■針とパズル■page 4

Chap.4
 翌早朝、予定通り演習は開始された。
 生徒たちに与えられた時間は四八時間。その間に《森の小人》、《蒼い狼》の各軍は、お互いを攻略しなければならない。
 この場合の攻略とは、各軍《基地》司令部前に立てられた戦旗を奪取することである。
 《機構軍》における一般的な演習では、将来起こり得る戦闘を想定し、各部隊が攻撃側と防衛側に分かれてそれぞれの役割を演じることが多い。もちろん幼年学校においても、授業では軍と同様、ロールプレイング形式の演習を行っている。
 だが学期末の「統合演習」に関しては、その限りではなかった。
 どちらもが攻め、また守らねばならない――。
 これは熟練した指揮官でも頭を悩ませる課題だろう。なにしろ攻守のバランスをどうとるかによって勝敗が決するのだ。
 戦力は五分と五分。猪突猛進の一手で《基地》の防衛を疎かにすれば、敵にその隙を衝かれてしまう。かといって守りに徹するばかりでは、いつまでたっても相手を攻略することはできない。つまりどのように部隊を編成し動かすか、そして相手を出し抜く発想ができるかどうかが、攻略の要となる。
 初めの数時間は、各軍とも情報収集と陣地の固めに費やされた。両軍司令部が森のどのエリアに置かれているかはあらかじめ知らされている。《森の小人》軍は森の南東部、《蒼い狼》軍は北側中央寄りの北西部だ。だが詳しい座標までは明らかにされていないため、まず具体的な司令部の位置を探り出す必要があった。
 斥候隊が派遣され、安全に敵陣へと進める道を探し出す。敵に知られていない空き地を見つけると、そこに前進キャンプを設営する。そうやってゆっくりと、だが確実に己の陣地を広げていく。またそれに伴って、敵陣の様子も見えてくる。
 そして演習開始から半日が過ぎるころ、ついに敵軍司令部の所在が判明した。
 本格的な攻略の開始だ。
 敵防衛網の薄い部分を狙って攻撃を仕掛ける。だがどちらも損耗を恐れて充分な兵力を動員できず、相討ちとなることが多かった。無事生き残れたとしても部隊の再編成を余儀なくされ、そのまま進み続けることは困難だ。戦況は膠着し、いたずらに時と弾薬を費やすばかりとなった。
 このままでは埒が明かない――。
 《森の小人》軍司令官ボリス・オパーリン生徒長は、ついに大掛かりな作戦に出る決心をした。
 演習が開始されたころにはすでに傾きはじめていた太陽も、いまではすっかり稜線の向こうへ隠れている。それでも森の外では十数時間に及ぶ《逢魔が刻》の残照によって、まだ充分に人の表情も見分けられるだろう。だが樹々の枝葉に覆われた深い森の底では、一足早く夜の闇が訪れようとしていた。
 動くならいまだ。

 ヴァルトラントは昂ぶる気持ちを抑えながら、司令部天幕から飛び出した。背後でアラムや上級生たちが苦笑を洩らすがお構いなしだ。一秒でも早く、仲間や同じ中隊の先輩たちに吉報を届けたかった。
 司令部は先刻、彼の所属するG中隊の出撃を決定した。これまでずっと《基地》で飼い殺しにされていた者たちにとって、これが吉報と言わずしてなんと言おう。
 G中隊は《森の小人》軍の虎の子とあって、他の中隊より司令部に近い場所に置かれている。とはいえ、林立する巨木を避けながら進むとそこそこの距離にはなる。
 進んで伝令役となった少年は、薄暗い森の中を暗視ゴーグルも装着せずに駆け抜けた。まだぼんやりと樹の影が浮かんで見える程度には明るい。夜目が利き、周辺の様子を頭に叩き込んでいる少年には造作もないことだった。不意に現れる樹の幹にぶつかることもなく進んでいく。
「誰だっ」
 途中、誰何の声とともに人影が浮かび上がり、伝令の行く手を遮った。立哨にあたっていたディーターだ。
 ヴァルトラントはわずかに速度を落としはしたものの、立ち止まりもせずに立哨に近づいた。そして規定どおりの返事をする。
「ヴィンツブラウトだ」
