■スイート・ラブ・チェイサー■

■スイート・ラブ・チェイサー −ミルカの左遷事情−

 制御卓コンソールのスピーカーから洩れてくる音で、ミルカ・ファレーシェ中尉は目を覚ました。
 彼女は第八星域軍巡視艇〈フェアフォルガー〉の副長席でわずかに身を捩り、思わず顔をしかめる。夕べのヤケ酒が祟ってか、頭が重い。
「まったく……あのクソ艇長!」
 ミルカは口の中で、何かにつけ目の敵にしてくる艇長のアトキンス大尉を罵った。
 幸い狭いブリッジにいるのは自分と当直中のノーランド伍長だけだ。その伍長もコンソールのモニタに集中しているのか、ミルカの呟きは聞こえなかったようだ。
 何が伍長を夢中にさせているのか気になったミルカは、思わず聞耳を立てた。彼女の耳にハイテンションで捲くし立てる声が届く。
『ギャラネット・タッタカが今日ご紹介しますのは、この単分子包丁五本セットです!』
 当直中にふて寝していた彼女を起こしたのは、銀河ネットワークのショッピング番組だったらしい。つまり、ノーランド伍長は全神経を哨戒に集中させるべき当直中に、ネットサーフィンをしていたというわけだ。
 それは任務中にあるまじき行為だったが、ミルカは見逃した。何しろ彼女自身もぐーすか眠りこけていたのだ。それを棚に上げて、彼を叱るわけにもいくまい。
 大体、こんな主要航路から外れた宙域で、不審船に出会う確率はかなり低い。少々息抜きぐらいしても問題はないだろう。
『この、何でも切ることのできる単分子包丁五本セットに、なんと! 絶対傷付かない単分子まな板が、大中小の三枚ついて、このお値段っ!』
 レポーターの煽り文句にのせられたのか、モニタに見入っていた伍長の手がコンソールの上を滑りはじめる。
「私の分も注文してくれ、伍長」
「わわっ!?」
 ミルカが声をかけると、ノーランド伍長はシートの上で飛び上がった。
「起きてらっしゃったんですか?」
 伍長は慌てて銀河ネットへの接続を切ろうとするが、ミルカはそれを手で制して作業を進めさせた。伍長は目を丸くすると、気は確かかとばかりに彼女を見返す。
「たまにはくだらない買い物もいいだろう。伍長の分も買ってやるよ」
 彼女がいたずらっぽく笑うと、伍長はニヤリと返してコンソールへ向き直った。
 この艇から発信された超空間通信波が、瞬時に数光百年離れた本星のホストコンピュータにアクセスする。ネットショッピングの手続は、ものの数秒で完了した。
「あの中尉……」
 一息ついた伍長が遠慮がちに声をかけた。
「なんだ?」
 欠伸混じりにミルカは答える。
「こんな辺境宙域のパトロールなんて、本星近辺で活躍されていた中尉には退屈じゃありませんか?」
 伍長の質問に、ミルカの形よく整えられた眉が跳ね上がる。その様子に伍長は思わず首を引っ込めた。
 だがミルカは気分を害した風もなく、自嘲めいた口調で伍長の質問に答える。
「……まぁ、自業自得だからしょうがないさ」
 ミルカが左遷されてこの艇の副長に就いたことは、クルーだけでなく、第八星域軍警備隊の誰もが知っている。
 彼女はこの艇よりも大きな巡視船の船長として、本星近辺のパトロールにあたっていた。
 彼女の仕事は、さすが士官学校を主席で卒業しただけはあり、素早く完璧だった。不審船の捜査および拿捕、民間船の救難まで、見事な手際で何でもこなした。
 特に船の扱いに長け、その速さと機動力は、数ある同僚たちより頭一つ以上抜きん出ていたばかりか、宇宙を飛び回る犯罪者たちからは、眩いばかりの金髪を持つ容姿にちなんで〈金色の追跡者〉ゴールド・チェイサーと仇名され恐れられていたほどだ。
 そんな彼女の出世街道に、障害物はない――と、誰もが信じていた。
 つい数週間前までは――。
 当時大尉だった彼女は、臨検した不審船からたびたび賄賂を受け取り、それを見逃していたとして降格処分を食らったのだ。
 そして彼女はその処分を素直に受けた。とある船主と懇意にし、賄賂を受け取っていたのは事実だったからだ。
 まあ本来の実力が考慮されたのか、懲戒免職にならなかっただけマシではある。帝国との戦いで貧窮した世の中、食いっぱぐれないためには軍に身を置くのが一番確実なのだから。
 それに、とにかく軍にいる限り、いつか返り咲くこともできるだろう――。
 そんな打算と投げ遣りな気持ちを抱え、ミルカはこのおんぼろ巡視艇〈フェアフォルガー〉の副長となったのである。
