第六節:いよいよ夕張へ、財政再建団体(予定)で輪駆が見たものは!?

<8月21日(月)天気:晴れ>
旅程:石狩〜栗山

 やっぱり寝られなかっただけあって、結局7時前まで寝てしまう。慌ててテントを片付けて、出発準備、しかし、今日も風は同じ方向に強く吹く、油断すると何もかもが飛ばされてしまいそう。ちなみに、隣の若者は爆睡中。ま、そりゃそうか。
7時半には出発、朝ごはんは悔しいけどそこしかないのでセブンブンへ。しかし何で道内で全国チェーンのコンビニ行かなきゃならないんだろうね、屈辱以外の何者でもないよ(特に最大手のセブンブンは嫌いなのに・笑)
そして、走り始めるも風が強いから進まない。こういうときに無理して走ると膝を壊す原因になるので、とりあえずゆっくり走ろうと心に決めてゆっくり、しかし確実に歩を進める。
札幌市内をパスするようなルートを選びつつ、江別を目指す。とりあえずは江別か岩見沢で洗濯をしないといけないから、その辺の時間も考慮に入れてみると、今日中の夕張は厳しい。まぁ、旧:栗沢(現:岩見沢市)か栗山か…その辺になるかな?
向かい風に負けずに走って、何とか江別市着。と思ったら結構すぐにコインランドリーが見つかった。予想外で、これは嬉しい。江別で洗濯できたということは、岩見沢に行く理由がなくなったため、そのまま江別から栗山(もしくは栗沢)を目指すことにする。
江別から栗…を目指すには、結局岩見沢を経由する方法と、南幌町経由の方法があるのだが、ここはやはり、一度も行ったことのない南幌を目指すことに、出来る限り道央の市町村は潰していかないとね♪ってことで江別の駅辺りから南下していって、南幌を目指す。
(ちなみに、先日江別を通ったけど、あの時とは少しだけルートがずれるので、実際江別駅や役場の方にに自転車で来たのは初めてだったりするんです。)
そういや江別の某郵便局には風景印がなかったなぁ、今年は道内色々な郵便局で葉書出したけど、あの郵便局だけだったな、風景印なかったの(全体じゃ1/3位らしいんだけどね、さすが北海道といったところか!?)
で、だだっ広い田園地帯に入る。ようやく北海道らしい景色に出会う。
しかし、こういうところでこそ、輪駆は上を見上げてもらいたいと思ってる。もう、本当に『空が高い』のだ。内地、特に大阪なんかと比べたら、その差は歴然である。これは行ってみたものじゃないと分からないし、ただ観光目的で車飛ばして回ってると気付きにくいことだと思うが、自転車旅なら何せゆっくりスピードだ、空の高さをじっくり感じながら…南幌へ向かう。