 彼の語調に何か感じたのか、ディーターは素早く脇に避けた。その彼に向かって親指を立てた拳を突きつけながら、ヴァルトラントは通り過ぎた。「やった」という呟きとともに、ディーターの気合を入れる気配が伝わってくる。それがさらにヴァルトラントの気を昂ぶらせた。
 ほどなくひらけた場所に出る。G中隊の駐屯地だ。
 ひらけたといっても、司令部のように天幕など張る余地もないほどの小さな空き地だ。四〇人の隊員たちが全員横になって休むことはまずできない。そのため少年たちは、地面やバリケード代わりに積み上げたコンテナの上に座り込むしかなかった。
 森の樹をを支える大地は、「生きた」地衣類に覆われている。森の地下には熱い蒸気を運ぶためのパイプが張り巡らされている。そのため荒野より地温が高い。その熱が大地の凍結を防ぎ、地衣類の繁殖育成を助けているのだ。やがて充分に地衣類が根づけば、徐々に「樹」を人工のものから本物へと取り替えられることになっている。
 だがそれはまだ数十年先の話であり、現在地面を覆っている地衣類は、その上に腰を下ろしている少年たちにとって辟易させられるもの以外の何ものでもなかった。なにしろじっとりと湿気を含んでいる。防水加工された戦闘服のおかげで下着まで濡れることはないが、長時間座っているとお尻が冷たくなってくるのだ。
 上級生たちは年長者の特権を行使し、それぞれ小さなコンテナを確保してはそれに腰掛けている。割を食っているのは一年と二年の下級生たちだった。背嚢や体重をかけても壊れないような装備を敷いて、直接地面に触れないよう工夫して座っていた。みな待つことに疲れてぐったりと項垂れている。そんな連中に向かって、ヴァルトラントは弾んだ声をかけた。
「出撃だ!」
 待ちわびていたこの言葉に、無為な時間を過ごしていた少年たちは一斉に立ち上がった。包まっていた防寒用ポンチョから腕を頭上に突き出し、雄叫びをあげる。
「おっしゃーっ!」
「待ってましたぁっ!」
 はしゃぎ回る隊員たちを掻き分け、副中隊長のエーリク・タオがヴァルトラントに駆け寄ってきた。さすがに落ち着いてはいたが、それでも聞き返す声は期待に弾んでいた。
「ホントかっ?」
「はいっ。もうすぐヘデニック先輩が来られるはずです」
 ヴァルトラントは明るい声で応えた。タオだけでなくその場にいる者全ての視線がヴァルトラントの後方、司令部へ続く小径へと向けられる。
 直後、人影が浮かび上がった。確かに中隊長のユーリ・ヘデニックだった。彼は立哨から引き上げさせたディーターを伴い、軽い足取りで隊員たちの前へと進み出た。そしておもむろに口元をほころばせると、拳を高く突き上げた。その力強いパフォーマンスに、少年たちの歓喜は一気に爆発した。
 タオが満面の笑みを浮かべながら、相棒バディである中隊長の肩を叩く。それに応えてからヘデニックは口元を引き締め、もう一度隊員たちに向き直った。
 それまで声を上げていた少年たちが一斉に静まる。自ずから素早く整列すると、正面に立つ隊長の言葉を待った。
 ヘデニックは誇らしげな顔で隊員たちひとりひとりの顔を見回すと、一語一語を区切るように発音しながら指令を発した。
「これより、敵司令部へ向けて出撃する。各自装備を整え、一五分後にここへ整列すること。かかれっ」
 一瞬の間をおいて、少年たちは動き出した。自分の装備や、進軍に必要な機材の準備にとりかかる。
 一年生たちも自分たちが溜まり場にしている一角へ急ぎ、慣れない手つきで装備を身につけた。
 羽織っていた防寒用のポンチョを脱ぐと、戦闘服の上からボディ・アーマーを着ける。片方の耳にインコムをはめ、暗視ゴーグルを装着し、ヘルメットをかぶる。背には予備の弾や糧食、医療キットの入った背嚢、腰元のベルトにはペイント弾の詰まったマガジンポーチや、破裂すると塗料を撒き散らす手榴弾。
 みな自分の体力を考えて装備を整えたが、中には身動きしづらくなるほどぶら下げて、張り切りすぎだと先輩に注意される者もいた。しかし初陣を前にした少年たちたちだ。その程度で落ち着かせることなどできようはずもない。