 とはいえ、本星から離れた辺境でいつ出会うとも知れない不審船の警戒にあたるのは、エリートコースを歩んできた彼女にとって正直退屈であった。加えて、この艇で唯一の上司である艇長とは、なかなか折り合いがつかないときた。
「馬鹿なことをした、といまでは思う……」
 ミルカは中空に視線を漂わせる。
「利用されているだけだと気づかず、小娘のように熱を上げていたなんて」
「熱を上げて?」
 ミルカの言葉に伍長は眉を顰めた。彼女の口調は、まるで彼女が恋をしていたと言わんばかりだ。
 伍長の表情の意味を悟ったミルカがニヤリと笑う。
「『袖の下』も魅力的だったが、船長もイイ男だったのさ」
「なるほど」
 まだ若いノーランド伍長はどう返事したものか判らず、複雑に口元を歪めただけだった。そんな伍長などお構いなしに、中尉は続けた。
「初めは『袖の下』に目が眩んでいたが、何度か出会ううちに船長のことも気になりだしたんだ。奴の、輝くばかりの笑顔や紳士的な態度、身も心も蕩けさせるような言葉に、私は十代の小娘のように舞い上がった。そして『袖の下』アレを手にした時の、何ともいえない幸福感――! 当たり前のように、私はすっかりそれらの虜になった。任務のことなど忘れてしまうほどに、だ。……だが、次第に奴は、そんな私がうっとうしくなったんだな。逮捕を逃れるために自分から『袖の下』を差し出し、色仕掛けを続けていたくせに!」
 肘掛に乗せられているミルカの手に、力が込められる。宙を彷徨う蒼い瞳が、鋭い光を放った。
「……で、私が目障りになった奴は、警備隊本部に匿名で密告しやがったんだ。そして――このザマ、というワケさ」
 ミルカが両手を大きく広げた。一瞬、その秀麗な顔に物騒な笑みが浮かんだ。
 彼女の心の底に渦巻いていた裏切り者への憎悪を垣間見たような気がして、伍長は背筋が寒くなった。思わず身を震わせる。だがミルカに睨まれると、慌てて取り繕うように口を開いた。
「で、そいつはいま、どうしてるんです?」
「のうのうと密輸を続けているよ。奴は第八星域から禁輸品を持ち出し、帝国で売りさばいている常習犯だ。しかし警備隊では、誰も奴を捕まえることができない」
「どうしてですか?」
 伍長が目を瞬かせる。「あの」アトキンス大尉率いるこの〈フェアフォルガー〉ならともかく、中央を警備する精鋭たちでさえ捕まえられないとは信じ難い。
「神出鬼没で、逃げ足が早いんだ。そして奴を停めるには、取引用の合言葉が必要だ」
 ニヤリと笑いながらミルカは答えた。
「なるほど」
 感心しやすい性質なのか、伍長はしきりとうなづいた。だが、ふと気づいて首を傾げる。
「でも、中尉はその合言葉を警備隊本部に報告されなかったのですか?」
 伍長の質問に、ミルカは肩をすくめた。
「奴はこの手で捕まえたいんだ。それがケジメだと思うから――」
 ミルカは相容れぬ立場にある者との恋に溺れた自分を嘲笑った。そして、そのまましばらく物思いに耽るように目を閉じる。
 伍長にはその顔がどこか寂しげに見えた。だが彼女が次に目を開いた時には、そのような感傷的な気分は吹っ切れたのか、彼女の蒼い瞳は強い意志の光を放ち、口元は決断に引き締められていた。
「今度出逢うことがあったら、私は奴の取り扱いをもう間違えない。第八星域軍警備隊に所属する者として、犯罪者に縄をかけてやるよ」
 ミルカは心のどこかで引きずり続けていた愚かな過ちを洗い流す決意を込めて、固く拳を握り締めた。伍長と顔を見合わせ、うなづきあう。
 と、そこへ――。
「一度甘い汁の味を覚えた者が、そう簡単にそれを手放すことができるかな?」
 艇長であるアトキンスの声が背後から聞こえてきた。休息を終えてブリッジに戻ってきたらしい。
 ミルカたちが振り返ると、アトキンス大尉は嘲るような薄い笑みを浮かべて立っていた。
「……おはようございます、艇長」
 茶化されて内心ムッとしたミルカと気まずい顔になったノーランドが、この艇の最高責任者を迎える。
 アトキンスはミルカを一瞥すると、返礼もせずに艇長席についた。
 侮辱された怒りで顔を引き攣らせるミルカに、伍長が目で落ち着くように訴える。ここで「戦争」など始めたら、間に入る伍長は非常に辛い立場になるだろう。
「ノーランド伍長。何か変わったことは?」
 アトキンスは副長であるミルカを無視し、伍長に声をかけた。
