113系
網干総合車両所

F1編成

Tc111 M113 M'112 Tc111
〜2000年3月下旬 5128 5165 5165 5427
2000年3月下旬〜2000年10月中旬 5067 5200 5200 5450
2000年10月中旬〜2000年11月上旬 5067 5450
2000年11月上旬〜 7139 7052 7052 7036

Tc-5128+MM'-5165+Tc-5427は1999年10月2日のダイヤ改正まで宮原区S41編成として2730Mなどの福知山線の運用についていました。そして、1999年10月2日のダイヤ改正以後、網干区に戻りF1編成となりました。
2000年1月下旬頃より下関に貸し出され下関・広島地区で活躍している模様です。
2000年3月下旬に旧F11編成Tc-5067+MM'-5200+Tc-5450が新たにF1編成に割り当てられました。(JR電車編成表’00夏号に準拠)
ここで編成からはずれたTc-5128+MM'-5165+Tc-5427は新たにF12編成に割り当てられました。
2000年10月中旬、MM'-5200が吹田工場経由で日根野区に運ばれ、Tc-5177、5499と組んで日根野区の運用についています。
2000年11月上旬、日根野区よりTc7139+MM'7052+Tc7036がリニューアル化の上、転入し新たにF1編成に割り当てられました。
ここで編成からはずれたTc-5067,5450はしばらく行方不明でしたが、2000年12月中旬にK20編成に組み込まれた模様です。

F2編成

Tc111 M113 M'112 Tc111 備考
〜1999年6月中旬 5170 5102 5102 5364 宮原区に貸出、詳細はS40編成の項を参照
1999年6月中旬〜1999年10月2日 5170 7554 7554 5364
1999年10月2日〜2000年1月上旬 5170 7554 7554 5364
2000年1月上旬〜2000年3月初旬 5170 7054 7054 5364
2000年3月初旬〜2000年4月上旬 5170 5139 5139 5364
2000年4月上旬〜2000年12月上旬 5170 5774 5774 5364
2000年12月上旬〜2001年4月上旬 5170 7513 7513 5364
2001年5月上旬〜2001年11月上旬 5170 5774 5774 5364
2001年11月上旬〜2002年4月上旬 5170 7513 7513 5364
2002年4月上旬〜 5170 5774 5774 5364

この編成は1999年10月2日のダイヤ改正まで宮原区S40編成として2730Mなどの福知山線の運用についていました。そして、1999年10月2日のダイヤ改正直後、一時期広島地区に出張しましたが1999年10月中旬頃網干区に戻りF2編成となりました。
2000年1月上旬頃、検査入場してMM'-7554にブレーキてこ比復元改造が行われ、MM'-7054に改番となりました。
2000年3月初旬にMM'-7054が、F2編成のMM'-5139に置き換わりました。
ここで編成からはずれたMM'-7054はK7編成に組み込まれました。
2000年4月上旬にはMM'-5139が宮原区S3編成のMM'-5774に置き換わりました。
ここで編成からはずれたMM'-5139は2000年8月下旬現在網干車両所に留置中です。
2000年12月上旬、MM'-5774が宮原所S37編成のMM'-7513に置き換わりました。
ここで編成からはずれたMM'-5774は宮原所S37編成に組み込まれました。
2001年4月上旬、MM'-7513が宮原所S37編成のMM'-5774に置き換わりました。
ここで編成からはずれたMM'-7513は宮原所S37編成に組み込まれました。
2001年11月上旬、MM'-5774が宮原所S37編成のMM'-7513に置き換わりました。
ここで編成からはずれたMM'-5774は宮原所S37編成に組み込まれました。

F3編成

Tc111 M113 M'112 Tc111
〜1999年9月中旬 5102 5232 5232 5346
1999年10月初旬〜2000年3月下旬 5115 5197 5197 5489
2000年3月下旬〜 5270 5-6114 4-6198 5482