「いよいよかー」
「ドキドキすんなぁ」
 与えられた小銃の動作を確認しながら、ベルントとラリーが興奮した様子で囁きあう。
 そんな二人を横目に、心配性のステファン・ヘライデが呟いた。
「でもG中隊の全部が出撃するってことは、ここは空っぽになるってことだよな。守りはどうなるんだ?」
「E中隊が来るから大丈夫」
 アラムとともに作戦会議に参加していたヴァルトラントが答えた。一年生でありながら作戦会議に参加するなど異例のことだ。しかし《森の小人》軍司令官は、《グレムリン》である彼らの経験と相手を出し抜く才能を高く評価して討議の席へと招いた。普通なら、そんなことをすれば「えこひいきだ」とか「一年生の分際で」といった声があがるところだ。しかし《森の小人》軍の隊員たちは何が何でも勝ちたいらしく、不平を言うどころか却って《グレムリン》の参加を喜んでいた。
 一方ヴァルトラントとアラムにとって、隊員たちの過剰な期待は重かった。経験といっても戦闘機による戦術レベルのものであって、白兵戦に関する知識はほとんどない。それでも二人は《いたずらっ子》グレムリンとしての能力で欠点を補いながら、考えつく限りの戦術を提案した。そして今回、そのひとつが採用されることとなった。
 もし失敗したら、《グレムリン》の面目は丸つぶれだ。それなりの自信はあったが、何が起こるか判らないのが戦場というもの。やはり若干の不安は残る。
 しかしそのような心の弱さを仲間たちに見せるわけにもいかず、ヴァルトラントは泰然とした構えを意識して保っていた。
 そんなヴァルトラントの努力に気づいていないステファンは、さらに疑問を重ねた。
「それじゃあ、今度は右翼がガラ空きになっちまうんじゃないの?」
「そこにはA中隊の一部が入るよ」
「はんっ、へタレのエックハルトがいるA中隊で、守りきれんのかよ」
 班長の説明に、クレイグ・デイヴソンが嘲りの声をあげた。一年一班が所属しているというだけで、彼のA中隊に対する評価は低かった。
 いや彼だけではない。G中隊全体にとっても、A中隊は疎ましい存在であった。そしてA中隊にとってのG中隊も然り。
 もともとG中隊長のヘデニックとA中隊長のビクトール・クラインは仲が良くなかった。そこへエックハルトと《グレムリン》の確執が加わったことで、両者の対立は一気に激化することとなったのだ。
 全寮制の幼年学校では生徒たちの統率を図るため、いくつかの組に分けられている。一番小さな単位が「班」だ。一年一班、二年二班といったふうに、各学年が十個の班に分けられている。
 そして一年生から五年生の班をひとまとめにしたものが「中隊」である。AからJまでの十個中隊があり、各学年の一班がA中隊、二班がB中隊と振り分けられる。つまりG中隊は、各学年の七班ばかりが集められて構成されている。
 同学年の横のつながりはもとより、上級生と下級生の縦のつながりを考慮してのものだが、派閥化を招く要因となっているのも否めない。まあそれはそれで中隊の結束を固め、他の中隊に負けないために切磋琢磨しようという前向きな気持ちを養う効果はあった。が、A中隊とG中隊のように、過剰な効果をもたらしてしまうことも少なくなかった。お互い「好敵手」と認めあえるか、はたまたただの「敵」となってしまうかは、隊長同士の仲の良し悪しにかかってくる。
 そして、統合演習の組分けは抽選で決められる。仲の悪い隊が敵軍になれば士気も上がるというものだが、運悪く味方同士となると目も当てられない。お互いが足の引っ張り合いとなってしまう。
 そしてG中隊とA中隊が同軍になってしまった今回、その傾向はすでに準備のころから見えていた。一年生の乱闘騒ぎがいい例である。
 頻発するトラブルに、《森の小人》軍司令官や参謀たちも頭を痛めていた。
 しかし、それも間もなく始まる作戦でなんとかなるだろう。敵の攻撃によって、恐らくA中隊は壊滅することになるはずだからだ。