 この艇への配属以来、彼女はアトキンスから無視されつづけている。たまに声をかけられても、嫌味の言葉をぶつけられるぐらいだ。この壮年の艇長が彼女の存在を快く思っていないことは、火を見るより明らかだった。
 理由は単純明快。ミルカが「女」だからだ。
 ミルカは「女」でありながら、先日までアトキンスと同じ地位にあって活躍していた。そのうえ、この艇にやってきてすぐに古参のクルーたちとも打ち解けてしまった。
 華々しい活躍や、部下からの信頼――自分が得られなかったものを、いとも簡単に手に入れてしまう彼女が、何百世代も昔の価値観を持つアトキンスには疎ましいのだろう。
「いえ、ありません」
 艇長の質問に、伍長が答える。
「艇長、下がってもよろしいでしょうか」
 同じ部屋にいるのは胸糞悪い。ミルカは感情を押し殺した声で退出許可を求めた。
 アトキンスが面倒くさそうに追い払う仕草をする。
 冷たく目を細めたミルカはもう一度敬礼すると、踵を返しブリッジを出ようとした。その背にアトキンスの呟きがぶつけられる。
「ふん、女風情が……」
 一瞬、ミルカの足が止まる。振り返ろうとして伍長と目が合った。伍長は必死で首を横に振っている。
 いま上官に盾突いたりして問題を起こすな――そう訴える伍長の目が、ミルカを我に返らせた。彼女は一つ深呼吸して気を落ち着かせる。
 アトキンスは、彼女が出世できたのは「女」であることを武器にしたからだと信じている。しかしミルカは知っていた。何一つ功績をあげていない彼が惑星勤務に追いやられず、辺境とはいえ未だパトロール勤務に就いていられるのは、彼の実家のコネがあるからだと。
 落ち着いたミルカは、そんな坊々ぼんぼんを相手にするのが馬鹿らしくなった。伍長に苦笑を見せ、再び歩きはじめたその時――。
 艇の周囲に設置していた遠隔小型探査機プローブが異常を告げた。伍長が慌てて状況を確認する。ミルカも退出するのは止めて、急いで自分の席に引き返した。
「重力波に異常。通行予定にない船が跳躍してきます。出現予測点までの距離は〇・九八。八五秒後に出現します」
「近いな……」
 伍長の報告にミルカが舌打ちした。
 跳躍直後はかなりの速度が出ている。あまり近すぎると、こちらの速度が出る前にすれ違うか、逆にずっと離されてしまう。
「総員、配置!」
 艇長が艇内放送でクルーを集める。休憩中だった者たちが慌しくブリッジに駆け込んできた。
「未確認船出ます」
「飛び出す方向と速度を割り出せ。艇をそれに併せろ!」
 船長だった時の習慣が抜けないのか、ミルカが思わず指示を飛ばす。
「ファレーシェ中尉は引っ込んでいたまえ! まだ怪しいと決まったわけではないっ。コースを外れた旅客船かもしれんだろうが!」
 自分に指示を求めず勝手にクルーを動かしたミルカに、アトキンスは青筋を立てて怒鳴った。
「……はい、艇長」
 険しい顔で「とりあえず」謝ったミルカは、もう何も言うまいとシートに深く座りなおした。腕と足を組んで、置物になる。
 それに満足したアトキンスは意気揚々と、ミルカから見るとモタモタと、クルーに指示を与えはじめる。
「すぐに射程内に飛び込んどかなきゃ、逃げられちゃうでしょうが。そんな後手後手だから、いつもしくじるんだってば――」
 もどかしさと、半ば投げ遣りに、ミルカは口の中で悪態をつく。
「未確認船は、速度を落としつつ本艇に向かってきます。邂逅まで約六〇〇秒」
「速度を落としているということは、どうやら敵の船ではなさそうだな」
 アトキンスが横目で、そら見ろとばかりにミルカを見遣る。だがミルカが正面の大型モニタを見つめたまま気づかない振りをすると、彼は忌々しそうに舌打ちした。
「識別信号に応答ありませんっ」
 通信士マーサ・ガルシア軍曹の緊張した声がブリッジに響く。するとアトキンスの顔が俄かに曇った。
「あ、転進しはじめました!」
「何っ!?」
 艇長の目は驚きで見開かれる。
「すぐに追え!」
 慌てて指示を出すが、すでに手遅れだとミルカには判っていた。いくら不審船が速度を落としていたといっても、停止状態から動きはじめる〈フェアフォルガー〉のぽんこつエンジンでは、いまから加速を始めても相対速度を殺すスピードに乗ることは難しい。
 あたふたしている艇長の横顔を盗み見て、彼女はざまを見ろと心の中で舌を出した。
「ん?」
 身体にかかるGを感じながら、彼女はふと、手元の端末に送られてきた未確認船のデータに目を留めた。