1999年9月中旬頃、吹田工場でMM'-5232とTc-5346が解体されているのが目撃されています。
Tc-5102も同様に解体されたものと思われます。
よって、この編成は1度消滅しました。
1999年10月になって旧F15編成Tc-5115+MM'-5197+Tc-5489が新たにF3編成に割り当てられました。
2000年3月下旬に旧F12編成Tc-5270+M115-6114+M'114-6198+Tc-5482が新たにF3編成に割り当てられました。(JR電車編成表’00夏号に準拠)
ここで編成からはずれたTc-5115、5489、MM'-5197はK6編成に組み込まれました。

F4編成

Tc111 M113 M'112 Tc111
1999年5月10日〜1999年10月中旬 5091 5193 5193 5490
1999年10月中旬〜2000年1月下旬 5022 5771 5771 5490
2000年1月下旬〜2000年3月下旬 5022 5721 5721 5490
2000年3月下旬〜 5156 5721 5721 5461

1999年10月中旬頃Tc-5091がF5編成(S42編成)のTc-5022にMM'-5193がS6編成のMM'-5771に置き換わりました。
ここで編成からはずれたTc-5091はF15編成に組み込まれ、MM'-5193は廃車となり、F16編成とともに鷹取駅正面留置線に留置されていましたが、その後姿を消してしまいました。
MM'-5193については解体されたものと思われます。
2000年1月上旬頃、MM'-5771にブレーキてこ比復元改造が行われ、MM'-5721に改番となりました。
2000年3月下旬にはTc-5022、5490がそれぞれ旧F9編成のTc-5156、5461に置き換わりました。
ここで編成からはずれたTc-5022、5490はF15編成に組み込まれました。

F5編成

Tc111 M113 M'112 Tc111 備考
1999年5月10日〜1999年10月2日 5130 6195 6195 5409 宮原区に貸出、詳細はS42編成の項を参照
1999年10月初旬〜1999年10月下旬 5267 6125 6125 5500
1999年10月下旬〜2001年7月上旬 5267 5125 5125 5500 ATS-P取り付け、全検、塗装変更(偽?阪和色)の上、日根野区へ転属
2000年10月下旬〜 7141 7056 7056 7038

Tc-5130+MM'-6195+Tc-5409は1999年5月10日のダイヤ改正から1999年10月2日のダイヤ改正まで宮原区に貸し出され、宮原区S42編成として2730Mなどの福知山線の運用についていました。そして、1999年10月2日のダイヤ改後、網干区に戻りF15編成に割り当てられました。
1999年10月初旬に旧F18編成Tc-5267+MM'-5125+Tc-5500が新たにF5編成に割り当てられました。
1999年10月下旬頃、検査入場してMM'-6125にブレーキてこ比復元改造が行われ、MM'-5125に改番となり、その際所属表記が「神ホシ」に変更となりました。
2001年7月上旬頃、全検、塗装変更(阪和色)、ATS-P取り付けの工事が行われ、日根野区に転属となりました。このとき行われた阪和色への塗装変更では、帯の色が正規の「青22号特」ではなく、103・201系と同じ「青22号」となりました。この編成は2001/7/11より、日根野区の運用に就いている模様です。
よってこの編成は一度消滅しました。
2000年10月下旬、日根野区よりTc7141+MM'7056+Tc7038がリニューアル化の上、転入し新たにF1編成に割り当てられました。

F6編成

Tc111 M113 M'112 Tc111
1999年5月10日〜 7121 7029 7029 7029

この編成は、1999年5月10日以降、変化がありません。

F7編成

Tc111 M113 M'112 Tc111
〜1999年10月2日 5082 5227 5227 5413
1999年10月初旬〜1999年11月中旬 7162 5772 5772 5428
1999年11月中旬〜 7162 5722 5722 5428

