Profile
楠瀬 誠志郎(くすのせ せいしろう)血液型AB型
1961年2月9日東京都生まれ。音楽家の両親のもと、山田耕作の歌を子守歌にして育つ。幼少時代に聖歌隊に参加するなど、音楽に囲まれた環境の中で過ごした。
高校生時代に「新宿LOFT」に入り浸り、そこでシュガーベイブに出会い衝撃を受けたことをきっかけに、村上‘ポンタ’秀一に弟子入り後、杉 真理、安部恭弘、EPOらのステージや、来生たかお、松岡直也などのレコーディングにコーラスで参加するようになる。その傍ら自らも曲作りを始める。
楠瀬誠志郎公式HPより抜粋
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地上12階から見下ろす都会の夜景は少しだけ優しく見えた。いつものように余裕を持って現地に向かったのに、方向音痴の僕は20分ほど迷ってようやくライブ会場についた。
初めて彼のソロライブに行った日も18歳の僕は、ススキノで約1時間迷った思い出がある。あの日は、もっとひどい咳をしていて、やはり一人での参加だった。
あの日よりも16年分年を取った彼は、何ひとつ変わらない笑顔で、宇多田ヒカルの[First Love]を歌い出した。
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プレゼントのリボンを 開ける子供のような瞳で
夢を見てねと言った 君の言葉が永遠に僕にとって
TREASURE ISLAND
[宝島〜TREASURE ISLAND〜]
彼とは短大に入学したばかりで初めて行った安部恭弘のライブで初めて逢った。バックコーラスとして参加していた彼が、もうすぐソロデビューすると、安部さん自ら紹介してくれ「Further」という曲を歌う時間を作ってくれた。
無邪気な笑顔で主役より目立つコーラス担当として登場した楠瀬誠志郎は、いつか僕にとってフェイバリットなアーティストの一人となっていた。デビュー曲の宝島の最初の言葉は、僕の座右の銘の一つとなっている。年を取って人は知らずに「大人」になっていくものだけれど、悪い意味ではなく「子供らしい無邪気さ」は大事にしたいと、そう思っている。
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こんな僕でも悩み迷う
でもね ずっと想い続けてる
きっと いつか
[Gamp]
楠瀬誠志郎の特徴はその「声」にある。
声変わりを忘れた少年のような綺麗な声だ。彼自身「水フェチ」と豪語するだけあるくらい、その声もまるで渓流を流れる水のように澄んで涼しげだ。昔、僕は音楽雑誌でこんな記事を目撃したこともある。あるアーティストが「天使の声」を持つ男がいると楠瀬誠志郎を紹介された。半信半疑でアーティストは彼の歌声を聴き紹介者の言葉が真実と気がついた。その後アーティストは彼を自らのバンドのコーラスとして迎えソロデビューのアルバムにも詩を提供する。杉 真理との楠瀬誠志郎のエピソードだ。
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恋は僕だけのもので
愛は僕だけのものじゃない
[そばにいてほしいから、嘘も]
そんな「天使の声」の持ち主にも、「毒」は確かにあった。綺麗すぎる水に魚が棲めないように、それは必然なのかもしれない。
郷ひろみがカバーして本人曰く「やっと市民権を得た」名曲[どんなに僕が君を好きか、君は知らない]は、そんな彼の歌の世界がけして穏やかだけのものではないことを教えてくれた。
この曲は僕にとっても苦い思い出がある。「君は知らない」方がいい思いも確かにある。いくら好きでも「愛」せない思いもあるのだ。かの名曲を初めて耳にした時、僕はこの歌を唄う彼を少しだけ憎んだ。
けれど僕の彼への「愛」自体が揺らぐことはなかった。だって、彼はいつでもそれ以上の何かを僕に与えてくれたから。
それにいつ逢っても彼は無邪気に歌を唄っている。
様々なアーティストのステージを見てきた僕だが、彼ほど純粋に唄うことを楽しんでる歌い手にお目にかかったことはない。
見ていて幸せになる笑顔で紡ぎ出すその声は、やはり「天使の声」だと思う。
ライブの後デビューキャンペーン以来、直接サインをしてくれた彼は「全然変わってないよ」と無邪気に笑った。確かに彼は昔と同じに僕の名前を聴き違えた上に誤って筆記した。名前を直してもらった後に「今度は8年も待たせないでね」と告げた僕に握手した手を強く握ったまま彼は「ごめん」と頭を下げた。
☆
18歳の僕はライブハウスで唄い騒ぐうちに、咳が全く出なくなっていた。前夜は嘔吐に苦しんでいた僕はライブの夜はやはり元気をもらった気がした。
いつまでも唄ってくれているなら、いつかまた必ず逢える。
彼は唄うために生まれてきた人だから、絶対逢えるだろう。
その日まで僕はサインしてもらったCDで彼の歌声を楽しむことにしよう。
Party’s over
白い息 両手でつつみ 足音が ひびいてく
それぞれが家に向かう ひとり ひとり
[Party’s over]
ここに紹介した詩の一部はすべて楠瀬誠志郎さんの著作物です。
