酒田
Sakata


酒田市街
  昨夜の6時到着し、そのまま駅前のホテル・酒田東急インに投宿する。夜はホテルの居酒屋で、地酒と地元の新鮮な海鮮料理を頂き、そのまま爆睡であった。
  翌朝、ホテルの部屋より市街を俯瞰した写真である。酒田は最上川河口に古くから発達した港町、市場町である。地名は狭い潟、あるいは砂の干潟の意味で、古くは砂潟、坂田とも書かれていた様だ。    
市街
  最上川方面を俯瞰した写真である。朝もやが掛かっていて眺望は今一つであった。
  酒田は、庄内平野を始めてとして、最上川流域の米の集散地で、今でも河川沿いに大きな米穀倉庫群が立ち並んでいる。
  また近代的設備を備えた酒田港を背景とした化学・食品加工業も発達している。今の酒田市は人口11.8万人の大きな町となっている。    
JR酒田駅
  大正3年に開業した。JR羽越本線の酒田駅である。現在の駅舎は三代目で昭和35年に改築されたものだ。
  駅前からタクシーに乗り日和山(ひよりやま)に向かう。日和山を撮影した後、徒歩で市内を順番に回ってみた。  
日枝神社
  日和山山麓にある日枝神社である。この鳥居の奥にある随身門は天明8年(1788年)に建立されたもの。また日枝神社の本殿は、天明4年(1784)に本間家3代目の光丘(四郎三郎)が寄進したものである。
  酒田の産土神で、背の高い山車が練り歩くことで知られた酒田祭(古くは山王祭)は日枝神社の祭りである。慶長14年(1609年)から続いているという。
海向寺
  日枝神社の鳥居の前を東に行くと、左手に海向寺(かいこうじ)がある。
  本尊は大日如来。天長年間(824〜834年)の開山と云われ、湯殿山法蓮寺の末寺である。山形県内に8体ある促身仏(ミイラ)の内、ここに忠海上人、円明海上人の2体が安置されている。
  なお、促身仏とは、衆生救済の為、自ら断食死してミイラ化した行者をいう。特に江戸時代に多かったとのこと。
旧鐙(あぶみ)屋
  酒田を代表する廻船問屋。江戸時代を通じて繁栄し、日本海開運に大きな役割を果たした。
  井原西鶴の「日本永代蔵」にもその繁盛振りが描かれている豪商である。
  石置杉皮葺屋根などの酒田の典型的な町家造りの様式で、建物の中には、人形や料理などで当時の暮らしぶりが再現されている。
  なおこの建物は国指定史蹟となっている。
本間家旧本亭別館「お店(たな)」
  本間家初代の本間原光が新潟屋を開業以来、代々商いを営んできた建物。
  現在は、実際に使用した帳簿、度量秤、行灯、台所用品や消火道具なども展示されている。
  本間家は東北地方の米、藍、紅花等と大坂の精製品の売買で巨富を蓄え、日本一の大地主となった。藩財政にも寄与し、300石の士分に取り立てられている。
本間家旧本邸長屋門
  旧本邸は、明和5年(1768年)、3代目本間光丘が幕府巡検使一行を迎えるための本陣(宿舎)として建造し、庄内藩主酒井家に献上したものである。
  巡検使一行が江戸に戻ると、屋敷を酒井家から拝領し、商家造りの建物の方で、昭和20年の春まで住んでいたが、今は公開されている。
  桟瓦葺平屋書院造で、武家屋敷と商家造りの建物が一体となっている全国でも珍しい建築様式となっている。左写真は2000石の格式を持つ長屋門である。
本間家旧本邸長屋門
   「本間様には 及びはせぬが せめてなりたや お殿様」と唄われた本間家は、戦前まで何んと3000町歩の田地を所有していたという。
  本間家は、鎌倉時代初期、佐渡国守護となった大佛氏の守護代として佐渡に入った本間熊久を祖としている。
  なお、高級ゴルフクラブで知られる本間ゴルフの創業者本間敬啓、祐朗兄弟は、この本間家の一族(庶流)とのこと。  
本間家旧本邸薬医門
  白壁に続く薬医門。家族は通常此方の門から出入りしていた。背後の伏龍の松が見事であった。
  なお、薬医門とは、本柱の後方に控柱2本を建て切妻屋根を掛けた門のことである。

  この後、酒田港に流れ込む新井田川を渡り倉庫群で知られた山居地区に入る。



ルート

 
羽越本線 酒田駅
〜庄内交通バス 5分寿町
〜日和山公園〜日枝神社
〜海向寺〜旧鐙屋〜本間家旧本邸

歩行 1時間


休憩所・駐車場

駐車場 酒田市営駐車場
 

0407/0808


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