'99しまなみ海道ソロツアー
 自転車で松山まで帰れるって、すごい…

関西〜四国西部

〜〜最初にお詫び〜〜
このツアー、写真がどっかいっちゃって無いのです。だから写真はありません。
本当にごめんなさい…では、本編をどーぞ。


 出発は4月28日、我が大学ではG.Wの始まりとなるこの日、
かねてから計画されていた計画が実行された。
「しまなみ海道を渡って愛媛に行こう!!」
そ、1999年の5月1日、「瀬戸内しまなみ海道」がいよいよ全面開通する、それに立ち会っちゃおう!!という壮大な計画である。
知っている人は多いと思うが、「瀬戸内しまなみ海道」は自動車だけでなく、原付、自転車、歩行者なども渡ることができるというもの。重要な交通路だけでなく、生活道路としての役割も持っているのである。

≪1999年4月28日≫
旅程:奈良〜神戸市垂水区

 先日が倶楽部の新歓コンパだった。
おかげでちょっとばかり酒の残った身体に鞭打って家を出る、まずは大学まで行って今回の旅を共にする奴らと交流せにゃならん。ちなみにメンバーは三回生である輪駆と、我が倶楽部最後のチャリダー(!?)でもある二回生のコータ氏、あと途中の広島県福山市、の北にある神辺町まで帰るという二回生ナベ氏、これまた途中の岡山県総社市まで帰るという一回生ずんぺー氏の4名の予定だった。
しかし、この日の朝になって、ナベ氏が二日酔いで走れそうに無いから離脱する。という連絡があって、結局輪駆、コータ、ずんぺの3人で走ることになる。今日の目的は兵庫県神戸市垂水区舞子(の辺)、ボーイスカウトをやっているコータ氏が、ボーイスカウトの宿舎を借りてくれた、というものであって、当然無料。基本的に本州は宿泊地が少ないのでこう言うコネは非常にありがたい。
先ずは大学を出て、√163を通って清滝峠を越える。そのまま√2に入って後はひたすら舞子まで、というルート。道路柄、大都会を数多く通る為、走るときは充分に気をつける必要がある。
途中、神戸市内で有名な肉マンを食べたり、市役所に寄ったり…(コータ氏は神戸市出身)、約90km程の旅程を経て無事に舞子に到着。当時の輪駆にとっては90km位ならなんてことはない。コータ氏は旅慣れているために、ペース配分も完璧だったし。
その日は宿舎近くの銭湯に入って夕食にする。食事はコータ氏調理のゴボウと鰯缶詰の卵とじ丼。これがまた美味しかった…さすがレベル高いなぁ〜
まだ神戸市内(一番端ではあるが)、まだまだ愛媛県への道は程遠い…

≪1999年4月29日≫
旅程:神戸市垂水区〜岡山県総社市

 チャリダーの朝は早い。大体、日が昇る頃には起き出し、飯さえ食えばいつでも出発可、というのが理想的な展開だ。
ま、それ位の勢いで出発。何せ今日は約130km先の岡山県総社市まで走る。時間がいくらあっても足りないという事はない。天気も良いし、自転車日和だ。
しかし、あまり思い出はない、ただ走っただけ、という印象。途中とある場所で新幹線の線路を見て「この辺がCMにも使われる撮影スポットだ」とコータ氏が言っていたのと、総社市に入った時に同じ回生の知り合いの家を見せてもらった(ずんペ氏の家の近くにある)位だろうか…
今日の宿泊地はずんぺ氏の実家。当然タダであるのだが、それだけでも嬉しいのに、なんとずんぺ氏の親が好意でスキヤキをご馳走してくれた。ずんぺ氏曰く「子供はスキヤキをご馳走すると誰でも喜ぶと思ってるんですよ、うちの親は。」ということらしい。後にも、何人かからずんぺ家に行ったときにスキヤキをご馳走になったという話を聞いた。確かに喜ぶけど…う〜む
いよいよ明日は広島県突入。愛媛県ももう目と鼻の先!!

≪1999年4月30日≫
旅程:岡山県総社市〜広島県深安郡神辺町

 今日はのんびり旅の日である。旅程も僅か50km程度のもの、休息日ということもあるが、このツアーを離脱したナベ氏が、実家に帰ってきているというので、じゃぁ厄介になろうか、という話になったのである。
実際、瀬戸内しまなみ海道の全面開通は5月1日16時半。今からあせっても、橋の所で足止めを食らうだけ出し、目ぼしい(≒安い)宿泊施設もYH位しか無いし、それならもう…ということである。
で、この、総社〜神辺間で思い出すものといえば、井原鉄道である。元は国鉄の計画路線だったのだが、民営化に伴い計画を中止されてしまう、だが、沿線住民の熱望により第3セクターとして全線を工事、開業したという鉄道である。開業日が平成11年1月11日(1並び)に設定と色々と話題になった鉄道でもあった。、当時は輪駆も鉄分は少なめだったのだが…
ずんぺ氏とは、総社で別れ、神辺を目指す。ま、国鉄路線も凍結する位なので、沿線に特筆すべきものはこれといっては無いが、ちょいちょいと駅舎なんかを見学したりして、ゆっくり走る。3セクにしては、結構営業努力している(例えば、通学定期券を学校まで出向いて販売に行ったりとか)のが印象に残っている。
神辺駅に着いて、ナベ氏に連絡、近くなので迎えに来るということ。
程なくナベ氏がやってきて、家に案内してもらった。この日も結構良いものをご馳走になる、やっぱり、持つべきものは後輩だなぁ〜〜
いよいよ明日は瀬戸内しまなみ海道突入。そして、念願の自走による愛媛県帰郷の叶う日でもある。ドキドキ感はもう最高潮!!

