177P/Barnard
1889年6月24日にE.E.Barnardが6.5インチ望遠鏡でアンドロメダ座に発見。彗星は淡く、集光と尾は認められないと報告した。
 同年8月7日まで観測された。
2006年6月23日にLINEARでへびつかい座南西端に17.1等の小惑星状天体が発見された。L.Buzziらの観測によってすぐに彗星で
あることが判明したが、Greenは暫定軌道からP/Barnard2であることを指摘した。
 この彗星は、1889年6月9日にアメリカのE.E.バーナードが発見した彗星です。当時、10等星の明るさで、アンドロメダ座に
発見されました。その年に3ヶ月にわたって観測され、彗星の軌道が計算されましたが、約128〜145年周期の彗星であることが
わかりました。2020年ごろに再び現れると思われていました。
 今年、2006年6月23日にアメリカのリンカーン研究所で発見された天体(P/2006M3)が、バーナードが発見した彗星と同じも
のであることがわかったのです。現在ヘルクレス座にあって、9等星ほどの明るさです。この8月いっぱいは天体望遠鏡でも見
えています。普通、彗星は尾を引いたイメージですが、このように暗い彗星の多くはぼんやりとしたガスの塊のように見えるも
のがほとんどです。

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★★★177P/Barnard 2
IIIYYYYMnL YYYY MM DD.DD eM/mm.m:r AAA.ATF/xxxx /dd.ddnDC /t.ttmANG ICQ XX*OBSxx
177        2006 07 27.58 aM 8.9 HV   4.5B15      14    3            ICQ XXxTSU02
177        2006 08 15.51 aM 8.9 HV   4.5B15      15    3            ICQ XXxTSU02
177        2006 08 24.55 aM 9.4 HV  25.0L47       8    4            ICQ XXxTSU02
2006年7月27日22h55m(27.58UT)に護摩で15x45双眼鏡で「94TTより明るい、89TTと同じ、89TTと同じ、82TTより暗い」
と目測してm1=8.2(M.T)であった。またdia.=14'、DC=3だった。同じ夜に25cm反射では9.4等と見たが、比較星が多い
双眼鏡の方を報告する。
2006年8月15日21h15mに護摩で15x45双眼鏡で「88TTより明るい、89TTと同じ、82TTより暗い」と目測してm1=8.9(M.T)
であった。またdia.=15'、DC=3だった。
2006年8月24日22h08mJST=24.55UTに護摩で25cm反射47倍で「103TTより明るい、104TTより明るい、109TTより明るい、
94TTと同じ、96TTと同じ、92TTと同じ、77TTより暗い、83TTより暗い」と見てm1=9.4(M.TT)とした。またdia.=8',
DC=4だった。

 

★★177P/Barnard = P/2006 M3 Barnard 2
IIIYYYYMnL YYYY MM DD.DD eM/mm.m:r AAA.ATF/xxxx /dd.ddnDC /t.ttmANG ICQ XX*OBSxxf InT APERTURcamchip SFW C ## u.uu xx.x 
PIXELSIZE
  P2006M3  2006 07 12.46 aC 13.4 HV 35.0C10a180   1.0  5            ICQ XXxTSU02 1a  3S 1.54mST2aKAI SI4 5          9.2 1.0s 1.0
177        2006 07 26.53 aC 12.2 HV 35.0C10a120   2.0  5            ICQ XXxTSU02 1a  3S 2.93mST2aKAI SI4 5          9.1 1.0s 1.0
177        2006 08 14.51 aC  9.4 HV 10.0R 4a120   6.0  4            ICQ XXxTSU02 1a  3S13.64mST2aKAI SI4 5          8.8 3.8s 3.8
177        2006 09 19.50 aC 10.1 HV 10.0R 4a120   5.0  4            ICQ XXxTSU02 2a  3S10.33mST2aKAI SI4 5          8.3 3.8s 3.8
177        2006 10 16.49 aC 15.2 HV 35.0C14a240   0.6  3            ICQ XXxTSU02 1a  3S 0.61mSTLaKAI SI5 5          8.3 0.7s 0.7
177        2006 10 25.53 aC 15.1 HV 35.0C14a360   0.8  4            ICQ XXxTSU02 3a  3S 1.11mSTLaKAI SI5 5          9.1 1.1s 1.1
177        2006 10 27.49 aC 14.7 HV 35.0C14a360   0.5  4            ICQ XXxTSU02 1a  3S 0.95mSTLaKAI SI5 5          9.1 1.1s 1.1
2006年7月12日に35cmF10+ST2K(2x2)で60秒露光を多数撮影。画像はNo.2-18の18枚を加算。測定はNo.5,6,7 3枚加算し
た画像を使い、北東30'のHIP84353(919HVF8,JohnsonB-V=0.638)と比較、吸収補正してm1=13.4等。へびつかい座を急速に
北上中。
2006年7月26日に35cmF10+ST2K(2x2)で60秒露光を23枚撮影。画像は21枚を加算。測定はNo.9と10を加算した画像を使い、
南55'のHIP83004(914HVG5,JohnsonB-V=0.544)と比較、吸収補正してm1=12.2等。
2006年8月14日に100SDUF(400mmF4)+ST2Kで120秒露光を10枚撮影。画像は10枚を加算平均。測定はNo.1を使い、南36'の
HIP82641(883HVG5,JohnsonB-V=0.845)と比較、吸収補正してm1=9.4等。
2006年9月19日に100SDUF+ST2Kで120秒露光を11枚撮影。画像は、9枚を加算。測定はNo.1を使い、東北東2度のHIP89011
(826HVG0,JohnsonB-V=0.491)と比較、吸収補正してm1=10.1等。このときr=1.16AU,Δ=0.60AU。
2006年10月16日に35cmF14+STL11000M(2x2)で120秒露光を13枚撮影。画像は13枚を加算。測定はNo.1と2を加算した画像を
使い、西39'のHIP102933(832HVF8,JohnsonB-V=0.510)と比較、吸収補正してm1=15.2等。このときr=1.35AU,Δ=0.68AU。
2006年10月25日に35cmF14+STL11000M(3x3)で90秒露光を16枚撮影。画像は16枚を加算。測定はNo.1,2,3,4の4枚を加算した
画像を使い、東南東2.7度のHIP112762(912HVF2,JohnsonB-V=0.388)と比較、吸収補正してm1=15.1等。このときr=1.43AU,
Δ=0.71AU。
2006年10月27日に35cmF14+STL11000M(3x3)で90秒露光を23枚撮影。画像は1-20の20枚を加算。測定はNo.1,2,3,4の4枚加算
した画像を使い、東1.2度のHIP112762(912HVF8,JohnsonB-V=0.388)と比較、吸収補正してm1=14.7等。このときr=1.45AU,
Δ=0.72AU。
私の観測では10月末に15等と暗くなっていましたが、ポーランドのReszelskiや日本の吉田誠一氏は12等と観測しています。

