和歌山電気軌道 昭和42年9月の現況

1971年(昭和46年)3月31日限りで廃止された、南海電鉄和歌山軌道線の昭和42年頃の現況資料です。

沿革

当線の操業は明治37年頃和歌山市在住の赤城友次郎他12名が和歌山電気軌道株式会社を創立し、 和歌山市駅から海南市黒江船尾中浜に至る軌道の特許を受けたことに始まるが、工事の着手に至らないまま 明治38年12月に和歌山水力電気株式会社が特許権の譲渡を受け、明治42年1月市内の県庁前(現・市役所前) −和歌浦口間が開通営業運転を開始した。

引き続き市駅−県庁前間と和歌浦口−紀三井寺間が開通し、その後順次路線を延長して、大正6年には日方口(現・東浜)までが開通したが海南駅前までの開通はかなり遅れて昭和4年6月となっている。

これより前の大正2年10月には和歌浦口−新和歌浦間が開通、また阪和電鉄の開通後の昭和5年6月には 公園前−東和歌山間が開通しほぼ全体が完成した。

この間、大正11年7月には京阪電鉄に合併し京阪電鉄和歌山支店となり、昭和5年5月三重合同電気(株)と併合 合同電気株式会社と改称したが昭和12年4月には東邦電力和歌山支店となり、さらに阪和電鉄が東邦電力の運輸事業部門を買収し阪和電鉄傍系としての和歌山電気軌道株式会社が初めて設立された。

その後昭和15年の12月には阪和電鉄が南海鉄道と合併したため南海鉄道の傍系となった、しかし折からの戦時中のため親会社も企業合同により近畿日本鉄道となったが戦後昭和23年近鉄から分離し名実と共に独立会社の和歌山電気軌道が発足した。

一方、昭和19年12月には和歌山合同バス及び和歌山交通(タクシー)を吸収して電車・バス・タクシーを兼営する事となり文字通り和歌山市民の足として親しまれるようになった。

しかし繊細の被害は甚大で戦災車両はわずか2両のみであったが市内の被災地域の電車線は壊滅状態で病院前以北は約1〜2ヶ月の営業休止を余儀なくされたうえ終戦前後の資材入手難のため一時は可動車がわずか7両という惨状だった。

その後戦後は一応順調に推移し昭和32年11月には和歌山鉄道(現・貴志川線)を合併したが4年後の昭和36年11月に南海電鉄と合併和歌山軌道線となった。

沿線と設備の概況

線路の総延長は全線複線で16.1Kmでその内市駅−海南駅前間が13.4Km、公園前−東和歌山間1.6Km、和歌浦口−新和歌浦間が1.6Kmとなっている。

軌条は30・37・50Kgを併用し軌間1067mm、架線電圧DC600V変電所は高松(500KwX3)琴の浦(500KwX1無人)の2カ所、トンネルは全長184.5mが1カ所車庫及び工場は車庫前(高松検車区)で和歌浦口に夜間車両留置用の留置線を持っている。

運転系統は市駅(又は東和歌山)−海南駅前(又は新和歌浦)が主系統で他に市駅(又は東和歌山)−車庫前(又は紀三井寺)、市駅−東和歌山も運転され、運転時分は市駅−海南駅前間が50分標定速度は16.1Km/h際輻輳区間ラッシュ時の運転間隔は2分となっており編成は連接車を除きすべて単車運転である。

車両の現況

現有車両は電動客車49両(内連接車4両2編成)である、全体の傾向及びその特色は

  1. 小型車が多い 路線の建設が比較的古く、複線間隔が小さく急曲線があったため全長11m以下の小型車が多くこれ以上長い車両は例外なく両端を絞って極力曲線通過時の偏きを小さくするようにしている、また昭和30年頃までは4輪車が大半を占めていたがその後積極的にボギー車への置き換えを進め昭和41年末をもって4輪車は全廃された。

  2. 室内灯の蛍光灯化が早かった 昭和28年6月に301号に初めて採用以来蛍光灯化を急速に進め、昭和30年にはそのほとんどが蛍光灯化された。

  3. 集電装置のパンタ化 集電装置は昭和29年8月新造の1000形車に小型パンタグラフを採用して以来漸次在来車もパンタかを行い、昭和37年には救援車及び散水車を除く全車のパンタ化を完了している。

  4. 車体色について 車体色はたびたび変わっており車体塗り替えのため塗装を剥いだペンキがマルーン、ダーク・グリーン、ライトグレー等数種の層をなしていた、昭和30年に上部白、下部スカイブルーのツートンカラーに統一された、その後南海電鉄になって増備した321形、251形は上部クリーム、下部ライトグリーンのいわゆる軌道線新車色で塗られ現在はこの2種類が存在している。

200形(200〜205)

当線最初の低床ボギー車として昭和5年〜7年に大阪鉄工及び田中車輌で製造された物で、206号は昭和20年7月の空襲により焼失・廃車された。
全長10.9m主電動機は37.3kWx2直接制御式で講述の300形と共に長い間当線の代表的存在であった、新造当初は乗降扉が引き戸で、この引き戸に歯車装置で連動する折りたたみステップが付いていたが、開閉時に重く故障することが多かったため、昭和14年に撤去され折り戸式に改造された。

