■針とパズル■page 1

Chap.1
 鬱蒼と茂る樹々を縫うように、荷を運ぶ少年たちの列が続く。
 彼らの押す浮遊台車ホバーキャリアには、大小さまざまなパレットケースが積み上げられている。積荷はベルトで固定されていたが、軽く留められているだけとあって安定性は少々心許ない。そのため少年たちは起伏のあるこの悪い足場で、台車を傾けないよう気をつけながら進まねばならなかった。
 思春期に入ったばかりの少年たちにとって、神経をすり減らす作業は肉体的にも負担がかかるらしく、彼らの腕や肩は随分と強張っていた。伝い落ちるほどではないが額には汗が滲み、吐く息も熱く感じられるほどだ。
 作業にとりかかってすぐの頃に聞こえていた元気な声もいまはなく、荒い息遣いと枝葉の擦れる音ばかりが薄暗い森の空気を震わせている。
 そこへ、かすかな異音が加わった。虫の羽音に似た低く唸るような音が、周囲に満ちはじめる。森が大気を生み出す瞬間だ。
「あ――」
 誰かが小さく声を上げた。その直後、樹々のざわめきが激しさを増し、森の奥から吹き出す風が少年たちの列をすり抜けていった。
 生まれたばかりの風精シルフの手は、まだ湿気を含んで暖かい。それでも火照った頬には充分心地好く、少年たちは一斉に歓喜の吐息を洩らした。
 さらに多くの風を受け止めようと、厳重に閉じた防寒着の襟元や、耳当てのついた作業帽に手を伸ばす。だが、それはキャリアの操作を放棄することでもあった。両手でさえ持て余しているというのに、片手だけで不安定な台車を制御するなど不可能に近い。
 当然の結果として、キャリアはあらぬ方向へ滑り出した。
「ちょっ――」
「コラ待て!」
 少年たちは慌てて離した手を伸ばし、勝手に進んでいくキャリアを引き戻す。と、次の瞬間――。
 あちこちで衝突事故が発生した。慌てたせいで力加減を誤り、勢い余って反対側に振り回してしまったのだ。
 積荷が崩れ、地面に転がる。衝突の反動でさらにキャリアが暴走する。少年たちの悲鳴が周囲に響く。
 瞬く間に大混乱となった。
「おいおい」
「あっちゃー」
 列のしんがりで一部始終を見ていたヴァルトラント・ヴィンツブラウトとミルフィーユ・ディスクリートは、混沌と化してゆく眼前の光景に思わず顔をしかめた。
「キャリアを一旦地面に降ろせ!」
 隊長としてこの《運搬部隊》を先導していたアラム・プーキンが逸早く叫ぶ。しかし何度繰り返しても、その声は二〇余の喚声にかき消されるばかりだ。
「しゃーねーなあっ」
 即座にヴァルトラントとミルフィーユが動いた。
「ホバリングを解除するんだよ!」
「電源切って!」
 二人はそう喚きながら、キャリアの動力を切ってまわる。アラムも相棒のフィリップ・ブライトンと共に、暴れキャリアに飛びついた。入学前からの仲良しとあって、四人の息はぴったりだ。航空隊基地で育ち、その無駄に多い好奇心と行動力のせいで《小悪魔》グレムリンと渾名される彼らは、持ち前の敏捷さをここぞとばかりに発揮した。
「――動いてるキャリアはもうないな? じゃ、荷物を積みなおすぞ」
 全てのキャリアが大人しくなったのを確認すると、アラムが次の指示を出した。少年たちは作業に取りかかる。が、その動きは到底「機敏」とは言い難かった。
 少年たちはまず、うんざりした視線をたっぷり注いでから荷物を抱え上げる。そして、慎重さを装った緩慢な動作で荷台に降ろす。仕上げは上体を起こして「ふう」と一息。
「これじゃ、立て直すのに相当時間喰うぞ」
 一向に捗らない様子に、ヴァルトラントの眉間が険しくなる。そんな彼に、ミルフィーユは投げやり口調で応えた。
「ま、中身がぶちまけられなかっただけマシじゃない?」
「……確かに」
 最悪の展開を想像して、ヴァルトラントは身を震わせた。もし荷物の中身が散乱していれば、いま以上に時間を喰っていただろう。