 南幌町。ホントに小さな町です。田園地帯の中の一区画(っても10h位以上あるんだろうが)を街にしました、みたいなところ。
でも、ここ、凄いツボだった。立地のよさ(札幌まで車で1時間程度)とかもあるんだろうけど、なんかこの町に流れている空気というんですかね、そういうのが凄くハマった。本当に機会さえあればこういう街で一生過ごすのも悪くないな、と思うくらいに。
でまぁ、その立地のよさを生かしてニュータウンみたいなところもあるんですけどね、やっぱり北海道ですから、一軒当たり30坪(100u)以上なんて当たり前、な広い敷地に、住居も二階建て程度のゆったりしたものが建っていて…大阪で10坪の土地の上に三階建てのせまっくるしい建物に住んでいる人らが(失礼ながら)ホントにアホみたく思えてくる。
(まぁ、知り合いにそういう人が何人かいらっしゃるけど…俺から見たらやっぱり俺には無理っ!!)
ま、俺も元は田舎出身ですからね。やっぱり大阪みたいな狭いところで住むのはダメなのよ。広々としたところでゆったり過ごすのが一番でしょ?じゃないと人間が狭くなる。
あ、グチになっちゃった(笑)
でも、南幌の空気に触れながら、やっぱりいいなぁ〜なんて思ってた。
で、南幌で昼飯の時間位になったわけだが、コンビニにするかどこか食堂みたいなところにするかで、しばし迷う、でもやっぱり店の中座って落ち着いて食べたいな、ってことで、食堂を探すことに。その前にバスターミナル兼展望塔という『ビューロウ』から南幌を眺める…あぁ、やっぱり好きな空気だわ。
食事はその近くにあった『琶瑠』(ベル…だったかな??)で、日替わりランチの中華丼を食べ、コーヒーを飲んで一休み(コーヒー大好きなんです)。しかし、この店にはテレビがないってことで、たびたび(3,4組)客が来てはテレビがないから帰っていくっていう事態になってたな。だって今日は13時から駒苫VS早実の再試合があったんだもの!!(輪駆が店に入ったのが12時半過ぎだった)
食事を済ませ、ちょっと後ろ髪ひかれるような感じで南幌を離れる。しかし何がこんなに輪駆のツボだったのか…分からんけど良い街だったなぁ。
南幌を過ぎると、長沼町を少しかすめて、今日の目的地(にした!!)栗山町へ。
栗山町は、南幌よりは随分栄えていて、今年の頭までは、法務局の出張所があったほど(分かりにくいですか、それはすみません・笑。でも岩見沢支局に統合されちゃったんです)。街も随分広く、大きな(中規模の)ショッピングセンターまである。
キャンプ場も市街地からすぐ近く(√234沿い)にあるなんて素晴らしいっ!!と思ったら、『キャンプの受付は役場にて承っております』って…結局一度通った役場にもう一度いく羽目に。で、役場でキャンプの受付をしようと…ちょうどその時が8/21の9回オモテ。そう、あの二点本塁打で一点差に追いついてなお、2死ながら打者は田中君って流れの時です(そういやFsに田中君入ったらまた『田中軍団』が増えるんだな、幸雄様と、賢介と…)。そりゃもう、職員仕事どころじゃなかったですよ、キャンプ場の受付をしてたんだけど、あまりの気になるっぷりに利用料(ってもたった¥100)を徴収し忘れるんだから(笑)まぁ、ちゃんと払いましたけどね、後で再び窓口行って。
で、キャンプ場に再び、サイトが7張り分しかないのは気になるが、結構いいところです。トイレも綺麗なのがすぐ近くにあるし、コンビニ(セブンブンだが!!)も歩いてゆける…で、設営も終わったし風呂に行きましょう、ということで、自転車で10分もない場所にある温泉ホテルへ。
あ、途中に『栗の木ファーム』(元:ヤクルトの栗山さん(現野球解説者)が、同じ苗字繋がりって言うことで作り上げた少年野球専用球場、上の写真ね)をみておく。前に見て凄く気になってた場所の一つなんだよね。ちなみに栗山の町民球場ではこの前Fightersが公開練習してましたよね??
温泉を堪能し、葉書を書いて桜居ちこちゃんへ。ここの風景印が蝶だったのが、あ、これいいね、なんて思ってくれたかどうか(ちなみに栗山はカントリーサインにも蝶が!!)。
夕食を少し豪華にしようと、ざんぎ(唐揚みたいなもの)を購入、だってテレビで木村(洋二)さんがやってておいしそうだったもん…(『奥様ここでもう一品』ですよ・笑)
明日はいよいよこの旅のハイライト、夕張突入ですよ!!

 と、この夜なんだけど、ちょっと面白い(!?)夢をみた。

珍しく夢に知り合いなんて出るもんだから、ついつい目が覚めて即、メモっちゃったもんね。
ってかこの辺から人恋しくなってきてメールの返信だとか、みんなのBlog巡回だとかを頻繁にするようになってきて…もう二週間以上になるもんね、大阪でて。

