1995年1月16日、久しぶりに登山口に行くと長い間駅の奥で放置されていた101−102が
引き出されており解体を待っています、その前後の線路はすでに撤去されていました。
紀伊野上駅に行くと線路なども撤去され、貨車のト11の残骸が残されていました。
重根駅に行くとまだ手つかずで貨車のチ11−12も無事でした。
日方駅に行くと唖然としました、線路や枕木、架線はすっかり撤去されご覧のような悲惨な光景です。
ホームに停車していた25−26は解体されており、台車以外はほとんどが木片だけでした。
ふだんは車庫の奥深くあったためか、余りお目にかからなかったトチ3という貨車がありました。
解体されてしまった12らしき車両の向こうには104や11、13がまだ健在でした。
日方駅のホームには白い猫が一匹、駅に名残を惜しんでいるのでしょうか。
奥には23の姿も見えましたが、日方駅や野鉄の車両達の命も風前灯火となってしまいました。
2月5日の北山駅、線路等は撤去され駅舎とホームを残すのみとなっています。
3月13日の日方駅、駅舎は取り壊されてしまいましたが、まだ23は健在、その他は解体中か。
3月28日廃止からまもなく1年、阪井変電所跡には変流機が野ざらしで放置されていました。
大正13年7月、英国イングリィシュ・エレクトリック社製で、元新京阪(現、阪急電鉄)
淡路変電所で使用されていた物を昭和3年に譲り受け、昭和53年まで主力として使用し、
以後予備機として現在まで残されていたという由緒ある品です。
廃止1年後の登山口駅、駅舎の撤去された跡は大十オレンジバスの駐車場となっていました。
夏休みもあとわずかとなった8月29日、野上中駅の廃線跡で遊ぶ子供達。
北山駅、線路跡には土嚢が積まれていました、何のためでしょうか。
動木駅西方の貴志川沿いの線路跡、廃線からふた夏が過ぎ草も茂ってきました。
秋口の10月9日、龍光寺付近にあった野鉄唯一のトンネル跡に行きました。
動木駅横の鉄橋はレールだけが取り外されており、立入禁止、通行止めとなっていました。
鉄橋の西側の線路脇では、案山子が荒れ行く線路跡を見張っているかのように立っていました。