 ヴァルトラントは作戦の詳細とA中隊の行く末が判っていたが、いまはまだ仲間たちにそれを告げることはできなかった。代わりに大きなヒントを与える。
「クレイグが《森の小人》軍うちを攻めるとしたら、E中隊とA中隊――どっちから崩す?」
「そりゃあ、A中隊だろ」
 ヴァルトラントの問いにクレイグは即答した。
 E中隊長のグスタフ・ミュラーは猛将タイプだ。闘いを挑めば手強いだろう。一方A中隊長のクラインは智将タイプで戦略的な采配を得意としたが、実戦となると粘りに欠ける。
 ただでさえ脆いA中隊が二手に分かれて配備される。攻め入るならば、ここを突き崩すのが手っ取り早い。
「じゃあ、《蒼い狼》軍もそう考えるはずだ」
「あ――」
 班長の言葉に、一年生たちは思い至ったように声をあげた。
 司令部はA中隊を囮にして、G中隊の動きから敵の目をそらせようとしている――。
 少年たちは、司令部の非情な決断に背筋を凍らせた。場合によっては、自分たちが囮にさせられたかもしれないのだ。彼らは思わず、A中隊の行く末に同情した。

 G中隊が出撃の準備を整えていたそのころ、ミルフィーユは不本意ながらも「元気な死体」となっていた。
 彼の所属しているC中隊は斥候を担当しており、演習開始後まもなく《基地》から離れた。
 斥候隊の主な任務は、五人構成の分隊に分かれて敵陣までの安全なルートを探し出すことだ。また手ごろな空き地があればそこを確保し、前進キャンプの設営と保守を担当するI中隊に進軍を促す。そして司令部のある《基地》まで、森中のありとあらゆる情報を持ち帰らねばならない。できるだけ敵との接触は避けるよう指示されていたが、時には敵の斥候隊と出くわし、小競り合いになることもあった。その結果、無事生き延びる隊もあれば、任務をまっとうできなかった隊もあった。
 先へと進む斥候隊と、後方部隊への連絡係である伝令たちが、《黒い森》を駆け巡った。
 ミルフィーユは第六分隊に組み込まれていた。旧友であるフィリップ・ブライトンも一緒だ。あとは三年生のダパーとルッツのコンビと、五年生のシファーが同行した。
 森の南西部エリアの中ほどに前進キャンプをひとつ確保した第六分隊は、敵陣への突破口を探して森の中を進んでいた。
 決して楽な行程ではなかった。地形を記した地図を与えられていないため、通行可能な場所を見つけるのは手探り状態だ。行き止まりにぶつかっては一旦引き返すの繰り返しばかりだった。
 人の手によって造られた森のため、整地はされている。とはいえそれはマクロ的な目で見た場合であって、実際歩いてみると足元は意外と起伏に富んでいた。軽装ならば越えられる段差でも、装備を背負ってとなれば困難になる。攻撃隊の移動に支障をきたすような場所を見逃すわけにはいかなかった。立ち往生したところへ奇襲などかけられたら、目も当てられないことになる。斥候隊の責任は重い。
 地形の情報を白地図に書き込みながら、第六分隊はゆっくりと敵の領土へと近づいていた。
 途中、沼地に行き当たった。何度かこの森で演習を行ったことのある上級生たちの話によると、その沼は《ソルヴェイグの海》と呼ばれているという。ちょうど森の地下に巡らされたスチームラインの収束地点にあたり、特に高くなった地熱が凍土を過剰に融かすことによって自然とできたものらしい。軍もちょうどいい障害物ができたと、あえてそのままにしているとか。
 そしてこの沼に足を踏み入れたら最後、腰まで浸かって身動きが取れなくなるという。
 第六分隊の面々は、この沼を避けて東側へと迂回した。沼の西側は森の外へ突き出ている。森から出るのは反則となるため、この沼を避けるには東へ向かうしかない。
 以前の演習時にこの付近を通ったことがあるというダパーの記憶を頼りに、分隊は進んだ。ところが、ほどなく一行は停止を余儀なくされた。予想外に大きな岩壁が進路を塞いでいたのだ。
 大きなといっても、上級生の背丈ほどだ。乗り越えられない高さではない。しかし彼らより多くの装備を抱える後続部隊のことを考えると、別のルートを拓く方がいい。
