■針とパズル■page 3

Chap.3
 交換作業は簡単に済む――と、幼年学校側の誰もが思っていた。
 生徒四〇〇人分の三日分――およそ三六〇〇食のパックを収めたパレットケースの数は、全部で六〇。一日分の予備入れても八〇箱だ。それを《森の小人》、《蒼い狼》の各軍で分け合っている。交換はそれぞれで行うことになっているため、実際は四〇箱ほどを積み替えるだけでいい。それなら一年生だけでも充分に対応できる。
 それに交換の交渉にあたったデューラ教官の話によると、問題の糧食は廃棄処分される予定のもので、交換後は再生処理センターへ直接運ばれることになっているという。
 あとは捨てるだけとあって、受け渡し時の確認は形式的なもので済むはずだ――と、生徒のみならず、教官たちでさえ考えていたのである。ところが――。
 新しい糧食を届けてくれたカリスト司令本部補給部のディッキンソン大尉は、その予想を裏切って、返品の数を確認させろと要求してきた。
 即断が苦手なプファイファーが、「どうしましょう?」とばかりにデューラ教官を振り返る。教官は《蒼い狼》軍の物資管理担当のヤンソン教官と連絡をとった上で、首を縦に振った。
 大尉の要求は当然のものだ。本来なら誤送品は一度返納する決まりである。それを緊急ということで、特別にその手順を省いてもらっている。「この場で確認させろ」と言われて「イヤです」は、あまりに不義理だろう。
 それに一度パレットを開封し、一二個単位でまとめられているパッケージをばらしている。数が合わない可能性があると思われても仕方がない。消耗品の糧食とはいえ軍の財産だ。軍としては個人に支給した糧食がどう「消費」されようとさほど気にも留めないが、支給する前のものはひとつたりとも「紛失」するわけにはいかないのだろう。
「了解りました」
 教官の助言により要求を呑んだプファイファーに、ディッキンソン大尉は満足そうにうなづいた。
 するべきことが決まれば、後は実行するのみ。プファイファーは、運搬を担当する下級生に向き直って指示を出した。
「パレットケースからレーションパックを取り出し、高さを揃えて並べろ。そしてそれと平行して、新しい糧食の運搬も始めるように」
 本陣である《基地》で待つ者たちに、一刻も早く糧食を届けてやりたい。
 作戦は早朝より始まる。すぐにでも食事を終わらせ休息を摂らないと、少年たちの体調、果ては戦果に響いてくるのだ。
 ところがディッキンソンは、二つ目の指示に待ったをかけた。
「待て。パレットケースはそのままで、中身だけを交換してほしい」
「え、中身だけをですか?」
 面倒な注文に、プファイファーは思わず非難めいた口調で聞き返した。眉間には焦りの色が浮かび、その目は「勘弁してくれ」と訴えている。
 中身だけを交換ということは、いったん新旧全部をパレットから出して詰め直すということだ。余計な手間が増えるばかりか、作業中の混乱は必須である。糧食の種類は新しいものが《陸戦隊》仕様、古いものが《航空隊》仕様――とパッケージの色が違うため、両者が混じってしまうことはまずないはずだ。ところが、初演習であり、全てにおいて経験が不足している一年生たちのやることだ。何らかのミスやトラブルのひとつふたつ起こり得る可能性は限りなく大きい。
 しかし大尉は頑として譲らなかった。こちらも融通を利かせたのだから、そちらも利かせろ――と言い張った。挙句の果てには、できないと言うなら交換分と返納分の全部を引き上げる、とまで言い出す始末だ。
