--第8話--<初めてのハワイ>初めてハワイに出会った頃を回想・・

トップページをリニューアルしたとき、ハワイのINDEXにちょっとした想いを書いてみた・・

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初めてのハワイは新婚旅行だった・・・
海外旅行も初めてだった・・・
なーんにもわからないまま4泊6日はすぎていった・・
もう、ハワイは最後だな〜とその時は感じていた・・
だって、若い夫婦には海外旅行なんて夢のまた夢だったから・・

子供ができてハワイはまた夢になった・・
でも、或る日ハワイの風が私たちを呼んでくれた・・・

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ハワイに初めて行ったのは、新婚旅行・・ハネムーンというやつで、当時千歳から直行便なんぞ出ている訳も無く「海外旅行=成田発」がお決まりだった。バブリーな時代ではあったけど、円が$1=250円とかしていた時代だから、ツアーといえども相当高かった。結婚式の後のハネムーン、当然資金はわずか(T_T)その計画段階で私は本来「メインランド=アメリカ本土」を希望していた。サンフランシスコ、ロスアンジェルス、ニューヨーク・・どこでも良かったそこが「憧れのアメリカ」と信じていたからだ。が、しかし!本土ツアーはハワイよりもっと高くてビンボーな若夫婦には「無理!」と口座残高が宣告した(T_T)。そんなこんなでハワイに決定!したものの、やはり大手ツアー会社のデラックスハネムーンツアーなんぞ参加できるはずもなく、沢山の旅行代理店を回ってはパンフを集め「最安値」のツアーに参加することに(それもホテル&部屋グレードも一番下)。
ツアーといえどもそこはちょっと楽しみたいと、ハワイ行きの前に東京に1泊してディズニーランドで遊ぶ事にした。

さて、結婚式を終えて2次会やらなんやらとエライ遅くまで「すすきの」にいて、ホテルに戻ったのは午前様。(式場では式後の宿泊が無料でサービスされていた)。旅行の荷物はダンナ様の家にまとめて置いてある。明日の朝早く荷物を持って千歳へ向かわねばならない!しかし、朝!二人とも終わった!という安堵感ですっかり寝過ごしてしまった(^_^;)。急いで自宅へ戻り荷物をまとめると、直ぐに千歳へ、「なんとか間に合いそうだね」と言ったのもつかの間、千歳空港に近づくとものすごい渋滞(T_T)(T_T)、ナント!自衛隊千歳基地で航空祭がもようされていたのだ!(>_<)飛行機の時間は迫っている!ああ〜(大涙)、駐車場に入れて走ってカウンターへ行くと、直前に「締め切り」という札が出された(>_<)。カウンター男性に「羽田行き乗りますぅ〜」と哀願すると「ああ、間に合いますよ、直ぐに搭乗手続きしてください。急いで」と言われ、やっと体じゅうの汗が引く音が聞こえる。

それから、無事羽田に到着。TDLを楽しんで(あいにくの雨だったけど)ホテルに1泊。次の日は夜までフリーなので東京見物を少しして、成田にのんびり向かいツアー集合場所でようやく「ハワイ行きのチケット」を手にする。スタッフの方よりツアー道具一式を頂き、例のツアーバッチもつけるように言われる(^_^;)。のほほん〜と海外旅行初の私は「北ウィングだぁ〜」だの、「コレ、ドラマで見たことある風景!」だのとはしゃぎまくる。

JAL 076便 19:40発 ホノルル行き 1985.8.12
そう、多分日付を見た方はもしかしたらピンとくるかもしれない・・・例のJAL便が墜落したあの日です。
そんな事件もつゆ知らず機上の二人となりホノルルへ向けて出発したのでした。これが後々ちょっとしたハプニングを呼んだことは言うまでもありません。
ホノルル到着後、されるがままにレイをかけてもらい、ハワイ風な男女二人が横にピッタリついての記念撮影。生花のレイは匂いがきつくて、その後のツアーバスで私は具合悪さ最高潮!機内でそれほど眠れなかったのも手伝って市内観光サービスは地獄〜(T_T)。おぼろげな記憶は「たしかヒロ八ティに行ったかも?」「ヌアヌパリでなんだか記念撮影したなぁ〜」くらいでした。しかし、ツアーバスの中でガイドさんが一言「昨日、日航機が墜落したそうです・・」と。その後、その話題には一切触れずに直ぐに笑顔で観光案内が始まりましたので、それほどの事故じゃないと現地では考えていました。
市内観光がやっと終わり、「ウェルカムランチ」を取りながらホテルのロビーで説明会。説明会が終わりホテルへ〜私たち二人は部屋グレードも下だったのでワイキキのホテルではなく、「アラモアナアメリカーナホテル」(現:アラモアナホテル)というホテルにチェックイン。フロントの人は英語オンリー(>_<)、欧米のアテンダントさん逹も沢山宿泊しているようなホテルで、ワイキキビーチは遠い〜(T_T)。でもって、もっぱら滞在中はアラモアナビーチ三昧で、アラモアナSC周辺で本当に英語英語ばっかりの状況の中滞在してました。唯一、今は無いけれどホテル裏手にあった日本食屋さんで連日のように行ってご飯を食べてました。演歌がかかっていて、「いらっしゃいませ」と日本語で迎えてくれるお店・・一体どこいっちゃったんでしょうねぇ〜