1999年5月10日のダイヤ改正以降活躍してきたTc-5082+MM'-5227+Tc-5413ですが、1999年10月2日のダイヤ改正に伴い、日根野電車区に転属しました。和歌山線にて活躍していましたが、2000年8月〜9月にかけて廃車されました。
よってこの編成は1度消滅しました。
1999年10月になって旧F19編成Tc-7162+MM'-5772+Tc-5428が新たにF7編成に割り当てられました。
1999年11月中旬頃、検査入場してMM'-5772にブレーキてこ比復元改造が行われ、MM'-5722に改番となり、その際Tc-7162も含め所属表記が「神ホシ」に変更となりました。

F8編成

Tc111 M113 M'112 Tc111
〜1999年5月10日 5176 5327 5327 5562
1999年5月10日〜 5256 5334 5334 5564

リニューアル化されたTc-5256+MM'-5334+Tc-5564が日根野区から転入した代わりにTc-5176+MM'-5327+Tc-5562が日根野区に転出して現在に至っています。

F9編成

Tc111 M113 M'112 Tc111 備考
〜2000年3月下旬 5156 5226 5226 5461
2000年3月下旬〜2000年12月上旬 5707 5707 5707 5757 京キトに貸出(L21編成)2001/3/2まで
2000年12月上旬〜2001年4月上旬 7161 5707 5707 7070
2001年4月上旬〜2001年11月上旬 5707 5707 5707 5757 2001年5月頃から表字幕(前・側)なし
2001年11月上旬〜2002年4月上旬 7161 7517 7517 7070
2002年4月上旬〜 5707 5768 5768 5757

1999年7月20日頃からK13編成とともに鷹取工場に留置されていたTc-5156+MM'-5226+Tc-5461ですが、1999年8月に入ってから、突然姿を消し、それから1999年9月12日の794Tの後位に連結されているのを発見されるまで姿が見えませんでした。どうやら、検査入場していたらしく、現在は上記の通り運用に復帰している模様です。
2000年3月下旬に旧F14編成Tc-5707+MM'-5707+Tc-5757が新たにF9編成に割り当てられましたが、京都所に貸し出されているためJR神戸線ではほとんど姿を見ることはありません。(JR電車編成表’00夏号に準拠)
ここで編成からはずれたTc-5156、5461はF4編成にMM'-5226はK6編成に組み込まれました。
2000年12月上旬、Tc-5707、5757が宮原所S37編成のTc-7161、7070に置き換わりました。
ここで編成からはずれたTc-5707、5757は宮原所S37編成に組み込まれました。
2001年4月上旬、Tc-7161、7070が宮原所S37編成のTc-5707、5757に置き換わりました。
ここで編成からはずれたTc-7161、7070は宮原所S37編成に組み込まれました。
2001年5月頃から、前面・側面とも表字幕なしで運用に就いています。
2001年11月上旬、Tc-5707+MM'-5707+Tc-5757が宮原所S37編成のTc-7161+MM'-7517+Tc-7070に置き換わりました。ここで編成からはずれたTc-5707、5757は宮原所S37編成に、MM'-5707はF10編成にそれぞれ組み込まれました。
2002年4月上旬、Tc-7161+MM'-7517+Tc-7070が宮原所S37編成のTc-5707+MM'-5768+Tc-5757にそのまま置き換わりました。

F10編成

Tc111 M113 M'112 Tc111
〜2000年4月上旬 5143 5198 5198 5335
2000年4月中旬〜2000年12月上旬 5258 5768 5768 7073
2000年12月上旬〜2001年4月上旬 5258 7517 7517 7073
2001年4月上旬〜2001年11月上旬 5258 5768 5768 7073
2001年11月上旬〜 5258 5707 5707 7073