 ただ拾うだけでは駄目なのだ。数が合うまで探す必要がある。大きなものだといいが、ペイント弾のような小さなものを苔の中や樹の根の隙間から拾い集めるのは、相当困難な作業になるだろう。マガジンに収められた弾が散らばる可能性はほとんどないが、不運に不運が重なるのはままあることだ。そう考えると、怪我人もなく積荷が崩れただけで済んだことは、相当な幸運だったといえる。
 だからって、それを喜んでいいのかどうか――。
 ヴァルトラントは複雑な心境で、依然マイペースな級友たちを見回した。
 ふと、こちらに向かってくる人影が見えた。アラムだ。彼も現在の状況に頭が痛いのだろう。苦虫を噛み潰したような顔をしている。
 隊員たちの様子を見回っていたアラムは、ヴァルトラントたちの傍までくると苦々しげに呟いた。
「限界だな」
 そして反応を窺うように、つり上がり気味の目を旧友に向けた。副長としてアラムを補佐しているヴァルトラントは、一呼吸おいてから肯いた。
「そーだな」
 準備の時間は限られている。一年生の担当する作業が遅れると、上級生たちの作業にも影響が出る。自分たちのせいで準備が間に合わず模擬戦に負けてしまったとなれば、上級生たちからどんな目に遭わされるか判ったものではない。
 だが一年生たちの気力はそろそろ限界にきていた。いまの彼らを動かしているのは、わずかばかりの義務感と罰への恐怖だ。このまま続けていても、作業能率は悪くなるばかりだろう。幸い森を入ってすぐのここなら、荒野に留めてあるトラックからも森の奥にある《基地》からも見咎められることはない――。
 決断は一瞬だった。
 視線を交わした指揮官たちがうなづき合う。
「よし、五分間だけ休憩だ!」
 アラムがいまだ右往左往している隊員たちに声をかけた。当然、歓声が返ってくると思いきや――。
「え?」
 少年たちはきょとんとした目を隊長に向けた。咄嗟に言葉の意味が理解できなかったらしい。
 あまりに鈍い反応に、言った方も困惑する。
「いや、だから休憩……」
 さらに三秒を費やして――。
「助かったー!」
「俺、もうクタクタだよ……」
 《グレムリン》四人を除く二八人の少年たちは、ようやく腹の底から安堵の声を絞り出した。崩れるようにその場にへたり込み、新鮮な空気を肺に送り込みはじめる。
 演習用の武器や弾薬の詰まったコンテナを運んで、もう何度同じ道を往復しただろうか。
 別に肉体労働が苦なのではない。この三ヶ月間みっちり鍛えられている。入学当初のようにすぐへばったりなどしない。なにより、じっとしているのが苦痛に感じられる年頃でもあった。
 だがいくら身体を動かすのが好きだといっても、雑用まがいの仕事ばかりさせられていては嫌気も差す。それも、単純なわりに相当神経を減らすとなればなおさらだ。
 初めのうちこそ張り切って働いていた彼らであったが、その情熱は時間を追うにつれて減少し、まだ準備の段階だというのに、一年生たちの「やる気」は早くも底をつきかけていた。
「俺……演習って、銃ぶっ放してりゃイイだけだと思ってた」
「うん、まさか《基地》の設営から補給品の手配まで、全部自分たちでやるとは思わなかったよな」
 ヴァルトラントと同じ班に所属するベルント・シュナイダーとラリー・ホールディングスがポツリと洩らした。彼らの言葉に、他の少年たちも異を唱えない。
 幼年学校に入学して、初めての大演習。その未知のイベントに、一年生たちは多大な期待を寄せていた。
 作戦が始まる前の高揚感。奇襲をかける瞬間のスリル。自軍が勝利したときの喜び。そして勝敗に関係なく覚える達成感――上級生たちが繰り返し語る体験談は、否応なしに一年生たちの好奇心をくすぐった。
 もうすぐ自分たちも同じ体験ができる――指折り数えてその日を待った。