今日の走行記録
走行時間4:47:21走行距離71.85km
最高速度42.2km/h平均速度14.9km/h


<8月22日(火)天気:曇り、一時雨>
旅程:栗山〜夕張

 6時前には起床、でもって30分で準備して(あんまり夜露が下りなかった→準備が楽)出発、セイコマへ急ぐ。セイコマでおにぎりなどを食べる、そんでもって確実に夕張まで店のなさそうなルートを通ることを考慮して、サンドウィッチを二つ、買っておく。
(この辺の見極めが難しいんだけど、地図上では確実に何もなさそう…だったので思い切る)
で、いざ出発、√234は通らない、もう一本山側を走る道道30号を走る。UPDOWNがあるかな?と少しドキドキだったが、実際通ってみると結構快走路。あっという間に岩見沢、三井グリーンランドの観覧車が見えてきた。
そこからは、山の方に入ってゆく、ココからはいよいよ国鉄万字線の範疇だ。
国鉄万字線ってのは、室蘭本線志文駅から別れ、万字炭山駅までの30km程度の盲腸線であり、まぁ、終着駅のその名が示すとおり石炭を運ぶことを主目的として設置され、旅客輸送もやってます、という感じの路線である。まぁ、沿線人口が炭鉱の閉山とともに減少し、結局は赤字路線ということで国鉄民営化前に廃線となってしまったのだが…
まぁ、美流渡(みると)までの道は至って楽勝である、たいしたことはない。その美流渡に「万字線資料館」とかがあったのだが、あまりに朝早かった(まだ8時半)ため開館する様子無し…しょうがないけど後ろ髪引かれる思いで更に上の万字を目指す。


 万字、ここも昔は炭鉱によって栄えた街なのだろう。
ただ、今となるともう、人口も僅かな、旧炭鉱の行き着くべき姿とでも言うのだろうか。大きな駅前広場(左上写真)や、昔は賑やかだっただろう古びた町並みなど、物悲しさだけがそこに漂っているような、そんな風景が残る。
そのまま万字炭山の方へ向かう、ココは今では森林公園になっていて、ズリ山(ボタ山、ともいう。要するに炭鉱の廃土を積み上げた山である)を登ることが出来るのだ、そしてそこには直線で、しかも775段という階段(写真右上)があり、もう、これは登らないと、ということで。
しかし、公園には(当然ながら)誰もいない。恐い(クマが)。でも、登らないと男じゃない。むしろ今登っておかないと後日家族で来るときに…いや、来るのかココ??
ってことで、森林公園散策。直線の階段を数えながら登ったけど…あれ?755段しかなかった??
でも、頂上は風も強く、景色もそんなに良いわけじゃなかったんだけど(写真左下)、なんていうんだろ。とにかく気持ちよい場所で、強い風もアレだけの階段を登ったあとだけあって、気持ちよい風だったし、なんか誰もいないってのもあったから、頂上から叫んだりとかしてた(おい)。
頂上でボーっとした後、また階段を下って、自転車置いてるところまで戻る。やっぱりいつクマが出てもおかしくないから、恐い(笑)でもまぁ、無事に自転車までたどり着いて、そこから再び万字(というより道道38号)に戻って、万字を夕張方面に走る。今では廃校となってしまった小学校(写真右下)も、その大きさから当時の万字の賑わいを思わせる。