 分隊長のシファーの判断によって、第六分隊は元来た小径へと引き返しかけた。そのとき、敵の銃撃を受けた。
 頭上からペイント弾が降ってくる。少年たちは慌てて散開した。
 しかし、初陣である二人の一年生は間に合わなかった。
 ミルフィーユとフィリップの二人が事態に気づいたときには、頭のてっぺんから足の先まで見事な蛍光グリーンに染まっていた。
 敵の狙撃兵は、経験の乏しい新兵を一番の標的にしたのだ。瞬時に対応できなかったとしても無理はない。
『ディスクリート、ブライトン、死亡。その場で待機するように』
 インコムを通して教官による死亡宣告が伝えられる。
 先輩たちは二人が助からないと判断すると、早々に撤退してしまった。岩壁の上から狙撃した敵兵は、すでにその場を離れている。残されたミルフィーユたちは、茫然とその場に佇むしかなかった。
 引き金を引くどころか一度も銃を構えることもなく、ミルフィーユの演習は終わった。演習の開始から一〇時間ほどのことであった。
 戦闘からの離脱を余儀なくされた者は、教官の指示に従って《死体安置所》へと引き上げなければならない。
 ミルフィーユとフィリップは誘導されるままに森を進み、ゴーグルのモニタ上に示された昇降口ハッチから地下へと降りた。
 《黒い森》の地下には街があった。「街」ではあるが、人は住んでいない。
 かつてはその街にも暮らす人々がいた。しかし《ヴァルハラ》の開発が進むにつれ、人々は新しい街へと移っていった。やがてこの街は閉鎖され、いまは《機構軍》の演習場として使われている。
 そしてこの地下街こそが、本来の「《黒い森》演習場」であった。
 いまや《居住不可域》アネクメネとなった地球の密林で、戦闘を行う機会などないに等しい。この先想定される戦いは、天体そのものの制圧となる。その要となるのが、制宙および制空権を握るための艦隊や航空隊であった。
 もちろん上陸すれば陸戦もあるだろう。その際、戦場となるのは空爆の不可能な人口密集地域――つまり都市部となるはずだ。そのため《陸戦隊》が行う演習のほとんどが、市街地における対ゲリラ、テロ戦を想定したものであった。
 それでも年に数度、森中での演習が行われている。万が一を考えてか、《機構》が擁する幼年学校と士官学校の生徒たちは、在学中に密林での戦いを学ばされるのである。まあ「経験しておくに越したことはない」というところか。
 それはともかく――その《黒い森》地下演習場内に、演習の様子をモニタしたり、負傷者や戦闘に参加していない者たちが寝泊りする施設があった。当然学校が軍から借りたものの中にこの施設も含まれている。軍では単に《キャンプ》と呼ばれているが、幼年学校の生徒たちからは《死体安置所》と呼ばれていた。理由は説明するまでもない。
「うへぇ、結構遠いしー」
 ゴーグルに映し出された地図を見て、ミルフィーユはうんざりした声をあげた。
 《キャンプ》の位置を示す光点は、地下街の北外れに表示されていた。ミルフィーユたちがくぐった昇降口は、《ソルヴェイグの海》の南岸に沿って西へ進んだところにあった。もう少し先へ行けば森の外に出る。その昇降口から《キャンプ》まで、直線距離にしても数キロメートルは離れていた。最短のルートをとっても、一時間以上は歩くことになりそうだ。
「暗いし静かだしで、なんか気味悪いよ」
 周囲を見回していたフィリップが、心細そうにミルフィーユにしがみついた。
「大丈夫。おしゃべりしながら行けば、怖くないよ」
 ヴァルトラントの口調を意識しながら、ミルフィーユは答えた。しかし発せられた声はいつもあっけらかんとした親友の調子とは似ても似つかず、弱々しく頼りなかった。
 顔の半分がゴーグルで覆われており、しかも塗料まみれのため、フィリップの表情はよく判らない。だが、不安そうな気配がひしひしと伝わってきた。