 ところが、現実はそう甘くなかった。楽しむためには、それなりの見返りが必要だったのである。
「なんか、先輩たちに巧く乗せられたってカンジ……」
「ヘデニック中隊長、口巧いからなぁ」
 そう言って、ベルントとラリーは肩を落とす。
「それに――」
 二人の言葉を、ヴァルトラントが継いだ。
「オパーリン生徒長も、見た目はおっとりしてて結構策士だよな」
 言い終えるとシニカルな笑みを浮かべる。そんな彼に触発されたのか、項垂れていた少年たちは顔を上げた。
「それを言ったらアウエ副生徒長だって、なかなかのやり手だぜ」
「いや、三年のノバック先輩も――」
「それより――」
 俄かに一年生による「上級生品評会」がはじまる。ところが熱を帯びた討論はいつの間にか脱線し、上級生たちに対する愚痴と、一部の同級生に対する批難へと変わっていった。
「だいたい、一番の重労働をか弱い一年生にさせるってどーよ?」
「だよなー。ヘンツェ先輩なんか、ふんぞり返って命令してるだけだもんな」
「それよりムカつくのは、エックハルトたち一班の連中! 先輩たちにすり寄って、ラクな仕事させてもらってよー」
「そうそう、ズルイよなー」
 口々に憤懣を吐き出すが、それが自分たちの未熟さを露呈していることには気づいていない。
 そもそも彼らが雑用ばかりさせられるのは、それなりの理由があってのことなのだ。
 まだ経験の浅い一年生たちは、戦闘という派手な部分に囚われがちだ。だが重要なのは、そこへ至るまでの過程である。戦略的な目を養うには、まず軍がどのように機能しているのかを知らねばならない。雑用はそれを学ぶ第一段階だ。そのステップを疎かにする者は、いずれ足を踏み外すことになるだろう。
 だがそういった事情は進級して初めて知ることであり、入学してまだ三ヶ月の彼らが推し量れなかったとしても無理はない。
 とにかく、いまはただ「先輩たちにこき使われている」という思いと「同輩にしてやられた」という思いに、彼らの心は占領されていた。
 しかし抑圧された怒りは、意外な効能をもたらすものである。
 溜め込んでいた鬱憤を吐き出しているうちに、少年たちの中に奇妙な気力が湧き起こってきたのだ。疲れきってどんより曇っていた瞳に光が戻る。
「あー、ほんとムカつく!」
 ぶつけるべき相手に不満をぶつけられない歯痒さに、誰かが吼えた。それをきっかけに、ついに少年たちの不満が爆発する。
「このまんまじゃ、腹の虫が収まんねー」
「何とかして、見返してやりたいよな」
 反骨精神――何ものにも屈しない心が、一一歳になるかならずの少年たちに芽生えようとしていた。そして。
 ヴァルトラントはこの瞬間を待っていた。機を逸しないよう、すかさず口を挟む。
「見返してやればイイじゃん」
「え――?」
 さらりと発せられた言葉に、少年たちは一斉に発言者を振り返った。胡散げな目つきではあったが、瞳はかすかに期待の色を帯びている。「秘策があるなら飛びつきたい」といったところか。
「どうやって?」
 みんなを代表して、ラリーが訊き返した。すると褪せたセピア色の髪の副隊長は、屈託ない笑みを浮かべて言い放った。
「時間内に全部の仕事を終わらせればイイんだよ。簡単だろ?」
「う……それは……」
 少年たちは返答に窮した。
 いくら一〇歳そこそこの子供とはいえ、将来の《機構》を担う人材を育てる幼年学校に入学できた彼らだ。いまの自分たちに任務の完遂は難しいだろうことぐらい充分判る。そしてそう自覚しつつも、つい楽な方に逃げいているということも。
 ヴァルトラントは、彼が普段よく見せる「とぼけたような目」で少年たちを見ている。しかしその眼光は何かを見定めるように鋭かった。彼の隣に立つミルフィーユもアラムもフィリップも、同じような目をして級友たちの返答を待っている。
