長野・善光寺
Nagano Zenkouzi


善光寺参道
  東京より、車2台に分乗して、会社の仲間と軽井沢、小諸を経て長野にやってきた。丁度千曲川沿いの北国(ほっこく)街道を真北に向かってきた感じだ。
  長野というと、今こそ、長野オリンピック(1998年)のイメージが強いが、我々が訪れたときは、そんな近代的なイメージとはほど遠い感じがした。えらく、遠いところに来た感じがした。
善光寺
  もともとは長野は善光寺の門前町として発達した街である。今では、千曲川に沿った長野盆地南西部と、支流の犀川(さいがわ)沿いの周辺部を含め長野市となっている。
  実は、善光寺というと、先に思い出すのが、本家の長野ではなく、甲府の善光寺であった。昇仙峡の帰途、その前を車で通ったとき奇異に感じたものだ。何故、甲府に善光寺がと思った。
  理由は簡単であった。長野の千曲川と犀川との合流点である川中島付近は例の上杉謙信と、武田信玄の度重なる戦のため、犀川を挟んで北側にある善光寺もまた荒廃した。
  そこで、武田信玄が、決戦の前、長野の善光寺の本尊を、甲府に移した(1559年)との事であった。それ以降、甲府の善光寺を「甲斐善光寺」、そして、本家の長野の方を「信州善光寺」と云うようになったそうだ。
  この信州善光寺は、天台宗および浄土宗の別格本山で、創立は定かではないが、7世紀後半と推定されている。
  百済国の聖明王が献じた阿弥陀仏像と観音像が善光寺如来であると言い伝えられている。この阿弥陀如来像は秘仏ということで拝観することは出来ない。
  なお今の建物は1707年に落成したとのことであった。東日本の木造建築では最大級のものだ。
  このあと、我々は今夜の宿である野尻湖に向かった。
  


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