鈍い音が床に響いた。
俺はヘルメットを脱ぎ、蒸された頭を振る。
実験に最適な地磁気を持つとはいえ、
高密度エネルギー結晶体を
『柱の民の墓所』へ運び込むなんて任務は、
正直ぞっとしない。
火器を下ろし、剣を腰につけただけの格好になって
くずれかけた石のベンチに座り込む。
(この実験…、
――エネルギー結晶体を触媒に、
536公転前の時空のゆがみから生じる力を
取り出すというモノ…
が上手くいったなら、戦争は終わるんだろうか?)
冷たい石に身体を預け、目を閉じる。
まぶたの裏に、
三日前に俺が殺した少女の顔が映った。
(あんな場所に、非戦闘員が居るなんて)
木立の間から、
懐に手を入れて近寄ってきた彼女。
敵方のゲリラ勢力と考えた俺は、
迷うことなく剣を振るったが…
実際のところ、
彼女は何も武器を持っていなかったのだ。
俺は深いため息をつき、
結晶体を入れたボックスの横から、
通信機器を取り出した。
スイッチを入れると、
国営ラジオが夜の祈りの時間を知らせる。
舌を鳴らして、俺はスイッチを切った。
一瞬激しく緑色に光ったパネルが、
行き交う羽虫の動きを照らす。
「536公転前か…」
俺は呟いた。
その時代には、秘神が存在していたという。
そういう時代なら、
夜の祈りにだって意味があるだろう。
だが、いつしか秘神は姿を消して、
俺たちはただ、
祈るような気持ちを抱きながら、
意味のない戦闘に明け暮れている。
縋る神は消えたというのに、
どうしてそれでも
誰かに祈りを捧げる行為をせずには
いられないのか?
助けてくれる誰か…
罪を許してくれる超越者なんて、
存在しないというのに。
腰に挿した剣をさすり、深く息をつく。
(俺は、祈らない)
眠る前に哨戒に出ようと、
エネルギー結晶体を持って立ち上がる。
十字の星が杉の木にかかっているのを認め、
歩き出そうとした瞬間、
俺の身体からエネルギー結晶体へ、
白い閃光が貫いた。
凄まじい衝撃に視界が白くなる。
内臓をひっくり返されるような痛みで、
俺の喉からねじれるような声が出る。
身体を震わせ、それを逃そうとして俺は気づく。
唐突に痛みが消え、重力さえも感じない、
黒い闇が身体を取り巻いていることに。
全ての感覚が遮断される原始的な恐怖に、
唇が震えだす。
…俺は、断罪されているのか?
埒もないことを考えていると、
肩口あたりに、橙色の光が浮き上がった。
エネルギー結晶体が崩れているのだ。
仄かに暖かい粒子が光の粉となって、
黒く深い闇に流れていく。
少しだけ、心が落ち着いた。
結晶体が反応しているということは、
ここは物理法則が生きている場所…
すなわち、現世でしかありえない。
光の動く方向に、
俺の身体も流されはじめた。
好転…とはいえないが、
闇の中をさまよい続けることに比べれば、
ずいぶんマシな状況だ。
何しろ、今の俺にできることは
どこかに無事たどり着けるよう、
祈ることくらいだからな…
(って、祈るのか。この俺が)
俺は鼻を鳴らした。
超越的な存在を心の中に作り上げ、
(救いなんか得られないにも関わらず)
一途な思いを捧げていく…
その行為を信じられない自分が。
俺の身体を運ぶ冷たい潮流は、
徐々に速度を上げていく。
自分の肉体が、
この力にバラバラにされるのではないか…
そんな不安が湧くほどになったが、
ありがたいことに、俺の意識はそこで途絶えた。
…頬に微かな温もりを感じ、
意識がふうっと浮き上がる。
(日の光…?)
だが、それはどこか違う気がする。
なんだか耳の中がこそばゆい。
俺はかじかんでいる指を動かして、
頬に触れようとした。
「…ッ」
真上で小さく息を呑む音が聞こえた。
続いて、微かな衣擦れ。
頭の奥底をガンガン叩かれるような痛みに耐え、
俺は目を開いた。
…はじめに目に入ってきたのは、
橙色の暖かな光だった。
それから、穏やかな日差しを散らす
色鮮やかなステンドグラス。
そして、白くほっそりとした手。
まぶしくて目を細めると、
たおやかな手がさあっと振られた。
暖かな光は微 かな尾を引き、
魔法のように消え失せる。
何度か瞬きし、視線を上に向けると
南国の海のような青の瞳が、
俺を覗き込んでいた。
「…どこも痛くない?」
白く子づくりな顔を縁取る髪をかき上げ、
赤い唇が問う。
「あ、ああ…」
掠れた声が、のどから出る。
17かそこら…
俺と同じくらいの年頃だろうか?
大人びた雰囲気と、
子どもみたいな純粋さが交じり合った
不思議な印象を与える少女だ。
丁寧語でしゃべるべきだったろうか、なんて、
実際的じゃないことを考えつつ、
俺は視線を泳がせる。
髪を梳く彼女の指先には、
光の欠片となった力が未だ纏わりついていた。
天井の高い、
石造りの建物特有の冷たい匂いを感じる。
(礼拝堂…?)