 もし「無理だ」と答えれば、《グレムリン》たちは自分たちだけで任務を完遂させようとするだろう。達成の如何にかかわらず、彼らの行動はそれなりに評価されるはずだ。自業自得とはいえ、それを見て何も感じないほど、ここにいる少年たちも鈍くはない。
 《グレムリン》たちには負けられない。それに、彼らにできて自分たちにできないはずはないのだ。
 少年たちはお互いを探るように目をきょろきょろさせた。そこへ、決意したようにベルントが立ち上がった。
「お、おうっ。それくらい屁でもないさっ!」
 ベルントは拳を振り上げると、踏ん切りのつかない仲間たちに呼びかける。
「よーし、ちゃっちゃと終わらせて先輩たちを見返してやろうぜ!」
 背中を押された少年たちが、呼びかけに応えた。
「賛成!」
「おー!」
 声変わりもしていない一年生たちの雄叫びが、陽の傾きはじめたカリストの空に谺する。
 少年たちは勢いよく立ち上がり、中断していた作業を再開した。彼らの動きは見違えるほどよくなっていた。
 本来の元気を取り戻した級友たちを横目に見ながら、アラムがヴァルトラントに囁く。
「おまえだって、生徒長に負けないくらいの策士だよ」
 呆れ返った口調の旧友に、ヴァルトラントはニヤリと笑い返すのみ。
 演習の準備は着々と進んでいた。

 カリスト最大のクレーター《ヴァルハラ》――。
 その巨大な盆地を埋め尽くすかのように、人為的に造られた樹海が広がっている。点在する大小の都市は、樹々の絨毯に開いた虫食い穴のようだ。広大な敷地を擁する宇宙港《フギン》や《機構軍》カリスト司令本部、カリストの中枢であり最も栄えた都市である《ヴォーセグス》でさえ、森の中に拓けた小さな空き地に過ぎない。
 樹海は一見連綿と続いているかに見える。だが実際は都市同士を結ぶアウトバーンや整備用の閑道、まだ開発の手がつけられていない荒野などによって、無数の小さな森に切り分けられていた。《惑星開発機構・警備局》――通称《機構軍》が演習場として使っている《黒い森》シュヴァルツヴァルトも、そんな森の一つである。
 直径およそ二〇キロメートル。南西部を軽く抉られつつも、ほぼ円形に近い。「《ヴァルハラ》の辺境」と呼ばれる北西部の山麓に、ひっそりと存在した。周囲にあるのは凍土も露わな荒野と、さらにそれを取り巻く広大な樹海のみ。近隣には小都市どころか建物の影ひとつなく、陽が落ちて辺りを照らすものはといえば、常に東の空に浮かんでいる木星と無数の星々だけとなる。当然、この一帯を訪れる一般人など皆無だ。
 その人里離れた《黒い森》において、カリスト幼年学校の生徒たちによる演習が始まろうとしていた。
 「統合演習」と呼ばれるこの演習は、一年生から五年生までの全生徒が参加する学期末恒例の行事であった。生徒たちがこれまで学んできた知識や技を、この機会に実践し、確実に身につけることを目的としている。つまり早い話が、前学期の「おさらい」である。
 一応授業の一環とされているが、企画から運営までの全てが生徒たちに任されているため、どちらかといえばお祭り色が濃い。まあ、内容が小銃のみを利用する白兵戦ともなれば、「規模の大きなサバイバルゲーム」然とするのは仕方のないことだろう。しかもこれが終われば待望の長期休暇だ。否が応にも盛り上がるというものだ。
 演習開始まであと二〇時間ほど――。期末試験の前から進められていた準備も、いまが大詰め。生徒たちは装備や設備の点検に大忙しだ。特に補給物資の管理には細心の注意が払われており、生徒の自主性に任されたこの行事において、物資の搬出入時だけは教官の立会いの下に行われることになっている。
 というのも、演習場だけでなく、それに付随する設備や学校の備品だけでは足りないものなど、演習で使われる装備のほとんどが《機構軍》からの借物であり、武器はもちろんペイント弾や戦闘糧食、ささいな消耗品にいたるまで、借受時と返納時の種類と数をきっちり記録して軍に報告する義務があったからだ。