 ミルフィーユは彼を安心させるため再び声をかけようとしたが、咄嗟に巧い言葉が出なかった。自分だって心細いのだ。こっちが励ましてほしいぐらいである。
 少年が逡巡していると、ちょうどゴーグルのモニタに「進め」という文字が点滅しはじめた。
「ほ、ほら。早く行けってさ」
 これ幸いと、ミルフィーユはフィリップの腕を引いた。
 しばらく立ち止まって辺りの様子を窺っていた二人は、ようやく歩きはじめた。
 昇降口に面した通路は、大通りと呼べるほど広かった。両側には数階建ての建物が疎らに並んでいる。かつてはここも人で溢れていたのだろうが、いまは全く人の気配はない。
 明かりといえば非常灯だけしかなく、暗視ゴーグルがなければ足元もおぼつかないほどだ。音を立てるものは、自分たちとインコムから時折聞こえる警告音だけである。
 死亡宣告以来、教官からの呼びかけはなかった。戦場の監視を優先して、「死者」の道案内はコンピュータ任せにしているのだろう。
 教官たちは森の随所に設置されたカメラや、生徒たちに持たせたインコムによって、ひとりひとりの様子を常に監視していた。生徒の自主性に任せているといっても、野放しにはできない。やんちゃ盛りの少年たちを放っておけば、何をしでかすか判らないのだ。重大な事故を未然に防ぐためにも、監視は必要であった。
 戦闘離脱者についても、《キャンプ》に辿り着くまでは監視の対象から外されることはない。カメラによる目視はなかったが、コンピュータによってその足取りは追跡トレースされている。
 ミルフィーユとフィリップの二人は、暗い道を歩く心細さと追跡されていることを意識して、初めのうちは指示通りに進んでいた。しかしおとなしい方だとはいえ、彼らだって《グレムリン》である。すぐに好奇心が恐怖心を抑えこんでしまった。警戒のために見開いていた眼は、いつの間にか獲物を探す鷹の眼となっていた。
 古びた建物の壁には実弾の撃ち込まれた痕が残り、道端には過去の演習で標的として使われたらしい廃棄車両が放置されている。この放置車両群に、二人の目は輝いた。
 航空機の整備や開発に携わっている父親たちの影響か、二人は機械いじりが大好きであった。そのための部品やパーツは基地の不要品をもらったりお小遣いでまかなっていたが、やはりそれでは足りないときもある。そんなときは、基地の部品庫に忍び込んでこっそりくすねていたのだが、それはそれで多少なりとも良心が痛む。
 そんな少年たちの前に、明らかに本来の機能を失った工業製品が転がっている。捨てられているものから何かを拾い上げても、咎められはしないだろう。
 厳密に考えれば動かなくても軍が保有していることに変わりはないのだから、見つかれば叱られるはずだ。しかし二人は、あえてその可能性を無視することにした。
「あれはまだ新しそうだよ」
「でも、古いパーツの方が手に入りにくいから貴重だよ」
 などと言い合いながら、指定された進路を外れて宝の山に近寄っていく。そのたびにナビゲーションコンピュータが警告のサインや音を発するがお構いなしだ。その程度の警告に従っているようでは、真の《グレムリン》とは言えない。
「このパーツ、まだ使えそーだよ」
 何台目かの廃棄車両のボンネットを開けて首を突っ込んでいたフィリップが、嬉しそうな声をあげた。運転席まわりで生きている基盤がないか調べていたミルフィーユは、作業を中断して車外に出た。
「ほら」
 近づくと、フィリップが手を突き出してくる。覗き込むと、掌の上に小さな部品が載っていた。確かに損耗は少なく、ゴーグル越しの色補正された映像ではまだ新しいように見えた。
「うん、イケそうだね」
 ミルフィーユが同意すると、フィリップはニコッと笑ってその部品を腰のポーチに放り込んだ。彼の戦利品というわけだ。
 ミルフィーユも負けてはいられない。フィリップのポケットばかり肥えさせてなるものか。
「よーし、僕もなんか見つけなくっちゃ」
 気合を入れ、辺りを見回す。十数メートル先に、また別の廃棄車両が放置されていた。
