入る気なのだ。
「ほどほどにな」
「理解ってるって」
 苦笑するヴァルトラントにアラムはニヤリと返すと、トラックの方へと歩き出す。その彼をクロルが呼び止めた。
「アラム、これはどこに置いとくの?」
「ああ、それはトラックの向こう側に固めてある」
 持ち帰った例の荷物を指して訊ねる少年に、アラムは答えた。
「ありがと」
 クロルは明るい声で礼を言うと、足早に教えられた場所へと向かった。その後姿を見ていたアラムは、ふとあることに気づいて呟きを洩らした。
「そういや、一班の連中はどこだ?」
 自分の班へ戻ろうとしていたヴァルトラントは、旧友の呟きにハッとして振り返った。
 少年たちはお互いの顔を確認する。ヴァルトラントたちの到着後、エックハルトの姿を見た記憶がない。
 同時に同方向へ目を向ける。トラックの向こう側へ。
 直後、二人は駆け出した。しかし――。
「何やってんだよ!」
 目的地へ達するより早く、誰かの鋭い声が周囲に響いた。
 慌ててトラックの向こう側へ回り込んだ二人の目に、いきり立つクロルと、薄笑いを浮かべたエックハルトの姿が飛び込んだ。
 一班の班長は自分の班員を従えて、積み上げられたパレットケースの前に陣取っている。
「別に何も」
 余裕の表情でエックハルトは答えた。白を切った班長に、クロルの怒りが激しさを増す。
「いま、中身を抜き取ろうとしてただろ。パレットの蓋が開いてるじゃないか!」
「なに言ってんだ? 俺たちは中身が間違ってないか確認してただけだ。また間違えて運んだら手間だからな」
 背にしたパレットケースを軽く振り返って、エックハルトは説明する。
「嘘つくなよっ。エンリケがポケットに何か入れるのを見たんだからっ」
 顔を朱に染めた少年は、自班の副班長に指を突きつけて弾劾した。
 それを見たヴァルトラントとアラムは舌打ちした。このままではエックハルトの思う壺だ。
「クロル!」
 慌ててたしなめるが、時すでに遅し。
「なら、確かめてみろよ」
 エンリケが進み出て、挑発するように両手を広げる。防寒着の裾が軽々と持ち上がった。
 そこでようやくクロルは自分が早まったことに気がついた。息を呑んで顔色を変える。
 糧食のパッケージの長辺は二〇センチメートル。そして厚みは三センチメートルほど。いくら厚手の防寒着といっても、ポケットにそんなものが入っていればすぐ判る。
 だが引っ込みがつかなくなった少年は、平静を装った表情でエンリケに歩み寄った。そして彼の腰ポケットに手を当てた。もちろん何も入っていない。
「隠せるのはポケットだけとは限らないぞ」
 エックハルトが愉快そうに煽った。
 班長の指摘に、クロルは悔しそうに顔を歪めた。そして今度はエンリケの全身をまさぐりはじめる。エンリケはニヤニヤ笑いを浮かべながら、むきになるクロルのされるがままになった。
 やがて、クロルはゆっくりと顔を上げた。自分のミスに慄いた目で、弾劾した相手を見上げる。
 そんな彼を見下ろして、エンリケが言った。
「ひどいなぁ。無実のルームメイトを疑うなんてさ」
 それに呼応するように、他の班員たちが口を開く。
「そうだ。エンリケに謝れよ!」
「いや、俺たちも疑われたんだから、俺たちにも謝れ!」
「謝れ!」
「謝れよ、さあ!」
 班友たちの手がクロルを突き飛ばす。小柄な身体が尻餅をついた。
「やめろ!」
「なにも、突き飛ばすことないだろっ」
 慌ててヴァルトラントとアラムが割って入った。二人はクロルを庇うように少年たちの前に立ちはだかると、怒りに染まった琥珀と暗褐色の瞳で連中を睨みつけた。
「おまえらには関係ないだろっ」
 班員の一人――ピエールがアラムを小突いた。五班の班長が一歩よろめく。一瞬意外そうに目を丸くしたが、すぐに表情を変えた。
 アラムは剣呑な笑みを浮かべると、自分を突き飛ばした少年を見返した。
「でも、これで関係アリだ」