エドワード・エマーソン・バーナード 1857年12月16日 - 1923年2月6日

 バーナードは、1857年にアメリカのナッシュビルで生まれましたが、父は既になくなっていました。9才のとき母が頼み込んだ写真館の仕事につきました。一家が暮らしていくために、子供のバーナードも働かねばならなかったのです。
 当時、写真を焼き付けるためには太陽の光を暗室へ導いていました(エジソンの電球発明は1879年)。太陽の光を暗室へ導く望遠鏡を常に太陽に合わせておくのが彼の仕事でした。これは単調で、居眠りをして失敗することが多く、辛い仕事でした。バーナードは、これを熱心に続け、教会の鐘が鳴る時刻を太陽の影で知るようになりました。ところが、1ヶ月もすると、影と鐘がずれてきたのです。今日、均時差と呼ばれる現象をバーナードは子供のときに発見していました。
 写真館の主人が変わってもバーナードは熱心に仕事を続けていました。すでに太陽に望遠鏡を向ける必要はなくなっていましたが、バーナードは写真を処理する知識を蓄えていきました。19才のとき、友人に大きな本をかたに2ドルの金を貸しました。彼は小学校には2ヶ月しか行けず、字は母から教わりました。その本はディック著「実用天文学」で、バーナードは何回も読みました。この本の影響で、彼は2.5cmの小さな望遠鏡を紙筒で自作しましたが、ついに1年後に口径13cmの屈折望遠鏡を買ってしまいました。当時の給料の8ヶ月分もする高価な望遠鏡でした。
 この年、彼の住むナッシュビルで科学振興協会の集会があったので、バーナードは行ってみることにしました。そして海軍天文台のニューカムにどうしたら天文学者になれるか聞きました。ニューカムの答えは「数学を勉強しなさい。」 貧しいバーナードには「あきらめなさい」という意味でした。だが、ニューカムは「あなたは観測家になりなさい。彗星を探してみなさい。」と付け加えました。
 病気の母と貧しい生活を送っていた1881年1月、23才のとき、ローダ・カルバートと結婚し、借金をして新居を建てました。お金を返すあてはなく、返済日が迫っていました。当時アメリカでは彗星を発見すると200ドルの賞金が与えられていたので、バーナードは昼は写真館で働き、夜は13cmの望遠鏡で彗星を探しました。1881年5月12日にペガスス座α星の近くに待望の彗星を見つけましたが、報告方法をしらなかったので、天文台で確認されませんでした。4ヶ月後、9月17日におとめ座で彗星を発見。これは認められて200ドルの賞金を得ました。これで借金を返すことができたのです。
 バーナードが有名になると、ナッシュビルのアマチュア天文家たちは寄付を集め、彼は大学に進学することができました。昼は授業を受け、夜は天文台で働きながら彗星を探しました。
1887年、30才。大学を卒業してリック天文台に入りました。
1892年、木星の5番目の衛星アマルテアを発見。
1895年、シカゴ大学の天文学教授につく。ヤーキス天文台の望遠鏡で天の川の写真を撮影。暗黒星雲の研究を行った。
1916年、へびつかい座に固有運動が特に大きな星を発見。バーナード星と呼ばれている。
1923年、死去。

                                 おはなし天文学「斉田博著」 および Wikipedia を参考にまとめました。

 

バーナードが発見した彗星 <1881年から1892年までの間に彼は14個の彗星を発見している。>
C/1881 S1
C/1882 R2
D/Barnard 1 (D/1884 O1)
C/1885 N1
C/1885 X2
C/1887 B3
C/1887 D1
C/1887 J1
C/1888 U1
C/1888 R1
C/1889 G1
177P/バーナード第2彗星 (P/1889 M1)
2006年に再発見され、番号登録された。周期119.64年。
C/1891 T1
D/Barnard 3 (D/1892 T1)