 もしその記録に不審な点があろうものなら一大事である。すぐさま軍の監査官が飛んできて、帳簿や校内の点検、生徒職員たちの所持品検査のフルコースとなる。当然、原因が究明されるまで、校外へ出ることは許されない。長引けば休暇さえおあずけだ。
 だが、幼年学校は好奇心旺盛な少年たちの集団だ。後先も考えず、興味本位で何かをくすねる者が後を絶たない。それでもこの数年何事もなくすんできたのは、血眼になって物資の出入りを監視し、問題発覚を未然に防いでいた補給担当生と監督教官たちによる努力の賜物であった。
「遅いぞ。何やってんだ!」
 《基地》の資材置場に着くなり怒声が飛んだ。補給品の搬出入を取り仕切る上級生の叱責に、森を抜けてきたばかりの運搬係たちは思わず首を竦めた。
「すみませんっ」
 運搬隊長のアラムが間髪容れずに謝罪した。軍では上官に対する弁解は許されない――その不文律は幼年学校にも根づいている。言い訳は一切するべきではない。
 揚足をとる隙を与えないアラムに、補給担当の上級生は軽く舌打ちした。そして不機嫌な声で次の指示を与えた。といっても彼がアラムたちに出す指示は毎回同じだ。
「さっさと置いて、次のを運んで来い」
「はいっ、ヘンツェ先輩!」
 一年生たちが元気に返事する。
 ヘンツェは一瞬怪訝な顔をした。ここしばらくは命令に対しいかにも不承不承といった態度で返事していた連中が、突然元気になったのだ。訝しく思うのも無理はない。しかし彼はあえて理由を問わなかった。作業が予定より遅れている。質問などして時間を無駄にしている場合ではなかった。
 問い質す代わりに、ヘンツェは素早く周囲を見回した。資材置場の隅にたむろしている一年生たちを見つけると声をかける。
「一年一班! 手伝ってやれ!」
「ええっ!」
 突然の命令に、一班の少年たちは驚いたように頭を跳ね上げた。どうやら開けたばかりの荷箱を覗き込んで、なにやら物色していたらしい。慌てて手に掴んでいたものを放り出すと、ぎこちない笑みを浮かべてヘンツェに向き直った。
「でも、それは運搬係の仕事です。自分たちは、荷解き係で――」
 班長のエックハルト・シュティッヒが自分たちの任務を主張するが、ヘンツェは最後まで言わせなかった。
「解く荷がなきゃ、仕事にならないだろーが! いいから、さっさと手伝え!」
「……はい」
 エックハルト以下一班の少年たちは不満そうな声で返事すると、のろのろと重い腰を上げた。そしてヴァルトラントたちのそばへやってくると、忌々しげに吐き捨てる。
「おまえらがトロトロしてるから、俺らまで手伝わされることになっただろーが」
「なにぃ?」
 言いがかりをつけられたアラムが気色ばむ。すかさずヴァルトラントが間に入った。
「まあまあまあ。いまはそれどころじゃナイだろ」
 栗色の瞳を動かして、一方を示す。ヘンツェ先輩がこちらを睨んでいた。
「……覚えてろよ」
 形勢不利を悟ったのか、使い古された捨て台詞を吐いてエックハルトたちは立ち去った。そして少し離れたところに積み上げられていた空のパレットケースに近づくと、いかにも面倒そうにホバーキャリアに載せはじめた。
「おまえらが加わったくらいじゃ、大して捗らねーよ。かえって足手まといだっつーの」
 鼻にしわを寄せて呟くアラムに、ヴァルトラントとミルフィーユは苦笑した。《グレムリン》たちはエックハルト一派とは反りが合わなかったが、アラムとエックハルトはそれに輪をかけて相性が悪いらしい。
 四〇〇人余りの人間が集まれば、それなりに派閥もできる。別に、政治に対する見解の相違や宗教上の対立――といった理由からではなく、単に「虫が好かない」または「性格の不一致」といった感情的な理由によるものがほとんどだ。