 そんな脅しをかけられては、呑まざるを得ない。まだ幼い生徒たちにとって、食料は武器よりも大事だ。
「ヘリから降ろした分も、開封して並べるように……」
 プファイファーは怫然とした表情で指示を修正した。大尉と先輩のやりとりを傍で見守っていた一年生たちから、げっそりとした吐息が洩れる。大尉は寛大な心でそれを無視した。つまり命令を撤回するつもりはないということだ。少年たちは渋々ながらも担当を決め、作業にとりかかった。
 側面を森に向けているトラックと並行するように、ヘリは停まっている。森から見ると、トラックの向こう側になる。両者の間は三〇メートルほど空いており、そこがそれぞれの荷物を広げる作業場となった。
 ヘリの貨物室前に並んだアラムたち五班は、搭乗員から渡される荷物を次々に受け取っては森に向かって右手側の空き地に並べていく。それをフィリップとミルフィーユの三班が開封する。
 ヴァルトラントの七班は返納分を受け持った。トラック前に積まれたパレットケースを何列かに並べ、中を取り出しては糧食のパック六〇個で一塊とした小山を築く。できた山から、ディッキンソン大尉立会いのもとにプファイファーが伝票と返品分の実数を照らし合わせた。
 ヘリとトラックの間に、糧食の小山が並んだ島がふたつ生まれていく。
 フランツたち九班がそれぞれの島を往復し、空になったパレットを交換した。もちろん、混ざってしまわないよう置き場所は離してある。
 エックハルトの一班は二手に分かれ、今度は入れ替えたパレットケースに糧食を梱包しなおす。しかもディッキンソン大尉の前だからか、やけに積極的だ。
「エンリケ! そっちが済んだら、次はこっちを頼む! マルティンはあっちだ」
「了解!」
 存在を誇示するためか、やたら張り切って声をかけあうエックハルトたちに、ベルントが冷ややかな視線を向ける。
「ったく、いい気なモンだ。こっちはおまえらのお蔭で、余計な作業させまくられて迷惑したってのによ」
「ホント。今日だけで何回コイツを入れなおしたことか。ったく、呪われてるとしか思えないよな」
 相棒のぼやきに、ラリーがすかさず合いの手を入れた。森の中と喧嘩騒ぎ――そのどちらの時にも、彼らは後片づけをさせられている。腹立たしさもひとしおだろう。
 そんなおちゃらけコンビに、班員たちが同情する。ベルントとラリーは調子に乗ってさら続けようとしたが、たまたまそばを通ったヴェスプッチ教官に睨まれ、慌てて口を閉じた。
 しばらくの間、七班の少年たちは黙々と作業に徹した。しかし疲労と空腹も限界に達しようというところ。集中力もそう長くは持たない。
「だいたいさー、何で中身だけ入れ替えろなんて言うんだ?」
 ポツリ――と、班員の一人であるマティアス・ボロディンが呟いた。
「そりゃあ、記録ログを汚したくないからだろ?」
 ラリーが「なに当たり前のコト訊いてんだ?」といった口調で答える。
 だがマティアスにはその答えがピンと来なかったようだ。彼の家系に軍人はいない。そのため基地育ちの《グレムリン》やおちゃらけコンビと違って、軍隊の悪しき慣習には疎かった。かすかに眉根を寄せて首を捻るばかりだ。
「ミスした痕跡を残したくないんだよ」
 ヴァルトラントがラリーの答えを補足した。
「民間の運送会社と同じで、《機構軍》の輸送用パレットにも運搬用の認識票タグの他に、そのパレット固有のIDがついてるんだ。そのIDを検索すれば、いまそのパレットがどこにあるか、何か入ってるのか、または空なのか、どこへ行こうとしているのかが判るようになってる」