ツアーといえども、フリープランなんで遠出するにはオプショナルツアーしかありません。(当時はそう思っていた)
「ハナウマベイツアー」と「サンセットクルーズツアー」だけ予約を入れて、あとは自力でバスに乗りパールハーバーへ行ってきました。この頃は「地球の歩き方」が唯一のガイド!パールハーバーでは日本人は殆ど居なくて、ちょっとびっくりしましたが、ネイビーさんのランチボートに乗ってミズリーの沈んでいる所に着た時はなんだか「日本人が来ていいのかな〜どうなんだろう?」なんて思ってしまいました。そうそう!ここでランチボートを待っている時にはじめて「トイレのフォーク並び待ち」というのを体験。施設の中はどこもきれいで掃除が行き届いていました。

さて、ハナウマツアー
ものすごい早朝にバスに乗せられてハナウマ湾へ到着。シュノーケルグッズとお弁当を渡されて、ハナウマ湾で楽しむ。しかし、お弁当は超まずい!(>_<) フタをあけると蝿がものすごい勢いでたかってくる!(>_<) 「もぉ帰りたいなぁ〜」と思っても、バスの時間はまだ!(T_T) 既にここハナウマでは相当焼け焦げになった二人でした。
次に、サンセットクルーズ
これは、イマイチ乗り気がしなかったものの・・(船酔いが恐い)。音楽あり、きれいなサンセットありと楽しめました。ディナークルーズではないので、飲み物だけフリー。当時はお酒が弱かったので(^_^;)1杯でヘロヘロ〜。感想としては「ハワイの太陽は落ちだしたらスピードが早い!」アロハタワーの時計台がとても印象的でした。

そんなこんなの4泊6日もあっというまに過ぎて行きます。
ワイキキには2〜3回歩いて行きました。ワイキキ周辺に近づくと「マリファナ買わない〜」とフラフラと声をかけてくるお兄さんがいて、「アラモアナより危ないじゃん!」なんて思った程です。ワイキキへの目的は殆ど「お土産買い」で、DFS通いというやつです。これがハネムーンのつらいとこ・・ご親戚やら友達、親兄弟、会社関係とどっさりお土産を買って帰らねばなりません。あまりにも大きくなった荷物を見かねてダンボール詰めをして下さったお店があって、それを持ってこれまたホテルまで戻らなければなりません(涙涙)。仕方なく、帰りはバスでホテルまで行きましたが、その二人の格好があまりに現地人っぽかったのか?英語で道まで尋ねられてしまいました(^_^;)。
「今度来る時は、お土産無しのゆったりのんびりの旅がいいね〜」と二人でホテルに戻りしみじみと話をしたのでした。

毎夜毎夜、ホテルまで遅い時間に着いていたのでホテルロビーにあるツアーディスクの人はいつもとっくに帰宅していました。そんな最終日の夜、部屋のドアにメッセージが挟んでありました。「帰国便の飛行機が変更になりました、明日朝ディスクへ起こしください」との事。「なんだろねぇ〜」と明日の朝には帰国だろうと荷物をパッキングして就寝。
早朝、ディスクに行くと・・「日航機がキャンセルになり、UA機が代替となります。つきましては出発が午後になりますので、到着日に千歳へ向かう便がありません。成田で係員がご案内しますので、1泊なさってください。」「で、こちらがミールクーポンですから、昼食をどこかでお取りになって集合時間にお集まりください」とのこと・・
「へ?成田で1泊?UA機???」(・o・) 状況が良くわからずにダンナ様が色々質問。JAL墜落により機体のスケジュールがつかなくなり、UA機のチャーター便を飛ばすとの事らしく、思っていた以上に事故は深刻だったらしい。ミールクーポンを使うにも、あまり時間がないので、結局アラモアナSCのプレートランチで済ませ、帰国することになりました。

さて、ユナイテッド機内
もぉ〜アテンダントさんは英語オンリー、乗客は日本人ばかりで満員状態!当時は機内食がとても美味しくて、感激していました(単にボリュームが凄かったという話もある)。
成田には夜到着。出国してウロウロしていると、私たちの名前を呼ぶ声がする!スタッフの方に合図すると駆け寄ってきて「ご案内致します」と説明しながら、ホテルとミールクーポンとその他色々を渡してくる。