「うぐ――っ!?」
 ヴァルトラントが「まずい!」と思った時には、もうアラムの拳が炸裂していた。痛烈なボディーブローにピエールの身体がくの字に曲がる。
 その光景を、一班の少年たちは呆然と見ていた。が、ふと我に返ると俄かに色めき立った。
「殴ったな!」
「おう、殴ったよ!」
 売り言葉に買い言葉。アラムは堂々と胸を張った。これまでの鬱憤を晴らすつもりなのか、実に嬉々とした表情だ。
 瞬く間に乱闘が始まった。
 こうなればもう手がつけられない。仕方なしにヴァルトラントも加勢した。アラムに群がる少年たちの襟首を掴んで引き剥がす。一班連中が二手に分かれた。ヴァルトラントに三人、アラムに四人だ。
 クロルは突然の展開に尻餅をついたまましばらく呆然としていたが、《グレムリン》の劣勢に気づくと立ち上がり、喧嘩の輪の中へ飛び込んだ。
 これでほぼ一対二となった。そのくらいなら苦戦することはない。《グレムリン》の二人は飛んでくる拳を余裕で躱し、カウンターを食らわせる。クロルも小柄な体格を活かしてちょこまかと逃げ回り、相手を翻弄した。
「大体おまえら、前からムカつくんだよっ」
「それはこっちのセリフだっ」
 お互いを罵る声と、積み上げられていたパレットケースの崩れる音が辺りに響く。近くにいた級友たちがその音を聞きつけ、何事かと顔を覗かせる。
「おい、なに騒いでんだよ――って、わぁっ!」
「ケンカだ! 一班と《グレムリン》の対決だ!」
 さらに騒ぎが大きくなった。仲間の声に、誰もが作業を放り出して集まってきた。そして目を輝かせた。
 一班の連中を叩きのめせる絶好の機会だ。我も参戦せりとばかりに駆け寄ろうとする。
「来るな!」
 それをヴァルトラントとアラムは跳ねつけた。
 四倍近い戦力が投入されるとなると、もはや喧嘩などではすまなくなる。一方的な暴力となるはずだ。
 ただでさえ今回は、エックハルトたちだけに非があったとは言い難い状況だ。恐らく関わった全員が処分されることになる。
 一年生とはいえ《森の小人》軍の貴重な戦力だ。それを失うわけにはいかない。処分を食らうのは自分たちだけでいい――と、二人は瞬時に判断したのだ。
 だが《グレムリン》の思いは、虚しく空回りしただけだった。気を昂ぶらせた少年たちは、雄叫びを上げながらまっすぐこちらへ突っ込んでくる。
 何とかして止めなければ――と思うが、次々繰り出される攻撃も躱さねばならない。迫りくる怒涛を目の端に捉えながら、ヴァルトラントは内心天を仰いだ。そのとき――。
「何をやっている!」
 雷鳴が轟いた。突然の大音声に、その場が一瞬にして凍りつく。
 殴りかかってきたマルティン少年の胸倉を掴んでピタリと静止したヴァルトラントは、第三勢力――しかも圧倒的な支配力を誇る存在の登場に、もう一度、今度は実際に天を仰いだ。遅かれ早かれ、この瞬間がくるのは理解っていたつもりだった。だが、どうやら心のどこかでは「なんとか免れられる」と高を括っていたようだ。それほどに「第三勢力」の出現は精神的な打撃を彼に与えた。
 アラムも同じ思いなのだろう。忌々しげな舌打ちが洩れる。
「何をしている?」
 怒号の主はヴァルトラントの背後で再び、今度は唸るような声で問い質す。
 その歳を経た太い声が誰のものなのかは、振り向いて確認するまでもない。入学以来毎日のように耳にしているため、もうお馴染みになっている――一年生の基礎教練を受け持つ、ヴェスプッチ教官のものだ。
「ヴィンツブラウト?」
 誰も答えようとしないので、ヴェスプッチはヴァルトラントを指名した。近くにいたからだろうが、どこか作為を感じるのは穿ちすぎか。
 とはいえ、せっかくのご指名を無視するわけにもいかず、ヴァルトラントは心の中で顔をしかめながらも、面は神妙な表情を取り繕って振り返った。
 しかし次の瞬間、彼はその表情を崩してしまった。驚きと怒りに目を瞠る。彼が猫なら、全身の毛が逆立っていただろう。