 ここでヴァルトラントは一旦区切り、マティアスの反応を窺った。彼が「理解できている」とばかりにうなづいているのを見ると、自分もうなづき返してさらに説明を加える。
「そこでタグのつけ間違いやデータの入力ミスかなんかで、AとBの荷物を逆に配送してしまったとするだろ? 当然それぞれ正しいものと交換するんだけど――地方の補給隊なんかでは、司令本部みたいに返納したりしないで現地同士で直接やりとりして交換することがちょくちょくあるんだ。そのときパレットごと交換するんじゃなく、中身だけを入れ替える――すると、伝票上では初めから正しい荷物が配送されていたことになるってワケ。こうすると輸送費も浮くし、ミスした痕跡も残らない、一石二鳥――ってね」
 七班の班長は言い終えてニヤリと笑う。琥珀色の瞳が自嘲めいた色を帯びた。いま説明したことは、近隣の小基地への補給経路になっている《森の精》ヴァルトガイストでは、しばしば見られる光景だった。
「誰だって、失敗したことは知られたくないモンな。何回もやると昇進に響くし。ゴマかせるところはゴマかしたいさ」
「んだんだ。軍人なんて、星掴んでナンボだからなー。出世できなきゃ使い捨て」
 親たちの受け売りだろうか、おちゃらけコンビが訳知り顔で言い放つ。
「使い捨て……」
 マティアスは絶句し、なんとも情けない顔になった。どうやら今日も、彼の中で「幻想」が崩れ落ちたらしい。
 入学した当初、彼は軍隊というものに「正義の味方」めいた幻想を抱いていた。恐らく、大好きなヒーロー映画の影響と、「《惑星開発機構・警備局》は、太陽系の人々を守るために、清く正しい活動をしています!」という《機構》のプロパガンダに、まんまとハメられてしまったのだろう。ヴァルトラントたちにしてみれば、敵の裏をかくことばかり考えている連中の、どこが清く正しいのかというところだが。
 それはともかく、自分も立派な軍人となって、弱き者たちを守りたい――そんな決意に燃えて、マティアス少年は幼年学校の門をくぐった。だがそこで待ち受けていたのは、理想とかけ離れた現実であった。
 軍人家系の級友や先輩たちは、内部事情にこれでもかというくらい通じている。それこそわくわくするような英雄譚もあれば、世間には伏せておきたいような内部の事件と様々だ。特に悪い話になると、話題に事欠くことがないほどだ。
 どこそこの将軍は、どこぞの政治家とつるんでおこぼれに与っていたが、政治家の立てた成功率三割以下というクソ作戦を実行させられ自滅した。つるむ政治家は、慎重に選ばないといけないな――とか、どこやらの将校は下級兵のように、どうでもいい備品をくすねてはオークションで小金を稼いでいるが、どうしてもっと大物をくすねないのか。セコくて肝の小さいヤツだ――とか、どこかの航空隊では賭博が横行しているばかりか、新入隊員をいびり倒して何日で追い出せるかといった賭けをしている。鬼姑も真っ青だ――とかとか。
 こういった「清く正しい」どころか腐れ切っている暴露話が、マティアス少年の幻想を容赦なく打ち砕いた。それでも幻滅しきって「もう学校をやめる」と言い出さないところをみると、それなりに受け入れることはできているのだろう。
 肩を落とす少年の背を軽く叩いて、ヴァルトラントが励ました。
「まあ、このくらいの隠蔽なんてかわいい方だよ。上層部になると、もっと悪辣なことやってるから」
 わずかに残っていたマティアスの幻想のかけら――《希望》が、砕け散る。
 《小悪魔》グレムリンどころか、鬼だ!