 《グレムリン》たち――特にヴァルトラントとアラムは勝気でリーダー気質でもあるせいか、新入生たちの中でも目立つ存在であった。また二人が軍の極秘プロジェクトに加わっているという「公然の秘密」も、注目度を高める一因になっていたのは確かだ。
 そして「自分以外の者が目立つのは気に入らない」という連中がどこにでもいるのはお約束――。そのお約束の一年代表が、カリスト司令本部の高級幕僚や政財界の大物を父母に持つエックハルト一派というわけだ。
 彼らは、《グレムリン》が同級生だけでなく上級生や教官たちからも注目されていると判ると、その尊大なエリート意識を振りかざしてヴァルトラントたちに宣戦布告した。
 当然「売られた喧嘩はもれなくお買い上げ」がポリシーの《グレムリン》たちだ。執拗な挑発を聞き流すこともできず、入学早々大きな買い物を強いられてしまった。以来、両者はなにかにつけ学内を賑わせている。
 そんなこんなで、反目しあう者たちは始終お互いを無視しながら積荷の上げ下ろしを進め、次の荷物を受け取るために再び森の中へと足を踏み入れた。
 ここでエックハルトたち一班の連中が、その無能っぷりを思う存分発揮してくれたから溜まらない。
 これまで「運ばれてきた荷物を解く」という作業しかしていなかった彼らにとって、森中での運搬作業はそれほど容易なものではなかったようだ。口では「チョロい」と豪語していた少年たちは、空のパレットしか積んでいないキャリアをしょっちゅう樹の根に引っ掛けては横転させたり暴走させ、アラムやヴァルトラントたちの手を煩わせた。
 これでは捗るどころか、倍以上の時間がかかってしまう。せっかくやる気を取り戻したというのに――。
 三度目の停止を余儀なくされたとき、それまで耐えていたアラムがついにキレた。運搬隊長は一班の面倒を放棄すると、自分の五班とフィリップやミルフィーユの三班、フランツ・マイヤー率いる九班をまとめてさっさと行ってしまった。
 とばっちりを受けたのは、しんがりについていたヴァルトラントたち七班だ。目を離すとすぐ道を外れる連中を放っておくわけにもいかず、逃げるようにどんどん先へ行くアラムたちを見送るしかなかった。
 しかしヴァルトラントはアラムを恨まなかった。
 彼は大を守るために小を切り捨てた。自分を信頼してくれたからこそ、できた決断なのだ。
 アラム期待に応えるためにも、協力的ではない一班をなんとかして御さねば――と、ヴァルトラントは思った。そしてかつてないほどの忍耐力でもって、一班の面倒をみた。足元の危なっかしい者には、「要らぬお世話」と睨み返されようとも声をかけて注意を促した。またひっくり返してしまった者には逸早く駆けつけ、散らばったパレットを拾うのに手を貸した。
 その甲斐あってか、一班の連中も次第にキャリアの扱いに慣れ、ヴァルトラントの七班が手を貸す必要はほとんどなくなった。エックハルトは常に取り巻きたちと何やらヒソヒソやっていたが、ヴァルトラントの指示に逆らうようなことはしなかった。むしろ気味が悪いくらいに大人しい。その点を除けば、実に理想的な状態であろう。
「くーっ、この姿をミルフィーやアラムに見せてやりたいっ!」
 粛々と進む列を見つめて、ヴァルトラントは思わず悦に入る。
 しかしそれが油断だった。
 あと数一〇メートルほどで森を抜けようかというところで、一班の少年が派手に積荷をひっくり返してくれたのだ。
「クロル!」
 ヴァルトラントは、茫然としている少年のもとへと駆け寄った。彼の足元には小箱が散乱している。ヘンツェに取り替えてくるよう言われた戦闘糧食レーションのパックだった。恐らく中身を確認した際に、パレットの蓋をしっかりと閉めなかったのだろう。
 マジかよ――っ!
