正直なところ、良い映画とは思えませんでした。あの映画を観て、フェルメールファンとして、納得される人は、どのくらいいるのでしょうか?疑問です。
私は、お昼の休みを使って、観に行ってきました。時代の背景や登場する絵画(真珠の首飾りの女・デルフトの眺望・牛乳を注ぐ女・窓辺で水差しを持つ女・合奏・天秤を持つ女・ワイングラスを持つ女など)は、素晴らしいものがありました。
ただ、登場人物や作品のとらえ方に疑問をおぼえます。原作からして、人物の考え方がおかしいです(一部の方々は、このように記載すると気を悪くされるかもしれません。その時はゴメンナサイ!)
皆さんは『フェルメールは妻カタリーナを愛しているかどうか?』と聞かれたどう答えますか?
私は、『愛していた。』と即答します。理由を、もし尋ねられたら(愛に理由はありませんが)、『窓辺で手紙を読む女や青衣の女を観てください。』と答えます。この2作品は、多分間違いなくカタリーナを描いていると思います。あの作品を否定する人はいないでしょう。それを考えていけば、映画の中のカタリーナは存在しないことになります。あれは、アメリカナイズしてできあがったものです。映画の中で一番『本当にこんな感じだったかな?』と思うのは、カタリーナの母親役くらいです。
作品『真珠の耳飾りの少女』が、一番好きな私が許せないのは、あの絵を観た時、見えていな右耳に耳飾りはついているかどうか、を想像した場合、絶対になくてはいけない、と考えるからです。また、男を知った欲情した娘であってはいけない、あの映画の娘の鼻が高く、欧米人独特なのが許せない、のです。
実際どうだったかは、本当のところはわかりません、でも、私個人的には、作品の中の少女は、おしゃれにも目覚め、いま一番輝いている時期でもあり、多感でちょっとしたことでも傷ついてしまう、そういう時ではないかと思っています。そういう時期は、どんな人にもあるけど、いつかはすぎてしまう、その一瞬の輝きをフェルメールは絵の中に閉じ込めたと考えたいのです。
(2004年6月16日作成)
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