Four Witches トップへ戻る

解説 & 諸注意
・ これは 「Wild Arms Alter code:F」 内に登場する小説 「四人の魔女」 を書き写したものです。
 クラン修道院にいるトリッシュの前で使うことにより、読んでもらうことができます。
・ 内容的に、ある種のネタバレを含みますので、このページを利用する場合は
 一度ゲーム内で 「四人の魔女」 を読んでから、利用することを オススメ しておきます。
・ 簡単な詳細は以下の 公式サイト を参照に。
>> [ Sony Computer Entertainment ] Wild Arms Alter code:F - ショートノベル 「4人の魔女」
>> [ Media.Vision ] Wild Arms Alter code:F - キャラクター紹介

・ 環境によっては、すべて表示されるまで 多少時間がかかると思われます。
 このまま しばらくお待ちください ......

四人の魔女
 ▼ 第一章 『 その扉を開ける 』
鈍い音が床に響いた。
俺はヘルメットを脱ぎ、蒸された頭を振る。
実験に最適な地磁気を持つとはいえ、
高密度エネルギー結晶体を
『柱の民の墓所』へ運び込むなんて任務は、
正直ぞっとしない。

火器を下ろし、剣を腰につけただけの格好になって
くずれかけた石のベンチに座り込む。
(この実験…、
 ――エネルギー結晶体を触媒に、
 536公転前の時空のゆがみから生じる力を
 取り出すというモノ…
 が上手くいったなら、戦争は終わるんだろうか?)
冷たい石に身体を預け、目を閉じる。

まぶたの裏に、
三日前に俺が殺した少女の顔が映った。
(あんな場所に、非戦闘員が居るなんて)
木立の間から、
に手を入れて近寄ってきた彼女。
敵方のゲリラ勢力と考えた俺は、
迷うことなく剣を振るったが…

実際のところ、
彼女は何も武器を持っていなかったのだ。
俺は深いため息をつき、
結晶体を入れたボックスの横から、
通信機器を取り出した。
スイッチを入れると、
国営ラジオが夜の祈りの時間を知らせる。

舌を鳴らして、俺はスイッチを切った。
一瞬激しく緑色に光ったパネルが、
行き交う羽虫の動きを照らす。

「536公転前か…」
俺は呟いた。
その時代には、秘神が存在していたという。
そういう時代なら、
夜の祈りにだって意味があるだろう。
だが、いつしか秘神は姿を消して、
俺たちはただ、
祈るような気持ちを抱きながら、
意味のない戦闘に明け暮れている。

る神は消えたというのに、
どうしてそれでも
誰かに祈りを捧げる行為をせずには
いられないのか?
助けてくれる誰か…
罪を許してくれる超越者なんて、
存在しないというのに。
腰に挿した剣をさすり、深く息をつく。
(俺は、祈らない)

眠る前に哨戒に出ようと、
エネルギー結晶体を持って立ち上がる。
十字の星が杉の木にかかっているのを認め、
歩き出そうとした瞬間、
俺の身体からエネルギー結晶体へ、
白い閃光が貫いた。

凄まじい衝撃に視界が白くなる。
内臓をひっくり返されるような痛みで、
俺の喉からねじれるような声が出る。
身体を震わせ、それを逃そうとして俺は気づく。
唐突に痛みが消え、重力さえも感じない、
黒い闇が身体を取り巻いていることに。
全ての感覚が遮断される原始的な恐怖に、
唇が震えだす。

…俺は、断罪されているのか?
もないことを考えていると、
肩口あたりに、橙色の光が浮き上がった。
エネルギー結晶体が崩れているのだ。
かに暖かい粒子が光の粉となって、
黒く深い闇に流れていく。

少しだけ、心が落ち着いた。
結晶体が反応しているということは、
ここは物理法則が生きている場所…
すなわち、現世でしかありえない。
光の動く方向に、
俺の身体も流されはじめた。

好転…とはいえないが、
闇の中をさまよい続けることに比べれば、
ずいぶんマシな状況だ。
何しろ、今の俺にできることは
どこかに無事たどり着けるよう、
祈ることくらいだからな…

(って、祈るのか。この俺が)
俺は鼻を鳴らした。
超越的な存在を心の中に作り上げ、
(救いなんか得られないにも関わらず)
一途な思いを捧げていく…
その行為を信じられない自分が。

俺の身体を運ぶ冷たい潮流は、
徐々に速度を上げていく。
自分の肉体が、
この力にバラバラにされるのではないか…
そんな不安が湧くほどになったが、
ありがたいことに、俺の意識はそこで途絶えた。

…頬に微かな温もりを感じ、
意識がふうっと浮き上がる。
(日の光…?)
だが、それはどこか違う気がする。
なんだか耳の中がこそばゆい。
俺はかじかんでいる指を動かして、
に触れようとした。

「…ッ」
真上で小さく息を呑む音が聞こえた。
続いて、微かな衣擦れ。
頭の奥底をガンガン叩かれるような痛みに耐え、
俺は目を開いた。

…はじめに目に入ってきたのは、
橙色の暖かな光だった。
それから、穏やかな日差しを散らす
色鮮やかなステンドグラス。
そして、白くほっそりとした手。
まぶしくて目を細めると、
たおやかな手がさあっと振られた。

暖かな光は微 かな尾を引き、
魔法のように消え失せる。
何度か瞬きし、視線を上に向けると
南国の海のような青の瞳が、
俺を覗き込んでいた。

「…どこも痛くない?」
白く子づくりな顔を縁取る髪をかき上げ、
赤い唇が問う。
「あ、ああ…」
れた声が、のどから出る。

17かそこら…
俺と同じくらいの年頃だろうか?
大人びた雰囲気と、
子どもみたいな純粋さが交じり合った
不思議な印象を与える少女だ。

丁寧語でしゃべるべきだったろうか、なんて、
実際的じゃないことを考えつつ、
俺は視線を泳がせる。
髪を梳く彼女の指先には、
光の欠片となった力が未だ纏わりついていた。

天井の高い、
石造りの建物特有の冷たい匂いを感じる。
(礼拝堂…?)
ステンドグラス越しの色づいた光を背後にして、
彼女は俺の目を見たまま、
「神なき世界からの客人
 カイン・カナリー…
 あなたが来るのを、ずっと待っていた」
まろやかに響く低めの声で、そう言った。

俺は目線を逸らし、唇を舌で湿した。
…結晶体が消えているのに気がつき、
に嫌な汗が湧く。
(もしかして)
くものがあった。
時空のひずみからエネルギーを得る実験――
それがこの事態を引き起こしたのではないか?

彼女は少し首を傾げ、
俺の言葉を待っている。
しの沈黙の後、口を開いた。
「ここはどこか、教えてくれないか。
 …君の名前も」

彼女はふわりと笑い、うなずいた。
「ここは…
 あなたの世界から536公転前の時代にして、
 秘神の力に守られた場所。
 あなたが元いた場所と違う法則が
 わたしたちの生活を支配している」

言いながら、彼女は俺の前髪を分け、
に手を置いた。
「この光は生命の秘神
 わたしの血に宿る、白き一角獣の魔法」
彼女は目を閉じ、聞きなれない言葉を呟いた。
詠唱が終わると同時に、
先ほども見た光が溢れ、俺を包み込む。
「魔法だって…?
 ここの世界には、秘神が生きているのか」
「そう。私たちには、
 彼らがいない世界は想像もつかない」
彼女は微笑みを浮かべ、
青い瞳を向けてくる。

みの意味を計りかねて困惑する俺に、
彼女は右手を差し伸べる。
「この時代へようこそ、カイン。
 わたしの名前はルーリー。
 時と生命の秘神に仕えるものの一族にして、
 『律を守るもの』のひとりよ」

導かれるまま彼女の手を取り、身を起こす。
そこで初めて、俺はルーリーに
ずっと膝枕してもらっていたことに気づいた。
感謝と謝罪の言葉を口にしようとしたそのとき、
何かに気づいたのだろうか、
先に立ち上がっていた彼女は、
頭に心もち上げて舌打ちした。
「ゆっくりさせてあげたいところだけど…」

空気が冬の朝のように尖っていく。
感じたことのない気配に、俺は身を堅くする。
ルーリーはそんな俺を見下ろし、
柔らかく微笑んだ。
「大丈夫よ。
 わたしが、あなたを守るわ。
 わたしは…、そのために生まれたのだから

彼女の言い様
疑問を返そうとする俺を押し留め、ルーリーは立ち上がった。
「こちらへ来て」
急ぎ足で礼拝堂の出口に向かい、
ルーリーは厚い木の扉を押す。
それがいかにも重たそうだったので、
手助けしようと隣に行くと、
ルーリーの体が強張るのがわかった。
「どうした?」

尋ねた途端、
ステンドグラスの向こうから、
立て続けに、白熱する光がきらめいたのだ。

「…早すぎる」
ルーリーは顔をしかめ、唇を噛んだ。
一瞬の逡巡の後、
彼女は何かを思い切ったように振り返る。
「カイン、ついてきて。
 わたしはこの世界を守らなければならない。
 それにはあなたの協力が必要なの」

「わたしはあなたと共に、
 10日後に王都で行われる、
 過ぎ越しの祭りへ向かわなければならない」
切迫した瞳が俺を射る。
「けれど、それを邪魔する者が存在するわ」
「…どういうことだ?
 アンタはいったい何者なんだッ!」
とっさに俺は説明を求めたが、
ルーリーはそれを聞いてはいなかった。

至近距離で爆発が起こったのだ。
俺たちはとっさに頭をカバーし、
その場に踏ん張ろうとしたが、
耐え切れず礼拝堂の中へと吹っ飛ばされる。

尻を強かに打ちつけ、俺は痛みにうめく。
む視界の中、ルーリーを探すと、
受身の体勢からしなやかに戦闘姿勢に移行する
動きが見えた。
(きれいだ)
俺も慌てて、
腰につけていた剣を取り出し構える。

舞い散る瓦礫と埃のなか、
俺とルーリーの呼吸だけが聞こえる。
俺たちは自然に寄り添い、辺りを見回した。
…誰もいない、ように見えた。
なのに何故だろう、
首筋の毛が逆立つ感覚が、
何かのたしかな存在を訴えている。

初夏の日差しが柔らかく、白木の床で踊っている。
場違いなほど、静かな空気のなか、
背中を合わせているルーリーが、
小さな声を漏らした。
「嘘」
俺はゆっくり、彼女の視線を追う。

先ほどまではたしかに何も存在しなかった祭壇に、
黒衣を纏った銀髪の少女が立っていた。
完璧な左右対称をみせる整った顔立ちは、
なぜか俺の体を震わせる。

「『律を壊すもの』…早すぎる」
隣でうめくルーリーにかまわず、
美貌の少女は俺に微笑む。
それは血の匂いがする禍々しいもので、
俺はただ、震えることしかできなかった。
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 ▼ 第ニ章 『 律を破るもの 』
宙に浮く銀髪の少女は髪をかき上げ、
挑戦的に微笑んだ。
すらりとした身体のライン、
パールホワイトの肌に映える赤い唇。

驚くほど美しい顔立ちの少女だが、
何よりも印象的なのは、
強く光を放つ切れ上がった紫の瞳だった。
「私は『律を破るもの』カナイルダ。
 異世界からの客人、カイン・カナリー。
 あなたの力を、私に貸してほしいの」
と響く声が、聖堂内に響き渡った。

「いきなり現われて力を貸せって言われてもな。
 信頼できるわけ、ないだろ?」
用心深く下がりながら、彼女に返す。
「それもそうね。
 あなたはこの時代にやってきたばかりですものね」
黒衣の少女は唇の端を上げて笑った。

「だけど、あなたはすぐに選択を迫られる。
 そこの女も言ったかもしれないけれど、
 十日(とうか)後の過ぎ越しの祭りまでに
 王都に行かなければ、あなたは…」
「そこまでにして、『律を破るもの』よ。
 あなたは相応しくない場所にいるわ」
ルーリーが、俺の前に立ちはだかる。

「カインに手出しはさせない」
彼女の指先に、小さな光が灯った。
「空間と鏡面の魔術師たるこの私と、
 力比べをするつもり?
 …身の程知らずにも程があるわよ」
少女は嘲笑い、薄紅の舌で唇を舐める。
濡れた唇が、血のように赤い。

「わたしはカインを、
 彼の時代に還すという義務を果たすだけ」
ルーリーは肩をすくめ、平坦な口調で返す。
「…哀しい娘ね」
少女の声に、笑いの響きが交じる。
ルーリーはもはや言葉を返さず、
ゆっくりと目を閉じ、唇を動かしはじめた。
白い指先が舞い、詞を描いていく。

低い呟きは俺には聞き取れないが、
リズムと単語が積み重なるたび、
あたりの空気がざわめいていくのはわかる。
黒衣の少女はゆらゆらと宙に浮かんだまま、
ルーリーの所作を興味深げに眺めている。

唐突にルーリーは目を開き、
短い言葉を発した。
同時に白い手が振り下ろされる。
「――ッ!」
俺は息を呑んだ。
ステンドグラス越しの日光が
一点に集められていく。

白熱する光の槍が形作られ
ルーリーの横顔を照らし出す。
「焼き尽せッ!」
ルーリーの一言と共に、光の槍が放たれる。
閃光と共に、辺りが白く染まった。

「無駄よ」
笑いを含んだ声が、俺たちのほうに降ってきた。
ベールのような障壁をまとった少女は、
いささかも変わらぬようすで立っていた。
「私は空間を操ることができるのよ。
 あなたが放った力は、異なる次元と重なる場所、
 『無意識の河』に流したわ」
顔色を失くすルーリーにむけて、
黒衣の少女は口の端を吊り上げる。

「今度は、こちらから行くわ」
を舞わせ、
彼女は掌をルーリーに向けた。
「律を壊すものの力を、見せてあげる」

凄まじい音が響いた。
鮮やかな光の洪水が、
ルーリーの頭上に降り注ぐ。
少女は窓の向こうで爆発を起こし、
められていたステンドグラスを粉々に砕いたのだ。
だが間一髪、ルーリーは貝殻のような光をつくり、
落下する細かいガラス片から身を守っていた。
信じられない戦い方に、
俺は剣の柄に手を当てたまま、口を開いて見入る。