 ヴァルトラントは心の中で頭を抱えたが、辛うじておもてには出さなかった。立ち竦んでいる少年の全身を素早く見回しながら訊く。
「クロル、怪我は?」
「それは大丈夫。ごめん、ヴァルティ……」
 クロルは謝ったが、その口調は憤りを無理に抑えているようだった。といっても、その怒りはヴァルトラントに向けられたものではない。怒りに満ちた目でそばにいる自分のルームメイトを睨みつけているのが、なによりの証拠だ。
「ヴァルティ、クロルはエンリケにぶつけられたんだ」
 七班副班長のディーター・グロッケが、班長の耳元に囁いた。ヴァルトラントは眉を軽く跳ね上げると、そばでわざとらしく口笛を吹いている少年に目をやった。一班のエンリケ・フランコ――エックハルトの腹心だ。
「なるほどね」
 腑に落ちたとばかりにヴァルトラントは呟いた。エックハルトが大人しかったのは、この瞬間を待っていたからだ。油断させておいて事件を起こす――精神的にダメージを与えるには効果的な手法だ。
 だが、ここで挑発に乗っては向こうの思う壺である。騒ぎを起こせば、演習に参加させてもらえなくなる。連中はそれを狙っているのだ。悔しいが堪えなければならない。
「ごめん、クロル」
 ヴァルトラントはクロルに謝り返した。クロル・エーブナーは《グレムリン》に対する嫌がらせのだしに使われただけだ。一班に所属していながら、たまたま《グレムリン》と旧友だったというだけで、クロルはいつもとばっちりを受けている。そんな彼を守りきれない自分がヴァルトラントには歯痒く、また申し訳ないという気持ちになる。
「僕は平気。それより、すぐ片づけるね」
 クロルはそう言ってかすかに笑みを見せると、自分のばら撒いたものを拾いはじめた。
 旧友の気丈な振舞いに、ヴァルトラントの胸はいっそう痛む。なんとかしてクロルへの手出しを止めさせたいと思う。だが相手もやり口が巧妙だ。連中は決して「虐め」といった悪質なことはしない。バレた場合、自分たちの評価に影響するからだ。だから「おふざけ」で済む程度で、なおかつそれなりのダメージを与えるという姑息な手を使ってくる。それが却って厄介だった。
 知恵のある無能者ほど、手に負えないものはない――。
 ヴァルトラントは苦々しい気持ちを大きな息とともに吐き出すと、素早く気持ちを切り替えた。いまは任務遂行が最優先だ。エックハルトたちへの報復は、演習が終わってからでも遅くはない。
「よし」
 軽く気合を入れて、ヴァルトラントは班員たちを振り返った。
「ディーターは一班を連れて先へ。悪いけどベルントとラリーはクロルを手伝って」
「了解」
 指示された者たちがてきぱきと動き出す。ディーターはニヤニヤしながら突っ立っているだけのエンリケを追い立て、ベルントとラリーはクロルの拾い集めたものをパレットに詰め込む。
 ヴァルトラントもクロルを手伝おうと、手近な処に転がっているレーションのパックを拾い上げた。ふと、何気なく手の中のものに目を落として首を捻る。
 違和感を覚えた。
 どこがどうおかしいのかは判らない。外見上は何の問題もないように見える。ものが《航空隊》の糧食レーション――しかも賞味期限が切れていることを除いて。
「――しっかし、どうして運ぶ前に確認しないんだ? これじゃ二度手間だよ」
 不意にベルントの声が耳に入り、ヴァルトラントは我に返った。呆れ顔のベルントが糧食のパックをしげしげと眺めている。