 そして、いよいよ夕張を目指す。その為には一個、峠越え。しかも、最高点の標高600m。今までのへぼ峠と比べると、その3倍位あるのだが…まぁ、結構すぐだろうと余裕ぶっこいていた。
それが、登っても登っても、全然頂上が見えてこない。まぁ、大きな峠の場合、逆にいいところでトンネルが通してあって、それこそスカイライン(空と、山の境)まで登るってことはないのだが、どうもここはトンネルもなく、結局登りきった頂点もそこまで大きな切り通しじゃなかったので、本当にスカイラインまで登らされたのであろう。
とにかくカーブを曲がるたびにまだ頂上じゃない、まだ頂上じゃない、っていう期待と落胆を繰り返したものだから、その疲れと、市境界(カントリーサイン)が見えたときの喜びは普段以上だった気がする。
で、峠で(っても休む施設など何もないから、道端で)サンドウィッチを食べて小休止して、いよいよ待ちに待ってた下り。そう、登った後に下りがあるから、まだ峠は耐えられるのだ。一気に下って、あっという間に…メロン城着。
ココからが夕張が『炭鉱から観光へ』のスローガンの下に、都市再生を目指し、無理な投資をした挙句に、粉飾決算(なのかな?)を行い、約660億円というとんでもない赤字を出し、財政再建団体に転落する羽目(もう少し先の話です)にもなった…そして、その町をこの目で確かめようと思った輪駆が、大きな大きな遠回りをして、ようやく夕張にたどり着いたわけである。
で、メロン城。これはまぁ、メロンを使った加工製品(メロンリキュールとか)の工場であるわけなのだが、既に('06年9月現在)再建団体転落後の経営撤退が確定しており、多分来年に来た時には入れない。まぁ、滑り込みセーフ…ってことでもないけど、きっと貴重な見学になる…と思ったら製造工程がほぼ完全にストップしてる…見学の意味ないやん!!
しょうがないので、隣の直営売店でメロンシャーベットとメロンゼリーを食べる。まぁまぁ美味い。
メロン城を後にして、更に下ると石炭の歴史村に着く。その前にキャンプ場があったので、まずはそこに行き、荷物だけ置いておいて、ゆっくり観光して夕張を楽しもうという寸法なので、先にキャンプ場へ。無料ということもあるのか、長いこと居座ってそうなおっさんとか、自転車すらサイト乗り入れ禁止とか微妙に意味の分からない状況下でテント張って、いざ歴史村へ(ついでに風呂も行くので、荷物は風呂道具含む)。
その歴史村。駐車場が広い…が、もう(道内では)夏休みも終わった平日である。車もまばらで、人気(ひとけ、ね、にんき、じゃないよ)もない感じがまたアツい(笑)まずは昼飯を、だったので、湖上レストランとか言うところで、パンフレットにも載っていた『石炭どーん』を注文、っていうかレストランに居る客は俺一人。なにを貸切やねん(笑)
『石炭どーん』を食べ(味はイマイチだった)、コーヒーまで飲んで(その間ずっと客一人)、店を出る頃にようやく入れ替わるように客が来たが、これはまぁ、なんていいますか、ねぇ。もちろん園内も人はまばらである。でも、カップルとかもいたことはいたなぁ。ここをカップルで楽しむにはかなりの精神力が必要かと思うのだがどうだろう?
ま、気を取り直して見学開始、見たいのは『石炭資料館』と『SL館』位だな、ってことで、¥2,000で全見学施設を回れるパスポートもあるのだが、今回は個別会計で。
で、その石炭資料館だけど、特別展示の『大夕張写真展』が、あまりにも良かった!!もう、写真とか全部見て、放送モノ(あの、スイッチ押すと始まる奴ね)も聞き入ってしまったり、映像も全部見るとメチャ長そうなのに、20分位普通に見てたり…
この展示見て、大夕張(地図で言う鹿島)に行きたくなってくる。
ちょっと後ろ髪引かれる感じで、先に行くとオミヤゲ屋。ハイソな絵葉書(炭鉱夫募集の奴・実際かなり貰った人から好評だった!!)を購入して、いざ坑道へ(夕張炭鉱の本物の坑道を史跡として保存活用してあるんですよ♪)

 長いエレベーターを降りた先は、地下という事もあって冷やっこい(笑)でも、涼しい分にはバッチこい!!で、いきなり真っ暗ってわけでもなくって、しばらくはマネキンがうようよ住む展示スペース。
マネキンたまりませんね、で、ボタン押すと音声による再現とかあるけど…そこは飛ばす。
で、いよいよ『真っ暗体験』
これは、ヘッドライトの明かりを頼りに真っ暗な坑道を歩く…まぁ、炭鉱夫と同じような体験が出来るわけだ。で、色々と器具の説明とかがあって、道だけでなくそういう説明板もヘッドライトで照らすような、そんなかんじなんですよ。
で、左の写真のようなヘッドライト(バッテリーを首からかけてます)を着けてもらって、いざ真っ暗な坑道へ…
と思ったらセンサーライトがいたるところにあるやんっ!!
ってことで、残念ながら本当に真っ暗な中を歩くことができる場所は限られますが、センサーの位置さえ把握してしまえば、その隙間隙間に入って、センサーライトの点灯時間が終わるのを待つことで、真っ暗闇は体験できますよ。
その真っ暗闇のなか、自分のヘッテンを頼りに周りを見ると…面白い♪
やばいねぇ、ホントこういう状況好きだわ。
(そういや大学時代、古墳と古墳の間の街灯もないような道を、月明かりだけを頼りに走ってたこととか思い出した)
しかも客も居ないし、うひゃうひゃ言いながら坑道探検を終えたのでした。
…しかし、上の写真、ホンマもんの炭鉱夫みたいやな(これで顔が更に汚れてたら尚更・笑)。