そんな俺に、カナイルダは手を伸ばした。
「カイン、私と一緒に来て。
 あなたと私は、大きな力を生み出せるわ。
 この世の律…
 秘神の力すら壊せるほどの」
「………」
俺は、無言で彼女を睨んだ。
すみれ色の瞳が、俺の視線を受け止める。

「彼女の言うこと聞いちゃダメ。
 嘘よ、そんなの…」
痛みを顔に顰めつつ、言葉を繋ぐルーリーに、
カナイルダは薄く微笑んだ。
「『律を破るもの』は、嘘を言わない。
 …選ぶのは彼、カインだわ」

絡みつくようなカナイルダのまなざしと、
すがるような、祈るようなルーリーの瞳。
ふたつの視線が、俺に向けられる。

し考えた後、俺はカナイルダに告げる。
「ありがたいお誘いだけど…、止めとくよ。
 俺は、力を求めてこの時代に来たんじゃない。
 あえて求めるものがあるとするなら…
 人の理を超えた存在、
 秘神が坐す世界の在り様を知ることだけだ」
カナイルダは唇を片方だけ上げる。
「力がなくては、その希望も叶えられないわ」

「かもしれないな。
 でも俺は、破壊だの権力だのってのには、
 こりごりなんだ」
カナイルダは焦れたようすで、
なおも言葉を重ねようとする。

その時、回廊の向こう側から複数の足音が聞こえた。
カナイルダは振り向き、舌を鳴らす。
「引き時かしら。
 …覚えておいて、カイン。
 私だけが、あなたと心を分かち合える。
 この世界で、私と同じ理を持つのは
 あなただけなのだから」

「また、逢いましょう」
身を屈めた彼女は、俺の耳元で囁いた。
から覗く白磁の肌から、蘭の匂いが立ち上る。
かな違和感を感じ、俺は顔を上げるが…
既に、彼女の姿は掻き消えた後だった。

木の軋む音がして、扉が開けられる。
無彩色の制服をまとった女性が数人、
ばらばらと走りこんできた。
「ルーリー」
秘神のシンボルが描かれたケープの老女が
彼女の名を呼ぶ。
ルーリーは項垂れ、
覚悟を決めた顔で、前に進んだ。

乾いた音の後、
ルーリーが頬を押さえて床に倒れた。
「なぜ、あの女を取り逃したのです。
 そんなことでは、
 聖王様の望む強さは得られませんよ」
陰々とした声が聖堂に響く。
「…院長のおっしゃる通りです」
か細い声が、残響に重なった。

「全く…
 強くなくては、任務もままならぬというのに」
ねっとりした口調に、思わず口が出てしまう。
「そこまで言うことないだろうが。
 アンタらだって、
 あの女の来襲に間に合わなかったくせに」

「招かれざる客人よ。
 あなたは黙っていてもらおうか」
院長の次に偉そうなシスターが、
を突き出して言った。
物凄い敵意の篭った視線だ。
「黙るべき時か、否かは俺が判断することだぜ。
 『律を破るもの』とルーリー、
 どちらを選ぶか決めるのと同じにな」

俺の言葉に、シスターたちはざわめいた。
「あのような者と、
 ルーリーを同行させるのですかッ !?」
先ほど顎を突き出したシスターが、
院長に食ってかかる。

茶番に構わず、
立ち上がろうとしているルーリーに近寄り、
手を差し伸べると、
「ありがとう」
彼女はシスターたちに聞こえないくらいの、
小さな声で呟いた。

「俺が来ることは、
 けっこう広く知られてたのか?」
シスターたちが揉めてる様子なのをいいことに
顔を寄せて訊ねる。

「客人のおとないがあること自体は」
「だけどアンタは、ここで俺を待ってたろ?」
「わたしの血は、
 『生命と時を操る者』。
 生まれたときからあなたとの絆を結ばれていた。
 だからわたしは、
 ここであなたを待つことができたの」

『自分はあなたを待つために存在する』
っていってたのは、それか。
俺は唇を曲げる。
(本人は納得してるのかもしれないけど、
 不自由な世界だよな)
俺の表情をどう取ったのか、
ルーリーがなおも言葉を重ねようとしたとき、
横から舌足らずの声がした。

「ねぇルーリー、
 このおにいちゃんが、
 ルーリーの待ってた『客人』なの?」
はしっこそうな光を放つ黒い瞳が、
俺とルーリーを見上げていた。

ルーリーと同じ制服を着た、
10歳くらいの可愛い女の子だ。
だが、少女の表情に、
俺は顔がら血が引くのがわかった。
(似ている)
俺が、3日前に誤って死なせた少女と。

(別人だ、しっかりしろ)
強張る表情を取り繕うべく努力していると、
少女は歯切れの良い口調で話しはじめた。
「あたしはアヤシェ。
 秘神の力を御する人々…、『柱の民』のアヤシェ」

何も言えずにいる俺のもとに歩み寄り、
彼女はにこりと笑った。
「時の黒猫の気配が揺れたから、来てみたけど…
 未来のヒトも、
 あたしたちとあんまり変わんないんだね」

「アヤシェ、自室に戻りなさい」
ルーリーの言葉をどこ吹く風と、
アヤシェは白い歯を見せて笑った。
「イヤだ。
 あたしは決めたんだ。
 ルーリーとおにいちゃんと一緒に、
 碧玉の都にいくんだって」

「碧玉の、都…?」
聞きなれぬ言葉に問い返そうとしたとき、
「客人よ」
院長の声が響いた。
(ようやく話がまとまったか)
俺は院長に向き直り、薄い色の目を見つめる。
挑発的な表情ととられるだろうが…
構うことはない。

「あなたは信仰をなくした時代からの客人。
 我らの世界、秘神と魔法の律する場所とは
 相容れぬ存在」
あからさまに憎憎しげな視線を投げられる。
「秘神は、信じられることによって力を得る存在。
 神をなくしたあなたの思考は、
 この世界にとって、危険なものなのです」

「だったらどうして、俺を殺さない?」
激しい言葉にたじろぎながら、
俺は大きな疑問を投げた。
「時空の渡り人が、
 本来の時代以外で生を終えるということは、
 大いなる律に反すること。
 『時』が乱れ、この世界に禍が訪れるのです」

…なるほどな。
科学と秘神という理の差はあれど、
エネルギー保存の法則…
負には正で埋め合わせる必要があるのは、
ここも俺の時代も一緒だってことか。

「ルーリーの『還す役目』って言葉…
 要するにアンタらは、
 俺に早く出て行けって言いたいんだな」
「その通りです」
院長以下、シスターたちが揃って頷く。

(理解できなくはない)
世界の『律』とやらに従わない不逞な人間の上、
死んだら災害を引き起こす疫病神なんて、
この上なく面倒な存在だ。
この時代の人間の生活を踏みにじることは、
俺にとっても本意ではない。

だが、素直に頷くには、
シスターたちはカンに触りすぎる存在だった。
それに、自分は渇いているのだ――
すべてがクソみたいだった俺の世界で、
どうして人は、
秘神を…奇跡を求めずにいられなかったのか?
罪のない少女が
俺の手によって命を刈られる理不尽を、
どうして秘神は許しているのか。

俺の世界では答えの出ない問いを、
魔法の息づくこの世界なら
返してくれるのではないか?
「メリットのない話をふっかけられてもな。
 どこに協力する義理がある?」

ざわめくシスターたちを制し、院長は俺を見た。
「客人よ、あなたの望みは知っています。
 この世界の最高司祭である、
 聖王陛下との謁見を約しましょう」
「聖王…?」
問い返す俺に、院長がうなずく。

「この世界の魔法を統べ、
 秘神とヒトとの結びつきを全て知る方。
 彼の方ならば、
 あなたの疑問に答えられるはずです」
「……」
俺は奥歯を噛みしめた。

彼女が持ちかけてきた取引は、
自分が仕掛けようとしたモノと同じだ。
(だが、それが気に食わない)
「アンタらの罠じゃないとは言い切れないよな」

「王都へは、わたしが責任持って送り届けるわ。
 だから…」
ルーリーがそこまで言った時、
アヤシェが院長の前へ進み出た。
「院長先生、あたしも行きたい。
 碧玉の都にいる、父様に逢いたいんです」

「気持ちはわかりますが、アヤシェ…
 あなたは修行中の身でしょう?」
苦笑をはらんだいなすような言葉に、
アヤシェの表情は険しくなる。
「だって、約束と違うもの。
 面会も…手紙もないし、
 『柱の民』の召喚の術を学ぶのも、禁止されるし…」
を紅潮させ、アヤシェは訴える。

不穏な話だ。
俺はアヤシェに視線を向けた。
院長は隣に立つシスターと何言かやり取りした後、
ため息と共に口を開いた。
「わかりました。
 あなたに『碧玉の都』行きを許しましょう」
「ありがとうございます!」
アヤシェは無邪気な笑顔を浮かべた。

院長は再び俺に向き直る。
「…我々が、あなたを謀っているという疑いは、
 このふたりが同行するということで
 解消されると思いますが」
その言葉に、俺は難しい顔を作った。
もう、心は決まっていたのだが。
「わかったよ。
 互いのため、俺たちは碧玉の都を目指す」

「いいでしょう。
 ここに、誓いはなされました」
院長は厳かに宣告した。
「ルーリー。あなたは常に、強く行動なさい」
「はい。もとよりそのつもりです」
ルーリーが頷くのを、院長は満足げに見る。
「『鏡の猟犬』には気をつけるのですよ」
院長は最後の言葉を残し、背を向けた。

俺はひとまず安堵のため息をついた。
「道案内、よろしくな」
だが、返事はかえってこなかった。

「ルーリー?」
遠慮がちに伺うと、
彼女は痛みを堪えるような表情をしていた。
「何故、アヤシェを…
 どうして、院長は許したの…?」
ルーリーは呟き、唇を噛む。
赤い唇が、すうっと白くなっていく。

俺はポケットに手を突っ込み、顔を上げた。
だけになったステンドグラスが、
聖堂の床に、秘神の輪郭を映している。
ゆらゆら揺れるその影は、
どこかいびつなものだった。
俺は自分の手に負えないことが
既に始まっているのをおぼろげながら理解した。
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 ▼ 第三章 『 山間の襲撃 』
修道院を出て、2日
俺たちは丘陵地帯の街道から逸れ、
雑木林の中の獣道を進んでいた。
ごろごろした岩が足元を危うくするが、
ルーリーやアヤシェは、
器用に岩場を上っている。

感心して彼女たちの足元を見ていると、
アヤシェが不思議そうな顔をして
俺を見返してきた。
…つい、視線を外してしまう。
傷ついた表情を浮かべるアヤシェに、
良心を疼いたが…
俺はまだ、自分の時代で犯した罪と
上手く折り合いをつけられていないのだ。

しばらく進むと、山の中腹に出た。
テラスのようなひらけた空き地は、
景色を楽しむには絶好のポイントだ。
「いい景色だね、おにいちゃん」
アヤシェが俺の腕に捕まる。

反射的に俺は身体を竦める。
柔らかい生きている肉の感触に、
痛みを感じたのだ。
「…少し、休憩しましょうか」
様子を計っていたらしきルーリーが言う。
「そうだな」
俺は無理に笑顔を作り、
アヤシェの指をさりげなく外した。

手ごろな岩に座ると
若葉越しに地面に落ちる初夏の日差しが、
ばしい土の匂いを呼び起こした
緑色の小さな蝶が、目の前を横切っていく。
(平和な世界だよな)
俺はひとり、ため息をついた。

「ねえ、お兄ちゃん」
軽い音を立てて、アヤシェが俺の隣りに座った。
「…なんだ?」
声が裏返る。アヤシェは寂しげに笑った。
「やっぱり、あたしの顔を見てくれないね」

アヤシェは顔を近づける。
「目を見ないでしゃべる人間は信用できないって、
 あたしは昔、おじいちゃんから習った。
 お兄ちゃんは、信用できない人なの?」
目の前に顔を近づけられ、俺は何度も瞬きをした。
短い髪が、干し草みたいな匂いを放つ。
「…信頼できる人間だなんて、
 俺は自分のことを言えないよ」

俺の言葉に、アヤシェは小さく笑った。
「おじいちゃんは、
 自分で自分を信頼できるって言う奴には、
 心を許すなとも言ってた」
「そうか」
笑い声に緊張を和らげられ、
俺は身体を起こした。

「…ちょっとそのままにしてろよ」
髪に小さな葉が落ちているのを払ってやると、
アヤシェは頬を赤らめ、
小さな言葉でありがとう、と言った。
どういたしまして、と返すと、
貝殻のような耳が染まる。

その様子に、俺も安堵の息をつく。
なんとか、アヤシェとあの娘
『別』であることを受け入れられそうだ。
「ねえ、お兄ちゃん。あの山を見てみて」
言われたとおりに首を回すと、
アカシアの枝を枠に、
遠くに筆を刷いたような、薄青い山脈が見えた。
万年雪を頂く峰が、朝日に眩しい。

「『竜神の心臓』って、
 きっとああいう色なんだろうな」
聞きなれない単語に、俺は眉を寄せた。
「なんだ? その『竜神の心臓』ってのは」
「『柱の民』の秘宝だよ。
 秘神と人を繋ぐ絆を太くして、同調を高める聖具
 これがあれば、本来の実力では扱えないような呪文を
 唱えられるようになるんだけど…
 何代も前に『依り代』がそれを持って逃げたの」

「…依り代?」
新しい宗教用語に首を傾げていると、
「『柱の民』には、様々な異能力者がいるの。
 『依り代』はそのひとつなんだけれど…
 他の『柱の民』が彼らを扱うやり方に、
 不満をもってたの。
 それで何代か前に、部族から追放されたんだよ」

「なるほどな」
いつしか生まれた上下関係が内部を分裂させたってわけか。
どこであろうと、
人間の業っていうのは変わらないものだ。

(…だが、とすれば…)
俺は首を捻った。引っかかることがあったのだ。
一息つき、
俺はアヤシェに向かって口を開こうとした。

その時だった。
目の前の光景が急に、色を失いはじめたのだ。
「ルーリー」
アヤシェの緊張した声が彼女の名を呼ぶ。
制服の裾を翻し、ルーリーは俺の前に飛んできた。
「…猟犬だわ」

道の向こうが、
凹面鏡に映し出された像のようにゆがむ。
空気が漏れるシュウシュウという音、
そして濡れた皮袋を引き摺るような不快な音が、
ルーリーの前方から聞こえた。

腐った肉の濃厚な匂いが漂う。
…今まで、感じた事もない気配だ。
「ここは、わたしにまかせて」
から剣を抜く俺に、
ルーリーは静かな声で言った。
白く細い指先が、紋章を描き始める。

ひずみから聞こえる粘着質の音が大きくなった。
それは一気に、次元を破って現実化するッ…!
ビチャンと音を立て、俺たちの前に現われたのは…
「これが、猟犬なのかッ !!」
えて描写するとしたら…
ぬめりを帯びた巨大な紫色のナメクジ。
恐るべき異次元の生物だ…ッ!