 教官の背後にエックハルトが立っていた。顎の尖った白い顔は全くの無傷だ。乱闘に加わった者はみな傷を負い、着衣も乱れているというのに。
 恐らく彼は、戦端が開かれると同時にその場を離れたのだ。そしてタイミングを見計らって、教官に知らせた――。
 その推測を裏づけるように、エックハルトは勝ち誇った笑みを浮かべた。それなりに整っている顔が醜く歪む。
 ヴァルトラントは嫌悪感を覚えた。最低なヤツだ。エックハルトは班員を犠牲にして、自分だけ助かろうとしたのだ。
 いますぐ糾弾してやりたい衝動に駈られる。だがヴァルトラントはその気持ちを抑え込んだ。冷静さを失ってはダメだ。まずは教官への対応をきちんとしておかねば、こちらの言い分も通らなくなる。
 ヴァルトラントは何事もなかったように神妙な顔を取り戻すと、視線をヴェスプッチ教官へと移した。
 そこに鬼が立っていた。がっしりとした初老の鬼だ。怒りで朱に染まった顔をヴァルトラントに向けている。
 年季の入った戦闘服に身を包み、短く刈り上げた胡麻塩頭に作業帽を載せたその姿は、もうお馴染みのスタイルだ。いつでも悪さした生徒を追いかけられるよう、現役時代の戦闘服を常に着用しているらしい。
 彼は元《陸戦隊》の猛者だった。一兵卒から現場一辺倒で叩き上げて曹長になったのが自慢らしく、何かにつけて過去の武勇談を語ってくれる。しかし生徒たちの受けはあまりよくなかった。何度も同じ話を繰り返すからだ。本人曰く、レパートリーが多すぎるため、どれを話してどれを話していないのか判らなくなるのだそうだ。まあ生徒たちはそんな言い訳など信じてはいないが。
 それはともかく――耳にタコができるだけなら、まだ耐えようもある。しかし自分がしごかれてきたとあって、生徒に対しても同様に厳しく指導しなければならないと信じ込んでいるのは困りものだ。体調が悪かろうが何だろうが、教練で無理やり走らせるのはまだ序の口。授業に関することだけでなく、身の回りのことまで与えられたノルマがこなせなければ、できるまでやらせる。言葉で注意する前にまず鉄拳が飛び、虫の居所が悪ければ食事抜きもありえる――いわゆる典型的な《鬼教官》であった。
 そして《鬼教官》と《いたずらっ子》グレムリンは、いつの時代も天敵同士と相場は決まっている。
 仁王立ちした教官は、鋭く細めた目で少年を睨みつけた。気の弱い者ならその威圧感で縮み上がってしまい、返事することなどできないだろう。
 しかし《グレムリン》であるヴァルトラントは怖気づかなかった。まっすぐ教官を見返して、いけしゃあしゃあと言い放つ。
「喧嘩です、教官」
 ヴェスプッチの眉が大きく跳ねた。その身にまとっている怒気が濃度を増す。
 嘘はついていない。言い逃れしては、エックハルトと同じになってしまう。だから事実をありのまま答えた。それが教官の機嫌を損ねてもだ。
 飛んでくるのは怒声か拳か――。ヴァルトラントは覚悟を決めてその時を待つ。
 ところが教官の反応は予想外のものだった。
「原因は?」
「えっ?」
 ヴァルトラントは思わず阿呆面を晒して聞き返してしまった。まさかいきなり喧嘩の理由を問われるとは、思いもしなかった。
 彼の反応に、老教官の頬がかすかに引き攣った。ヴェスプッチは質問の意味を一度で把握できない者には特に厳しい。
 ヴァルトラントは慌てて姿勢を正したが、やはりすぐ答えることはできなかった。どこから説明すべきか迷ったのだ。クロルが実際に何を見たのかが判らない。それを憶測で答えるわけにはいかなかった。
 結局、ヴァルトラントは自分たちが関係したところから説明することにした。
「突き飛ばされたクロルを庇おうとしたら、ピエールが『おまえらには関係ない』と言ってアラムを小突いたんです。それでアラムがキレて喧嘩になりました」
「エーブナーはなぜ突き飛ばされたのだ?」
「それは――」