「まさか司令本部が間違ったモノを送ってくるなんて思わないだろ。管理にはうるさい連中なんだから」
 空パレットに並べたパックの数を数えていたラリーが相棒に答えた。そこへクロルが加わる。
「それも変な話だよね。《航空隊》用と《陸戦隊》用はパックの色も違うのに、何で間違うかな?」
「しかも期限切れだし」
 旧友の言葉を受けて、ヴァルトラントがつけ足した。
「カリスト司令本部の補給部も、他所には煩く言うのに、自分たちは結構いい加減てことだーぁね」
 ラリーがふざけた口調で言うと、ベルントとクロルはクスクスと笑った。ヴァルトラントもラリーの核心を衝いた言葉に苦笑する。
「それはそうと――」
 ひとしきり続いた笑い声が止むと、ふとラリーが興味深げな面持ちで呟いた。
「このレーション、美味しいのかなぁ?」
「このタイプはイケるよ。特にデザートのフルーツケーキはおすすめ」
 何度もこのタイプのレーションを食べたことのある《航空隊》育ちの班長は、胸を張って味を保証した。途端に級友たちの目が輝く。
「ちょっとぐらい賞味期限が切れてても、食べれるよなぁ?」
「……よなぁ?」
 顔を見合わせたラリーとベルント瞳がキラリと光る。手にはしっかとレーションのパック。
「え、これを食べるつもり? お腹壊すかも知れないし、バレたら大変じゃない。やめといた方がイイよ」
 今にも封を切りかねない様子の二人を、クロルがたしなめた。
「俺、胃袋だけは丈夫だから」
「それに、中身だけ抜いて外箱を並べておけば判らないって。なぁ、ヴァルティ?」
 なおも食い下がった二人は、この手の悪戯は日常茶飯事という班長に同意を求めた。
「う……」
 普段のヴァルトラントなら首を縦に振っていただろう。現に一瞬、懐かしいフルーツケーキに心が揺らいだ。
 が、やはり止めておいた方がいいと思いなおした。理由は判らない。ただ直感的にそう思ったのだ。
「いや、俺もやめといた方がイイと思う。返品した後、《カリスト》が中を確かめないとは言い切れない。そしたら、教官の大目玉だけじゃすまなくなる」
 ヴァルトラントはきっぱりと首を横に振った。
「ちぇっ」
 お調子者コンビが不満そうに口を尖らせた。だがそれ以上食い下がろうとはしなかった。残念そうな顔で、手に持っていたパックをパレットに収める。
 ヴァルトラントは二人の落胆ぶりが気の毒になった。人の喜ぶ顔を見るのが好きな彼は、咄嗟に妙案を思いついて提案した。
「代わりに――休み明けになるけど、賞味期限の切れてないヤツを調達してきてやるよ」
「マジ?」
「やった!」
 少年たちの顔が明るくなる。そんな彼らに、《グレムリン》はいたずらっぽく目を細めて言う。
「《森の精》ならやりたい放題」
「じゃあ、俺らは《海兵隊》仕様のレーションを手に入れてくるよ」
 ヴァルトラント言葉に刺激されたのか、ラリーとベルントは自分たちも宣言した。さらにクロルが「じゃあ僕は《陸戦隊》仕様!」と手を挙げた。
 少年たちがニヤリと笑う。
 級友たちのこういったノリのよさが、ヴァルトラントは好きだった。彼らの笑顔を見れば、不安も厭なことも忘れることができる。
 だが、なぜか先ほど感じた不安は友人たちの笑顔をもってしても完全に消えることはなく、ヴァルトラントの頭の片隅でいつまでも燻りつづけた。

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