衝撃に息が弾む。
イノシシと同じくらいの大きさだが、
その禍々しい気は、
今まで相対した敵とは比べ物にならない程に大きい。
思わず剣を握り直すと、汗で柄が滑った。
「おにいちゃん、用心して」
後ろで、アヤシェが張り詰めた声を出す。

ルーリーの指先が結び詞を描くと同時に、
『猟犬』の周りに激しい風が巻き起こった。
どす黒い体液を噴き出しながら、
化け物は吼え猛り、その身体をのたうたせる。
効果を見届け、
ルーリーは再び紋章を描き始める。
だが、『猟犬』は彼女を手ごわい敵とみなしたのか、
俺とアヤシェに意識を向けた。

猟犬の動きに構える俺の後ろで、
「手伝うよ、ルーリー」
アヤシェは奇妙な韻律を口ずさみはじめた。
どす黒く濡れた表皮が形を変えた。
そこから何かが、俺たちに向かって飛んでくる。
「危ないッ !!」
のように尖った先端がアヤシェを狙う。
思考よりも先に身体が動き、
俺は薙ぐように剣を振るった。

ブツン、と嫌な音がした。
青黒い飛沫が、俺とアヤシェに降りかかる。
「……ッ!」
一瞬途切れたアヤシェの詠唱に焦りを感じ、
返す刃で二の太刀を浴びせるが…
奴の動きの方が早かった。

手負いの触手は、
俺の後ろ…アヤシェに向かって伸びる。
想像以上の敏捷さにうろたえる自分を抑え、
俺は腕を伸ばすが…
間に合わないッ!

空気を震わす響きとともに、濃密な気配が出現する。
一瞬、俺は巨大な火の鳥が
そこに居るのを見た、…気がした。
「……」
アヤシェが小さく、舌を打つような音をさせる。
同時に、気配が弾け飛んだ。

爆発音と共に、真紅の炎が辺りを灼く。
む視界の中、
猟犬は猛々しい炎に包まれていた。
アヤシェは足から血を流しながら、
断末魔の叫びを上げる猟犬を
冷たい目で見下ろしていた。

あれが、秘神の使役か…
目にしたものを反芻しながら、剣を鞘に収める。
「カイン、怪我はない?」
ルーリーの手が、背中に触れた。
「あ、ああ…」
ぼうっとしたまま頷く俺の肩越しに、
アヤシェが鋭い視線を投げる。

「紋章魔法じゃ、猟犬は倒せなかったね。
 あたしは絶対、
 『柱の民』の召喚呪術を捨てないよ」
アヤシェは言い切り、俺の手を取った。
「おにいちゃん、
 猟犬からかばってくれてありがとう」

笑いかける彼女から、視線を外す。
「呪文が完成したのは、
 俺の剣なんかより、
 ルーリーの魔法のおかげだと思うぜ」
「そうかな」
を膨らませる彼女に、
ずっと黙っていたルーリーが口を開いた。

「アヤシェ」
低い声に、アヤシェは唇を引き結んだ。
ルーリーは構わず、アヤシェの肩に手を置く。
「ふくらはぎ、血が出てる。手当てしなくちゃ」
「…だ、だいじょうぶだよ」
優しい言葉を予感していなかったらしく、
アヤシェは顔を赤くしてそっぽを向いた。
ルーリーは我慢強く微笑みかける。

「化膿したら、大変だから。診せてみて」
れっ面で倒木に腰をおろすアヤシェの前に、
ルーリーはひざまずき、彼女の靴を脱がせた。
乾いた血が粉になって舞い落ちる。
生乾きのかさぶたが剥がれるのが痛いのだろう、
アヤシェは小さくうめいた。

「大丈夫か?」
俺の問いに、アヤシェは潤んだ瞳で頷いた。
だが、手当てを進めるルーリーは、
厳しい表情を崩さない。
「…大丈夫だとは思うけれど、
 もしも猟犬の徴が傷口に入っていたら、
 今晩、熱が出るかもしれない」

とはきっと、異種の媒介する病気なのだろう。
いかにも嫌な細菌を持っていそうな
毒々しい触手の色を思い出し、
自然と口が曲がってしまう。
「さっきの町に帰ろう、ルーリー。
 大事を取った方がいい」

ルーリーは俺の提案にかぶりを振った。
「今から引き返していては、
 貴重な日数が失われてしまうわ…
 このまま次の、
 アンブルサイドの町に行きましょう」
「本気か?」
俺は頭を上げ、ルーリーの白い顔を見る。
堅い決意の浮かんだ表情に、俺は唇を舐めた。

「わたしはあなたを、
 元の時代に還さなくてはならないから」
「…少しくらい、融通は利かないのか?」
「…律を守るためには、
 わたしは私情にとらわれるわけにはいかない」
ルーリーは俺の目を見たまま、淡々と答える。

みぞおちの辺りが熱くなった。
彼女の立場はわかる。
でも、世界の維持なんて曖昧な目的のために、
誰かを傷つけるのは嫌なのだ。
「俺がアンタに協力しているのは、
 義務じゃないんだぜ」
一歩進み、眼鏡越しの青い目を見下ろす。
「わかってるわ…」
顔を背け、彼女は搾りだすように言う。

なおも言いつのろうとしたそのとき、
後ろから、か細い声がした。
「…大丈夫だよ、おにいちゃん。
 あたし、行ける。
 修道院の人たちに、迷惑をかけたくない」
鹿のような目が、俺を見上げる。

「…病気になっても、熱が出ても、
 この山の中じゃ手当てできないぜ?」
小さな子ども相手に大人気ないかと思ったが、
あえて俺は嫌らしい言い方を選ぶ。
アヤシェは俯き、傷口を見つめた。
「…大丈夫だから」
彼女に言い、俺に縋るような表情を向ける。
「だいじょうぶ、だから」
噛み締められた唇が繰り返す。

「わかったよ」
俺はため息をついた。
「辛くなったらすぐに言ってね」
ルーリーはアヤシェに告げ、俺の方を向いた。
「急ぎましょう。
 野営地までは、あと少しよ」

太陽が傾くに連れ、アヤシェの呼吸が荒くなる。
だが、ルーリーは休止を許さない。
しょうがなく俺はアヤシェを背負い、
山道を歩きつづけることにした。

なんとか予定通りの場所に辿り着いたときには、
日はとっぷりと暮れていた。
魔物避けの結界を組み、手早く野営の準備をする。
「アヤシェ、大丈夫か?」
高熱で朦朧としている彼女に声をかけるが…
返事はない。

「アヤシェをおぶって疲れたでしょう。
 もう、休んだら?」
憎らしいほど平静な声が、背中にかけられる。
「…そんな気分じゃない」
振り向いた俺に、
「あなたに体調を崩されたくないの。
 それに今、あなたにできることはないわ」
彼女の抑揚のない声を返してくる。

理性では、理解できる言葉だ。
(だが、受け入れられるかどうかは別だ…)
「今から結界を張るわ。
 術者以外の出入りを禁じるから、
 何か用があれば先に済ませておいて」
俺は肩をすくめ、無言で毛布に横たわった。

目を閉じると、すぐに睡魔が訪れた。
肉体と精神が、共に疲れきっていたのだろうか。
夢の中で俺は、
カナイルダに追われ、夜の森を駆けていた。
逃げ切ったかと思ったとたん、
すぐそこに足音が響くのだ。

何度かの挑戦の末、
目を覚ますことができた俺は、
汗をぬぐおうと背負い袋に手を伸ばした。
(…ん?)
ルーリーの姿が見当たらない。

月の位置からすると、
既に日をまたいでいるというのに…
俺は起き上がり、辺りを見回した。
「…ッ!」
とっさに身を横たえ、寝ている振りをする。
月明かりの中、水筒と布を持った彼女が
こちらに近づいてくるのが見えたのだ。

足音は俺の耳元を過ぎ、
アヤシェの寝場所に向かう。
「すぐに熱くなってしまうわね」
独り言のあとで、微かな水音が響いた。

…ルーリーは、アヤシェの炎症のために
冷たい水を汲んできたのだ。
再び遠くなる足音を聞きながら、
俺は毛布の中で、爪を噛んだ。
(今日一日、
 歩きどおしで疲れてるだろうに…)
任務との兼ね合いを考えた末に、
きっとこの結論を出したんだろう。

毛布の合間から彼女の方をのぞき見る。
優しい手つきで水に浸した布を絞り、
アヤシェの足に巻いている。
その横顔は、静かで気高い。

俺はため息をついた。
…是非にも任務を遂行しようと思いながら、
優しさを失いたくないという気持ち。
理解できるだけに、痛ましく思う。
(その甘さは、
 いつかついえて苦さに変わるぜ…)
そのまま自分に返ってくる言葉と思いつつ、
毛布の中で一人ごちる。

アヤシェの息が穏やかになっているのを確認し
彼女は再び立ち上がる。
入っていける隙間を感じとれなくて、
俺は気付かぬ振りで、毛布の中に潜った。

小鳥のさえずりが朝を告げる。
――いつの間にか、眠ってしまっていたようだ。
「起きて、ご飯だよ」
アヤシェが俺の毛布を引っ剥がす。
「ああ、おはよう。
 …元気になったみたいだな」
寝転んだまま、まるい頬をつまむと
アヤシェはへへへっと笑った。

「おはよう、カイン」
ルーリーは、火の上に置いた鉄板の上に
ロールパンを転がしていた。
普段どおりに見えるが…
よく見ると、動きにいつもの切れがない。
…多分、俺とアヤシェに気付かれないよう
無理をしているのだ。

「今日中にアンブルサイドの町に着けるよう、
 がんばりましょう」
「わかったよ。…茶を入れとくな」
穏やかな口調で
火にかかっていたやかんを取ると、
ルーリーが不思議そうな目で俺を見上げた。

…視線が絡んだ。
青い目に浮かび揺らめく影に、微笑を投げる。
俺が気づいていたことを知った彼女は、
少し恥ずかしそうな顔をして目を逸らした。
耳元に血が上っている。
「お願いするわ」
そっぽを向いたまま、彼女は小さく言った。

金色の朝日がまぶしい。
清々しい五月の朝の匂いを吸い込みながら、
俺は大きく伸びをした。
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 ▼ 第四章 『 バザールの中で 』
き秘神像の並ぶ川沿いの坂道を越えると、
大きな町が姿をあらわした。
外敵に備えるレンガの壁が張り巡らされた、
ずいぶんと物々しい町だ。
「なんか、たくさんの人の気配がするね?」
アヤシェの言葉を裏付けるように、
町の中央を貫く路に、
露店らしき天幕が続いているのが見える。

「過ぎ越しの祭りが近いから、市が立っているの。
 周りの村から、
 祭りの飾りとご馳走の材料を求める人が来てる」
「面白そうだな」
「あたしも。こういうのって、ワクワクするよね」
「ダメよ」
俺とアヤシェの言葉は、即座に否定された。

「あなたはこの世界の人間に、
 不必要に接触すべきじゃない。
 わたしは宿をさがしてくるから、
 人目につかないように、町の外で待っていて」
「…わかったよ」
ルーリーのきつい言葉に、俺は肩を竦めた。

ルーリーを見送り、
俺たちは河原に降りた。
外れに掘っ立て小屋があるのみのそこには
人の気配はなく、
俺たちは清しい初夏の流れを独占できた。

…いい天気だ。
長い金髪を後ろで結わえた少女が、
道端の秘神像に水をかけ、祈っているのを
なんとはなしに見ながら
俺は草むらに寝そべった。
「あれは『原始の泥』の像だよ」
俺の視線に気づいたアヤシェが教えてくれる。
「名前からして旧そうな秘神だな」

俺は腕を伸ばし、
風にあたるタンポポの花を払った。
風に乗って、少女の祈りが聞こえてくる。
「この町の人々が、不幸に見舞われますように。
 いつかアタシが、
 この町を出ていけますように…

――マズいものを聞いてしまった。
切実な口調に眉をしかめる。
祈りを終えた彼女が
川べりの粗末な小屋に入るのを見て、
俺は、心が締めつけられた。
「…ねえ、カイン」
アヤシェの呟きが、俺を現実に引き戻す。
「やっぱ、ダメかな?」
「ダメだろ」

目を合わせず、俺たちは会話する。
「…こんなに人がいっぱいだったら、
 宿見つけるのって大変な気がする。
 ルーリー、きっと遅いよ?」
「そうかもしれないな」

キッパリ否定すべきなんだろうが…
俺はどうにも、アヤシェには弱いのだ。
「ねえ、カイン」
れたのだろう、アヤシェは立ち上がった。
「ちょっとだけ。
 ちょっとだけにするから、覗いてみようよ」
「…ホントにちょっとだけか?」
無意識に肯定のニュアンスを出してしまった俺に、
アヤシェの顔が輝く。

「うんッ! 絶対、約束するからッ!」
「…絶対だぞ。
 それに俺たち、
 金持ってないし、何も買えないぜ?」

アヤシェは一瞬しおれたが、
「いいよ。ガマンする」
けなげにも言いきった。
「わかった、アヤシェ。
 人多いだろうから、はぐれんなよ」
俺はアヤシェと手をつなぎ、町に入った。