「クロルはエンリケを泥棒呼ばわりしたんです!」
 ヴァルトラントが言いかける横から、エックハルトがしゃしゃり出てきた。教官が眉を顰めるのも構わず捲くし立てる。
「それでみんなが怒って、彼に『謝れ』って詰め寄ったら、その拍子に手が当たってしまったんです」
「当たってしまったって……」
「当てたんだろっ」
 ヴァルトラントとアラムが同時に反論した。だが教官の鋭い視線が向けられると、口を閉じるしかなかった。
 それを見たエックハルトは、教官が自分の味方だと思ったのだろう。調子に乗って、訊かれもしない説明を続ける。
「自分たちはただ、中身を点検していただけなんです。それなのにクロルは、いきなりエンリケが荷物をくすねたって言って、無理やりポケットとか調べだして……。もちろん何も出てきませんでした。なのに彼は謝ろうとしなかったんです。それでみんなは怒ったんです。当然だと思いませんか。何もしてないのに疑われたんですよ!」
 悲痛な声でエックハルトは訴える。その白々しい演技に、ヴァルトラントは腹が立つのも通り越して呆れ返ってしまった。
 エックハルトの言葉を信じたのかどうかは判らないが、ヴェスプッチはクロルに目を向けると淡々とした口調で確認した。
「エーブナー、そうなのか?」
「え……その……」
 被疑者にされた少年は口ごもった。さもありなん。どう答えるのが最善なのか、ヴァルトラントもすぐには思いつかなかったぐらいだ。詭弁を弄するのに慣れていない少年が、咄嗟に答えられるはずもない。
 エックハルトの言葉は些末な部分が都合よく改ざんされていたが、大筋では間違っていない。だが全面的に肯定してしまうと、エックハルトたちは全くの潔白となってしまう。それはクロルにとっても赦しがたいはずだ。だからといって誤りを訂正したところで、教官の心証はよくならないだろう。
「はい。でも――」
 悩み抜いた末に、クロルは訂正する道を選んだようだ。いったん肯定し、続けて誤りを正そうとした。しかし、ヴェスプッチはそれを許さなかった。
「同じ作戦をともにする仲間だというのに、貴様は仲間を信じられないのかっ?」
 目を剥いて声を張り上げる。
 クロルはか細い悲鳴を上げて首を竦めた。震える唇と目をぎゅっと閉じ、身を固まらせる。すっかり萎縮してしまったようだ。
 ヴァルトラントは教官を見上げた。叱責覚悟で口を開く。
「ですが教官――」
「ひとつ確認していいですか?」
 ところが、少年の声は新たな人物によって遮られた。
 ヴァルトラントだけでなく、誰もが声の主を振り返った。
 痩身の若い教官が、散乱する糧食のパックを避けながらやってくるところだった。トラックの運転席で司令本部と連絡をとっていたはずのデューラ教官だった。
「デューラ中尉」
 唐突な横槍に、ヴェスプッチの眉間が険しくなった。そして横から口を挟むなと言いたげな口調で、年下の上官に訊ねる。
「司令本部との話は、もういいのですか?」
 ヴェスプッチの校内における発言力は大きい。下士官とはいえ、軍隊生活の長さはおろか教官としてのキャリアも若手士官の数倍にはなるのだ。彼がひと睨みすれば、大抵の若い士官たちは口をつぐんでしまう。
 しかしその睨みも、デューラには効かなかった。穏やかな笑みを浮かべたまま肯く。
「ええ。ヘリを派遣してくれるそうです。まあ、それはあとで説明しますので」
 こうもあっさりと躱されてしまうと、ヴェスプッチは引き下がるしかなかった。「そうですか」と呟いて、尋問の権利をデューラに渡した。
 デューラはもう一度うなづき返すと、エックハルトに向き直り質問を続けた。
「シュティッヒ君は、積荷を確認していたと言いましたね?」
「……はい」
 質問の意図がどこにあるのか判らなかったのだろう、エックハルトは不安げに答えた。その彼をじっと見据えたまま、デューラは言葉を重ねる。
「それは誰かに指示されて行っていたのですか?」
