アマチュア無線との出会い
 アマチュア無線との出会い
 こわれたラジオの寄せ集めで、0-V-2(高周波増幅なしの再生検波式で低周波増幅2段)
受信機をつくり(もちろん中波)放送局へレポートを送り、ベリカードを集めるBCLを
していたのですが、国内の放送だけではなく、外国の短波放送をなんとか聞きたいと
思い、コイルをプラグイン式にして、2バンド受信機に改造。
その頃は、測定器はおろか、テスターも何もない状態で、本の制作記事をたよりに、
トランスをばらした、エナメル線でエイヤッと巻いたのですが、カットして調整する
つもりで少しよけい目に巻き、とりあえずどこかの短波放送が受信できればだいたいの
見当がつきます。 で、いきなり聞こえてきたのが
”CQ CQ こちらは ジェイ エイ ゼロ ピー アイ”
んー ナンジャコリャ? でも放送局より面白そうだということで毎日聞き始めました。
偶然3.5Mc〜10Mc(当時はメガサイクル)のコイルを巻いてしまい、3.5/7メガのハム
バンド受信機になってしまいました。 そして、BCLは卒業して、アマチュア無線の
SWLを専門に始めました。
SWLを始めた頃のログ帳
1962.2.22の日付がありノートを利用している
色も変わり、かなりボロボロになったが
大切な思い出の詰まった宝物の一つです。

 聞いているうちに、自分も電波を出したくなります。ワイヤレスマイク的な微弱なもの
とはいっても直線で1Km以上飛んだ(中波)新潟放送のちょっと上の周波数だったかな?
次に、いよいよハムバンド3.5Mcの送信機を作りました。終段42シングルで変調も42
でプレート振幅変調(当時はA3かA1だけでした)出力5Wくらいでしょうか、おそるおそる
呼んでみました、「すみません、まだ免許持っていませんが・・・」
コールサインは忘れましたが葛塚(現在の豊栄市)の局や新潟市のアマチュア局が歓迎
してくれたのを憶えています。昭和37年38年頃は、ほとんどが自作の機器で運用して
いましたし、SWLやアンカバー(アンダーカバー つまり無免許で電波をだしている局)
から始めて、のちに正式に免許を取りON AIRするという状況でした。
従って、局免許がきたその日から、すぐに運用できる知識や技術(と言うほどでないが)
は、すでに、身に付いていました。
私の場合は、SWL3年以上経験してからの開局でしたので、開局から10日で108局とQSO
半年で、1000局近くとQSOしました。そして、電信の免許を取ったときも、変更の許可が
おりたその日から毎日CWでのQSOを楽しんでいました。