天幕を張っている店からは、
人々の熱気と、
スパイスの匂いが立ち込めていた。
花のリースや秘神をかたどった壁飾りなど、
祭りのオーナメントを商う屋台だけではなく、
服や靴などの生活必需品や、
武器やアンティークを扱う屋台もあるようだ。

「ねえねえ、あれ見てみて!」
アヤシェは舞い上がり、
新しいモノがあるたびに指をさす。
「ああ、いいな」
やかな雰囲気に、俺の心も和らいだ。

前方から来る人々が、
俺たちを見ると不思議そうな顔をしたり、
あからさまに連れに
何かを囁いているのは不快だが…
『柱の民』の少女と、
見慣れぬ素材の服を着た男のふたり連れじゃ、
たしかに人の目だけは引いてしまいそうだ。

しばらく散策していると、
ガラス細工の店の前で、アヤシェは足を止めた。
「…綺麗
ネコを象った細工を手にとり呟く。
「そうだな」
天幕の隙間から落ちる黄金色の日差しが、
かし彫りに影を落とした。

「見ていくのは構わんが、割らないようにな」
細工師らしき男性の声にうなずいていると、
「見て見て、これもステキだよ」
アヤシェはガラスでできたベルを取り上げ、
小さく鳴らす。
「ほんと、気をつけてくれよ…」
「子ども扱いしないでよ」
アヤシェは頬を膨らました。

だってお前、子どもだろうが…
という言葉を飲み込み、
台に広げられた細工を見渡す。
「ん?」
っこに、金属の筒がある。
(もしかして…)
腕を伸ばし、俺はそれを手にとった。

間違いない、万華鏡だ。
手にとって眺めていると、
「どうしたの?」
アヤシェが小首をかしげた。

「ここから覗いてみ」
俺はかがみこみ、接眼を指す。
「うん」
言われたとおりに目を近づけたアヤシェは、
口をぽかんと開けた。

「………」
そのまま彼女は、無言で筒を廻す。
夢中になっている様に、
俺と細工師は顔を見合わせて苦笑した。

し後
「す、ごいよ…」
アヤシェは頬を上気させ、俺を見上げる。
「お譲ちゃん、他のも見てみるかい」
細工師が声をかけると、
アヤシェは満面の笑みを浮かべてうなずいた。
「ワシのお勧めは、これだね」
渡されるつるバラの模様の筒を、
アヤシェは早速覗き込む。
「わ、さっきのと全然ちがうよ !?」

「筒の中に入っているものによって、
 眺めが変わるんだ」
「ふぅん…」
アヤシェはそうとう気に入ったようで、
一心にそれを覗き込んでいる。

「…買ってやろうか」
その姿に、俺は思わず口走っていた。
「でも、おにいちゃん…お金、あるの?」
「…なんとかなるだろ」
ポケットの中にあるものを触りながら、
俺は片目をつぶってみせた。
「でも、1個だけだぞ」
「う、うん…でも」
「好きなヤツ選んどきな」

俺はそれだけ言い残し、
ガラス細工の店を離れた。
目指すのは、
先ほど見えたアンティークショップだ。
コインのコレクションが置いてあったあの店なら、
俺のポケットの中の小銭も
引き取ってくれることだろう。

俺はすばらしい思いつきに酔い、
うきうきと歩き出した。
『この世界の人間に接触すべきではない』
というルーリーの言葉を忘れるほどに。

ガラス細工の店を出て
20トールも行かぬ間だった。
聞き覚えのある声が響いたのは。
「ご機嫌ね、カイン」
振り向いた場所に、カナイルダが立っていた。

「何の用だ」
俺は腰に下げたままの剣に触れ、向き直る。
「そんなに警戒されても困るわ」
やかな微笑を浮かべ、
彼女は俺に白蛇のような手を差し伸べた。

「あなたの求めるものは手に入りそう?」
俺は肩を竦めた。
「アンタには関係ないだろう」
木で鼻をくくったような語調
ちょっとばかり誇張しすぎたものだったようだ。
カナイルダは可笑しそうにくつくつと笑い出した。

カッとする俺に、彼女は笑い交じりの声を出した。
「…あなたは可愛いけれど、愚かね。
 私がそれを気にするのは、
 昔、私も同じ道を辿ったからよ」
「どういうことだ」
詰め寄る俺に、彼女は不敵な笑みを浮かべる。

「私は予言するわ。
 この世界は、
 あなたの望むものを決して与えはしないと」
白い胸元から、蘭の匂いが立ち上る。
「…用事はそれだけか?」
含みのある語調に苛々した俺は、
低い声で彼女に詰め寄った。
――そんなことで、
たじろぐタマではないと知っているが。

「…私は、これを渡しに来たのよ」
彼女は懐から小さなコインを取り、
俺に差し出した。
「あなたがこの世界に、
 他の時代の由来を持ち込まぬように」

紫の瞳に、目を瞠る俺が映る。
「どういう…、ことだ」
『律を破る』彼女が、
反対の立場にいるルーリーと
同じことを言う理由がわからない。

俺の反応に満足したらしく、
彼女は満足した猫のように笑った。
「このコインで、
 聖王の犠牲にされた部族の娘に
 楽しい思いをさせてあげることね」
そして彼女は、俺の目の前からかき消えた。

彼女が残したコインを、じっと見つめる。
(この時代に、俺は瑕をつけたくはない)
だが、カナイルダのことを
全面的に信用する気にもなれない。
(…こういうの、苦手だ)
物理的な力でカタをつけることができた過去を
かしく思ってしまい、俺は頭を振った。

悩んだあげく、
俺はカナイルダのコインを古物商に持ち込んだ。
「そう珍しくもない品物だから…
 150ギャラってとこだね」
あっさりと返ってきた現金に驚きつつ、
俺は来た道を再び戻る。

ガラス細工の店に入ると
アヤシェが駆け寄ってきた。
「おにいちゃん、どこ行ってたの?」
心配げな表情が、俺を見上げた。
駆け引きのない表情に、緊張が解れる。

「ん、ちょっとな。
 欲しい万華鏡、決めたか?」
彼女はうなずき、
つるバラの象嵌が彫られた万華鏡を指した。

細工師が告げた金額を払い、
俺はアヤシェに万華鏡を渡す。
「ありがと…!
 ほんと、うれしい、おにいちゃん」
「よかったな」
喜ぶアヤシェの頭を撫でてやり、
俺はバザールの出口に向かった。

ルーリーはまだ戻っていなかったので、
余ったギャラでオレンジのジュースを買い、
俺たちは川原に腰を下ろした。
若草と、澄んだ水の匂いがする。
昼寝のしたくなるような天気だ。

「冷たい」
万華鏡を持ったまま、
小川に足をつけてはしゃぐアヤシェに、
俺は微笑んだ。
脚と腕につけたアクセサリーが、
シャラシャラといい音がする。
妹がいたらこんな感じなのかな?

(いや、俺に似て、
 小難しい理屈こねるヤな女かもしれないぜ)
ひとりでボケてひとりで突っ込んでいると、
を引っ張られた。
「なんだ?」
「ね、凄く綺麗。おにいちゃんも見てみて」
アヤシェが俺に万華鏡を差し出してきた。
「はいはい」

万華鏡を受け取り、覗き込む。
(あのおっさん、結構やるな)
思わずため息が漏れた。
色とりどりのガラス玉が、
様々な模様を織り出していく。
「ああ、幻想的だな」
アヤシェにうなずき、万華鏡を返してやる。

アヤシェはもう一度、それを覗き込んだ。
ガラス玉が転がる微かな音が響く。
「あ、今、お花みたいに綺麗な模様ができた」
「ああ、俺が見たのも良かったぜ。
 きれいな花火みたいで」

「ホント? それも見たかったな…」
アヤシェは筒から目を離し、首をかしげる。
「ちょっと動かすだけで違っちゃうから…
 あたしとおにいちゃん、同じのが見れないね」
残念そうに、アヤシェは目を伏せる。

「でもさ。こんな小さな筒の中で、
 キレイなものが無限に生まれていくんだぜ。
 それってちょっとすごくないか?」
甘酸っぱいジュースを含みながら言うと、
「おにいちゃん、いいこと言うじゃん。
 おんなじことを、お父さんも言ってたんだよ」
アヤシェはにっこり、嬉しそうに笑った。

「アヤシェはホントに、家族のことが好きなんだな」
何気なく言った言葉だったが、
彼女は顔を曇らせる。
「うん…あたしは『柱の民』の自分に、
 誇りを持ってるから」

「ん?」
微妙にピントのずれた会話に、眉が寄る。
「『柱の民』のみんなは、家族なんだよ。
 だからあたしたちは、
 ばらばらになっちゃいけないの。
 修道院で離れて暮らすのは、もうイヤなの」

「俺たちの旅についてこようとしたのは、それか」
アヤシェはこくりとうなずき、空を見上げる。
「あたしたち『柱の民』は、里を失ったの。
 聖王様が、里のそばにあるレイポイントに、
 神殿を建てるからって。
 『柱の民』の大人たちは、
 聖王様が用意した土地に引っ越して…
 あたしはクラン修道院の院長に引き取られたの」

「そうか…」
絵に描いたような隔離政策だ。
「修道院は、イヤだったのか?」
俺の問いにアヤシェは口を尖らせ、
川につけていた足をバタバタさせた。
「ううん。みんな優しかったよ。
 でも、紋章魔法を習わされて…
 『柱の民』の召喚魔法を忘れちゃいそうで」
「そうだろうな…」
なんとも返せず、語尾を濁らせてしまう。

アヤシェはそんな俺をちらりと伺うと、
足を抱え込み、ジュースを啜った。
俺も所在無く、左手に持っていたジュースを飲む。
手のひらの温度でぬるくなったジュースは、
べたべたした甘さだけが際っていた。

「カイン、アヤシェ!」
ルーリーの声が響いた。
「あ、今行く!」
アヤシェは立ち上がり、
つま先を振って水気を飛ばし、靴を履く。

土手を登りながら、
俺はルーリーに背を向けて言った。
「アヤシェ」
自分の名前に込められた響きに、
彼女は嬉しそうに笑った。
「――万華鏡のことは、秘密だね」
「ああ」
俺たちは共犯者の笑みを浮かべて頷いた。
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 ▼ 第五章 『 依り代のエッダ 』
白紫の夕雲を背に、
若葉をつけた梢が切り絵のように佇む。
ルーリーの見つけてきた宿は、
秘神を祭る小さな祠の隣、
町外れの静かな場所に位置していた。

1階が酒場、2階が客室という、
オーソドックスな造りの建物だ。
やかな声が往来まで響いている。
「手入れがいい建物だな」
ルーリーの選択を間接的に褒めると、
彼女は耳を赤くした。

ルーリーは、
表情をいつも引き締めている癖に、
小さなところでぽろぽろ本音を零してしまう。
その甘さは嫌いじゃない。
(だが…)
俺は唇を噛んだ。

「どうしたの、おにいちゃん。怖い顔して」
石段を上がったアヤシェが首を傾げる。
「いや…なんでもない」
頭を振り、段を駆け上った俺は
ふたりのために分厚い木の扉を開いた。

(うっ…)
無意識に、鼻の穴を広げて息を吸い込む。
石造りの貯蔵庫のような趣きの内部には、
肉の焼ける匂いが空間いっぱいに広がっていた。
よだれが出そうになり、俺は慌てて口元を引き締めた。

部屋に荷物を置き、酒場に降りると
むっとする熱気に包まれる。
台所からの蒸気と、満杯の客のせいだろう。
日焼けした男が麦わら帽子を脇に置き、
市場りらしき商人と
『過ぎ越しの祭り』の予定を楽しそうに語っていた。

奇妙なとりあわせの俺たち一行は、
それなりに視線を集めていたが…
彼らはいい意味で実際的らしく、
すぐに自分たちの話題に戻っていく。

ほっとしながら俺は、
ウェイトレスから渡されたメニューを見た。
…さっぱり解らない。
メニューは、
遠い過去の文法で書かれていたのだ。

イメージはできるが、間違ってたら怖い。
(俺、実は偏食なんだよな)
口を曲げて考えていると、
「適当にみんなで、頼みましょうか」
横からルーリーの声がした。
「好きなものある?
 逆に、嫌いなものとかも…」

「あたし、魚とお肉は戒律で禁じられているけど、
 牛乳とたまごとか、お野菜なら大丈夫」
「俺は、鶏が食べたいな。
 嫌いなのは、いちじくとマヨネーズだぜ」
「…まよねーず?」
ルーリーは不慣れな発音に舌を迷わせたが、
「わかったわ。
 鶏の料理も頼むけど、
 アヤシェの分はあなたが食べてね」

しばらく後、
野菜がごろごろ入った巨大なオムレツと、
チキンスープで炊かれた米の上に、
の香りのする鶏肉が乗っているもの、
それに青菜の浮かんだスープが運ばれてきた。
「旨い…」
鶏肉を噛むと、じゅっと汁が湧き出る。
俺は思わず目を閉じ、しみじみと味わった。
俺の時代の鶏よりも、肉が締まって味が濃い。

「あたしのも、凄くおいしいよ」
オムレツにかぶりついているアヤシェは、
口元にとろんと半熟の黄身をつけて頷いた。
「今日はゆっくりしましょう。
 明日からまた、しばらく野宿が続くから」
ルーリーは柔らかな瞳で言った。
久々の、穏やかな夕食だ。

「ところでさ…」
味の染み込んだご飯を掬い、小声で訊ねる。
「『過ぎ越しの祭り』って、なんなんだ?」
スープを取り分けていたルーリーは、
湯気を立てる大皿を横に置き、
上目いで俺を見た。

「簡単に言えば…、秘神を甦らせる儀式よ」
「『甦らせる』? どういうことだ?」
俺は眉を顰めた。
「シスターがおっしゃっていたように、
 人々が秘神を信じているから
 私たちは魔法を使える」
だから、と彼女は続けた。

