2000年07月15日(土) 晴れ

 次の日の朝(まだうす暗い)窓の外を見ると、隣のビルの敷地に松の木があった。きれいに刈り込んであったが随分ひょろ長く高い松の木だった。メモリがもったいないので写真はやめにしておく。アジア以外でも松をこういう風に植える所があったんだ…(あとで知った事だけど日本とチリとの関係は古く、南米でもかなりの新日国だそうです)。
 とりあえずシャワーの後下へ朝食を取りに行く。1階のレストランではキアヌ・リーブスみたいな顔をしたスタッフが正装で「GOOD MORNING.SIR」。朝から「サー」と来たもんだ。こっちはよれよれのジーパン姿なのに…。朝食はセルフサービス(=バイキング)だった。ハムと卵と果物を少し欲張って取る。「キアヌ・リーブス」にレシートのサインをして街中へ出かける。
 ホテルの近くの橋で写真を撮った後旅行会社に出かけ、追加の送迎サービスの代金を支払う。その際に旅行前からフライトやホテルの手配でいろいろとお世話になった担当の方と初対面。相手は相手で、電源プラグの問い合わせの事から私をカメラマンか何かと想像していたらしい。期待には添えなかったけど。お世話になった御礼を言って立ち去る。
 冬が始まる頃だったが持ってきた上着一枚でそれほど寒さは感じなかった。前回旅行会社さんに立ち寄った際もらったサンチアゴの地図をもとに歩いて散策を始める。その矢先に、「また」空港で換金し忘れている事を思い出す。イースター島での買い物した時のお釣は実は昨夜の買い物で使い切っていた。また土曜日なので銀行は期待出来ない。両替所はスペイン語で何ていうんだっけ。どれどれ、「CANBION」か。そういえば旅行会社の1階に何かそれらしきカウンターがあったなあ。戻ってみると先週は開いていたのに今週は休んでいる。途中のスーパーの店鋪で買い物できるか聞いてみるとダメとのこと。仕方ない、道々考えよう。
 写真を撮りながら大きなビルなどに入って探してみたが、一向に「CANBION」は見つからない。金貸らしき事務所はあったけど。そんなこんなで劇場らしき建物の撮影をして、もう1本向こう側の通りに入ってみると、なんと、「CANBIO」ばかり4〜5件この通りにあるではないか。しかも私の泊まっているホテルのすぐそばだし。3件開いているうちの1件に入りこみ、とりあえず100US$を換金してもらう。53,000ペソほど手渡された。20,000ペソ札をはじめて手にする。南米諸国がかつてハイパーインフレに悩まされていた時期があったけど、この国もそうだったのだろうか。
 こんな札を持つと金持ちになったような気がしてしまう。早速すぐそばのカメラ屋さんでコダックのレンズ付きフィルムを買い、うろうろ再開。昼になるとイースター島でも見た通りあちこちの店が閉まる。12時過ぎるともう一部の店以外どこも開いてないように見える。サンチアゴは広い。分かってたけど広い。バスやメトロ(地下鉄)は実は利用法法が分からない。元々どこへ行きたいか決めていないので乗れたところでどこで降りれば何があるのかも分からない。計画当初には無かった日程だったのでとりあえずは地図を見ながら歩いてゆく。
 バスはちょくちょく見かけたので。ホテルへ戻る頃には何となく料金は分かったような気がする。基本料金が280ペソなのかな?「段階的に」180ペソ加算と貼ってあるバスもある。でもやはり分からないのは行き先。そして降り方が分からない。まるで飛び下りるようにして降りてゆく乗客を見かけた。
 いい天気だったので街中から雪山が見えた。アンデスだろうか。とりあえず写真には撮っておきました。大学みたいなところや「MUSEO跡」などには行き当たる。大きな公園で誰かの記念碑やオブジェを撮影する。もうデジカメの空き容量はなし。大聖堂(だったかな?)はとうとう見つからなかった。代わりに病因に行き当たる始末。地図の見方がおかしかったのかなぁ。この旅ではじめて行きたい所へ行くのを断念する。街中を歩いていると時々こちらの方を見る人がいる。日本人がそれほど珍しいのか、それとも俺の格好がおかしいのか。
 何度か見かけたけど、サンチアゴの自動車には大抵盗難防止のアラームが付いている。歩いているとそこかしこで鳴っている。中には自分の車なのに止め方が分からないのかいつまでも鳴っている車もある。歩道にはバールがオープンカフェみたいにテーブルを並べてあるところもある。スケボーを楽しんでいる子供達もいる。工事をしている所以外は綺麗な街だと思う。歩いて回るうちに物乞いを2組見かけた。片方はサンチアゴ初日にも見かけた母子連れだった。もうひとりは老婆でどちらもインディオの衣装を身にまとっていた。身寄りがいなくなったのだろうか、この大陸の歴史を見たような気がした。