「――!」
 一瞬にして、エックハルトの顔色が変わった。自分の計画の穴に、初めて気づいたのだろう。
 ヴェスプッチも自分が重要な点を見逃していたと気づいて、表情を険しくした。尋問権を渡したことも忘れて、現場監督の五年生に確認する。
「プファイファー! 一班にここの荷物の確認をするよう指示したか?」
「あ……いえ、しておりませんっ」
 いきなり矛先を向けられたプファイファーは、蒼白になって否定した。
「プーキン?」
 今度は運搬隊長であるアラムに目を向ける。
 アラムも胸を張って否定した。
「いえ、してません」
「ううむ……」
 ヴェスプッチの口から唸り声が洩れた。
 言葉を失った老教官の後を、若手教官が引き継いだ。
「つまり一班は、無断で積荷の確認をしていたわけですね。それじゃあ、疑われても文句は言えませんよ」
 デューラの表情はあくまでも穏やかだったが、口調は有無を言わせないものがあった。
 エックハルトは意気消沈したように項垂れた。しかし口元は悔しげに歪められている。
 その表情をデューラはあえて見なかったことにするつもりらしい。あちこち痣だらけになった少年たちを振り返ると、判決を言い渡す。
「指揮官の指示を仰がず無断で行動した一班と、乱闘に加わったプーキン、ヴィンツブラウト、エーブナーの三名は、演習への参加を禁止します」
 少年たちのどよめきの中で、ヴァルトラントは安堵と落胆の息を吐いた。初めての大演習に参加できないのは残念だが、とにかく班員たちには累が及ばずにすんだのだ。
 見ると、アラムもほっとした表情をこちらに向けている。ヴァルトラントは軽く口元をほころばせて、彼にうなづいた。
 ところが、教官の判決にはまだ続きがあった。
「――と、言いたいところですが、この演習は生徒たちの自主性に任せることになっています。君たちが今後揉め事を起こさないと約束できるなら、今回に限り見なかったことにしましょう」
 そう言い終えると、デューラはいたずらっぽく口の端を持ち上げた。少年たちの顔が明るくなる。
「中尉!」
 少年たちの喝采が起こるより早く、ヴェスプッチが声を上げた。スパルタ方針の彼にしてみれば、デューラの判断は「甘すぎる」と言いたいのだろう。
 しかしデューラはそれを無視した。生徒たちの顔を覗き込んで、念を押す。
「できますか?」
 一年生たちは、一も二もなく約束した。

 そして騒ぎから四時間が過ぎた。
 アラム率いる《森の小人》軍の運搬部隊は、なんとか無事に運べる荷物を全て運び終えていた。《基地》の設営もつつがなく進み、あとは糧食の到着を待つばかりとなっている。
 乱闘の際に散らかった糧食のパックを片づけた一年生たちは、いまは整然と積み上げられたパレットケースの周辺にたむろし、司令本部から糧食を積んだヘリが到着するのを首を長くして待っているところだ。
 そう、少年たちの首はすっかり伸びきっていた。疲労と空腹でいまにも倒れそうだった。いつもならとっくに夕食を終えている時間だというのに、食事の摂れる目処さえたっていないのだから。
 少年たちは凍土の荒地で身を寄せ合い、一分一秒の長さを実感していた。時折交わす言葉も、すぐにけだるい空気に呑みこまれて長続きしない。さすがに《鬼教官》もそんな彼らを憐れに思ったのだろう。ただ苦虫を噛み潰したような顔をするだけで、いつものように「しゃんとしろ!」と言って少年たちの尻を叩くようなことはしなかった。
 そんなへたれきった少年たちの中で、四匹の《グレムリン》たちだけは比較的元気だった。彼らは無気力な空気を嫌ってか、級友たちから少し離れた処に座り込み、食い入るように空を見ている。
 その熱心さが、ラリーとベルントの好奇心を刺激した。
 二人は少し離れたところで《グレムリン》たちの様子を観察していたが、ついに堪えきれなくなって腰を浮かせた。ヴァルトラントの傍へ這い寄り、遠慮がちに声をかける。