 マティアスも含めた班員たちが、邪気のない笑みを浮かべている班長に畏怖の目を向けた。
 その直後。
「あれ?」
 傍らで黙々と作業に徹していた副班長のディーターが声を上げた。その不審げな声色に、ヴァルトラントの笑みがさっと引っ込む。形のよい眉を顰めて、彼は声の主を振り返った。それにつられて班員たちの視線も忙しく移動する。彼らの目にパレットの中をじっと覗き込んでいる副班長の姿が映った。
「どうした?」
 ヴァルトラントはわずかに緊張した声で訊ねた。ディーターが顔をしかめながら言葉少なに答える。
「……ひとつ足りない」
 ヴァルトラントは思わず息を呑んだ。それが事実ならマズイことになる。慌ててディーターのもとへ移動し、彼が扱っていたパレットケースと取り出したものを確認する。
 ディーターの前に積み上げられた《航空隊》仕様の青いパックは、確かにひとつ少なかった。
 初めから足りていなかったとは考えにくい。
 基本的に業者から納入される小さな消耗品は、一定量を一纏めにしたパッケージに収められている。糧食もこれに当てはまり、《陸戦隊》一個分隊の定員数と同じ一二個をプラッスチックフィルムで留めたものが一パッケージとなっている。
 しかし今回は発注が大量のため、それをさらに大きなパレットケースに五つ詰めて発送された。元々一二個の塊が五つ――ひとつだけ足りないということなどありえない。
 だから生徒たちは補給部隊から受け取ったとき、パレットの数は確認したが中の数までは数えなかった。そのせいで中に種類違いや消費期限の切れたものが入っていることに気づかず、森を往復するはめとなったのだが。
 それはそれとして、現に足りていないのだ。ならば受け取った後に減ったと考えるのが妥当だろう。
 だとしたら、どこでなくなったんだ――。
 ヴァルトラントは考えつく限りの可能性を検証してみた。
 一度、配給するためにプラフィルムを外している。ひとつだけ紛失するとすればその後か。みんな他の作業があるので、ほとんどの時間これらのパレットは放置状態だった。その隙に抜き取ろうと思えば抜き取れなくはない。
 また、いくつかのパレットは中身をぶちまけている。そのとき全部を回収したつもりで、本当はできていなかったのかもしれない――。
「一班の誰かがくすねたんじゃねーの?」
 棘のあるラリーの声が聞こえてきた。ヴァルトラントは思考の海から脱しきれずにぼんやりとした目を、向こうで作業しているエックハルトたちに向けた。
 果たしてそうだろうか。
 確かに荷解きを担当していた一班なら、抜き取る機会もあっただろう。喧嘩騒ぎの件もある。しかし、それにしては彼らの態度は平然としすぎている。普通自分のやったことがバレそうになれば、盗ったものを戻そうとしたり、見つからないようにしたりと、何らかのリアクションを起こすはずだ。なのに何事もなかった様子で作業に打ち込んでいる。
 よほど肝が据わっているのか――と考えて、すぐに否定する。アラムやおちゃらけコンビならともかく、一班のメンバーにそんな度胸があるとは思えない。
 一班への疑惑は一旦保留し、ヴァルトラントは足元に積まれている糧食へと視線を戻した。
「――?」
 ふと、目の端を横切ったものが記憶に引っかかった。
「待てよ」
 あることに気づいたヴァルトラントは、おもむろにディーターの手から空パレットを取り上げた。手の中でくるくると回して、目的のものを探す。
「やっぱり……」
 合点がいったとばかりにヴァルトラントは呟いた。だがその口調は沈み気味だ。この推測はあまり当たってほしくない。
「ヴァルティ?」
 ひとりで納得している班長に、ディーターが説明を求めた。ヴァルトラントは副班長に目を向けると小さくうなづき、パレットの一点を指し示した。覗き込んだディーターが首を捻る。その意味が理解らなかったのだろう。
 それはパレットケースのIDだった。
 ヴァルトラントはそのIDに見覚えがあった。喧嘩騒ぎの片づけの際、自班のひとりが扱っていたものだ。
「ジアンニ」
 ヴァルトラントはその少年――ジアンニ・デヨングを呼びつけた。
「このパレット、喧嘩騒ぎの時ジアンニが片づけたヤツだと思うけど?」
「ほえ? えーと……」
 指摘された少年は間の抜けた声で返事すると、のんびりとした動作でIDを確認した。彼が記憶を手繰り寄せるまで一〇秒ほど。その間をヴァルトラントは根気強く待った。
「うん、この数字はそうだね。僕がやった」
 ようやく答えが返ってくると、すぐさま次の質問をぶつける。
「そのとき、ちゃんと六〇個数えた?」
「……えー、どうだったかなぁ」
 ジアンニは首を傾げた。反応が鈍い上に、間延びした口調に苛々する。だがヴァルトラントはそれも堪えた。この少年に「打てば響く」といった反応を求めてはいけない。
「ごめん……覚えてないや。その時、君たちが喧嘩で消費したカロリーの計算をしてたから」
「ええっ、カロリー? なんで、そんなもの計算するの?」
 突拍子もない答えに、ヴァルトラントは思わず聞き返してしまった。しかし次の返事で後悔した。
「え、なんとなく……」
「――って」
 どうして、こんなのが幼年学校に入れたんだ――っ!?