「定められた期日に、
 最高司祭である聖王が
 『奇跡』を行ってみせることで、
 人々の信仰をより堅く、厚くすることができる」
「…へえ………」
俺は木のスプーンをくわえ、唇を曲げた。

まったく、面白くなかった。
俺があの極限状態で求めていたものは、
誰かの権力の道具として生かされるような、
安手なものではなかったはずなのに。
俺の思いなど知らぬルーリーは、
さらに言葉をつなげていく。
「人間の信仰はもろく、弱いもの。
 だからこそ強い姿勢で人を導くべきと、
 聖王はいつも言っていたわ…」
海色の瞳の焦点が、すこし遠ざかった。

過去を懐かしむようにかすれる語尾に、
微妙な違和感を抱く。
「ルーリー、
 『聖王はいつも』って、どういうことだ?」
問い返す俺に、ルーリーの顔色が変わる。
「…なんでもない」
れた声が、動揺を語る。

「どういうことだよ」
「…修道院のテキストにもある言葉よ」
「ごまかすなよ」
あくまで逃げようとするルーリーに、
思わず声が荒くなる。

アヤシェの腕輪が乾いた音を立てた。
「ねぇ、ルーリー…」
アヤシェは杖を引き寄せ、不安げな眼差しで
俺たちを見上げる。
ルーリーは唇を引き結び、静かに立ち上がった。
「魔法を使うものの気配がするわ。
 よけいな面倒が降りかかる前に、
 引き上げましょう」

しかし、その判断は一瞬遅かった。
ばたんと音をさせて、酒場に入ってきた人間…
ルーリーの言う「気配」の主
われたからだ。

顔を伏せたまま、その方向へ目だけを動かす。
黒い革のツーピースを着たシルエットが、
目に入ってきた。
「こんばんは」
いくぶん高めの声だ。
だが、アヤシェとルーリーは
警戒を解かずにドアを見つめる。

ふたりの緊張が呼び水になったのか、
彼女はこちらに顔を向けた。
緑の大きな目がきつく眇められる。
(この町を呪っていた娘だ)
驚きのあまり、
不躾と知りつつもまじまじと彼女を見つめる。

(南国の夜に咲く、大輪の花みたいだ)
露出の多い革のぴったりした服が、
クリーム色の肌と豊かな丸みを強調している。
男たちは好色な視線を向け、
店の女たちは、あからさまに嫌な顔をした。
少女はそ知らぬ素振りで、酒場に歩み入ってくる。
滝のように背中に流れる白金の髪は、
ランプの灯りの下で、光の川のようだった。

男たちの野卑な言葉をかわしながら、
彼女はこちらに顔を向けた。
ルーリーとアヤシェに
順ぐりに、視線をとめていく。
アヤシェの指が震え――
テーブルにつけた杖がカタカタと音を鳴らす。

白金の髪の少女は、アヤシェを認めて片眉を上げた。
「…『柱の民』だね、アンタ」
そのまま彼女は、つかつかとこちらに歩み寄る。
「碧玉の都に行く途中?」
彼女は手に腰を当て、アヤシェを見下ろした。
「そうだよ。いけないの?」

「旧い魔術を使う異端として
 聖王の命によって辺境に追いやられた『柱
 聖王が祭司を務める
 過ぎ越しの祭りをのんびり見物するっての?
 ずいぶん、いかれたジョークだね」
「………」
無言で目を光らせるアヤシェを制し、
ルーリーが少女に向けて言った。
「何が目的か知らないけれど、絡まないで」

「あら、アンタの制服…クラン修道院?」
光るグロスに彩られた唇に指を当て、
彼女は悪戯っぽそうに笑った。
「この子に絡むのは、単純な理由さ…
 アタシの一族は、『柱の民』を宿敵と定めてるんだ。
 ずうっと昔から」
室内の温度が下がった気がした。
気づけば、酒場の客たちが皆、こちらを見ている。

「なぜ…?」
ねた俺に、少女は前髪を払って答えた。
「アタシの祖は『依り代』の一派
 秘神を己の身に降ろす力を持ってたのさ」
だから、と彼女は続ける。
「『依り代』の命を捧げれば、
 大地は力を得ることができる…
 だからアタシの祖先は、
 ずうっとこの星のために犠牲になってきた」

しんと静まった酒場に、少女の声が響く。
「多分、自分の良心の都合だろうね。
 『柱の民』の酋長は、
 アタシたちを生まれながらの
 贖罪の山羊と位置づけたんだ」
「…うそだよッ!」
アヤシェは叫んだ。

制止しようと伸ばされた
ルーリーの腕を邪険に振り払い、アヤシェは続けた。
「あなたたちは集落の掟に背き、
 こともあろうに『柱の民』の秘宝
 『竜神の心臓』を盗んだくせにッ !!」

アヤシェの言葉に、少女の顔つきが変わった。
「『竜神の心臓』?
 アタシたちの宝であるのはたしかだけど、
 それを盗んでなんかいないよ。
 里では、『依り代』を盗人呼ばわりしていたの !?
俺とルーリーは、すばやく目を交し合った。
…これは、マズイ展開だ。

「知らない振りしないでッ、うそつきッ !!」
アヤシェの叫びに、エッダは髪を掻き揚げた。
「アタシは、
 うそつきと言われて引き下がれるような、
 弱い人間じゃないよ」
アヤシェは挑戦的な目で、彼女を睨んだ。
「それはもちろん、あたしもだよ」

「…なら、解決法はひとつだね」
エッダは緑の目をきらめかせた。
「アタシ、『依り代』のエッダは、
 あなたに勝負を申し込む」
「『柱の民』のアヤシェは、それを受けるよ」
「おおっ、いいぞッ !!」
ふたりの宣言に、酒場の連中がどっと沸き、
表の広場へ向かうふたりの後を追う。

「ルーリー、どうするんだよ…」
がらんとした酒場の中で、俺は彼女の肩を叩く。
「…行かなくてはいけないわ。
 最後の『柱の民』を失うわけにはいかないもの」
俺は頷き、再び木のドアを開いた。

外は既に、日が暮れていた。
春霞にぼやけたバター色の半月が、
広場を照らし出す。
川の流れだけが響く中、
ふたりは向かい合い、間合いをとった。

ふたりの表情は真剣で、
誰も止められないだろうことは一目瞭然だった。
俺たちはアヤシェのそばに陣取り、
様子をうかがうことにした。

ふいに、エッダが動く。
深く息を吸い、
ゆっくりと両手を上げていく。
(『柱』の末裔は、
 秘神の力を己が体に宿らせると聞いた)
アヤシェはだいじょうぶなのだろうか。
無意識に俺は、剣の柄を指でなぞる。

頭上で交差する両の腕に、青白い光が輝いた。
「風の百虎よ…我が身に宿りて、
 敵を打ち滅ぼせッ !!」
一声とともに、エッダの顔つきが変わった。

緑から青に変化した虹彩の中心に、
縦に長い猫科の瞳があらわれる。
エッダを中心に、強い風が渦巻いていく。
先ほどまで野次を飛ばしていた酔客たちは、
皆一様に酔いの覚めた顔で、戦いを見守っている。

俺は息を呑んだ。
月に濡れたエッダの肌に、
銀色の美しい毛皮が現われはじめる。
を描く長い爪が、指先から伸びた。

爪を振りかざし、エッダは走る。アヤシェの元へ。
だが未だ、アヤシェは詠唱を完了できていない。
彼女の額に、汗の粒が浮かぶ。
それを認めたルーリーは、
何やら呪文を口にしだした。
「止めなよ」
俺は思わず、彼女の肩を掴んだ。

「なぜッ !?」
を逆立てるルーリーに、俺は視線で合図をした。
アヤシェの呪文が完成したのだ。
俺にとっては旧い神…
彼らの秘神は、巨大な火の鳥の姿を現した。
その姿は一瞬で消え、
代わりに火の雨がエッダに降り注いだ。

銀色の毛皮が照らされ、赤く輝く。
どの炎は、水滴のように散らされたが…
「…ッ !!」
守りを突き抜ける炎の欠片に、
エッダは顔をしかめた。

その隙を見逃さず、
アヤシェは同じ秘神の力を行使する。
「行け…ッ !!」
だがその呪文は、
エッダの目の前に築かれた鏡に跳ね返された。

「何…ッ!」
行き場を失ったそのエネルギーが、
俺の方に向かって飛んでくる。
ルーリーが、俺の方に駆けてくるのが
視界の端にちらりと見えた。

雷撃が近づくにつれ、空気が歪むのが見える。
(こんなのから、
 かばってもらうわけにはいかない…
 もう俺は、理不尽に他人を傷つけたくない…ッ!)
俺は雷撃を受けるべく、
ルーリーを突き飛ばして立ちはだかった。
「――ッ! カインッ!」
ルーリーの叫び声が、耳に突き刺さった。

凶暴な獣のような気配が、目の前で膨れ上がる。
その刹那、世界全体のスピードが落ちた。
夜風の匂い、さやかな音を立てる梢と星座の瞬
その中で俺は、
アヤシェが泣きそうな顔で振り返るのも、
エッダの唇が、そんな!と動くのも認識した。

何かが、体の中を駆け抜けていく。
その一瞬後、世界は再び動き始める。
「ウソだろう…」
俺の目の前で、魔法は消えていた。
ルーリーが対抗魔法を使ったのかと思ったが、
彼女の表情を見る限り、そうでもないようだ。
…ってか、ルーリーはなぜ、
が豆鉄砲らったような顔してるんだ?

…だが、そこで思考は途切れた。
目の前が二重しになる。
ゴン、と大きな音がする。
俺の膝が、かくんと崩れたかららしい。
だんだんと地面が目の前に近づき、
再び鈍い音が聞こえた。
まっくら闇の中、鉄の味が口内に広がった。
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 ▼ 第六章 『 母なる無意識の河 』
意識が浮かび上がりきる間際の、
ゆらゆら漂う感じが好きだ。
耳に心地いいコントラルトの声にあやされながら、
ぼんやり思う。

「気がついた?」
黄色いランプの光の中、ルーリーの瞳が見えた。
「どうしてわたしをかばったりしたの…?」
桃色の唇が尋ねる。
「さあ…どうしてだろうな」
「わたしは…」
ルーリーは言葉を切り、唇を噛んだ。
「あなたを守るために在るものなのに…」

太陽の匂いがする布団のなかで、
俺は彼女に向けて寝返りを打つ。
節々が少し痛んだが、
大きな怪我は負っていないようだ。
「難しいこと考えて、
 アンタをかばったわけじゃない。
 それに、結局俺もアンタも無事だったんだ。
 構うことはないだろ?」

俺の言葉に、ルーリーは首を振った。
「そうじゃない…」
ぽとりと水滴が落ちた。
いて顔を上げると、
ルーリーが眼鏡を外して目を擦っていた。

「律を守るものとして生まれたわたしは、
 あなたを還らせなくてはならなくて…
 それは父様ら仰せつけられた
 失敗が許されない使命で」
内側からあふれるものを止められない様子で、
ルーリーは虚ろな言葉を紡ぎ続ける。

彼女のアンバランスさの根が見えた気がした。
「ルーリー」
いじらしく思う気持ちのまま、
名前を呼んで、手を重ねる。
「違う…わたしが言いたいのは…」
彼女は頭を振り、人差し指で涙を拭った。

眼鏡を外したルーリーが、俺の目を見る。
「カイン、ありがとう…
 あなたが助けてくれたこと、
 絶対に忘れない。
 わたし、…あなたを守ると誓うわ」
の瞳が、俺を見つめる。

その目に込められた激しい力にたじろぐ。
自分がその誓いに値する人間だとは、
どうしても思えなかったのだ。
だがそれを言葉にする時間はなかった。

「カイン、目が覚めたの?」
俺の声に気がついたのか、
アヤシェがドアを開けて入ってきたのだ。
「…ごめんね、あたしのせいだよね」
見てるほうがかわいそうになるくらい
しょんぼりした様子で、
アヤシェは俺に頭を下げる。

「だいじょうぶだって」
にしおらしい姿に、苦笑して手を振った。
「って、ここは…?」
ドアから入る光で照らされた内部に、首を捻る。
黒茶の木壁には原色のキルトがかけられ、
ベッドサイドの小机には
不思議なポーズの人形が座っている。

「それは…」
口を濁すふたりに、
遅れて入ってきたエッダが答えた。

「アタシの家だよ」
湯気の立つコップののったお盆を左手に持ちながら、
足で木の分厚い扉を閉める。
金と黒と赤の姿は、
この部屋に奇妙にはまり込んでいた。

「単刀直入に言うよ」
彼女はけたたましい音を立てて、
ベッドサイドに椅子を引きずってきた。
「アタシの魔法が、
 どうしてあなたには効かなかったのか。
 それが知りたいんだ」

顔を強張らせるルーリーとアヤシェに構わず、
エッダは俺の顔をまじまじと見る。
「…アタシに魔力を気づかせないほど
 凄腕の魔法使いってわけでもなさそうなのに」
「…魔法が効かなかった理由なんて、
 俺だってわからないぜ」
――嘘ではない。
強い光を湛える魔女の瞳を受け止め、俺は言った。

こめかみにかかる絹の髪をかきあげながら、
彼女は唇の端を上げた。
「面白いこと言うじゃない。
 たしかにアンタは、
 『律を破るもの』ではなさそうだね」

「…は?」
俺は上掛けをはねあげた。
「なんで俺が、
『律を破るもの』なんてことになるんだ」
エッダはふたつのカップのうち、
ひとつを寄越してため息をついた。

「呆れた…
 アンタたち、このコに何も言ってないんだ」
ルーリーとアヤシェを振り返り、
自分の分のカップを啜る。

ルーリーは難しい顔で、俺の前に進み出た。
「あなたに、魔法が効かなかったからよ。
 それは、秘神への…
 魔法や大いなる者への
 畏れを抱かない人間である破門者
 『律を破るもの』にしかできないことだから」

