小学館漫画受賞について 【幽☆遊☆白書】は【1993年度の小学館漫画賞】を受賞しました。 小学館漫画賞とは小学館が主宰する、年度別に毎年最も優れた作品を発表した作家に 贈呈されます。以下は説明を交えながら考察してまいります。 小学館漫画賞選考経過及び最終選考会審査委員は ●1993年11月5日・8日 (期日までに平成5年中に雑誌・単行本・新聞等に発表された作品を、漫画作家、評論家、出版社、報道関係者 関係文化団体、読者の応募推薦等から優秀作品を収集した中から検討し、候補選出) ●1993年11月16日 (前出候補から審査委員会で検討し、最終候補選出) ●1994年1月21日 (最終審査委員会選考) 審査員の(石ノ森章太郎氏・川本三郎氏・福田義也氏)選評はアイデアの表現、キャラクターの設定の魅力、 作品の仕上がりに高評が上がっています。 _第39回小学館漫画賞決まる! 『週刊ビックコミックスピリッツ(小学館)』1994年12号(1994年2月28日発売)P151〜153参照 参考までに『幽☆遊☆白書』の受賞前後の漫画賞の受賞者及び、受賞作品を以下にします。 (敬称略) 注:○印は2001年11月現在、連載が続いている作品。 どの作品も長期連載作品であり、小学館・講談社両漫画賞共に自社作品が目立ちます。 (但し、集英社は小学館から独立した関連系列会社。同様に白泉社は集英社から独立。) 両賞から3年間で23入賞作品中3作品しか他社漫画が存在していない中でさきがけとして 特に1994年の受賞を決めた『幽☆遊☆白書』の人気はすさまじいものがあります。 ●この年の小学館漫画賞・少年向け部門ノミネート作品は ※ この年に入賞した少年部門の作家・作品はかなりレベルが高かったようで後に ノミネート者全員が講談社・小学館漫画賞のいずれかを受賞されています。 授賞式は1994年3月3日木曜日の午後16時〜18時、東京、パレスホテル(皇居前)で行われました。 正賞は、岩田久利作の金彩ガラス杯、副賞は100万円でした。また、受賞者は深紅のバラを主体にかすみ草と グリーンに彩られた花束を金色のリボンのつきで贈呈されていました。 『ぱふ』1995年4月号の各漫画賞授賞式によると、受賞式会場に冨樫先生のお姿はありません。 代理の週刊少年ジャンプの当時の編集長がかわりに列席されています。 当時、冨樫先生は滅多に人前に現れないとアニメ情報誌で浦飯幽助役の声優佐々木望さんが語られていました。 アニメ終了記念の際には会えて嬉しかったとのことですが、今回の授賞式欠席については 授賞式が1994年3月3日で、当時『幽☆遊白書』の週刊連載は続き、冨樫先生ご自身が『急病のため』でした。 小学館漫画賞受賞のついては連載終了後の同人誌についてでも触れましたが 冨樫先生のコメントは3回えられました。それについて引用を交えてご紹介します。 ●ジャンプ本誌でのコメント(一部引用) 「小学館漫画賞・少年部門に『幽遊』が選ばれたとのこと。何だか妙な気分だけど,賞を頂いた。」 _「週刊少年ジャンプ」(集英社)1994年2月15日発売・1994年11号巻末コメントより ●小学館雑誌に掲載された受賞のコメント(一部引用) 「成り行きにまかせて、その週に感じてきたことなどを原稿にぶつけてきました。 …中略 周囲の反応を気にして、欲を持ったり、方針を変えることを恐れたりした時点で終わりだと思っています。 …中略 受賞の重みと喜びで自分を見失うことのないよう、これからもやっていきたいと思います。 どうもありがとうございました。」 _第39回小学館漫画賞決まる! 『週刊ビックコミックスピリッツ(小学館)』1994年12号(1994年2月28日発売)P151より この受賞に、 「気分次第で作品のコンセプトさえ変えてしまえと思っていた矢先なので受賞は少し気が引けた」 とも寄せられています。 管理人の知る限りでは賞受賞にかかわらず、多くのファンの人がこの事実を知りませんし語りません。 もちろん連載終了後8年(2002年8月現在)という月日もたち、記憶が薄れているということもあるでしょう。 しかしファンサイト、特に考察を主とするサイトですら触れられている様子も見られません。 ためしに検索エンジンで『幽遊白書(幽★遊★白書)、小学館漫画賞』と入力検索したのですが見当たりませんでした。 至極稀に日記等で書かれているサイトさまもありましたが、幽遊白書を中心とされているサイトさまではなく、ある程度漫画を読まれて、漫画を話題にされているサイトさまなのです。 『HUNTER×HUNTER』を中心とされているサイトさまはともかく、『幽遊白書』を中心とされているサイトさま ですら見られません。LUNE管理人が見たことがないだけかもしれませんが、触れているとするならば、『小学館漫画賞受賞者リスト』を掲載していらっしゃるサイトさま、もしくは小学館漫画賞について考察されているサイトさまの一部として書かれているようにしか見られません。 当時のアニメ情報誌や数々の本を見ても驚くほどコメントが見当たりません。他社のマンガ賞だといってしまえば それまでなのですが、認知度が低い、もしくは触れてはいけないことのように沈黙されていると思われます。 (冨樫先生の書かれている『少年ジャンプ』は集英社なので他社の名前が冠した賞では紹介の仕様がないのも仕方ありませんが、集英社以外の冨樫義博特集、冨樫先生もそれほど関心をむけたコメントも寄せられてはいませんし、インタビュー等の経歴に載せられる様子も見られません。 冨樫先生が後にコメントを書かれていないのはご自身のことなので照れくさいとか、忘れたとか、興味ない、掲載している作品とは他社の賞なので書けないとか、理由を探せばいくらでも理由となると思います。 かなり大きい賞なので、他社紹介がマズイという暗黙のルールがあるならともかく、まずこのことをインタビューの略歴にいれても不自然ではないと思うのですが、漫画賞を紹介していた雑誌で後に冨樫義博作品、もしくは先生の特集をするときすら『第39回小学館漫画賞受賞』という文字、たった12字が見られないのが不思議なのです。ホップ・ステップ賞という現在は廃止された賞のことは触れてあるにもかかわらず。) 賞受賞覚えてるよ〜って方反応いただけると嬉しいです。 自社作品の受賞が目立つ中、多くのすばらしいマンガが存在した中で小学館が主宰する この年にもっとも一般に受け入れられた少年向けの作品は『幽☆遊☆白書』だったのです。 |
参考文献:冨樫義博著『幽☆遊☆白書(全19巻)』
『週刊少年ジャンプ』(集英社)
『週刊少年ジャンプ』(集英社)1994年11号
『ぱふ』(雑草社)1994年4月号・1995年4月号
『週刊ビックコミックスピリッツ』(小学館)1994年12号