 出口を出た後は、すぐその辺にある炭鉱遺産(色々あるんですよ)を見たりしながら、SL館を目指す、っても結構園内広いので、5分位は歩くんだけどねー。しかも小雨降る中(この日は天気良くなかったな)。
SL館では、その、SLっていうよりも特別展示の『夕張鉄道展』が見たかっただけなんだけど…。
夕張鉄道っていうのは、炭鉱真っ盛りだった時代に、一度紅葉山(今で言う新夕張駅周辺)から追分周りでぐるりと回りこんで札幌に向かう国鉄線に対抗するべく、江別から南幌、栗山を抜けて今で言う道道3号の辺を抜けて夕張に至る鉄道が走っていて、まぁ、それの関連展示をやってたわけなんですよ。ちょうど南幌に行った時に、そういう鉄道の存在を知って気にはなっていたからちょうどいいやってことで。
面白かったですよ。やっぱり私鉄ってのは色々頑張ってるな、って。
まぁ、夕張鉄道自体は今でもバス事業中心に存続していますが、当時の繁栄は凄かったでしょうね(夕張は炭鉱真っ盛りの頃、人口12万を抱える一大都市だった、現在は人口約1万4千人)。
 そしてまぁ、SL館を見学し終わって、そろそろ歴史村を後に(13時過ぎに入ったのにもう16時位になってた、展示見すぎ・笑)して、お風呂ってことで、ホテルマウントレースイに向かうのだが…
結構各市町村、自分の町の特色をマンホールに表すことって多いんですよ。
例えば高槻市だと摂津峡だったり、大阪市だと大阪城だったりとかね。
夕張も例に漏れず独自のマンホール蓋使ってるわけでそれが左の写真。
えぇ、『バリバリゆうばり』です。
バリバリですよ、そんな単語ラルフしかつかわねぇってば!!
…まぁ、それだけ夕張が観光に力を入れていたことの現れなんでしょうね。近年は『ゆうばり国際ファンタスティック映画祭』を開くなど、映画の町としてもアピールしていましたし。(映画祭も来年以降廃止になっちゃったんですよね、残念)。

 全くの余談ですが、合併で市町村名が随分減っちゃいましたし、看板等もそのように変更されてけど、まだまだマンホールってのは、旧市町村のものをそのまま使っていたりするんですよ。だから、そういうのを気にしつつ歩いてみるのも面白いですよ、って話。


 で、夕張市内を走る。夕張市役所(上写真左)は、結構でかい。
でも、財政再建団体転落ですからか、なんとなく静かな感じでしたが。
そこからまたしばらく駅の方へ走ると、夕張駅(これも無人駅、小さな駅です)前にあるのがホテルマウントレースイ(上写真右)。ココは確か昔は西武グループが持ってたんだっけな?でも、収益が出ないってことで手放した時に、それじゃ困るってんで、夕張市が購入して3セクに運営させているとかそんなんです。
まぁ、このマウントレースイと石炭博物館は、再建団体転落後も3セクによる運営を続けるということらしいので('06.9現在)夕張に遊びに行く際は、是非是非泊まってあげましょう。
あと、どっかで『映画の町』って話をしましたが、このマウントレースイのように、いたるところに名画の看板が飾ってあるのも夕張の特徴。洋邦新旧問わず、色々な看板が色々なところにあるので、映画好きな人は結構楽しめるはずですよ。

 で、レースイの湯(日帰り入浴施設)。
良いお湯でした。んでもって手紙でも書きながら(この日はハルクさんだったか)ぼーっとして、ふと外を見てビックリ。大雨になってるっ!!
まぁ、とりあえずこのままずっとはいかないだろうと確信しつつ、そして、テントに戻ってから食事作るのが億劫になったので、レースイの軽食コーナーで夕飯を食べることに、おばちゃんがちょっとサービスしてくれたので、結構お腹一杯。
いつの間にか雨も止み、テントまで行けそうだったのでキャンプ場に戻ることに。
で、よくよく見るとサイクリングロードがあって、市内を走る道はUPDOWNがあるのだが、サイクリングロードだとそれが半減することが発覚(もっと昔は国鉄の線路が奥地まで走っていて(石炭の歴史村位まで走ってた→あそこは元々炭鉱でしたから)。こりゃいいやってことでホイホイと夕張市立病院(今夕張市関連のニュースで一番の焦点になってますよね)まで走る。そこからも、どうやら道道を経由せずにキャンプ場までいける(徒歩・自転車のみ)らしいので、その道を探しながら走るのだが、どこかで間違えたらしく、着いた先はキャンプ場より少し奥地にあるバラ園。
でも、たしかバラ園には裏出口があったと思い出すので、そこに行ってみるとはたして営業時間は終了しているにもかかわらず、ドアが開いていたので、ちゃっかりそこから外に出て、キャンプ場に戻りました。
後は眠るだけ、明日は晴れるといいなぁ…