「カナイルダが言ってた、
 俺が彼女の同類ってのは、それか…」
「ええ」
目を背けたルーリーが、ちいさくうなずいた。
「…そうか」
俺は小さく息を吐いた。

「わたしを責めないの?」
意外そうな声に、俺は目を上げた。
「わけがあるんだろう?
 …俺は、あんたの一角獣の魔法で癒された」
「それは…、わたしとあなたの間には、
 『時の絆』があるからよ」
ルーリーは目を伏せ、口をつぐんだ。

「修道院で言ってたものか…」
ひとりごちる俺に、彼女が口を開きかけたとき、
窓からかたん、と小さな音がした。
「石…、だよ、おにいちゃん」
アヤシェが緊迫した顔を向ける。

「…みんな、気が短いねえ」
エッダは大げさに肩を竦め、コップを置いた。
「どういうことだ?」
身体を起こし、俺はエッダを睨んだ。
「今、この家は、大勢の町人に囲まれている。
 不信心で罰当たりな『律を破るもの』を、
 祭りの生贄としようと思っている人々に」

エッダは喉を鳴らして茶を飲み干した。
「だから、取り引きしよう。
 アンタたちは聖王に逢うため、
 碧玉の都に行くんだろう?」

「………」
俺たちの無言を肯定と取ったのか、
彼女はそのまま言葉を続ける。
「アタシも連れて行きな。
 興味があるんだ。
 『律を破るもの』らしくないカインに」

「認められるわけがないわッ!
 …わたしたちの旅は、遊びじゃないのよッ !!」
ルーリーの叫びに、
エッダはアゴを上げ、頬の辺りを掻いた。
「じゃ、カインを
 外におっぽり出してもいいんだね?」

「…卑怯な言い方ね」
「卑怯…?
 『律を守るもの』、
 アンタだけには言われたくないな」
エッダは椅子から立ち上がり、
ルーリーを睨んだ。
「異教とされた魔法使いの屍の上に
 玉座を築いているアンタらにはッ」

ルーリーは動揺したように見えた。
だがそれは、
エッダの言葉に揺さぶられたからではない。
俺が聞いていることを意識したからだ。
それに気づいたエッダがにやりと笑う。

「アタシの魔法を使えば、
 碧玉の都の手前…、『死の砂漠』まで
 あなたたちを運ぶことができる」
外から響く怒号をものともせず、
エッダはルーリーに向かって手を広げた。
「それとも『律を守るもの』は、
 異教とした『柱の民』の裔に協力されるなんて
 プライドが許さないかい?」

「いいえ」
ルーリーは歯を食いしばった。
「わたしはプライドなんて捨てている。
 彼を還し、この世界の律を守るためなら」
ガラス窓が割れる音が響いた。
「…タイムリミットみたいだね」
エッダは笑った。

「町の人たちはアタシのことを、
 異教の民として一段に置いている。
 この家に乗り込んで、
 アタシたち全員を血祭りにあげることなんて、
 まったく抵抗がないだろうね」
アヤシェがひゅっと音を立てて息を飲み込んだ。

「さあ、どうするの?」
エッダは大仰な身振りで指を突きつけた。
きらめく緑の瞳が熱を帯びる。
のように静かな目で、
ルーリーはそれを受け止めた。
静かな水面の下で、
不穏な何かが揺らめいているのを感じる。

(ルーリーは、自分の力で町の人々を倒すことで
 この局面を打破しようと考えている)
直感だったが、間違ってはいまい。
(――でも、彼女に実行させてはいけない)
俺は唇を噛んだ。

「なあ、ルーリー」
何気なさを装った声色で呼びかける。
「エッダの力を借りた方がいいと思うぜ」
ルーリーは振り返り、よどみなく答えた。
「カイン、わたしは不確実な方法を
 取るわけにはいかない」

「…たとえエッダが信じられずとも、
 アンタが俺を守ってくれるんだろう?」
眼鏡しの目が見開かれた。
「俺は、この世界を壊したくない。
 誰かを傷つけたくないんだ。
 それじゃ、カナイルダと一緒だからな」

不意を突かれた青い目が瞬く。
そして彼女は、小さなため息を吐いた。
「わかったわ…
 エッダと共に…王都を目指しましょう」

腕を組んで行方を見守っていたエッダが
を吊り上げて笑う。
「カインって言ったっけ。
 アンタ、顔に似合わずなかなかやるね」
「…どうでもいいだろ」
ふいに恥ずかしくなり、俺は顔を背ける。

「…ついてきな。
 死の砂漠への道を開くには、
 原始の泥の『場』を借りなくちゃならない」
エッダは器用に片眉を上げ、
奥の間へ続く扉を開けた。

そこは、異様な空気に包まれていた。
地面の露出した床には、
赤黒い色の紋様が描かれ、
正面に太い蛇が絡みあう祭壇が据えつけられている。
四方に吊るされた薬草から、
甘くスパイシーな香りが漂ってくる。
身体を強張らせるアヤシェとルーリーに構わず、
エッダは細かい装飾の施された短剣を手に取った。

暗い部屋の中で、彼女の金髪が月のように煌く。
「原始の泥は、大地の母。
 アタシたち『依り代』は最も旧い系譜の魔女」
エッダは歌うように語る。
「すべてを受け入れ、力と生す…
 すべてと同化し、世界に広がる…」
髪を止めていた飾り紐を解き、
エッダは目を閉じた。

「ここに我らの証を捧げる。
 受け取り、交われ、我らが母よ」
らかに宣したエッダは
右手に持った短剣で髪を一房切り取った。
のない金の髪が土に落ちる。

「うわ…ッ!」
足元の地面が溶け出した。
「アタシに掴まりな。
 でないと、原始の泥に呑まれてしまうよ」
伸ばされた左手を掴み、
もう片方で、俺はルーリーに手を伸ばす。

「アヤシェ?」
杖を持ったまま、差し伸べた手を取らない彼女に
ルーリーは問い掛けた。
「秘神の扱いなら、
 『依り代』なんかにあたしは負けない」
「アヤシェ」
める口調に、彼女は少し怯んだようだったが、
そのままぷいっとそっぽを向く。

「…好きにしな」
エッダは視線を前に向けたまま呟き、
喉音を二度鳴らした。
それを合図に、
風景が抽象画のように折り曲げられていく。

浮遊感に、全身が総毛つ。
真の闇が視覚を閉ざし、
とろりとした濃密な空気に囲まれていく。
(この時代にやってきたときと同じ感じだ)
だが今回は、たしかな体温を伝えてくる手がある。
力を抜き、俺は目をつむった。

エッダに手を引かれ、
ゼリーのような暗闇を移動しはじめる。
(夜の河を泳いでいるみたいだ)
俺の思考に、エッダが返してきた。
(そのとおり。
 この流れは、全ての生命を育む羊水
 だからこそ、命む力を枯らした
 『死の砂漠』は渡れないんだけどね)

(…思考が読み取れるのか?)
問い返すと、辺りの空気が笑うように震えた。
(ちょっと違うね。
 この河は秘神と人間の無意識の源
 秘神と生身で触れ合っているんだ。
 心を開いてごらん。
 魔法の通じないアンタにも、
 見えるものがあるはずだよ)

(エッダ、よけいなことは言わないで)
たしなめるルーリーに、エッダは笑った。
(だいじょうぶさ。
 アタシは今、流れと同化してるんだ。
 腕の中に抱いている、
 すべての意識を把握できる…、ッ!)
押し殺した喘ぎが聞こえた。

(どうした?)
エッダは忌々しそうに答えた。
(あの娘…、アヤシェが溺れてる。
 この流れは支配するものではないのに)

(…エッダ、アヤシェを助けられる?)
ルーリーの強い思いに、
(アタシはそこまで器用じゃない…
 うまくコントロールできるのは、
 この周囲だけだよ)
エッダは苦しそうに応えた。

(アヤシェはどうなるんだ?)
(…母なる『原始の泥』に呑み込まれたものは、
 個をなくして、消えてしまう…)
弱々しい応えに、手足の先が冷たくなる。
える俺の掌を、ルーリーが強く握った。

(なんとか、できないの?)
食い下がるルーリーに、エッダは思念を荒げる。
(無理だって言ってるだろう?
 それにアンタの目的は、
 カインを碧玉の都
 安全に送り届けることじゃなかったのかい?)

(ええ、だけど…
 アヤシェとは、今まで共に旅をしてきたのよ。
 わたしには、割り切れない)
切なげに響く思いを、エッダは嘲笑った。
(それはアンタの弱さだよ)

(割り切れないのは弱さじゃない)
えられず、横から口を出す。
(目的のためなら酷薄になれるっていうのは、
 決して強さじゃない)
(…アンタはアタシにどうしろって言うんだ?)
ついたエッダの思念に被せるように、
俺はルーリーに問いかけた。

(…ルーリー、
 俺とアンタは時の絆で繋がってるんだよな?)
(ええ…、でも、それが…?)
彼女の戸惑った顔が見えるようだ。
(この場所は、
 俺が時代を超えた時に漂っていた場所と
 同じ匂いがする、だから…)

エッダの気配がざわめいたが、
構わず続ける。
(俺がアヤシェを探しに行く。
 だからルーリー…、合図をしたら、
 あの時みたいに俺を引きあげてくれ)
(そんなこと、受け入れられないわ。
 あなたを危険にさらすことはできない)

反論しようとする俺を押しとどめ、
ルーリーは続けた。
(だから――
 わたしがアヤシェを探しに行く。
 あなたを標として、わたしはここに戻ってくる)

俺に反論する隙を与えぬまま、
ルーリーはためらうことなく手を放した。
(待てよ!)
去っていく気配を捕まえようとあがいた手は、
しかし何も掴めはしなかった。
舌打ちし、呪いの言葉を吐く。

(標とか言われてもな…)
彼女の気配が消えた方に神経を尖らせていると、
(…ねえ)
エッダの心が触れてくる。
(なんだよ)
イライラする感情のまま答えると
(アタシはあんたたちの窮地を救ったんだ。
 もうちょっと、感謝されてもいいと思うよ)
ねたような調子が帰ってきた。

…もっともな言い分だ。
(そのとおりだな。すまない)
俺の答えに、エッダは弾かれるように笑った。
(素直だねェ…ッ!
 アンタ、やっぱり面白いよ。
 …そんなにルーリーが心配なの?)

思ってもみなかった質問だった。
(…わからない)
正直に告げると、
エッダは悪戯っぽい調子をつくる。
(ルーリーはアンタに、
 思い入れがあるみたいだけど?)

かっと顔が熱くなった。
あたりを覆う闇に感謝しながら、言葉を繋げる。
(別に、俺たちはそういうんじゃない。
 利害が一致して旅をしてるだけだ)
それに、俺はこの時代の人間じゃない。
ずっと、彼女と共に居られるわけじゃない。

(ふぅん…)
エッダはすりより、腕を絡ませてくる。
(ねえ、たとえばアタシが
 ルーリーたちを残して、
 無理やりアンタを連れて
 この流れを抜けようとしたらどうする?)

だが、俺は首を振る。
(アンタはそんなことしないだろ)
エッダの気配がうろたえた。
(どうして逢ったばかりのアタシに
 そんなことが言える?)
(アンタのことを信頼しているから)

道祖神と化した
原始の泥に祈っていた後姿を思い出す。
彼女が現在を打ち砕く者を待っていたことを、
俺は知っている。
そんな切ない望みを持つ人間が、
目的のために他人のことを切り捨てる
強者の論理を持てるわけがない。

かいつまんで伝えると、
(まいったね)
エッダは口を閉じた。
しばしの沈黙の後、気配が動いた。
(…カイン、あっちをごらん)
彼方の闇から、
橙色の光の粉がきらきらと落ちていた。
(あの色は、生命の一角獣のしるしだ)

(ルーリーはアヤシェを捕まえられたのか?)
(たぶん。
 でもあたしたちは、
 さっさとここを出なくちゃいけない)
(どういうことだ?)
(ルーリーが振るった力で、
 『原始の泥』の状態が不安定になってる。
 アタシにも制御できない可能性があるんだ)

…マジか。
俺は舌打ちして、ルーリーに呼びかけた。
(早く帰ってこい)
繋がっている糸をイメージし、強く念じる。
見よう見真似の魔術だ。
(カイン)
小さな声が脳内に響いた。
幻覚のたぐいではない、たしかな思念だ。

(こっちだ)
駆り立てられるように、
俺はルーリーに呼びかけた。
今や、闇に覆われていた無音の空間は、
れかけんとしていた。
不吉な色の光がスパークし、俺の網膜を焼く。
流れを制御しようと試みる
エッダの苦しげな吐息が耳元で聞こえる。

自分に魔法の力がないことを、
これほどじれったく思ったことはなかった。
思わず流れに向かおうとする俺の手を、
エッダが掴む。
(アタシとはぐれたら、アヤシェの二の舞だ。
 それにアンタが行ったところで、
 なんにもなりゃしないよ)

俺は舌打ちしながらも、
意識の繋がる
彼女の思念を手繰り寄せることに専念する。
耳を貫く轟音とともに空間が軋む。
指先が冷たくなる。

突然、目の前に懐かしい匂いがした。
長い亜麻色の髪の香りだ。
手を差し出すと、熱い手のひらに包まれる。
ルーリーの後ろから、
アヤシェの腕輪がしゃらんと鳴る音が聞こえた。
安堵に身体中の力が抜ける。
(やっと来たね…離脱するよ)
安心したようなエッダの声とともに、
俺たちは泥の中を高速で進み始めた。

(ありがとう、カイン。
 わたしがここに帰ってこれたのは
 あなたの方から思念を手繰ってくれたおかげだわ)
照れくさくなった俺は、
返事の代わりにルーリーの手のひらをぎゅっと握る。

(死の砂漠の入り口までは、後少しだよ)
力づけるようなエッダの心の声に、
アヤシェの小さな応えが重なった。
(さっきはありがとう、おにいちゃん。
 …それに、…エッダ)

(ン?)
エッダが問い返すと、アヤシェの気配が震える。
(エッダはあたしを置いていくこともできたし、
 おにいちゃんが居なかったら
 あたしとルーリーは還ってこれなかった)

(別に、アンタのためじゃない。
 アンタを待たなきゃ、
 カインとルーリーともはぐれるからね)
(それでも…、ありがとう。
 亡くなった母さまは言ってた。
 助けられたときは、心から感謝しなさいって)