Tc-5143+MM'-5198+Tc-5335ですが、2000年1月頃下関車両管理室にで目撃されたのち、2000年3月中旬網干に帰ってきました。
2000年3月下旬にTc-5143がK12編成に、MM'-5198がK2編成に組み込まれました。なお、Tc-5335は2000年5月中旬頃まで行方不明したが、2000年5月中旬にF16編成に組み込まれました。
よって、この編成は1度消滅しました。
2000年4月中旬になって宮原区S3編成のMM'-5768と旧S38編成のTc-5268,Tc-7073で再組成されました。
2000年12月上旬、MM'-5768が宮原所S37編成のMM'-7517に置き換わりました。
ここで編成からはずれたMM'-5768は宮原所S37編成に組み込まれました。
2001年4月上旬、MM'-7517が宮原所S37編成のMM'-5768に置き換わりました。これと同時に検査に入り、Tc-5268,Tc-7073,MM'-5768の4両の所属表記が「大ミハ」から「神ホシ」に変更となりました。
ここで編成からはずれたMM'-7517は宮原所S37編成に組み込まれました。
2001年11月上旬、MM'-5768がF9編成のMM'-5707に置き換わりました。ここで編成からはずれたMM'-5768は宮原所S37編成に組み込まれました。

F11編成

Tc111 M113 M'112 Tc111 備考
〜2000年3月下旬 5067 5200 5200 5450
2000年3月下旬〜2002年4月下旬 5135 5156 5156 5399 4両とも阪和色
2002年4月下旬〜 5135 5075 5075 5399 Tcは阪和色、MM'は湘南色

2000年3月下旬に日根野区からTc-5135+MM'-5156+Tc-5399が新たにF11編成に割り当てられ阪和色のまま訓練車として活躍中です。(JR電車編成表’00夏号に準拠)
ここで編成からはずれたTc-5067+MM'-5200+Tc-5450は新たにF1編成に割り当てられました。
2001年7月上旬、和田岬線電化の際、訓練車が103系6連に置き換わったため、Tc-5135+MM'-5156+Tc-5399はお役ご免となり、2001年7月下旬頃、なんと阪和色のまま下関地区へ貸し出され、話題を呼びました。2002年2月頃から広島地区にて活躍していましたが、2002年2月下旬頃から下関車両管理室(旧下関運転所)に留置され、運用には就いていないように見受けられました。(2002/3/6下関に遠征してつっくん確認済み)
その後、下関車両センター(旧幡生工場)に運ばれ、去就が注目されていましたが、2002年4月下旬、MM'に元F16編成のMM'-5075を組み込んで蘇り、早速、下関地区の運用に就いている模様です。ここで編成からはずれたMM'-5156は下関車両センター(旧幡生工場)で解体された模様です。

F12編成

Tc111 M113 M'112 Tc111 備考
〜1999年5月10日 5022 5091 5091 5482
1999年5月10日〜1999年7月上旬 5270 5091 5091 5482
1999年7月上旬〜2000年3月下旬 5270 5-6114 5-6198 5482
2000年3月下旬〜 5128 5165 5165 5427 下関区に貸出中。ただし、下関区ではF01編成のまま
2001年7月下旬、F11と交換で網干に返却??

1999年5月10日のダイヤ改正後、Tc-5022が宮原区旧S39編成ののTc-5270に置き換わりました。この時点ではTc-5270の所属表記は「大ミハ」でした。
1999年 7月下旬になって、MM'-5091が旧K16編成のM115-6614,M'114-6698(ただし、ブレーキテコ比復元改造を受けそれぞれM115-6114,M'114-6198に改番されています)に置き換わっています。これと同時にTc-5270の所属表記は「神ホシ」となった模様です。
ここで編成からはずれたMM'-5091は1999年8月中旬頃より吹田工場で留置中でしたが、その後解体されたものと思われます。
2000年3月下旬に旧F1編成Tc-5128+MM'-5165+Tc-5427が新たにF12編成に割り当てられ、引き続き下関区へ貸し出されました。(JR電車編成表’00夏号に準拠)
ここで編成からはずれたTc-5270+M115-6114+M'114-6198+Tc-5482は新たにF3編成に割り当てられました。
2001年7月下旬頃、下関に貸し出されたF11編成の代わりにTc-5128+MM'-5165+Tc-5427が網干所に返却された模様です。しかし、実際は網干所には戻らず、2002年1月頃、下関車両センターにて解体された模様です。(ただし、2001年10月時点では車籍は存在。JR電車編成表’02冬号に準拠)