今日の走行記録
走行時間4:13:14走行距離62.63km
最高速度49.7km/h平均速度14.8km/h


<8月23日(水)天気:曇り、一時雨>
旅程:夕張〜岩見沢(旧:北村)

 この日も天気はよろしくない。ただ、夕張にはこういう天気も似合うみたいだ。
メールの返事とかしながらうだうだしているうちに、結局9時位に出発ということになる。ってか、雨も降ったり止んだりでテントから出る気がしなかったんだよなぁ…
とりあえず夕張駅まで行って駅前のセイコマでご飯かな…と思っていたら、なんとなく立ち寄った市役所探索がついつい面白くて(笑)結局観光課の人に色々と観光情報を聞くまでに。でも、今日はもう大夕張(√452)を走ることは決めていたので、その辺を中心にした情報を聞く。
で、コンビニに行ってみると、同じキャンプ場に居た学生の合宿かな?って面子の自転車がわらわら。先に出発したのに後でコンビニに来るってのもへんな話しなので、そこをスルーして、少し先の清水沢にあるセイコマを目指すことにする。
 その途中に『幸せの黄色いハンカチ思いで広場』があるということなので寄ってみる。まだ朝だから人も少ない。ってかその映画観たことないからあらすじ位しかわからないんだけど、とにかく部屋の中は写真の通り、皆々様のお願い事を書いた黄色い紙が一面に。
(旧国鉄広尾線の『幸福』駅でも似たような状況だった、彼女(当時)がドン引きしてたなぁ・笑)
ま、折角だしと輪駆も旅の安全を書いて(姫様はねぇ、まだいいの)、貼っておきました。
無事に茨城まで走ることが出来たら万々歳ですよ。
ハンカチ広場を離れ(今度映画観てみよう)、清水沢へ、この日も√452を通る限り店なんぞ一つもなさそうなので、たらふく朝飯(とんかつ弁当におにぎりと味噌汁だったかな?)を食って、昼用にサンドウィッチも購入して、容易万全で大夕張に向かう。

 で、ちょうど夕張市のHPを見ていたら、大夕張の写真がWeb上で見られるということになっていたので、先ずはそこへのリンクを張っておきましょう。
夕張市HP
大夕張写真館
これの、『現在の風景』とかを先ずは見ておいた上で、下を読み進めて行くことをオススメします。