300形(300〜306)

200形とほとんど同形式、同一性能である、昭和12年〜13年に大阪鉄工及び田中車輌で製造された。
その後昭和16年に同形式の増備を計画したが諸般の事情で実現せず代替として南海から譲渡使用(501〜504)を実現したようである。

500形(505〜506)

南海電鉄から譲り受けた軌道線50形の車体と鉄道線用の台車・電動機を組み合わせ車体は半鋼製に改造(広瀬車輌)し昭和24年に完成したもので二重屋根・高床式(台車はブリル27−GE−1)の特徴ある外観を持っている
なお兄弟として昭和18年4月に当時の南海鉄道から譲り受け木造のまま(南海天下茶屋工場で車体改造)使用していたが、うち1両は戦災焼失のため廃車残り3両は昭和38年10月321形の新造竣工により廃車された、505号は昭和41年末に251形の完成と共に従来の62号に代わって救援車として使用している。

1000形(1001〜1006)

戦後初めて新造された半鋼製低床ボギー車で1001〜1003は昭和29年、1004から1006は昭和30年に東洋工機で製造され当線最初の中央車掌台方式(片側2扉非対称型)を採用している
1001〜1003は屋根保帆布張り、1004〜1006は鋼板屋根のため外形は異なるが性能的にはほとんど同一で当線最初のドアエンジン付きでパンタグラフもこの型式が最初である。

300型(311)

戦災焼失の206号の台車・電動機を使用し昭和35年にナニワ工機で車体を新造した当線初の全金属製大型ボギー車で車長を長くしたため(12.3m)曲線通過時の偏きを小さくするよう両端を絞っておりボギー中心距離を出来るだけ長くして路面電車特有のヨーイング減少に努めている。
車体形状の基本は2扉式中央車掌台方式、ダブルヘッドライト室内は出こら張りとし間接式床下シャ断機等新しい設計が盛り込まれている。

2000形(2001〜2004) 連接車

ラッシュアワーの混雑を能率良くさばくべく計画され昭和35年に問うと東洋工機で新造された全金属製低床式2両連接車である。
車体は311号と同じ考えの基に設計したので見付はほとんど変わらなく、制御器は主電動機(30kWX4)の関係上当線唯一の間接非自動制御を採用、空気制動機も700形と同じSME方式を採用している。

700形(701〜713)

4輪車淘汰の目的をもって三重交通神都線廃線の際13両を譲り受け改造整備を行ったもので、車体寸法・使用機器等は200形・300形と酷似しており何かと好都合であった、旧番は701〜710が三重交通神都線の581〜590、711〜713が516、501・502である。
改造及び更新修理はまず710号を自社で施工し、これにならって701〜709・711〜713の順でナニワ工機(施工は同社及び大阪車輌)で工事を施工した。
主電動機は日立37.3kWx2、直接制御でブレーキ装置は三重交通の機器を流用したためSMEとなっている、なお本形式は譲受改造車であるがダブルヘッドライト、2枚引き戸ドアエンジン・NEC式室内蛍光灯等新しい設計の導入に努めている。

321形(321〜327)

南海電鉄と合併後昭和38年に60形4輪車及び500形木造車を淘汰するため日立製作所で新造した全金属製ボギー車で原形は311号の流れを汲んでいる。
装備は主電動機38kWx2、直接制御(床下シャ断機付)、SM−3形空気ブレーキ等路面電車として実用的に充分な標準装備であるが台車は日立のオールコイルバネ式を採用しているほか、車体正面窓はヒンジ式として通風効果を考え、室内内張りは縞模様のデコラ張りとし、蛍光灯はNEC式40Wx8とするなどいろいろと新機軸を盛り込んで設計している。

251形(251〜254)

秋田市交通部の路面電車廃線後その61〜64号を譲り受け昭和41年に改造整備したもので、生まれは日立製作所であった。
車体は全長が長かったので従来と同じく両端を絞ってある、この投入によって101〜102の4輪車及び62号(4輪の救援車)が廃止され和歌山軌道線から完全に4輪車が追放された。

以上が現有車輌の概略紹介ですが、前述のように最近まで当路線の中心として老体にむち打って活躍を続けた4輪車についても往時の活躍に敬意を表して車輌一覧表に掲載した。
別表の30形・60形の改番前の32形21両は創業当時の1〜21号車(35人乗)を改造に改造を重ねて使用してきたもので、当線のシンボル的な存在であり、昭和42年2月に廃車された62号(旧61号、創業当時の10号と思われる)は車齢実に58年(ただし車体はその間2回新製されている)となり電車は使えば使えるものだと今更ながら感心している。

鉄道ピクトリアル昭和43年1月号 知られざる南海の路線2 松尾昭二郎著(南海電鉄車輌部設計課)を参照

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