単独猟で鹿を狩る
山を歩くとどうしても音が出る。生命は現象だと宮沢賢治も福岡伸一も言っているが、同時にもちろん物体でもある。代謝する物体であるが故に、食べ物を求めて渉猟する。だが歩けば獲物に気取られてしまう。
こちらがじっとしていれば気がつかれない。だがそれでは獲物に近づけない。誰かこっちに追い出してくれれば……、それでは巻き狩りだ。
単独忍び猟で獲物を狩りたい。だが狩猟をはじめて数年は(おそらく目をギラギラとさせ過ぎていて)うまく獲物に近づけなかった。
向こうから獲物を近づけさせることができないだろうか。私は鹿の足跡の多いケモノ道の交差点のようなところを同定し、待ち伏せしてみることにした。
ケモノ道の交差点を見渡せるヤブの斜面に、ダウンジャケットを着込んで座り続けた。音を立てないように魔法瓶のお茶を飲み、音の出ない袋に移してあったパンを齧り、小便は膝立ちでそっとした。
太陽が当たりはじめて、震えも止まり、私はいつしか眠っていた。がさがさと藪(やぶ)を踏む音で目が覚めた。半信半疑だった待ち伏せ場所に本当に大型獣がやってきたらしい。身動きせずにお腹に載せてあった銃を持ち直し、腹筋を使ってそっと体を起こした。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO38275630Y8A121C1FBB000/
2018/12/1 日本経済新聞
はじめての獲物
チームとしてはほぼ毎週のように獲物が獲れた。だが初年度、私のタツマ(待ち伏せ場所)にケモノが追い出されてくることはなかった。
体力以外狩猟者としてはからきしの私は、一番遠いタツマに急ぎ、獲物が獲れたら急いで下山して、獲物を下ろす、の繰り返しだった。
私の最終目的は単独猟で獲物を仕留め、独りで解体し、独りで下ろして、正しい肉の味を知ることである。先輩たちにもそれは告げてあり、巻き狩りの前後に、周辺の山を独りで歩いた。
タツマに向かう途中の道すがら、ベテラン猟師が足跡やケモノ道の見方について細かく講釈してくれ、これまでのケモノとの遭遇経験も具体的な場所を示しながらひとつひとつ教えてくれた。村外から参加しているメンバーの車に、村に入るときに便乗させてもらいがてら、いろいろな経験談も聞いた。
そして毎週のように先輩が仕留めた獲物を解体し、解体だけは上手になった。
住宅街で育った私にとって、大きなケモノが檻(おり)を隔てずに同じ空間にいるということに最初はまったくなじめなかった。だが、体験談を聞きながら山を歩き、解体を繰り返して、自分の街と地続きの森に、大きな哺乳類が暮らしているということを体で理解するようになっていた。それは狩猟上達の大きな一歩だったと思う。…
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https://www.nikkei.com/article/DGXMZO37973790Q8A121C1FBB000/
2018/11/24 日本経済新聞
はじめての巻き狩り
猟の先輩たちが口を揃(そろ)えるように、銃の所持許可と狩猟免許を取得するのは、なかなか大変だった。特に銃の所持許可は公安委員会が、やさしく丁寧に時間をかけて嫌がらせをして、銃の所持を諦めさせようとしていると感じられた。それに腹を立てず、時間をかけて、冷静に大人の対応をしたものだけが、銃を所持することができる。
日本の銃規制は厳し過ぎるという狩猟者もいるが、狩猟を通して銃の威力を知るにつれて、この程度はしょうがない、と思うようになった。所持許可が複雑で面倒なことより、短気な人や捨て鉢な人が簡単に銃を所持できる世の中の方がよっぽど困る。銃と同じように便利で危険な道具である車の免許に比べれば、教習所に通わなくてもよいぶん、規制はゆるいということもできる。
心身ともに健康で善良な社会人(私がそこにいれてもらえるかは微妙だが)が少々の費用と平日の時間を使い、辛抱強さを持って挑めば、銃の所持許可はほぼ取得できる一方で、狩猟免許はそれなりに勉強して試験に受からなくてはならない。けっこう難しく、私が受けたときは受験者の半分が不合格だった。
山梨県の小菅村で狩猟仲間に入れてもらえることになり、許可と免許を取得する活動を6月に始めて、許可、免許、銃、狩猟登録、そして弾までのすべてが揃ったのは猟期が始まる5日前だった。かなり急いだうえにほぼロスタイムなしでも半年である。
そして撃ったことがない猟銃を抱えて小菅村に行った。… 詳細はリンク先へ …
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO37697210T11C18A1FBB000/?n_cid=DSTPCS001
2018/11/17 日本経済新聞
服部文祥コラム2 大型獣を狩る悲喜こもごも