そして、今
僕は夢を見ている。
桜吹雪の下で少女が泣いていた。
あの人が行ってしまったの。
お忘れなさい。
それが一番いいことですよ。
でも、忘れてはいけないの。
そう約束したの。私、待ってるわ。
ならば、私も一緒にお待ちしましょう。
だから、泣くのはおやめください。
あの方が悲しみます。
彼女は訊いた。お前も悲しいの?
僕は頷く。
彼女は微笑みを浮かべようとした。
そして夢は終わる――。
☆
「玲?」
耳元で声がして僕は振り向いた。
肩で切り揃えた黒髪の女性が安心したように僕に微笑みかけた。
僕は夢の続きを見てるような気がして、再び窓の外に目を向けた。
眩しくなるほどの青い空が目に痛い。
あれから何年経ったろう。
僕は相変わらず一人称を変える事なくここにいる。
優は五年前に結婚したが、旦那は相変わらず海外を飛び回っていて、家はあまり寄りつかない。
彼に対して嫉妬しないのは、多分、優を独占したいと考えたことがないせいだろう。束縛などしないで、彼女の思うままに生きて欲しい。敬一さんと僕は、それぞれの立場で彼女を守っている。
そう思うのはあるいは、それが僕の定められた運命だからだろうか?
「珍しいね、玲がぼんやりしてるのって。締め切り過ぎてるって言ってたの誰だっけ?」
大学卒業以来、叔父は僕に天野優の事を一切任せて、編集長に徹していた。
僕は叔父の代わりに彼女の編集者になった。
天野会長の条件の一つはこうして無事に守られている。
彼女の産んだ二人の子供も、僕にとっては我が子のように可愛い。
天野の後継者争いについては、優は最初から興味を示さず、北原の御曹司との結婚も、純粋な恋愛結婚だった。
「ところでさ、優。何で、リムジンの助手席に乗ってたんだ?」
僕は、あの日聞きそびれた質問を思い出して訊ねてみた。
優は案の定、呆れた顔で言った。
「今更聞きたいの? それ」
「じゃあ、やっぱり」
「単に車酔いするから前に乗ってただけよ」
彼女は未だに、車の助手席にしか乗らない。それでも、体調を崩してると酔うのだ。
僕は苦笑いして、優の入れた紅茶を飲んだ。
窓辺からは、春の陽射しが燦々と射し込んでいる。
けれど、僕は今にも空から雪が舞い降りるような気がしてならなかった。
fin