天文学者と地理学者のモデルになったアントニー・ファン・レーウェンフークについて、NY在住の先生MOKUMOKUさんから詳しい人物情報を教えて頂きましたので、ここに掲載いたします。MOKUMOKUさんありがとうございました。
アントニー・ファン・レーウェンフークは、フェルメールと同じ年(1632年)にデルフトに生まれ、そこで生活し、そこで死に、フェルメールと同じく、旧教会に眠っている人物です。
フェルメールの死後画家の財産管理人になり、91才まで生きました。財産管理人といっても、フェルメールには11人の子供がいて死んだときは、財産どころか借金しかなかったので、借金処理係だったのです。
実生活では、フェルメールの絵に出てくるような「天文学者」ではなく、手製の単眼顕微鏡で、腸内細菌を発見したり、人間の精子を最初に発見したり、1673年に「赤血球の変形能」にかんする発見をイギリスのロイヤル・ソサイエティーに書き送ったりした人物です。こういうと、偉い学者のようですが、職業は洋服の生地やボタンを売る小売店主で、正規のの教育を受けていないので、当時の学者に必要だったラテン語も英語も読めませんでした。もとは、洋服生地の良否を判断するために手製の顕微鏡を作ったのが、きっかけです。
レーベンフックが生地屋を営むかたわら、副業で門番・雑用係として働いていたデルフト市役所(新教会の向かい)は、世にも美しい建物です。
これは凄い情報ですね、私が以前にレーウェンフークについて記載した内容(⇒天文学者と地理学者)から受けるものは学者タイプの人物です。ところが洋服の関係の仕事が本職だったというのは、驚かされます。細分化された今の時代では中々考えられないことです。
今度デルフトに行って旧教会を訪れて時にはレーウェンフークの墓を探してみたいと思います。その前に、フランクフルトの地理学者を是非観ないと・・・(笑)。
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