 ヴァルトラントは心の中で絶叫した。もちろん理由は判っている。だがそれでも叫ばずにいられなかった。
 ジアンニには「なんでもかんでも計算したがる」という変な癖があった。興味のある計算なら、どんな複雑な問題でも答えを求めようとする。そして求められた答えは常に正確だ。その才能を買われて、彼は幼年学校に入学した。
 武器を取って戦うだけが軍人の仕事ではない。宇宙船の航路計算や、弾道の計算。新しい宇宙ステーションを建設する際には、適切な位置をさまざまなデータを元にして求める。それらは大抵コンピュータが計算するのだが、それにはその元となる計算式をあらかじめインプットしておく必要がある。ジアンニの才能は、その分野で素晴らしい功績を上げられるはずだ。しかし。
 どうせ計算するなら、目の前の糧食の数を計算してほしかった――。
 ヴァルトラントはがっくりと項垂れた。全く、泣きたい気分になる。
 だが泣いてる場合ではないのだ。脱力しながらも、ヴァルトラントは可能性を絞り込んでいく。
 ジアンニが怪しいとなれば、彼の作業していた周辺が臭い。彼はどこで作業していた――?
 ヴァルトラントはその時の状況を思い起こし、班員の位置を確認した。
 自分はトラックから離れた荒野側で、おちゃらけコンビはその近く。ディーターは真ん中あたりで独りで黙々と。そしてジアンニは荷台のすぐ脇だ――。あの辺りはトラックのすぐ近くまで、糧食のパックが転がっていた。
 そこまで考えて、ふと気づく。
 トラック脇に積まれていたパレットは、崩れた拍子に中身を広範囲に撒き散らした。さらに取っ組み合う少年たちの足が、糧食の小箱を蹴りまわっている。カリストの重力は小さいため、ちょっとの力でもかなり遠くまで弾いてしまう。
 もし車体の真下にまで入り込んでいたら、気づかないかもしれない――。
 ヴァルトラントは弾かれたように顔を上げた。トラック、そしてその下方へと目を向ける。地面と車体との間にある五〇センチメートルほどの隙間は、陰になっていてここからではよく見えなかった。
 今度は何気ない素振りで振り返り、ディッキンソン大尉の位置を確かめた。ヘリに近い方から三列目の真ん中辺りにいた。問題のパレットは最後の方のものだから、順番が来る前に車体下を確認して帰ってくるぐらいの余裕はありそうだ。
「もしかしたら、トラックの下に残ってるかもしれない。ちょっと探してくるから、みんなは続けてて。チェックの順番が来そうなら、巧くゴマかしといて」
 小声でそう指示すると、ヴァルトラントはそっとその場を離れた。素早くトラックの向こう側へと回り込む。新しい糧食を積んだキャリアを押して森に向かっていたフランツたちが、何事かと目を丸くした。だがヴァルトラントが口元に人差し指を当てると、察しよく見て見ぬ振りをしてくれた。これがエックハルトたちなら、こうはいかなかっただろう。
 死角に入ったヴァルトラントはつかのま肩の力を抜いたが、すぐに気合を入れなおすと、四つん這いになった。頬を地面につけるようにして、荷台の下を覗き込む。じっと目を凝らしながら、少しずつ前進した。
「あった!」
 三分の二ほど進んだところで、ヴァルトラントは探し物を発見した。勢いよく弾かれたのか、荷台下のこちら近くまで飛ばされている。しかし手を伸ばすだけでは届かなかった。
 少年は腹這いになって車体の下に潜り込んだ。手の届くところまで匍匐前進する。
「よしっ」
 パックを手に掴み、外へ出ようと後退りかける。そのとき、いきなり足首を掴まれた。驚いて頭を跳ね上げた少年の目に、火花が散った。
「――っ!」
 したたかに後頭部を打ちつけた。あまりの痛さに悶絶する。そんな少年を、足首を掴んだ手は容赦なく荷台の下から引きずり出した。
「こんなところで何をしている? 手に持っているものはなんだ?」