(………そうかい)
エッダはぶっきらぼうに言った。
それは故意に感情を消した響きで、
俺は思わず頬を緩める。

(なんだい?)
(いや、なんでもないよ)
いらついた声に、澄まして返答する。

エッダの気配が揺れたが…
それきり俺たちは、
無言で彼女の導きに身をまかせる。
ぬめらかな空間が濃度を薄めたころ、
円形に切り取られた白い光が前方に現われる。
(…あそこを抜ければ、死の砂漠だよ)
(『碧玉の都』までは、あと少しか…)
汗ばむエッダの手のひらを握り返し、
俺は唇を噛んだ。
▲ 閉じる

 ▼ 第七章 『 ビルグリム 』
鈍色の薄雲が空を覆い、朝の光も届かない。
「ここを、行かなくちゃいけないのか…」
俺はげっそりして、肩を落とした。
眼下に広がるのは、白く冷たい『死の砂漠』。

「秘神の…、生あるものの気配がない。
 アタシはこういうとこ、ニガテだよ…」
「あたしも」
エッダとアヤシェはふたりそろって、
大きなため息をついた。
泥の中を抜けて以来、
アヤシェとエッダの間の緊張は、
ほんの少しほぐれたように見える。

い風が、崖に立つルーリーの髪を靡かせる。
「この砂漠を超えれば、
 王都、碧玉の都に着くわ。
今のペースで歩けば、
三日後には王都へ辿り着くことができるはず」
ルーリーは言い、風を孕んだスカートを翻す。

を降り、真っ白な大地に足を踏み入れる。
(うっ…)
サリッと音を立てて、何かが崩れた。
不快な感触に、眉をしかめて目を近づける。
(石英と骨の欠片だ)
俺が踏み砕いた欠片が空中に舞う。
生理的な嫌悪感に鳥肌が立った。
「だいじょうぶ?」
目を上げると、心配そうな青い瞳にぶつかった。
「ああ…、ちょっと驚いただけだ」
ルーリーは安心したように微笑んだ。
「じゃあ、行きましょう」

月光のように冷たい日差しを浴びながら、
俺たちは黙って王都を目指す。
(あと3日、この状態が続くのか…)
足元が崩れる音を聞きながら
前を行くルーリーの髪が揺れるのを見ていると、
なんだか現実との境目がわからなくなってくる。

どれだけ進んだことだろう?
足が重くなってくるころ、アヤシェの声がした。
「ルーリー、水の秘神の力を感じるよ」
「水場が近いのかしら…」
ルーリーは頭を傾げ、地図と磁石を取り出した。
首を伸ばして覗き込むが、
そこには水場らしき記号は書き込まれていない。
「そんなの見てないでよ。
 こっち来て、ホントだから」

俺の手を引っぱるアヤシェに苦笑して、
ルーリーは地図を畳んだ。
直径30トールほどだろうか。
その小さな池は、
砂地の窪みにひっそりと息づいていた。
「きれいな水ね」
ルーリーが呟く。
銀のような水面が、しゃがみ込む俺の姿を映した。

(…この透明度は、不自然だ)
微生物さえ存在しない、死んだ水とも言える。
俺は立ち上がり、アヤシェに尋ねた。
「水の秘神の力、感じるか?」
「うん、ほんの少しだけ。
 あ…、ねえおにいちゃん、
 あれ、なんだろう?」
アヤシェが指さす方向に、
赤い金属でできた杭が2本並んでいた。

「…妙なものがあるな」
を見つめて首を捻っていると、
横でエッダが息を呑んだ。
「どうかしたのか?」
「えっ…いや、なんでもないよ」
裏返った声で、エッダは答えた。
不審に思って追求しようとすると、
離れた場所にいたルーリーが
鋭い声で俺の名前を呼んだ。

「魔法を使う者の気配がする」
「カナイルダかな」
杖を構えたアヤシェが、緊張した声を発した。
エッダの緑色の瞳が眇められる。
「気をつけな、…来るよ」

その刹那、銀色の水が、
朝日を浴びたような金色に変わった。
白いけむりが立ち上り、小さくはじける音と共に
人形のシルエットが実体化する。
剣の柄を握る手のひらがじとりと汗ばんだ。
ルーリーの細い指先が動き始める。

その時だった。
アヤシェが構えを解き、掠れた声で呼びかけたのだ。
「…父さま」
衝撃的な一言だった。

アヤシェの杖が砂に落ちる。
無数の小さな乾いた骨が砕ける音が響いた。
「アヤシェ…?」
池の上に立つ男が目を見開く。
じみたねずみ色の衣の裾が、
水音を立てて池に落ちた。

「どうして、こんなところに…?」
アヤシェは杖を落としたことにも気づかず、
父親を見つめる。
「お前こそ、修道院にいたはずでは…?」
けたように見つめていた彼の視線が、
ふと険しくなる。
「それに何故、『依り代』などと共に居る」

アヤシェは首を振った。
「そんな風に言わないで。
 エッダはあたしを助けてくれたんだよ」
だが、アヤシェの父親は
エッダから憎しみに満ちた目を外さずに言った。
「『依り代』が何を企んでいるかなぞ、
 わかるものか」
エッダが目を逸らし、拳を握る。

(耐えられない)
あまりの言い様に口を出そうとしたとき、
ルーリーが静かに歩みでた。
「『柱の民』の酋長よ。
 わたしはルーリー、生命と時を操る者の嗣子
 修道院より命を受け、
 アヤシェと共に旅をしています」
酋長の顔に、驚愕の表情が浮かんだ。

「わたしはここに居る少年…
 カインと共に砂漠を抜け、
 碧玉の都を目指さねばなりません。
 ついては我らに、一夜の宿りをいただけませんか」
酋長の視線を受け止めながら、
ルーリーは静かに言葉をつむぐ。

「『依り代』を集落に迎えるのは不本意だが、
 …そなたが言うならば仕方がない」
酋長は不承不承うなずいた。

「だが、案内する前に…
 しばしそこで、待っておられよ」
彼は水辺に据えられた、
赤い金属の杭に向けて手のひらを向けた。
エッダが深い息をつく。

酋長の手のひらから、白い光が迸る。
その力は二本の杭の合間を縫い、
いずこかに消えた。
「あたしたちの…、
 『柱の民』の力を、なんに捧げてるの?」

「…聖王さ。
 あれは『誓約の杭』。
 反逆を防ぐために、魔力を吸い取る道具だよ。」
エッダは苦々しげに吐き捨てた。
「そんな…」
アヤシェは顔色を失い、首を振った。

しばらく後、酋長は顔を上げた。
明らかに憔悴した様子に、俺はそっと視線を外す。
「アヤシェよ、そして客人がたよ…
 こちらに来たまえ。
 たいした歓迎はできないが、
 夜の寒さは防げるだろう」

手招きに誘われるまま、
俺たちは靴を脱ぎ、小さな池に足を浸した。
足指の間に入り込む、
った砂の感触に眉を顰めていると、
水面が黄金色に染まった。

一瞬の浮遊感のあと、
俺たちは埃っぽい空気の中に放り出された。
覚えのある匂い…
酒と汗の臭いが鼻をつく。
「…ここが、我らの居住地だ」
酋長は重々しく言った。

白い砂の上に、
汚れたテントがいくつもしつらえられている。
色の褪せた布が、不様に垂れ下がっている中、
どろんとした目の男たちが
酒びんを抱えてテントの周りに座り込んでいた。

小さな広場の中央には、
動物の顔が重ねられたボールが立っていた。
(わずかな波動を感じる…)
だが、それさえも吸い取るように、
ボールの根元には
赤い金属の杭が設けられていた。

「痛ッ…」
ボールに近づいたアヤシェが鋭い声を上げた。
「…父さま…、結界…?」
「そうだ。
 我らが許しなく秘神と接することのないよう、
 聖王陛下ご自身が張られたものだ」

苦しげに胸を押さえていたエッダが、眉を寄せる。
「そんなことをしたら、
 秘神と共にある『柱の民』は、
 生きていけないじゃないか…」

ルーリーが唇を噛む。
「こんなこと、どうして王は…」
「…聖王陛下は強き方。
 異端には容赦がないのだ」
酋長は感情のない声で語った。

「父さま………」
アヤシェは鼻声で語る。
「どうして、こんなことを許してるの?
 あたしにはいつも、
 『柱の民』の誇りを抱けって言ってたのに…」

「私たちには、
 聖王の強大な魔力に
 対抗できるだけの力がない…
 『依り代』に持ち去られた、
 秘神との絆を太くする聖具
 『竜神の心臓』があればまだしも」
酋長は憎々しげにエッダを睨んだ。

「この際はっきり言っとくけど、
 アタシたち『依り代』は、
 『竜神の心臓』なんて盗んでないよ。
 あれは、
 『依り代』と『柱の民』が協力した時のみに現われる。
 アンタも知ってるだろ?」
エッダは顎を上げ、酋長を見下ろした。
「嘘をつけッ!」
口から泡を飛ばして酋長は叫んだ。

「…父さま、もう止めて」
アヤシェは小さな声で言った。
「あたしたちは、
 こんな風に落とされたんだよ?
 それでもまだ、
 『依り代』を憎むのは…、ヘンだよ」

「アヤシェ…」
酋長は口を開き、自分の娘を見つめた。
「父さまが教えてくれた『誇り』って、
 そんなことじゃないと思う」
涙声でアヤシェは言った。

「…床を作ってやるゆえ、もう眠れ。
 話をするには、お前も私も疲れている」
酋長は悄然とした表情のまま、背中を向ける。
アヤシェは袖口で、ごしごしと目元を擦った。

「シスターがアヤシェの同行を許したのは、
 この光景を見せて、
 部族の状態を知らしめたかったからなのね…」
案内されたテントの中で、
ルーリーがひっそりと呟いた。
『結界』のせいか、
エッダとアヤシェは眠気と倦怠感を訴え、
すでに床に入っている。

天井の薄い白布を貫いて、
しらじらとした月光があたりを照らす。
「…聖王は残酷な人だな」
俺はルーリーに言った。
「多数の人々を平和に導くには、
 犠牲を払わなくてはいけない…
 それが強さだと、わたしは言われた」
彼女は言い、顔を背けた。

「…秘神が坐す世界にも、
 絶対の救いはないんだな」
落胆と絶望とで心が冷える。
完璧な世界など、どこにもない。
俺たちには、
理不尽で醜い世界しか用意されていないのだ。

「カイン…、ごめんなさい」
ルーリーがうつむいた。
「ルーリーが謝る必要はないぜ…
 勝手にこっちに来た俺が、
 勝手に幻滅しただけだ」
ルーリーはかぶりを振り、
もういちど詫びの言葉を呟いた。

そのとき、耳の奥で何かが警鐘を鳴らした。
…カナイルダだ。
「…カイン」
ルーリーの表情に緊張が走る。
「ふたりを起こそう」

入り口の布を跳ね上げ、俺たちは走った。
粗末なテントが並ぶ路を縫い、
村の中心の広場へと向かう。
「カナイルダッ!」
俺は叫び、剣を抜いた。

カナイルダはポールにもたれ、
不敵な笑みを浮かべていた。
「カイン、私が修道院で言った、
 『絶望』の意味がわかった?」
「…だったら、なんなんだ」

否定しない俺に、彼女は冷笑を浮かべた。
「最後の忠告よ。
 私の側につきなさい。
 あなたの絶望にシンパシーを抱き、
 あなたを理解できるのは私だけ。
 なぜなら私は――」

「黙れ、カナイルダ――」
過去と同じく
カナイルダの言葉を切って捨てようとして、
俺は気づいた。
紫の目が炎のように狂おしく、俺の姿を映している。
の底に込められた情念が痛い。

剣を持ったまま、息を詰める。
(頼む、言うなッ!)
――だが、俺の祈りは聞き届けられなかった。
「あなたと同じ、遠い未来の人間だから」
カナイルダは楽しげにさえ聞こえる口調で、
その言葉を吐いた。

(やはり…)
首に手をかけられたような苦しさを感じ、
俺は喘いだ。
底知れぬ暗さを湛えた瞳から、
目を離すことができない。

「カイン」
ルーリーのか細い声に、現実がかえってくる。
俺は掌の汗にぬめる剣の柄を握りなおし、
目をつむった。
まぶたの裏に現われたのは――
俺が元の世界で殺した少女だった。

(ああ)
俺は血を吐くほど強く祈る。
誰にも届かないと知りつつ。
どうしようもなく救われたかった。
だが、誰も自分を救いはしない。
ならば――

…目を開き、カナイルダの瞳を見える。
「アンタとは行けない。
 俺は、人を傷つけることを正当化したくない」
彼女の小さな唇から、落胆の吐息が漏れた。

「わかったわ…」
苦く俯き、そして再び目を上げる。
「これで私も、ためらいなく任務を果たせる」
に冷たく無機質な光を浮かばせ、
彼女は言った。

銀髪が舞う。
空間を斬る剣が結界もろとも、
ポールを断ち切ったのだ。

んだ重低音が響いた。
それは、杭へと『柱の民』の力が流れる音だ。
「あっ…うぅっ…ッ!」
アヤシェとエッダが、うめき声を上げてくずおれる。
「ポールが汲み上げるわずかな霊脈でなく、
 あなた方自身の魔力を捧げろと
 王は言ったんじゃなかったかしら?」
うすく光を帯びた剣を口元に寄せ、
カナイルダは歌うように言った。

俺たちの周りを取り囲んでいた『柱の民』の間から、
酋長がまろび出てきた。
「…そんなことをしたら、
 我らは生きていけぬッ!」
顔色を失いながら、
としての威厳を保とうと頭を上げる彼に、
カナイルダは言い捨てた。
「なら、死になさい。
 屍の方が、さえずらぬだけマシだわ」

カナイルダはふわりと宙に浮かび、
俺に剣を向けた。
「…カイン。
 今度逢った時が、私たちの最後よ」
鏡面のきらめきを残し、彼女は消えた。

剣を鞘に収め、俺は振り返った。
ルーリーの瞳が、不思議な色を湛えている。
「カイン…、行かないでくれてありがとう」
何かを決意したかのように、迷いのない口ぶりだった
そして短い呪文を唱える。