F13編成

Tc111 M113 M'112 Tc111 備考
〜1999年8月初旬 5074 5152 5152 5484
1999年8月初旬〜 5074 5127 5127 5484 広島地区→岡山地区で活躍の後、下関車両センターで解体

1999年5月10日のダイヤ改正後、しばらくは編成に変化はありませんでしたが、1999年8月初旬頃、MM'-5152が宮原区旧S32編成からはずれ、鷹取工場に留置されていたMM'-6127(ただし、ブレーキテコ比復元改造を受けMM'-5127に改番されています)に置き換わっています。なお、MM'-6127の所属表記は「大ミハ」のままである模様です。
ここで編成からはずれたMM'-5152は廃車となり解体された模様です。
2000年3月上旬、突如広島地区へ旅立っていきました。
2000年3月11日のダイヤ改正以後も広島区に貸し出され、当地区で活躍中とのことです。
2001年1月中旬頃、岡山区に移り、当地区で活躍し始め、2001年4月頃、1度広島に戻った後、再び2001年7月頃まで岡山地区で活躍しました。その後、下関車両センターに運ばれ、解体されている模様です。(2001年10月時点では車籍は存在。JR電車編成表’02冬号に準拠)

F14編成

Tc111 M113 M'112 Tc111 備考
〜1999年10月2日 5144 5117 5117 5446
1999年10月中旬〜2000年1月下旬 5707 5757 5757 5757
2000年1月下旬〜2000年3月下旬 5707 5707 5707 5757 2000年2月下旬より京都所に貸し出し
2000年3月下旬〜 5020 5043 5043 5305 2000年10月上旬より福知山線で活躍中→
2001年3月のダイヤ改正で網干所に返却

1999年5月10日のダイヤ改正以降活躍してきたTc-5144+MM'-5117+Tc-5446ですが、1999年9月下旬頃運用をはずれ、王寺駅に留置されていたのが目撃されています。1999年10月2日のダイヤ改正に伴い、日根野電車区に転属しました。和歌山線にて活躍していましたが、2000年9月にMM'-5117となり、Tc-5144、Tc-5446が保留車となっています。(2001年10月現在、JR電車編成表’02冬号に準拠)
よってこの編成は1度消滅しました。
1999年 10月中旬になって宮原区旧S6編成のうちTc-5707+MM'-5757+Tc-5757が新たにF14編成に割り当てられました。
所属表記は「大ミハ」のままです。
2000年1月下旬には、MM'-5757にブレーキてこ比復元改造が行われ、MM'-5707に改番となりました。
2000年2月下旬より、京都所に貸し出され、主に湖西線・草津線で活躍していました。
2000年3月下旬に旧K14編成の一部であるTc-5020+MM'-5043+Tc-5305が新たにF14編成に割り当てられました。(JR電車編成表’00夏号に準拠)
ここで編成からはずれたTc-5707+MM'-5707+Tc-5757は新たにF9編成に割り当てられました。
2000年9月上旬より、福知山区に貸し出されていました。
2000年10月上旬に行き先表示幕は白幕のまま(ただし、福知山線仕様)、福知山線の運用についているのが確認されています。
2000年10月下旬に宮原所に貸し出し先が変更され、F16編成とともに8両編成で福知山線の2726Mに充当されている模様です。
2000年12月下旬(12月16、17、23、24日)には、F16編成とともに8両編成でルミナリエ輸送臨時快速列車に充当されました。
2001年3月上旬、ダイヤ改正に伴って、網干所に返却され、網干所の運用に就いています。
2001年秋以降、運用に入っていない模様です。2002年4月上旬頃、吹田工場に留置されているのが目撃されています。