 もうお馴染み――ヴェスプッチ教官の声が、伸びきった少年の背に降ってきた。
 ああ――。
 ヴァルトラントは心の中で絶望の声を上げた。こっそりと戻すつもりだったのに、見つかりたくない人に見つかるとは、あまりにもお約束すぎるではないか。
「早く立たんか」
 ヴェスプッチはなかなか起き上がろうとしない生徒の襟首をむんずと掴むと、一気に上体を引き起こした。上着の襟ぐりが喉に食い込む。
 窒息しそうになったヴァルトラントは、慌てて自力で立ち上がった。肩で息を整えながら、恨めしげな目を教官に向ける。
 そんな彼の視線を、ヴェスプッチ教官は無表情で受け止めた。鋭く細めた目で少年の瞳を覗き込みながら、質問への返答を待つ。
 いまヴェスプッチに突っかかっても意味がないと悟ったヴァルトラントは、糧食のパックが足りないことに気づいたところから、ここに至るまでの経緯を素直に説明した。下手に誤魔化すのは却ってよくないと思った。エックハルトたちのように、糧食をくすねようとしていたと誤解されかねないからだ。班長として班員の作業ミスを見逃した責任を問われるだろうが、ねこばば疑惑をかけられるよりはましである。
「――で、予想通り、荷台の下でこのパックを発見した次第です」
 直立不動の姿勢で説明し終えた少年は、確認しろとばかりに掴んだままの糧食パックを胸の位置まで持ち上げた。
 教官はヴァルトラントをひと睨みしただけで、無言のまま彼の掲げた青い《航空隊》仕様のパッケージを手に取った。何度かひっくり返しては、異常がないか確認する。が、ふと怪訝そうな表情を浮かべると、鋭い視線をヴァルトラントに向けた。
 何かを訊ねるような教官の目は、ヴァルトラントが森の中で覚えた不安を蘇らせた。
 教官も、この糧食が何かおかしいと感じたんだ――。
 直感的にそう確信する。しかし敢えて口には出さなかった。ただじっとヴェスプッチの目を見つめ返した。
 少年の眼差しを受け止めた教官は、つかのま逡巡してから口を開いた。
「……このタイプの糧食は食べたことがあるか?」
 唐突な質問だったが、ヴァルトラントにはその意図が判った。
 教官は探りを入れている――。
 しかしヴァルトラントは自分の感じた不安を訴えず、額面通りの答えを返した。
「はい、何度か食べたことがあります」
「そうか……」
 そう呟くと、ヴェスプッチは再び押し黙った。そしてまた何やら考えを巡らせる。その間も青灰色した彼の瞳は、ヴァルトラントの顔に向けられたままだ。その見透かそうとする視線は、少年を落ち着かなくさせた。
 早く目を逸らしてほしいとヴァルトラントは願う。だがその気持ちさえも見破られているのか、教官はますます食い入るように見つめてくる。
 時間が果てしなく続くように感じられた。だがそんな状態が永遠に続くわけもなく――。
 少年が感じていたよりも短い時間ののち、教官は一度目を閉じた。そしてかすかに息を吐くと目を開き、またもや唐突に問い質した。
「美味いか?」
「はいぃっ?」
 予想もしなかった質問に、ヴァルトラントは思わず目を瞬かせた。だがすぐに我に返ると、勢いよく肯いた。
「あ、はいっ。自分は美味しいと思いますっ」
「そうか……」
 教官は先ほどと同じ言葉を、今度は唸るように呟いた。そしておもむろに踵を返した。そのまま運転席の方へと歩き出す。残された少年はどうしていいのか判らず、戸惑った表情を浮かべて教官の行動を見ているしかできなかった。
 運転席のドアに辿り着いたヴェスプッチは、ドアを開けると上半身を車内へと突っ込んだ。何やらゴソゴソやっていたが、ほどなく上体を戻すと、立ち尽くしている少年を手招きした。
 呼びつけられたヴァルトラントが走り寄る。その間にヴェスプッチはしゃがみ込んで、手にした糧食のパックを地面にこすりつけた。
 教官はいったい何をしているんだ――?
