KANの「たまビリ的むかし話」---13年くらい前の札幌撞球事情
「昔」と言っても、私がビリヤードを始めてからの事ですから 諸先輩方からすると、そう昔でもないと感じる事と思いますが 私が初めてキューを握ったのは、今(2001)から13年前、23歳の秋頃だったと思います。
当時、地元の小さな町にたった一軒、ポケット2台、4ッ球1台の球屋があり 友人に誘われて初めて入ってから、球との付き合いが始まったわけです。 数ヵ月後、江別市野幌に当時あった「ビリヤードさっぽろ」にマイキューを手に入れ、そこから本格的にビリヤードを練習するようになっていきました。 その頃(12〜3年前、昭和63〜4年頃)は全国的には爆発的ブームも沈静化しつつある時期でしたが 札幌市内の球屋はまだ何処も活気があり、夜ともなれば一時間待ち2時間待ちは当たり前でした 15台規模の球屋がどこも満台になるような状況ですから、当時「猫も杓子もビリヤード」となってたわけです。
現在はめったに無い大型のプールバーもこの頃隆盛期で、札幌市内には「ロスアンゼルスクラブ」 「ローリーボール」 「キューバンズクラブ」などがあり、ススキノ界隈のプールバーは一時間800〜1000円、ドリンクは500円以上という恐ろしい価格設定でしたが、豪華な内装とお洒落な雰囲気は抜群で大人気でした。 現在、当時のプールバーを彷彿させるお店といえば、中央区の「クノイサス」が上げられると思います。
2002/9追記:2002年5月 クノイサスは惜しまれながら閉店になりました・・・
今は無き、懐かしい球屋さんたち・・ お世話になりました。感謝を込めて店名を書きとめておきます。
「ビンビン」 「ロスアンゼルスクラブ」 「ロスアンゼルスクラブ V.I.P」 「キューバンズクラブSAPPORO」 「サムタイム」 「スタジアムテイネ」 「大通りビリヤード」 「マンハッタンクラブ」 「平岸スガイビリヤード」 「スーパースター」 「サブロー」「BOX」 「ビリヤードさっぽろ(江別市文京台)」そして 「M's」・・・・ それぞれのお店に、沢山の忘れられない思い出があり、様々な人達との出会いがありました。
2006年4月追記:
2006年1月に市内ポケット専門店の老舗で、公式戦会場としても親しまれてきた「手稲前田ビリヤード」が閉店となりました。 長い間お世話になりました。 KANも約8年間常連として通い、上村プロや先輩諸氏からたくさんの技術を学びました。 現支部長の山形プロ、スガイの鈴木プロ、ランシステムの矢後プロ、SA級の仲田さん、みんな大通りビリヤードや手稲前田には思い入れがあった事と思います。
ここ数年の間にも、白石スガイ、オーガスティン、どうきゅう館、スガイアポロン、研球室、滝川KISSが閉店しました。 本当にお世話になりました、そしてお疲れさまでした。
※オーガスティンがあった場所に、2006/2 JIMAビリヤードがオープンしました。 元M’sのオーナーで手稲前田従業員だった中島さんがオーナー店長です。
1990年頃の技術レベル・・・・・
最近は歴1〜2年でボーラード200点出す人も稀では無くなりましたがその頃の札幌のレベルといえば、200点のハイゲームを出した経験がある人は5〜6人だったと記憶してます。ロスアンゼルスクラブの従業員「K」さん、大通りビリヤードの上村さん(現プロ)、などだったとと思います。中でも上村さんはダントツで、当時から250点以上を常に出せる実力がありました。 その頃、私はボーラード100点がやっと出るようになった頃で、アベレージにすると70点ほどだったと思います。 「200点」を目標にしてましたが、果てしなく遠く、不可能に近い目標に思えてました。私にとっての初公式戦「第3回 北海道14−1選手権」のハイラン賞が22点だった事からも、当時のレベルがイメージできると思います。 ちなみに、ここ数年の14−1選手権は予選60点ゲームでも30点台のハイランはごく普通に出ています。 ナインボールのハウストーナメントも各店で行われていましたが、現在のように、クラス分けなど無く、5セット先取、3セット先取などの試合がほとんどでした。 実際、ハンデなど設定しなくても、誰が勝つか全く予想できないほど、試合は混沌としていましたし、セーフティなどの駆け引きも使わない選手が多かったように思います。 さらに現在と比較してマスワリを試合で出せる選手はごく限られてました。それも滅多に見られなかったように記憶しています。 現在のように、ブレークを練習する選手が非常に少なかったのも一つの要因ですが、全体としてポジション技術が低かった事や、メンタルな面でタフな選手が少なかったと思います。 ちなみに、今なら常識のサイドブレークをする人は当時ほとんど居ませんでした。 昔話余談----ここ数年ビリヤードを始めた人達には、あまり知られていない事ですが、その頃海外のトッププロが札幌にやって来て、エキジビジョンマッチを行ったことがありました。
顔ぶれは、マイク・シーゲル、アール・ストリックランド、ホセ・パリカ、ニック・バーナー 、ジムレンピ。
私も実際に会場で見学しましたが、その頃の私のレベルでは、ストリックランドやシーゲルの技術を全く理解できず、ただ退屈だった事だけが記憶に残っています。 淡々と取り切るストリックランドを眺めながら、あくび連発してたんですから、今思うと、罰当たりですねぇ・・(^^; 数年後、ストリックランドのビデオを擦り切れるほど見て研究するようになるとは全く考えもしなかった頃のお話です。