北国街道・小諸
Komoro
浅間山麓 以前、中山道の旧宿場町、鴻巣宿(現埼玉県鴻巣市)に住んでいた事がある。そんな関係もあり、中山道は最も親しみのある街道であった。東京の板橋から近江(滋賀県)の草津までの中山道は、高速道路の無い頃、旧道を買ったばかりの車で走破したことがる。 今と違い、いわゆるバイパスも無く、ひどいところは舗装もされていなかった。 |
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千曲川 碓氷峠も、もちろんバイパスは出来ていない頃であった。旧道をやっとの思いで登り、ほっとしたのが左上の写真である。今まで乗っていた三菱の「コルト600」をあきらめ、初代「カローラ」をローンで買って、1週間目のドライブであった。 この車は、フロワーシフトの前進4段で、坂道に強かった。リクライニングシートがついているのも嬉しかった。そしてパンク以外は、故障が殆ど無かった。 |
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小諸 小諸は、浅間山南西麓にあり、中山道追分(軽井沢)より分岐し、海野、小諸、上田、長野、善光寺、高田そして直江津に至る北国(ほっこく)街道の宿場町である。古くから、善光寺街道とも云われ格式の高い街道であった。 小諸と云うと、すぐ思い出すのが、島崎藤村の「千曲川旅情の歌」である。中学校の時、好きで暗唱したことがある。「小諸なる古城のほとり雲白く遊子悲しむ・・」と今でも覚えている。 |
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棚田 小諸城跡(今、懐古園となっている)に藤村記念館が出来ている。今回は、客先の半導体工場が小諸にあり、そこに立ち寄ったため時間が無く、このまま帰途に着いたが、その後何回も来ているので、別途また紹介したいと考えている。 |
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軽井沢 小諸の帰途立ち寄った軽井沢の別荘地である。この時は、なんとなく、こんな別荘地に憧れに近いものがあったが、その後、この軽井沢の別荘には、何度も来るようになった。先の事は、解らないものである。 このセレーネイエローのマイカーはこの後、3年半ほど乗って、買い替えたが、それまでは、日本のあちこちを乗り回した車であった。 |
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北国街道 長野県軽井沢・追分 〜海野〜小諸〜上田〜善光寺 〜新潟・高田〜直江津 |
中山道 江戸時代の五街道の一つ。東京の板橋から上州、信州を経て東海道の合流点、近江(滋賀県)の草津までをいう。別名中仙道、木曾街道とも云う。全部で69宿であった |
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