軽井沢
Karuizawa、Oniosidasiiwa、Siraitonotaki

軽井沢・千ヶ滝地区
   軽井沢は 浅間山(2568m)の南東の山麓、標高900〜1100mの高原上にある町。
  江戸期には、中山道と北国街道の分岐点の追分と、沓掛、軽井沢が中山道の浅間三宿として賑わっていた。
  しかし、天明3年(1783年)の浅間山噴火により、町の殆どが破壊され、さらに寛政5年(1793年)の大火で168軒が消失し、次第に衰微していった。さらに追いかける様に、明治になり宿駅制の廃止で、この三宿は壊滅的に衰退して行った。  
  夏でも、平均20度Cと言う気候が、「屋根のない病院」として、イギリスの宣教師、A.C.ショーにより、民家を借り、最初の別荘として利用された。
  それ以降、今の旧軽井沢を中心に、外国人や、政界人、財界人、作家等の文化人の高級別荘が次々と建つようになった。
  大正に入り、野沢原、千ヶ滝に大きな分譲別荘地が開発され、避暑地として急速に発展してきた所である。    
  軽井沢には、現在では、前述の旧軽井沢(旧軽)を中心して、西(御代田)軽井沢、南軽井沢、中(なか、旧沓掛)軽井沢、新軽井沢とがある。
  軽井沢の名前は、涸れ沢からきたとも、また「かるひ」(峠の麓の意)からきたとも言われている。
  叔父のS氏が、軽井沢に別荘を建て、その引越しの手伝いをしてから、度々利用させてもらうようになった。近くにテニスコートや、スケート場があり、四季を通して、大いに楽しめる所である。  
  今回は家族と姪達と、この別荘に来た。昼はテニス、そして旧軽にある、所謂「軽井沢銀座」でショッピングを楽しんだ後、夜は遅くまで賑やかなパーティとなった。
  翌日は、車で浅間高原の鬼押し出し岩に行った。その後、鬼押しハイウェイを軽井沢の方に戻り、途中の浅間越(1655m)の手前にある「峠の茶屋」より左折し、白糸ハイランドウェイ(有料)経由で白糸の滝に行った。
鬼押し出し園、観音堂
  浅間山北麓にある溶岩原。天明3年(1783年)の浅間山の大噴火で流出した溶岩流が凝固して出来た物で、南北約6km(幅2km)もある。
  名前の言われは、それこそ文字通り、火口で鬼が暴れ、岩を押し出したと言うものである。
  中には遊歩道や遊園地が出来、鬼押し出し園(有料)としてすっかり観光地化されている。鬼押し出園の中にある浅間山観音堂は、噴火で犠牲になった人を祀って建立されたものである。
白糸の滝
  高さ3m、幅70mの小さな滝で、富士山西麓の「白糸ノ滝」よりはスケールが小さいが、浅間山の伏流水が、糸の様な細い滝となって岩肌から湧き出している様は、なかなかのものであった。
  この後、白糸ハイランドウェイを通り旧軽の旧三笠ホテルを経由して別荘に戻った。



ルート


上信越自動車道 碓氷軽井沢インター
〜南軽井沢〜軽井沢〜中軽井沢
〜鬼押し出し岩〜白糸の滝
〜旧三笠ホテル〜旧軽井沢

駐車場

 旧軽井沢 有料
鬼押し出し園 有料
白糸の滝 無料

8207/0311
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