「あ、アレはど――」
 声を上げかけたミルフィーユだが、しかし途中で言葉を呑んだ。
 たったいま、遠くで物音がした。
 少年たちは思わず身を竦ませた。しばらくそのまま硬直する。恐怖心が鈍りかけていた聴覚を鋭くさせる。
 二人は十数秒ほど耳を澄ませた。しかしもう何も聞こえないと判ると、ゆっくりと身体の力を抜いた。
「……いま――音したよね。カツーンって」
 ミルフィーユは囁くような声で、フィリップに確認した。
「うん。なんかレンチを工場の床に落としたときみたいな音だった」
 フィリップも声を潜めて応えた。妙に具体的だったが的確な表現に、ミルフィーユは「そうそう、そんな感じ」と大きく肯いた。それから訊ねるかどうか一瞬迷ってから、「あと」と続ける。
「それに、足音みたいなのも聞こえなかった?」
「え、どーだったかなぁ?」
 だがミルフィーユの期待に反して、フィリップは首を傾げた。そのまま数秒考え込むが、結局彼の答えは変わらなかった。
「気のせいかな……」
 そう呟いて、ミルフィーユは肩をすくめた。高く細い反響音に混じって、慌しく走り去る足音がかすかに聞こえたような気がした。しかしそんな気がしただけで、「はっきり聞こえた」と断言できる自信はない。そもそも時間が経つにつれ、確かに聞いたはずの物音も空耳だったような気がしてくるほどだ。
 だがフィリップはミルフィーユの耳を疑わなかった。
「もしかしたら、他の《戦死者》かもしれないよ。見に行ってみる?」
 と言って音のした方を示す。
「え……」
 もし違っていたら――という思いが脳裡を過ぎり、ミルフィーユは一瞬怯んだ。が、すぐに気を取り直した。
 いったい自分は何を恐れたのか。オバケ、幽霊――? それも確かに苦手だが、いま恐れたのはそんなモノではなかった。
 怖いのは物理的に危害を加えてくるもの。例えば――。
『こらあっ!』
 突如、インコムから怒声が飛び出した。と、同時に目の前が真っ暗になる。
「ひゃあっ!」
 突然の出来事に、少年たちは思わず跳び上がった。
『ディスクリート、ブライントン! 何やってるっ! さっさと戻ってこいっ!』
 教官の声が鼓膜を震わせる。ようやく二人が道を外れていることに気づいたらしい。目の前が暗転したのは教官の仕業だ。ナビコンの警告サインを無視しつづける二人がそれ以上進めないよう、ゴーグルのモニタを強制的にブラックアウトしたのだろう。
「はいっ!」
 二匹の《グレムリン》が慌てて返事すると、視覚が元に戻った。だがモニタ上には特大の矢印が表示され、視界を遮っている。矢印は正しい方角に向くまで表示しつづけた。よそ見ができないとなると、もう寄り道はできない。
 怖いもののひとつ――それは教官の怒りだ。
 《グレムリン》たちはこれ以上教官を怒らせるのはマズいと判断し、おとなしく指示に従うことにした。
 フィリップはもう物音のことなど気にもしていないらしく、道中も《キャンプ》へ戻ってからも話題にすることはなかった。
 ミルフィーユもしばらくの間は物音の正体が気になっていたが、お説教を喰らったり、罰を受けたり、食事をしたり、同級生や先輩たちと話たりしているうちに、記憶の奥底へと追いやってしまっていた。
 彼が地下街での出来事を思い出したのは、「事故」が起こってしばらくしてからであった。

 作戦はありふれたものだった。
 敵の主力を誘い込み、本拠地が手薄になったところへ奇襲をかける。ただそれだけだ。
 しかし奇襲の時機を逸すれば、自軍の本拠地が危うくなる。奇襲部隊の動きはもとより、陽動部隊、防衛部隊のすべてが巧く連携をとる必要があった。
 攻撃の要はG中隊だ。部隊を三つに分けて陽動と奇襲を同時に行う。
 中隊長率いる第一分隊が、C中隊の残存兵とともに敵正面へと進み出る。敵が討って出てくると、ゆっくりと後退しつつ誘い込む。もし敵が手薄になっている右翼に興味を示せばしめたもの。敵が右翼に殺到したところで退路を断ち、防衛部隊が取り囲んでこれを屠る。