豪華!日航成田(・o・)
おお〜、シャトルバスに乗せられて着いたのが日航成田ホテル(@_@)。スニーカー履きの新婚さん二人は、恐ろしくデイリーなスポーツバックもポーターさんに持ってもらい恐縮する(^_^;)。通されたお部屋はスィートタイプ!ゲストのみなさんもみんな品がいい方々ばかり・・(ああっ(-_-メ))。気を取り直して、ミールクーポンで遅い夕食を・・と思い、レストランへ向かう「やばい!スニーカーだよ!私たち」と思ったけど・・ダメなら喫茶でもいいやという軽いノリで上層階のレストランへ向かう。エレベーターが開いた途端「ダメだね・・きっと」と思ったけれども、係りの人はにこやかに対応してくれて、ミールクーポンを見せると、これまたにこやかに席に案内してくれた。いまだかつて無いほどの豪華なディナーを頂き、夜景を堪能して退散する。「ああ〜コレが全部タダ?恐ろしい〜」。事の次第を札幌の自宅に電話しなきゃ!と電話をすると、両親は随分心配していた様子で、明日千歳にJALで帰るというと、もっと心配したようだった(-_-メ)。時刻はもぉ深夜にさしかかり、ものすごい睡魔に襲われて就寝してしまった。

帰宅へ
帰りの成田発札幌行きJAL便は本当にガラガラだった。無事千歳について、車に乗って帰宅。帰りを待っていた両親はものすごく心配していたそうだ。私たちの初ハワイはこうして無事終わったのだ。帰宅後真っ先に二人とも留守中の新聞を読み漁り、事故の重大さをあらためて実感したのでした。

--回想--
ものすご〜く、長い文で思い出しつつ一気に書いてしまいました。あの頃、ツアーバスから見えるH1の風景に「アメリカ」を感じ、信号機の押しボタンに「アメリカ」を感じ、レディファーストに出会うたびにアメリカを感じた旅でした。英語は当時全然しゃべる事は出来ず、片言の単語をつなぎ合わせてもなんとか食べたり飲んだり行動したりできたものです。(今も似たようなものですが)
同じ時期に結婚した友人や知人たちが、「リムジンでツアーした」とか「ホテルはハイアットリージェンシーのツインタワー」だったとか「レストランでステーキやロブスターを食べた」「ワイキキビーチは最高だった」などなど、とっても豪華絢爛なハネムーンをしていました。もちろんヨーロッパやアメリカ本土などへハネムーンに行った人も居ました。
でも、チープな旅ではあったしツアーではあったけれど、私たち二人は自分たちの足で色々な所へ行き、見て、感動して、日本の良い所や悪い点もわかることが出来て結果良かったと思っています。「いつの日か又ハワイへ」が今現実となって、幸運にも続いています。子供たちを連れて日本ではない所を見る事を出来うる限りしたと思っています。ここ2年はまた夫婦旅になって違ったハワイを堪能するのもまた楽しいと感じてます。

何度でも行きたくなるハワイ・・・
「どこが?」「何をしに行くの?」・・
そんな疑問があるのなら、是非一度ハワイに行ってみましょう!
言葉では表現できないのが、ハワイのよさなんですよねぇ〜






当時の写真をちょっとだけ公開



左の写真はホノルル空港到着時、強制撮影されたもの・・(当然有料!)
裏がポストカード仕様になっていて「日本へ送りなさい!」と言われているような感じ(-_-;)

ちゃんと郵便切手の値段まで¢33とプリントされてます


上の写真はパンチボールで同じ団体さんに撮ってもらった写真
市中引き回しの刑(無料市内観光という名目)でバスに乗せられ具合悪さ絶好調の時かな^_^; レイの香がキツくてこの時には首から撤去している私達


下の画像はビーチプレスの切り抜き、当時バスは¢60で2回まで乗り換え有効でした(画像上をクリックすると拡大します)

<裏はポストカード仕様>
宿泊ホテル
アラモアナアメリカーナホテル
(現:アラモアナホテル)


当時ホテルにたなびいていた旗
ハワイ州旗ではなくアメリカ国旗とホテル旗


部屋から見た夜景ビュー!
アラワイ運河がちょっと見えてマノアの夜景もちょっと見えて・・・
そこそこびゅぅ♪

1599 カピオラニBlvdにあった蒸気機関車作りの
ビクトリアステーション (レストラン)

アラモアナSC
右上に見えるお店はコンプリートキッチン



クヒオ通りにあったえぞ菊
この前がバス停だったのでバス待ちしていたら
怖そうな外人さんに声をかけられた
絶対カメラを持っていかれる!と思って顔が引きつっている^_^;



しかし日本びいきのとっても良い人でした
しつこいくらいラーメンをおごってやると言ってくれましたが

丁寧にお断りしました(もしかしたらやっぱり悪い人か?)
アラモアナビーチパーク <マジックアイランド側>
とりあえずは♪なんにも無いナンニモ無い結構石が多い

海から見たヒルトンとかワイキキのホテルまだ空いてまーす


ご存知ハナウマ湾でございます
シュノーケリングセットというやつも古っ!



ディナークルーズで乗った船からアロハタワーを見る
ピア10のあたりですな〜


当時のUA搭乗券
右が表で左が裏です。スタンプ押しというのがなんとも・・



この頃はビザが必要でしたので下記のような申告書に記入提出
免税範囲でも全て申告しなければなりませんでした