 今度はヴァルトラントが怪訝な顔をする番だった。しかし駆け寄った生徒に、教官は何の説明もしなかった。ただ地面にこすりつけたパックをぶっきらぼうに押しつけて言う。
「これを返しておけ」
 ヴァルトラントは思わず手の中を覗きこんだ。青いパッケージは、傷だらけになって表示が読み取れなくなっていた。しかしどうも、さっき教官に渡したものとは微妙に違う気がした。
 確認しようと教官の顔を見上げかける。が、彼の視線は途中で止まってしまった。そのままそこへ釘付けになる。
 ヴェスプッチが背にした運転席のシートに、彼の背嚢が投げ出されていた。その口元から、青い箱がわずかに顔を覗かせている。
 アレがさっきのヤツだ――。
 パッケージの表示を見ることはできなかったが、ヴァルトラントはそう確信した。そして「なぜ教官がもうひとつ《航空隊》仕様の糧食を持っていたのだろう」と考えかけ、その理由となりそうな噂話を思い出した。
 先輩たちの話によると――幼年学校の教官たちも、演習中は生徒たちにつきあって携帯糧食で食事を済ますことになっている。だがメニューまでつき合うつもりはないらしく、教官たちは不味いと定評の《陸戦隊》仕様ではなく、比較的美味と云われる《航空隊》仕様のものをこっそり食べているらしい――というのだ。
 そのときはヴァルトラントも、級友たちと一緒になって「ずるいーっ!」と不満の声を上げたものだ。だが決定的証拠を前にした現在いま――さすがに「ずるい」などと言ってる場合ではなかった。
 ヴェスプッチ教官は、糧食を自分の持っていたものとすりかえたんだ。でも、どうして――?
 その意図を読み解こうと、ヴァルトラントの頭がフル回転する。しかし答えを導き出すより先に、彼の視線に気づいたヴェスプッチが口を開いた。
「ああ――いや実は……このタイプは食べたことがない。一度試してみたくてな」
 そう言い訳するが、ヴァルトラントは真に受けなかった。「食べてみたいから」――そんな理由でパッケージをすりかえるのは《グレムリン》のやることだ。生徒に対してだけでなく、自分にも厳しいはずの《鬼教官》がすることではない。
 それにヴェスプッチ教官はいつも「食い物など腹に溜まればいい。味は二の次だ」と豪語している。未食のものに興味を示すような性格ではないはずだ。
 だが、それは自分の偏見であって、本当は彼にもそれなりの好奇心があるのかもしれないではないか。
 いやいや。やはり何か考えがあって、教官はすりかえたのだ――。
 疑問がループしはじめ、ヴァルトラントはいったん追究するのをやめた。気まずそうに口元を歪めている教官に向き直ると、自分もぎこちない笑みを浮かべて曖昧にうなづく。
 《グレムリン》が自分の言い訳を信じたと思ったのだろう。ヴェスプッチは安堵したように、わずかに肩の力を抜いた。しかし思い出したようにいつもの渋面を作ると、早く行けとばかりに手を振った。
 なんでも首を突っ込みたがる《グレムリン》にとって、ヴェスプッチの行動と糧食の謎は大いに気になるところだ。もう少し彼の言動を観察したいと思う。
 だがその一方で、「この件には関わるべきではない」という思いも膨らんでいく。
 背反二律する気持ちに逡巡したヴァルトラントだったが、結局無難な方を選んだ。気をつけの姿勢で教官に敬意を表すと、そそくさとその場を離れた。
 抜け出した時と同じように、こっそりと作業場に戻る。彼の帰還に気づいたディーターが、最後のパレットを開封する手を止めて訊ねた。