 そして第二、第三分隊による奇襲部隊が敵本拠地の背後へ回り込み、本隊の動きに合わせて襲撃し、一気に戦旗を奪い取る。
 肝心要となる奇襲部隊――その第二分隊に、ヴァルトラントは組み込まれた。一年生ではラリーとベルントのコンビが一緒だ。隊長は副中隊長のタオ。またヴァルトラントが本当の祖父のように慕っているハフナー中将の孫で、四年生のミハエル・エルマンも同隊に編入された。
 作戦開始と同時に、第二分隊は敵の右翼となる西エリアへと進軍した。そのルートは、ミルフィーユのいたC中隊第六分隊が拓いたものだ。
 身軽な装備で出発した第二分隊は、途中の前進キャンプで物資と人員の補給を受けながら速い足取りで自軍の領土を進んだ。出発時に一二人だった分隊は、西部ルートの最前進キャンプを通過した時点で二〇人あまりの部隊になっていた。
 ここまでは敵と遭遇することもなく、順調に進んでいる。が、ここからが難関だ。
 現在、第二分隊の目の前には《ソルヴェイグの海》が横たわっている。ここを無事に越えられるかが、勝負の分かれ道であった。なにしろ西へ行けば反則、東へ迂回すれば敵の待ち伏せに遭う。
 しかし秘策があった。それも《グレムリン》の呟きから生まれた策だ。
「右にも左にも行けなければ、まっすぐ進めばいい――」
 つまり、沼を突っ切るのである。
 沼地の泥はそこそこの固さがあった。そのため沈んでしまえば、泥に足をとられて身動きができなくなる。しかしその固さを逆手に取って橋を架ければいいのだ。
 橋といっても板状のものをいくつか繋いで、泥の上に浮かべるだけだ。幸い日が沈んで気温が下がりつつある。泥の表面は冷やされ、わずかではあるが固さも増す。とにかく二〇人ほどが渡る間、沈まなければいいのだ。
「よし。橋を架ける前に、対岸を偵察する」
 沼地へ出る手前で停止を命じたタオが、副長の五年生エミリオ・デムーロにうなづいた。
 デムーロはさらに四年生のミハエルとライナー・ギーセンに命じて、センサによる走査スキャンをはじめさせた。他のものには周囲の警戒と、架橋の準備を命じる。
「対岸に熱源なし。ただ、沼の水温が予想より少し高いようです」
 ミハエルがスキャンの結果を報告する。
「足元が思ったより緩いかもしれない。確保用のロープを高めに張ろう」
 タオの言葉を合図に、架橋がはじめられた。
 橋を架ける手順として、まず対岸の木にロープをかける。そして数名がそのロープを伝って向こう岸へ渡る。各々の腰には別のロープがくくりつけられており、その先にはコンテナの蓋で作った簡易筏が繋がれている。渡った後、力を合わせてロープを手繰り寄せ、筏を沼に浮かべて固定すれば橋の完成だ。
 先発隊には、前進キャンプから参加したI中隊の上級生が志願した。しっかりと固定する必要があるため、こればかりは非力な下級生には任せられない。
 作業に関わらない者は、森に身を潜めて周囲に目を配りつつ一時の休息を摂ることになった。交代で水分や手早く食べられるものを補給する。
 後で休息を摂ることになったヴァルトラントは、沼が見渡せる場所にある樹の陰から作業の様子を見守った。そばではミハエルがチョコレートの欠片をかじりながら、センサのモニタ画面を見つめている。
 無事に渡り終えた先発隊は、すぐに筏を引き寄せる作業にとりかかった。引き寄せる側と送り出す側が呼吸を合わせる。
 半分ほどの筏が送り出されたころ――。
 ヴァルトラントは不意に足元が揺らぐのを感じた。
「え――?」
 あまりに不自然な振動に思わず周囲を見回した。他の者たちも気づいたのか、怪訝そうに顔を見合わせていた。
「ミハエル……いまの――」
 足元に屈み込んでいる兄代わりの少年に、ヴァルトラントは目を向けた。ミハエルの監視していたセンサに異状が現れたのは、そのときだった。
「え、なにこの熱源――!」
 ミハエルの驚声は、突如轟いた爆音に掻き消された。

   To be continued...

■針とパズル■page 4