「これは……」
 見覚えのある――いや、よく知っている船だ。
「まさか……」
 同じ型の違う船だと思おうとしたが、彼女は否定した。あのように変わった形の船など、他にあるはずがない。あれは「奴」の船に間違いない。
 そこまで考えて、ミルカは気づいた。
「ああ、さっきの通販で飛ばした通信波を辿ってきたのか」
 商売っ気の多い奴なら、客のいそうな場所を探り当ててすっ飛んで来るのは、充分ありえることだった。奴も、まさか任務中の警備艇がネットショッピングをしているとは思わなかったのだろう。
「ふふ、こんなに早く逢えるとはね」
 目を細めたミルカの口元に、笑みが浮かぶ。直後、彼女は瞬間的に出世街道復帰への段取を頭の中で組んだ。
 中央への帰還は、別にそう急ぐつもりはない。まずは目の上の瘤を取り除いてからだ。
 とにかく何でもいいから、アトキンスに手柄を立てさせよう。何度か続ければ、彼もコネの力の相乗効果で出世し、別の部隊へと転属になる。自分はそのあとで復帰のために働けばいい。
 そう考えたミルカは、正面の大型モニタに再び目を向けた。モニタに映る疎らな星々のどれかが、かつて彼女が愛し、彼女を裏切った男の船だ。
 奴には復帰のための足がかりになってもらう。こうなるように仕向けたのは奴自身だ。文句は言わせない。
 でも……。
 ミルカは男のことはもうどうでもよかったが、自分が深みにハマるきっかけになった「アレ」が味わえなくなるのは、少し寂しい気がした。
 「アレ」は彼女だけでなく、彼女の部下にも大人気だった代物だ。
 戦争が始まる前は、誰でも手にすることのできるごくありふれたものだったが、いまでは輸出が禁じられるほど貴重なものになっていた。
 さらに奴の加工したモノの出来は絶品で、一度その味を覚えると、いままでのものでは満足できなくなるのだ。帝国の金持ちや宇宙生活者たちが、こぞって買い求めたがるのも無理はない。
 そういえば、奴の先祖が「アレ」の加工職人で、この銀河の片隅にあった小さな星系で、奴と同じように売り歩いていたのだと聞いたことがあったな。奴の船は、その先祖が使っていた乗り物を模していると――。
 そんなことを考えながら、彼女はアトキンスに向き直って告げた。
「艇長、あの船停めてみせましょうか?」
 その言葉にアトキンスは怪訝な顔をする。
「何を企んでいる?」
 猜疑心の強い彼は、自分の足元を掬いかねないミルカの行動力を恐れているようだ。
 そんな彼に、ミルカはにこやかに微笑んだ。
「別に何も企んではおりません。〈フェアフォルガー〉が手柄を立てられるチャンスを逃すのが惜しいだけです。私は〈フェアフォルガー〉の一員として、任務を全うしたいのです」
「……ううむ」
 アトキンスは逡巡した。しかしこれ以上、本部や一族に失態を晒すわけにもいかないのだろう、渋りきった顔で答える。
「……失敗したら、どうなっているか理解るな?」
「全ての責任は自分がとります」
 自信たっぷりにミルカが請け負うと、彼はようやく首を縦に振った。それをしっかり見届けてから、ミルカは通信士の端末に必要なデータを送りつけた。
 データを見たマーサが、確認するように振り返る。
「こ、これですか!?」
 不安そうな目の女性通信士に、ミルカは肯いた。
「そうだ。ちゃんと音声データを載せるんだぞ。でないと奴は停まらない」
 言い切るミルカの言葉に通信士は半信半疑な顔で端末に向かい直すと、通信回線を繋いだ。
 そしてマイクに向かって、叫ぶ。
「焼きイモ屋さーん!」
 一瞬ミルカの脳裏に、世の女性たちを魅了して止まないあのホッコリとした金色のイモの姿が浮かんだ。あの時は寝ても冷めても食べたくてしょうがなく、奴の後を追っかけ回していた。しかしいまは、不思議と欲しいとは思わなかった。
「未確認船が速度を落としはじめました!」
 ノーランド伍長の明るい声がブリッジに響く。
 その声と重なって、奴の能天気な声がスピーカーから飛び出してきた。
「ハーイ! 俺の最っ高の焼きイモを食べたいお嬢さんは、誰かなぁ?」
 古い過ちと訣別し再出発を果たしたミルカは、かすかに笑うと白兵隊員に強制乗艦の準備をさせた。

-END-
10.Oct.2003 Hiro Fujimi

■スイート・ラブ・チェイサー■

■著者:ふじみひろ■
■著者サイト:STUDIO DRAGON-web■