F15編成

Tc111 M113 M'112 Tc111 備考
1999年5月10日〜10月初旬 5115 5197 5197 5489
10月初旬〜10月中旬 5022 6195 6195 5409
10月中旬〜2000年3月上旬 5091 6195 6195 5409
2000年3月下旬〜2001年3月上旬 5022 5076 5076 5490 10月上旬日根野区→吹田工場→2001年2月〜3月付けで廃車
2001年4月上旬〜2001年4月下旬 5067 5201 5201 5450
2001年4下旬〜 5064 5027 5027 5314

1999年5月10日のダイヤ改正以降変化のなかったTc-5115+MM'-5197+Tc-5489ですが、1999年10月初旬、F3編成に割り当てられました。
その代わりに1999年10月2日のダイヤ改正まで宮原区S42編成として2730Mなどの福知山線の運用についていたTc-5022+MM'-6195+Tc-5409が割り当てられました。
1999年10月中旬頃、Tc-5022がF4編成のTc-5091に置き換わり、広島地区に旅立っていきましたが、12月上旬に網干へ里帰りしたという情報もあります。
2000年3月上旬には下関車両管理室のG03編成との組み替えが行われ
Tc111-5091+M115-114+M'114-100+Tc115-1081
Tc115-27+MM'113-6195+Tc111-5409
となり、前者は、2000年3月11日のダイヤ改正後も広島地区で運用についていたようですが、後者はしばらく下関車両管理室に留置された後、2001年3月廃車となりました。
Tc111-5091については、その後所属表記が「広セキ」に変更され、正式に下関車両管理室へ移籍しました。
そして、2001年12月頃、抑速ブレーキ改造が行われ、実質115系化されています。
よって、一度この編成は消滅しました。
2000年3月下旬にF4編成からTc-5022、5490、K14編成からMM'-5076の4両で再組成され、新たにF15編成に割り当てられました。(JR電車編成表’00夏号に準拠)
2000年10月上旬、奈良区経由で日根野区に送られました。その後、吹田工場に運ばれ、2001年2月から3月にかけて廃車されました。
よって、この編成は消滅しました。
2001年4月上旬、K20編成のTc-5067,5450とK18編成のMM'-5201の4両で再組成され、新たにF15編成に割り当てられました。(JR電車編成表’01夏号に準拠)この編成はそのまま岡山区へ貸し出され、岡オカB03編成となりました。この岡オカB03編成は、2001年10月のダイヤ改正まで岡山区の運用に就いたあとしばらく使用されませんでしたが、2002年1月頃から下関地区で活躍しているそうです。その後、Tc-5067+MM'-5201+Tc-5450から編成番号がなくがなりました。(JR電車編成表’02冬号に準拠)
2001年4月下旬、今度は、K19編成のうちの4両が新たにTc5069+MM'5027+Tc5314がF15編成に割り当てられました。(JR電車編成表’02冬号に準拠)しかし、営業運転に入ることはなく、奈良区で脱線復旧訓練に使用されるなど地味な活躍をしています。

F16編成

Tc111 M113 M'112 Tc111 備考
〜1999年10月中旬 5344 5196 5196 5333
2000年5月中旬〜2001年9月下旬頃 5145 5075 5075 5335 2000年10月上旬より福知山線で活躍、
2001年3月のダイヤ改正で網干所に返却
2001年9月下旬頃〜 5145 5039 5039 5335

