雁田山山麓 小布施より雁田(かりだ)山山麓にある古刹・岩松院(がんしょういん)に車で来た。 岩松院は、本堂の天井に、江戸時代の葛飾北斎の描いた「八方睨み鳳凰(ほうおう)図」が残されていることで知られている。 曹洞宗の寺で山号は梅洞(ばいどう)山という。文明4年(1472年)雁田城主の萩野備後守常倫の開基で、開山は不琢玄珪禅師とのこと。 |
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岩松院本堂 この本堂の大広間の天井に有名な葛飾北斎の「八方睨み鳳凰図」が描かれている。21畳敷きの天井一杯に実にダイナミックに、五色の翼を広げた鳳凰が極採色で描かれている。北斎が89歳の時(1848年)に描いたものとのこと。 この絵を書き上げた翌年江戸で亡くなっているから、まさに北斎の活動の集大成ともいえる作品となっている。今でも、鮮やかな色が残り、実に見事なものであった。 |
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畳の上に仰向けに寝てみると、身が竦む程、凄い迫力である。今でも極彩色が保たれているのは、絵の具の中に鉱石を混入した植物油性の岩絵具(いわえのぐ)を用いているからとのこと。 葛飾北斎と言うと、あちこちに足跡を残しているが、調べてみると、何と転居回数は93回と記録されている。画名も、北斎の他、勝川春朗、俵屋宗理、為一、画狂人、卍など30回も変えている。 画風も多彩な人で、代表作の一つ「富岳三六景」は何回見ても素晴らしいものだ。 |
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福島正則公の霊廟 本堂の裏手(写真奥)に正則の墓がある。最初、何故小布施の寺にあるのかと思った。 正則は秀吉の重臣で、関ヶ原の戦いでは家康につき、安芸・備後49万石の大大名となった。 しかし、1619年に広島城を幕府の許可を得ずに普請したこと等により改易され、改めて信濃川中島など4万5千石を与えられ、この地、高井野(上高井郡高山村)に蟄居し1624年64歳で死亡したとのこと。 |
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失意の中でも、領内の改革などに取り組み、新田開発や、松川の乱流を防ぐための「太夫の千両堤」などを築き、その一部は今での史跡として保存されている。 なお、岩松院には福祉正則の肖像画や遺品が残されている。 さらに、この岩松院を有名にしているのは、小林一茶である。裏庭にある小さな池に、春になると、産卵のために多数のアズマヒキガエルが集まってくるが、雌蛙が少ないため、雄蛙たちによる雌の奪い合いとなり、まるで合戦の様だとのことで、蛙合戦の池と呼ばれている。 |
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その蛙を見て、詠んだ一茶の句 「痩せかへる、まけるな一茶、是にあり」 が有名である。この句碑が池の側に立っている。一茶54歳の時の句とのこと。 正則、北斎、そして一茶と、共に年老いて、この地で最後の活躍をしたゆかりの場所となっている。気のせいか、落ち着いた佇まいを見せている土地柄である。 この後、我々は北国街道をさらに北上して、今夜の宿、戸狩温泉に向かった。 |
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ルート 上信越自動車道 信州中野IC 又は長野電鉄河東線 都住(つすみ)駅 〜1.3km 雁田山麓・岩松院 〜本堂〜福島正則霊廟 〜中野〜飯山〜戸狩温泉(泊) 歩行 1時間 |
駐車場 あり 無料 休憩所・トイレ あり |
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