「どうだった?」
 期待と不安の色が混じった表情の少年に、ヴァルトラントはいたずらっぽく片目を瞑って応えた。先ほどの不安は微塵も見せない。
「あったあった。結構地面を滑ったみたいで、傷だらけになってるけど」
「真ん中に置けば大丈夫」
 ディーターはそう言ってヴァルトラントからパッケージを受け取ると、作り始めていた糧食の山の中央付近に置いた。そしてその上にパレットの残りを積み上げる。すると、一見しただけではどれが傷だらけのものなのか判らなくなった。
ばっちりグート!」
 副班長に向かってニヤリとする。ディーターも口の端を持ち上げる。が、ふと何かに気づくと、慌てたように笑みを引っ込めた。ヴァルトラントは反射的に振り返った。
 ディッキンソン大尉がプファイファーを連れて、こちらへやってくるところだった。
 バレた――!?
 ヴァルトラントの背中に冷たいものが走る。
 しかし大尉は数歩進んだだけで立ち止まると、足元に積み上げられた糧食の山に目を落とした。どうやらそれまでの列の確認が終わり、次の列に移ろうとしたところだったらしい。少年たちは密かに胸を撫で下ろした。
 そうこうするうちに検査は進み、大尉がついに例のひとつ足りなかった糧食の山へとやってきた。
 ハラハラしながら見守る班長に、無口な副班長が言葉少なに囁きかけた。
「大丈夫。あっちにはこいつの分を足しといた」
 そう言って足元の山を軽く蹴る。さすが《グレムリン》の率いる七班の副班長だ。やることに抜かりはない。
「……五九、六〇。確認しました」
「よろしい」
 数を読み上げたプファイファーに、ディッキンソン大尉がうなづく。例のパレットは無事通過できたようだ。
 問題は、ヴェスプッチがすりかえたパッケージの混じった最後の山だ。
 ヴァルトラントを始めとする七班員は、固唾を呑んで点検の様子を見守った。知らずと手が祈るように揉み絞られる。
「全て異状ありません」
 やがて、数え終わったプファイファーの声が作業場に響いた。そこへ大尉の満足げな声が続く。
「よろしい。すぐに再梱包して、ヘリへ積み込むように」
 少年たちの祈りが天に通じたのか、異状に気づかれることもなく問題の糧食は検査に合格した。ヘリへと向かう大尉を見送っていた七班員の口から、思わず安堵の息が洩れる。後は何食わぬ顔でパレットの底に詰めれば偽装工作完了だ。
 梱包をディーターに任せたヴァルトラントは、窺うように周囲を見回した。
 アラムたちの方は随分と作業が進んでいた。ヘリから降ろした荷物の半分以上が、すでに運び去られている。残りもほぼ再梱包が済み、運搬されるのを待つばかりだ。手の空いた者はこちら側へ回り、ヘリへの積み込みに取り掛かっていた。
 エックハルトたちも相変わらず張り切っている。そのせいで、どうやらこちらの動きには気づかなかったようだ。
 フランツたちには後で「他言無用」と釘を刺しておく必要があったが、見逃してくれるぐらいなので大丈夫だろう。
 あとはもう、アクシデントなく演習が終わることを願うのみ――。
 ヴァルトラントは深呼吸して頭の片隅でもやもやとしている不安を吐き出すと、祈りを込めて一段と色濃くなった空を見上げた。そんな自分をデューラ教官が見ていることなど、まったく気づきもしなかった。

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