1999年10月2日のダイヤ改正後もしばらく運用についていましたが、1999年10月中旬頃運用からはずれ廃車となりF4編成のMM'-5193とともに鷹取駅正面留置線に留置中でしたが、1999年12月末頃鷹取工場で解体が始まりました。
よってこの編成は一度消滅しました。
2000年5月中旬になってK15編成からTc111-5145、K8編成からMM'-5075、F10編成からTc111-5335の4両で再組成されました。
2000年9月中旬より、福知山区に貸し出されています。
2000年10月上旬に行き先表示幕は白幕のまま(ただし、福知山線仕様)、福知山線の運用についているのが確認されています。
2000年10月下旬に宮原所に貸し出し先が変更され、F14編成とともに8両編成で福知山線の2726Mに充当されている模様です。
2000年12月下旬(12月16、17、23、24日)には、F14編成とともに8両編成でルミナリエ輸送臨時快速列車に充当されました。
2001年3月上旬、ダイヤ改正に伴って、網干所に返却され、網干所の運用に就いています。
2001年9月下旬頃、MM'-5075が、K10編成のMM'-5039に置き換わりました。ここで編成からはずれたMM'-5075は網干所内に留置中でした(2002/3/6現在)が、2002年4月下旬頃、下関所に移り、F11編成に組み込まれました。

F17編成(消滅)

Tc111 M113 M'112 Tc111  備考 
〜2000年3月末 5278 6038 6038 5416 廃車

この編成は1999年10月2日のダイヤ改正まで宮原区S43編成として2730Mなどの福知山線の運用についていました。そして、1999年10月2日のダイヤ改正直後、一時期広島地区に出張しましたが1999年10月中旬頃網干区に戻りF17編成となりました。
1999年10月中旬頃、再び広島地区に旅立っていきました。
なお、この編成は2000年3月末に4両とも廃車になった模様です。
よってこの編成は消滅しました。

F18編成(消滅)

Tc111 M113 M'112 Tc111
〜1999年5月10日 5267 5147 5147 5500
1999年5月10日〜10月初旬 5267 6125 6125 5500

1999年5月10日のダイヤ改正後、MM'-5147が宮原区旧S34編成のMM'-6125(どういう訳かこのユニットはブレーキテコ比復元改造されていません)に置き換わりました。
ここで編成からはずれたMM'-5147は廃車となり、吹田工場で解体されている模様です。
なお、この編成は1999年8月4日頃から1999年8月9日頃まで鷹取工場に留置され、その後姿を消していましたが、1999年9月14日の820T前位に連結されているのが目撃されており、現在は運用に復帰しているのが確認されています。
1999年10月初旬、F5編成に割り当てられました。
よってこの編成は消滅しました。

F19編成(消滅)

Tc111 M113 M'112 Tc111
〜1999年5月10日 5177 5323 5323 5499
1999年5月10日〜1999年6月中旬 7162 7554 7554 5428
1999年6月中旬〜1999年7月末 7162 5772 5772 5428
1999年7月末〜1999年8月上旬 5138 5772 5772 5428
1999年8月上旬〜1999年10月初旬 7162 5772 5772 5428

1999年5月10日のダイヤ改正に伴い、日根野区に転出したTc-5177+MM'-5323+Tc-5499の代わりに宮原区旧S34編成のTc-7162、MM'-7554と網干区から宮原区に貸し出されていたTc-5428の4両編成が組成されました。(というより宮原区旧S34編成からMM'-6125を抜いた編成といった方がいいかもしれません、ちなみにTc-7162のスカートには現在も「S-34」と記されています。)
1999年6月中旬、MM'-7554が宮原区旧S1編成のMM'-5772に置き換わりました。
ここで編成からはずれたMM'-7554は宮原区S41編成に組み込まれています。
1999年7月末には、Tc-7162が、K7編成のTc-5138に置き換わったようです。
ここで編成からはずれたTc-5138はK7編成に組み込まれています。
ところが、1999年8月上旬になって再びTc-5138が、K7編成のTc-7162に置き換わった模様です。
1999年10月初旬、F7編成に割り当てられました。
よってこの編成は消滅しました。