軽い音とともに、
ポールの根元に埋め込まれていた杭が弾けた。
力の流れが止まり、
アヤシェとエッダが…
『柱の民』たちが、顔を上げた。

ルーリーは酋長に歩み寄り、
「…この責は、わたしが負います」
かな笑顔を浮かべた。

そして彼女は、アヤシェに向き直る。
「あなたの旅の目的は果たされたけれど…
 このあと、どうするの?」
「あたしは『竜神の心臓』を捜す。
 力をもって、聖王と向かい合うために。
 『柱の民』が、誇りを持って暮らせるように
 あたしは王に訴える」

「アヤシェ、アタシもアンタと一緒に行くよ」
エッダは髪をかきあげ、口を開いた。
「…『依り代』が協力しなきゃ、
 心臓を手に入れることはできないだろ?」

「心臓の在り処は遠いのか?」
「遠いとも、近いとも言える…
 『依り代』と酋長の血を引くものが
 心をあわせたとき、
 その場所に扉は開くと言われているから」

アヤシェが口を挟んだ。
「あたしとエッダは、心臓を得たら
 ルーリーの居る場所に転移する。
 『竜神の心臓』の力があれば、
 王宮の結界と言えど破れるはずだもの」
「…わかったわ」
数瞬の逡巡のあと、
ルーリーはアヤシェにうなずいた。

それをちらりと見やる俺に、
エッダが悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「アタシらが居なくって寂しい?」
「まあな…
 でも…、また逢えるだろ?」
「もちろんだよ、おにいちゃん」
アヤシェはきっぱりと言い、身を翻した。

アヤシェに続こうとしたエッダは、
「アンタ…、本当にこれでいいのかい?」
心配げな視線をルーリーに投げた。
「わたしは…
 もう、選択してしまった」
はっきりと発音する彼女を、
エッダはなぜか痛ましそうに見た。

「…アンタとカインの幸運を、祈ってるよ」
そしてエッダは、振り向かずに歩き出した。
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 ▼ 第八章 『 碧玉の都 』
砂漠の白さに、碧の陽炎が揺れた。
「もう少しで王都に着くわ」
ルーリーは彼方を指差す。
目を細めると、
薄く色づいたガラスでできた塔が、
優美にねじれながら
空に向かってそびえ立ってるのが見えた。

「あれが、碧玉の都…」
予想以上に発達している文明だ。
その大きなシルエットは、
迫るような濃密な力を感じさせる。
何もない、死の砂漠とは対照的だ。
(…広大な死の砂漠は、
 王都にエネルギーを
 供給しすぎた結果かもしれない)
いびつなものを感じ、俺はため息をついた。

その小さな所作を拾い、ルーリーが口を開く。
「祭りは明日の夜から始まるわ。
 なんとか、間に合ったようね」
「…そうだな。
 明日まで、どうする?」
何気なく尋ねると、
ルーリーは立ち止まった。

「…アヤシェとエッダを待ちましょう」
――俺が言いたいのは
そういうことじゃなかったんだが…
首をひねり、
ルーリーの歩調に合わせて立ち止まると、
なぜか彼女の耳を赤く染める。

「どうした?」
不思議に思って尋ねるが、
ルーリーは首を振った。
「なんでもない、気にしないで」
そして早足で歩き出す。
…なんなんだ、いったい。

銀色の(金のかかっていそうな)鎧の騎士から
あらためられた通行証を受け取り、
俺たちは碧玉の都へと入った。
ガラスと光が多用された美しい町並みを、
様々な肌の色の人間がせわしく行き交っている。

「…すごいな」
口をぽかんと開けて、
押し寄せる人波を見守る。
「祭りの期間は、
 聖王の行う奇蹟を目当ての巡礼も多いの」
ルーリーは言い、人波と俺を隔てるように動いた。

しかし、と俺は思う。
この忙しい時期…
しかも祭りの当日に、どうして聖王は俺を
宮殿に呼ぼうとしているのだろう?
今までに見知った彼のやり方からすると、
『俺がこの時代に染まらぬうちに帰してやろう』
なんて優しい心遣いでないことはたしかだ。

繊細なつくりの噴水を眺めながら、
嫌な考えを転がしていると
「ねえ、カイン。あそこを見て」
ルーリーが町の一角を指差した。
12体の秘神が描かれたカラクリ時計だ。
遠目ながら、手のかかった細工と知れる。
「もうすぐ正時だから、カラクリを見られるわ」

9時59分を指していた針が、かちりと動いた。
同時にさらさらと音を立て、
中央の碧玉から、光の粉が吹き出す。
光の中でふわりと立ち上がるのは、
月の秘神、麗しき夜の女神だ。
絹のようにきめ細かいミルク色の肌に、
る薄物を纏っている。
体温まで感じられそうなリアリティと、
い神々しさをあわせ持つ造形に、
吸い込まれるような感覚を覚える。

女神は優美に身を翻し、
奇声を上げて手を差し伸べる巡礼たちの上で
滑るように踊りはじめた。
(きれいだ、だけれど)
女神が手を、足を上げるたびにはぜる
光の粒を手にしようとする巡礼たち。
彼らの上で知らぬげに踊り続ける女神。
両者の間には、何も通じ合うものはない。

…俺は彼らのように純粋に、
秘神に心を預けることはできないだろう。
シスターたちが俺を脅威と呼び、
居るべき場所に
帰らせようというのも当然だ。
こんな絶望を持つ者は、
カナイルダのように人を堕とすだろう。

「カイン、気に入らなかった?」
月の女神が消え、巡礼たちが散らばる中、
ルーリーが、気遣わしげな視線を投げてきた。
「いや、きれいだった。
 俺の時代でも、あのカラクリは造れない」
空々しくならないよう、言葉をつなぐ。
「そう、良かった」
くるんとカーブした睫毛の生え際を赤くして、
ルーリーは微笑んだ。

「…次は、何か見たいものがある?」
「そうだな…」
首を捻った俺は、
ルーリーの肩しにある屋台に目を留める。
「甘いものが食いたいな」
俺の言葉に、ルーリーは意外そうに唇を尖らせた。
「カイン、甘いものが好きなの?」
意外だわ、と呟かれ、頬が熱くなる。

「辛いものも好きだけどな。
 干し肉で飽きてはいるんだよ」
「…干し果には飽きなかったの?」
ルーリーは笑いを含んだ声で俺に返す。
「ああ、飽きなかった」

俺の返事にルーリーは吹きだした。
ちょっと待っててね、と告げてから
屋台の方角に走る。
亜麻色の髪が揺れるのを見ていると、
巡礼を見ていたときの違和感が消え、
永遠にこの瞬間が続くような錯覚に囚われる。
(明日は聖王に逢うというのに)

「はい、お待たせ」
帰ってきたルーリーが、
広場の噴水の縁に腰掛けていた俺に、
茶色の紙袋を渡してくれた。
息を調える唇が、普段より少し赤い。
「…なに?」
不思議そうに首を傾げられ、
ルーリーの顔をじっと見ていたことに気づく。

なんでもない…と告げて、
バターが染み出る茶色の紙袋を開いた。
きつね色に焦げ目のついたもっちりした生地を噛む。
中に入ったココナツのカスタードが、
舌の上で熱くとろける。
カスタードと生地が口の中で奏でる調和に、
思わずうっとりしてしまう。

「ルーリーも食えよ」
半分に割ったココナツカスタードパイを
押しつけた。
「おいしい」
ルーリーはパイをかじり、にっこり笑った。

「甘いものってシアワセになるだろ」
俺は言い、紙に残ったカスタードを舐める。
「そうね…」
ルーリーは思案になった。
「甘いものを食べる時の幸せって、
 柔らかくてふわふわした小動物を
 なでる時みたいな感じがする」

「…たしかにな」
自分にはない発想に笑みを誘われる。
角度が変わった日の光がガラスづくりの塔を通す。
あたりに桃の実の色をした影が落ちた。
海鳥が飛んでいく。
(きれいな世界だ)
目を細め、感情を伝えようとルーリーを向く。

――そのとき。
雑踏の気配がすうっと消え、
世界が急激に、色あせていった。
闇の中に浮かぶ、半透明の球
俺たちはその中に閉じ込められていた。
耳の奥に鋭い痛みが走る。

「カナイルダ…ッ !?」
俺の前に、ルーリーが立ちはだかった。
「…わたしが行くわ」
ルーリーは迷いなく紋章を描き、
紅色の稲妻を打ち込んだ…ッ !!

だが、前方に出現した
鏡面のスクリーンが、その力を取り込む。
「嘘ッ !!」
ルーリーは魔法を中断するが、
彼女と鏡面を繋いだ稲妻は、鼓動を止めない。
ルーリーの表情が、恐怖に彩られる。
(魔力が、吸い取られている…)
力の流れを逆転させた「場」は、
自分自身の空洞に、彼女の力を満たしているのだ。

「ルーリー、しっかりしろッ!」
俺は剣を取り出し、
不気味に蠢く稲妻を断ち切ろうとした。
弾力ある触手のような手応えに、
は弾かれる。
ルーリーは手を引っ張られたまま、
蒼白になった額に冷や汗を浮かべている。

「持ちこたえてろッ!」
元を断たなきゃどうしようもなさそうだ。
剣を構え、気配を探りながら
不気味な輝きを放つ場所に近づいた。
(これは、猟犬…?)
覚えのある臭いがして、眉を寄せた時、
後ろでルーリーが倒れる音がした。

振り返って駆寄る俺の目の前で、
力を失くした彼女がゆらりと浮き上がっていく。
亜麻色の髪が、海草のように蒼い頬を縁る。
すべきことがわからず呆然とする俺の前で、
ルーリーの身体は球の上部を突きぬけ、
その場所で留まった。

同時に空間が震える。
それは笑ったときの呼気のようで、
「…誰だ」
俺は剣を構えたまま、辺りを見回す。
「昔から、善なる少女を攫うのは、
 悪の魔女と相場が決まっているものよ」
聞きなれた――
だが、一番聞きたくない声が響いた。

「――カナイルダッ!」
紫色の光の球が弾け、
ほっそりしたシルエットが現われる。
振りの剣を持った彼女は、
みつける俺を鼻で笑い、
左手に持った剣を俺の足元に放り出した。

「剣を取りなさい。
 早くしないと、ルーリーが死ぬわよ」
カナイルダは唇の端を吊り上げる。
「何故ッ !?」
俺は叫んだ。

「今度逢ったときが、最後だと言ったはず」
カナイルダはすらりと剣を抜き放つ。
俺は混乱して叫んだ。
「お前は聖王の祭りを、
 妨害しようとしてたんじゃないのか?」
彼女はふっと笑った。
「私が聖王に受けていた命は、
 都合の悪い事実を見せることなく、
 あなたを期日までに王都に迎えること」

すべてがクリアになる。
震える舌で、言葉を紡ぐ。
「己の振るう大がかりな奇跡
 人々に畏怖の気持ちを抱かせる。
 それが聖王の人心掌握術ならば、
 俺の果たす役割は…」

「ようやく理解したようね。
 彼の起こす『奇蹟』は、
 あなたを屠ることで起きる
 時空の震えを力の源としたものよ」
彼女は目の前にかざした刃に、細い指を当てた。
紫色の光が溢れ出す。

「聖王はルーリーの目の前で、
 あなたを殺すつもりでいる。
 彼の考える『強さ』を、
 ルーリーに持たせるために」
黒曜石のピアスが、
切ない表情を映して揺れた。

「でも、聖王がそう話したとき、
 私の中に、強い衝動が生まれたわ。
 あなたは私のものになるべきだと」

俺は黙って、彼女がよこした剣を取った。
それだけが、贖罪の方法だからだ。
「あなたがこの世界に来たと知ったとき、
 私はようやく、
 孤独をわかち合える人を見つけたと思った」

俺はうなずき、カナイルダがしたように
幅広の剣に光を点す。
「でも俺は、アンタとは行かなかった」
ルーリーを見上げる俺を、
彼女は正面から見据え、微笑んだ。
「…だから私は、あなた相手になら
 いくらでも残酷になれる」

その言葉を合図に、
俺とカナイルダは剣を構えた。
「ハァアァ――ッ !!」
みあう暇も与えず、
身体をしならせたカナイルダが、
振りかぶった剣を俺に叩きつけてきたッ!

とっさに刃を横にしてその攻撃を受ける。
がじんと痺れた。
細い身体のどこにそんな力があるのかと
驚く間もなく、
彼女は次々と素早い動きで仕掛けてくる。

彼女の剣が起こす風が、俺の前髪を浮かせる。
(…まずい)
剣の柄が、汗でぬるむ。
乾いた音と火花が、二振りの剣の間で飛び散った。

「防いでばかりじゃ、
 いつまで経っても私は倒せないわよ」
挑発的に笑うカナイルダに、
俺はかっとなり、まっすぐに剣を突き出した。
「遅いッ!」
銀色の髪が舞う。
長い足が、俺の腹にきれいに入った。

カメラをズームアウトしたときのように、
視界が引いていく。
ルーリーの周りに、
猟犬が近寄るのが見える。
「ぐっ…」
き込みそうになるのを抑え、
俺は身体を捻って起き上がった。

「…あなたは私を倒せない」
よろよろと立ち上がる様子を見ていた
カナイルダが笑う。
「私はあなたのそれよりも、
 さらに下った時代の剣技を持っているから」
そして彼女は、無造作に俺に近寄った。

挑発には応えぬまま、
剣の重心を左手に替える。
「いけッ…!」
右手を離し、大きく振りかぶって、
俺は彼女を袈裟懸けにする。

「甘いッ !!」
彼女はその攻撃をしゃがんで避け、
のばねを使って
短く持った剣を俺の喉笛に突き込む。

紫の炎を纏った剣先が、
上体を横に倒す俺の二の腕を切り裂いた。
(不味い…)
こめかみに冷や汗が噴き出す。
指先の温度が下がっていくのがわかった。
一筋の傷は、すぐに太い筋