ステンドグラス越しの色づいた光を背後にして、
彼女は俺の目を見たまま、
「神なき世界からの客人
カイン・カナリー…
あなたが来るのを、ずっと待っていた」
まろやかに響く低めの声で、そう言った。
俺は目線を逸らし、唇を舌で湿した。
…結晶体が消えているのに気がつき、
掌に嫌な汗が湧く。
(もしかして)
閃くものがあった。
時空のひずみからエネルギーを得る実験――
それがこの事態を引き起こしたのではないか?
彼女は少し首を傾げ、
俺の言葉を待っている。
暫しの沈黙の後、口を開いた。
「ここはどこか、教えてくれないか。
…君の名前も」
彼女はふわりと笑い、うなずいた。
「ここは…
あなたの世界から536公転前の時代にして、
秘神の力に守られた場所。
あなたが元いた場所と違う法則が
わたしたちの生活を支配している」
言いながら、彼女は俺の前髪を分け、
額に手を置いた。
「この光は生命の秘神、
わたしの血に宿る、白き一角獣の魔法」
彼女は目を閉じ、聞きなれない言葉を呟いた。
詠唱が終わると同時に、
先ほども見た光が溢れ、俺を包み込む。
「魔法だって…?
ここの世界には、秘神が生きているのか」
「そう。私たちには、
彼らがいない世界は想像もつかない」
彼女は微笑みを浮かべ、
青い瞳を向けてくる。
笑みの意味を計りかねて困惑する俺に、
彼女は右手を差し伸べる。
「この時代へようこそ、カイン。
わたしの名前はルーリー。
時と生命の秘神に仕えるものの一族にして、
『律を守るもの』のひとりよ」
導かれるまま彼女の手を取り、身を起こす。
そこで初めて、俺はルーリーに
ずっと膝枕してもらっていたことに気づいた。
感謝と謝罪の言葉を口にしようとしたそのとき、
何かに気づいたのだろうか、
先に立ち上がっていた彼女は、
頭に心もち上げて舌打ちした。
「ゆっくりさせてあげたいところだけど…」
空気が冬の朝のように尖っていく。
感じたことのない気配に、俺は身を堅くする。
ルーリーはそんな俺を見下ろし、
柔らかく微笑んだ。
「大丈夫よ。
わたしが、あなたを守るわ。
わたしは…、そのために生まれたのだから
彼女の言い様に
疑問を返そうとする俺を押し留め、ルーリーは立ち上がった。
「こちらへ来て」
急ぎ足で礼拝堂の出口に向かい、
ルーリーは厚い木の扉を押す。
それがいかにも重たそうだったので、
手助けしようと隣に行くと、
ルーリーの体が強張るのがわかった。
「どうした?」
尋ねた途端、
ステンドグラスの向こうから、
立て続けに、白熱する光がきらめいたのだ。
「…早すぎる」
ルーリーは顔をしかめ、唇を噛んだ。
一瞬の逡巡の後、
彼女は何かを思い切ったように振り返る。
「カイン、ついてきて。
わたしはこの世界を守らなければならない。
それにはあなたの協力が必要なの」
「わたしはあなたと共に、
10日後に王都で行われる、
過ぎ越しの祭りへ向かわなければならない」
切迫した瞳が俺を射る。
「けれど、それを邪魔する者が存在するわ」
「…どういうことだ?
アンタはいったい何者なんだッ!」
とっさに俺は説明を求めたが、
ルーリーはそれを聞いてはいなかった。
至近距離で爆発が起こったのだ。
俺たちはとっさに頭をカバーし、
その場に踏ん張ろうとしたが、
耐え切れず礼拝堂の中へと吹っ飛ばされる。
尻を強かに打ちつけ、俺は痛みにうめく。
滲む視界の中、ルーリーを探すと、
受身の体勢からしなやかに戦闘姿勢に移行する
動きが見えた。
(きれいだ)
俺も慌てて、
腰につけていた剣を取り出し構える。
舞い散る瓦礫と埃のなか、
俺とルーリーの呼吸だけが聞こえる。
俺たちは自然に寄り添い、辺りを見回した。
…誰もいない、ように見えた。
なのに何故だろう、
首筋の毛が逆立つ感覚が、
何かのたしかな存在を訴えている。
初夏の日差しが柔らかく、白木の床で踊っている。
場違いなほど、静かな空気のなか、
背中を合わせているルーリーが、
小さな声を漏らした。
「嘘」
俺はゆっくり、彼女の視線を追う。
先ほどまではたしかに何も存在しなかった祭壇に、
黒衣を纏った銀髪の少女が立っていた。
完璧な左右対称をみせる整った顔立ちは、
なぜか俺の体を震わせる。
「『律を壊すもの』…早すぎる」
隣でうめくルーリーにかまわず、
美貌の少女は俺に微笑む。
それは血の匂いがする禍々しいもので、
俺はただ、震えることしかできなかった。
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