 大夕張までの道。少し昨日の疲れもあって、進みは少ないものの、それでも比較的快調に進む、途中にある水力発電所跡(結構有名なビュースポット)も、帰りのフェリーで聴いた話ではあるが、来年には取り壊されるらしい。
当時の南大夕張駅のあったところに、列車が保存されているのだが、これは半ば打ち捨てられてあったような状況だったものを、地元の有志が保存・復元しようと頑張って、今では立派な列車として保存されるようになっているものだった。
シューパロ湖は元々人造湖(ダム湖)であるのだが、更にその上流に大きなダムを作るということで、今は√452の付け替え工事中(左写真)をやっている。そう、√452がダムの底に沈むということは必然的にその道路沿いに存在した大夕張の街もダムの底に沈むことになるのだ。
その辺の買収交渉などは、既に完全に終了しており、今、大夕張(鹿島地区)には人一人住んでいない。というより建物すらない状況。時々残る電信柱の跡にその過去の姿を思い起こすことが出来る程度である。
先ほど観てもらった大夕張の風景であるが、今は本当に建物すら立ってない。草が伸び放題に生える、だだっ広い野原と道路しかない場所になっているのだ。
左の写真が、√452から交差点を曲がったところで、その道路の奥を撮ったものだが、今はどこを見てもこんな感じ。小学校跡の看板はあったけど、そこには石碑が残るのみになっているとのこと。
そして、写真を撮った後に、振り返って√452をみるように撮った写真があるのだが(それはマウスを写真の上に載せてもらうと現れます)、そこに写っている『→芦別、←夕張』の看板(ちょっと見え難いな)。もう、今では何の役にも立たないような看板が残っているということが、昔ココにはまだ人が住んでいて、(看板の新しさから)最近になって誰もいなくなったんだ、という現実を見せられたような、そんな感じが物凄く寂しい風景を増長させていた気がする。
大夕張も一時は3万近い人口を抱える大炭鉱地区だったのだが、今では住む人もなく、のちのちダムの底になってしまう悲しい運命…
そんなことを考えながら、鹿島地区を過ぎてゆきました。
ここからは三笠(桂沢湖)まで本当に家一つないような道が続く。でも、二車線歩道付き(笑)これを税金の無駄遣いと見るべきか、それとも私の様なチャリダーでも安心して走ることの出来る→使い方としては間違ってないと見るべきなのか、その辺は個人の判断に任せますが、北海道に関しては私は後者ですけどね。
途中鹿なんかも見えつつ、登ってるのか登ってないのか分からないような道をひた走り、あ、ちょっと登りがきつく(っても5%もない)なってきたと思ったら、もうトンネルに着いちゃいました。この辺は少し拍子抜けしたな、凄く快適に走れたけど。
 ちょっと休憩して、トンネルを抜けると、これでもかってくらい下りが続きます。何だかんだで結構登ってきてたみたいですね(元々夕張の標高が高いというのも一つでしょうが)。
一気に桂沢湖まで下り、ダムのところにあった駐車スペースに自転車を止め、昼食。
そこから三笠の町までずーっと下りていって、幾春別に。この三笠市ってのは、炭鉱遺産を結構真面目に保存していて、左の写真のように、立抗を保存しながら、会社を誘致して活用するという結構上手なことやってます。
そんな三笠市は、北海道鉄道発祥の地でもある(最初、手宮〜幌内間に鉄道が出来たのが北海道の鉄道のあけぼの)らしく、三笠鉄道村なんて気になる施設があるんです。だから、とりあえずそこに向かおうということで、ひた走る。
ただ、結構国道も道道もUPDOWNがあったので、うっとおしくなって川沿いの堤防道を走ることに、んで、三笠鉄道村になんとか到着。入場料が¥520とちと高め。そして、展示もまぁ、面白いんだけど、¥520は高いかなぁ、と思わせるほどでしかなかったのが残念。
その後、三笠・岩見沢市街にはキャンプ場があまりないので、勝手知ったる旧・北村のキャンプ場を目指そうと頑張って走ることに。
ただ、途中から雨が降ってくる。しかも結構激しく。
あまりにも雨なんで、途中からかなりむかついてきた。
それでも、今は走るしかないので走る。
岩見沢の市街を抜け、北村に近づくころにはその雨も上がり、キャンプ場についたときには晴れ間すら出てきていた。安心してテントを張って…いると、近くで宴会していたおっさんに声かけられる「酒でもどないや?」って(注:関西弁ではありませんでした)。
テントはって、風呂にいつでもいける準備をした後に、そこにいってしばし宴会に混ざる。
私含めて4人居て、1人がチャリダー、後2人は車だったかな?旅は道連れみたいなことで偶然出会った人ららしいけど、おっさん既に酔ってたなぁ、おんなじことばっか言ってるし(笑)
飲んだときに、色々作っていたものとか貰ったので、結構お腹も一杯になってお風呂へ。
前は市営の温浴施設と温泉ホテルに分かれていたのだが、この3年で温泉ホテルが改修されて、温泉自体は温浴施設のを利用するような形になっていたのにはちょっとビックリ。
ゆっくりと風呂に入って、休憩室でお葉書書いて(二週目突入、ナルちゃんに)。大学の友人から電話が珍しくかかってきたので少し話したりしながら過ごしてました。
すっかり暗くなってから温泉を出た(キャンプ場から徒歩1分なので慌てなくて良い)ので、晴れ間が出ていたこともあって久々に綺麗な星空見られたな〜また深夜に起きて星でも見ようかな、とおもって深夜起きた時は曇っていて全然だったけど(笑)
そういや前来たときに居た鳥小屋がなくなっていることにちょっと失望しつつ、この日を終えたのでした。

今日の走行記録
走行時間4:50:52走行距離95.35km
最高速度48.7km/h平均速度19.6km/h


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