「何やってんの?」
「ヘリが現れる瞬間を待ってる」
 空に目を向けたまま、ヴァルトラントは答えた。神経を目に集中していたため、ついぶっきらぼうな物言いになってしまった。そのことに気づいた彼は、すぐに言葉を足した。
「まあ、ちょっとした訓練を兼ねた遊びかな。ヘリがどの方向からやってくるのか推測して、それが当たるかどうか試してるんだ」
「はあ……」
 班長の返事に、七班のお調子者コンビは首を捻った。そうすることに何の意味があるのか理解らない。まあ、飛行機や航空に興味がない者としては、普通の反応か。
「だってヘリは司令本部からくるんだろ? あっちから来るんじゃないの?」
 そう言ってベルントは司令本部のある方向を示す。ここからだとちょうど南東の方角だ。
 だがヴァルトラントは首を横に振った。やんわりとした口調で説明する。
「そうとは限らないよ。空にも道があるんだ。特に《ヴァルハラ》は宇宙港があるから、航空機の往来が多い。込み具合によっては、ぐるっと迂回することになる」
「へえ、そうなんだ」
「さすが航空隊育ち! 詳しいねぇ」
 航空の知識はとんとない少年たちが感心した。この遊びに興味を持ったのか、好奇心に目を輝かせて訊ねる。
「で、予想ではどの方向なんだよ」
 ヴァルトラントはついと腕を上げると、一方向を指差した。
「南東」
「――って、俺が言ったのと同じじゃねーかっ」
 ベルントがこけた。
 いたずらっぽく目を細めただけで彼の突っ込みをスルーしたヴァルトラントは、推測の根拠を披露する。
「確かに航路はあるんだけど、低空で飛べるヘリはそれほど制限を受けないんだよ。軍用機だし『緊急』で飛行計画書ノータムを出しておけば、《フギン》の管制も最短コースの飛行を許可してくれるはずだ」
「ふーん」
 さほど実感できない様子でラリーとベルントはうなづく。
「じゃあさ――」
「来た」
 何か言いかけたラリーの声に、別の声が重なった。それまで黙って一点を凝視していたアラムだ。
「〇時方向、プラス一五」
 アラムは一点に目を向けたまま、簡潔に報告する。指差しなどしない。だがヴァルトラントにはそれで充分だった。瞬時に目的のものを見つける。
「二機編隊、到着までの時間は――およそ七ないし八分てとこか」
「だな」
 ヴァルトラントの予測にアラムが肯いた。
「見えた!」
「俺も!」
 同じように目を凝らしていたミルフィーユとフィリップも歓声を上げた。だがラリーとベルントにはさっぱり見えない。
 二人は満足げに微笑む《グレムリン》たちの後ろで、お互いを確認するよう囁きあった。
「何も見えないよな?」
「うん……。こいつらどんな視力してんだよ」
 驚嘆する少年たちに、振り返ったヴァルトラントが苦笑を見せた。
「別に普通だよ。遠くを飛んでる航空機を探すのに慣れてるだけ」
 アラムと自分は戦闘機パイロットとしての訓練を受けている。敵機の動きを把握するために、レーダーだけには頼らず目視を行うことも多い。ミルフィーユとフィリップはパイロットではないが、飛行場で離着陸する機を見ているうちに鍛えられたのだろう。
「あそこ。じっと見てて。ときどきキラッと光るから」
 ヴァルトラントの指先を追った少年たちの目に、幾分色濃くなった群青の空が飛び込んだ。そのまましばらく目を凝らす。
「あ――」
 ラリーがかすかに声を上げた。一瞬、樹海の上空で何かが光った。
 かと思うと、数秒後にはかすかな点となった。そして時を追うごとに確かな、はっきりとしたものになる。
「見えた!」
 ラリーとベルントが喜びの声を上げた。そこへ、ヴェスプッチ教官の号令が響き渡った。
「集合!」
 待ちわびていたヘリの到着に、一年生たちは空腹も忘れて教官のもとへと駆け寄った。

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