≪1999年5月1日≫
旅程:広島県深安郡神辺町〜愛媛県越智郡上浦町(大三島)

 「瀬戸内しまなみ海道」の全線開通は5月1日と言っていたが、これには悲しい理由がある。
工事中に、転落事故によって死者が出てしまい、工事を一時中断したのだ、予定通りに工事が進めば確か3月頃に全線開通だったと思う。確かに開通に立ち会えるのはうれしいことなのだが、その陰には悲しい事件があったということは絶対に忘れてはならないことだ。
だがしかし、今はもう、愛媛に行ける、ということで頭がいっぱい。まさか自走で実家に帰る夢が叶うなんて…と思うともう、居ても立ってもいられないのだ。
ナベ氏の家を朝に出て、尾道市へと向かう。途中、久々に√2にご対面するが、程なく尾道市へ到着。いよいよしまなみ海道に突入する瞬間が近づいてきた…

まず、第一の橋は「新尾道大橋」
この橋は随分昔からある橋で、基本的には自動車主体の道路となっている。そのために、橋には歩道がほとんどなく、我々は車道を走る羽目に、結構狭いので大変だった。しかも、渡橋証明のスタンプはここにはないということ、だが、諦めない我々は料金所にかけあって領収書を発行してもらう(軽車両は通行料¥10)。99/05/01の日付が光っているぜ(当然今でもその領収書は持っている)
新尾道大橋を渡れば向島。ここはまだ大きな町だ(一部は尾道市だし)。自動車に気をつけながら次の橋を目指して走る。

そして第二の橋、「因島大橋」(¥50)
ちなみに、ここからは自転車歩行者、原付の進入口は、自動車の進入口と違うので、よく調べておいて貰いたい。
自転車歩行者進入口から橋への道を登る、これがなだらか〜に長い坂。ちょっとサイクリング気分の観光者には大変な気がするが…
因島大橋は、自動車が走る道路の「真下」に自転車歩行者・原付の通行路がある。眺望には欠けるが、橋を走っているという点では珍しく、面白い。
そして、ここで輪駆がツアー初のパンク、後にも先にもツアー中のパンクはこれ一回のみだ。丁度橋を渡ったところに記念公園を兼ねたPAがあったので、そこでパンク修理をすることにする…今となればそれもいい思い出だなぁ〜
橋を渡りきると、次の橋、生口橋へのルートは3つ。√317(山越)県道366北周り、南回りである。TMオススメは南回りか√317となっているが、自転車オススメ道(ちゃんと掲示がある)は北周り…ここは北周りで次の橋を目指す(距離と高低のバランスが一番よかったってのがあるし)。
この辺の店で昼食を買って食べた。まだ開通までは5時間近くある。楽勝だ。

第三の橋、「生口橋」(¥50)
う〜ん、これといって特筆すべきところはないかな??
でも、この辺まで来ると瀬戸内海の丁度真ん中位。南方には弓削島や生名島なんかが見えはするのだが…全部繋がっていてどれがどれか全然分からないのだ。っていうか、島に見えない、どうみても一つの大陸である。
この風景を観ていると、邪馬台国論を思い出す。
向こう岸の見えない黄河や長江などがある中国人にとって、瀬戸内海は河にしか見えないのではないだろうか、それだったらやはり邪馬台国は関西論じゃないのかなぁ〜なんて思ったりもする。ま、真実はまだまだ闇の中なんだけどね。
生口島は結構大きい。ここも√317を通るか県道81を通るか、というルートがあるが、ここもしまなみオススメの√317を通る。途中、開店間近のコンビニエンスストアとかがあったけど、やはりこれも経済効果なんだなぁ〜と思ったり。

第四の橋、「多々羅大橋」(¥100)
いよいよ、愛媛と広島の県境近くまでやってきた。もう向うには愛媛県が見えているのだ。後はこの既に完成して、後は開通を待つこの橋を渡るだけ。
だが、まだ開通までは2時間位あったと思う。歩行者自転車道の橋入り口まで来ると、ちょいちょい人がいる。まだちょっと早いせいか、人も少なめだ。とりあえずちょっと時間があるので、トイレでも行っておくことにするのだが…どうも近くにはなさそうな予感。
しかし、すぐ近くには開業直前の瀬戸田PAがある。
どうにかしてここに入れんだろうか…と歩き回ってみると、人が特に居る訳でもなく、どうも侵入できそうな予感…と、言う事で、入っちゃいました(笑)。多分、一般人初の瀬戸田PAのトイレ利用者じゃないかと。これも記念です、記念。

<'99しまなみツアーA終わり>

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