 スーパーへ行って買い物しようかと思いつく。ビール(CERVEZA)やピーナツなどはとりあえず買うけど、煙草は売ってない。仕方がないのでホテルへ帰りがてら昨日の「24H」へ行ってみる。ここらへんにあったはずだがとうろうろするのだが見つからない。間違いなくこのあたりなのに…。やっと見つかった、閉まってる。何で休みなんだ、「24H」なのに…。うらやましいぞ、休みなんて。嘆いたって他をあたるしか仕方がないので街角で幾つも見かけた売店を探す。この街にはあちこちに普通の店鋪以外に、日本でいえば宝くじ売り場のようなブースの形の売店が出ている。雑誌は実は本屋では売ってなくて、こういったブースで新聞とかと一緒に売られている。同じように見えても扱っている商品が店によって違うが、煙草を売っているのもなんどか見かけていた。最後の頼みの綱である。いい加減遅い時間だったので大体の売店は閉まっているか、開いていても煙草を扱ってなかったりしたが、ホテルから4〜5ブロックほど歩いてようやく煙草を売っている店を見つける。用心(何の用心だよ)のために3箱買う。スペイン語の知ってる単語を並べて何とか買う事が出来た。
 ようやくホテルへ帰って来れた。いらん事でもうへとへと。軽く挨拶だけして自室へと向かう。部屋でくたばっているとたて続けに2人のホテルスタッフがノックしてきた。顔を見るなり何の問題もないかのようなジェスチャーで引き下がってゆく。はて、宿泊代は先払いだから食い逃げの心配もないはずだし、所在の確認に来たようにしか思えないけど、何かこちらでのホテルでの流儀があったのかな?とりあえず起き上がる気にはなった。TVのスイッチを入れる。
 実は少しもやもやしていた。どうしても下のバールへ降りて行きたい誘惑にかられる。このまま明日まで部屋に閉じこもって南アメリカを後にする気にはなれない。今日は最後の夜なのだ。部屋のカードキーを持ってエレベータの「1」のボタンを押していた。
 バールはほとんど客がいなかった。ホテルスタッフの他にはカウンターに初めて見る「レオン」の主人公みたいな顔したコート&無線機男がいた。こんなところでも無線機か。どうやらチリ人は無線機が好きらしい。近付いていってデタラメな英語で「何か飲みたい」と言うつもりのことを言った。「レオン」がかなり英語に強いようで、私のデタラメの意味をすぐ分かってくれた。たどたどしく部屋番号を告げてカードキーを提示するとマスターが「本日お勧めのカクテル」を出してくれる。カタコトの会話が始まる。「イースター島へ行ってきた」と何度も言ったのだが、「EASTER ILAND」と言う度「どこ?そこ」という顔をされる。スペイン語の「ISLA DE PASCUA」と言ったら「ああ、あそこか!」。かなり英語が達者なひとでさえ、こういうことらしい。「レオン」の兄弟は東京で店を出しているらしく、会話からしてどうも日本料理(寿司かなぁ?)らしい。数の数え方は勉強して来たと言うとお互いの国では数字を何と発音するかという話になる。日本で7は「しち」または「なな」とふた通りあるというと「なな」はスペイン語ではベビーシッターを指す場合と、ほかに私の腕の生傷(倒木をどかしたときに出来た傷)を指差して、これを指すと言う。サンチアゴに知り合いがいるのかと聞かれ、いないと答えると「おまえサンチアゴでは独りぼっちなのか」とたまげられたのかあきれられたのか。
 2杯目を飲み干した頃にかなり酔いが回り、いいかげん部屋へ戻る事にする。「お勘定」と言うとレシートが出てきた。サインをすればいいらしいが空欄がある。何を書けばいいか聞くとチップを書き入れる所だと言い、マスターがおもむろに「Don't worry,Be Happy」と口ずさむ。バネ仕掛けのようについ次のフレーズを思いきり歌ってしまった。遠くでスタッフのねーちゃんが笑っている。しまったと思っても後の祭り。やっちゃった…。大ウケである。ここでそんな事するつもりはなかったんだが。スペイン語で2〜3会話を交わし「スペイン語喋れるのか」とかなり驚かれほめられたのだが今となっては何て言ったか思い出せない(とっさに教材の例文が頭にうかんだのだが)。酒には気を付けましょう、ほんとに。おやすみを言ってエレベータへと向かう。南米の熱気に浮かされたような不思議な夜だった。
 部屋へと帰り、少しくらくらしながらTVをつける。CNNスペイン語版ではそ○う倒産のニュース、他のチャンネルはまた日本のアニメが4作ぐらい。ここにはまた来たいなと思いながらいつの間にか眠った。今度はもう少しスペイン語を喋れるようにしないと。


2000年07月14日へ         2000年07月16日へ


旅行記ダイジェスト版へ