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フェルメールの生涯

 画家フェルメールの生涯については、フェルメールの世界(第一章フェルメールの生涯12〜37ページ)に詳しく書かれている。簡単にまとめてみました。


 ヨハネス・フェルメール
 生年月日 1632年10月31日生まれ (蠍座?) 二人兄弟
 生 誕 地 デルフト

 父親は、キャファ織り業と宿屋と画商を仕事としていたため、幼少時より絵との出会いはあった様子。
 1648年頃から数年は、デルフト以外の都市で修行。
 1652年10月に、父親(レイニール・ヤンスゾーン)亡くなる。
 1653年4月5日 21歳で、カタリーナ・ボルネスと結婚。プロテスタントからカトリックに改宗?
 1653年12月 聖ルカ組合に加入、画家として独り立ちを果たす。
 デルフトの聖ルカ組合の理事を2回、4年務め、生前より画家として高い評価。
 画商を副業。
 23年の間に14人の子供をもうける。
 1672年フランス軍が、オランダに侵攻。絵が売れなくなり、義母の貸し金の取立ての手伝いをするようになる。
 1675年12月15日 43歳で死亡


自画像と言われている「絵画芸術」の絵を描く人物



 43歳という年齢は、同世代の私にとっては、「若いなあ〜。」という印象です。もっと、生きていたら、さらに素晴らしい作品を残していた可能性は高いと思います。ただ、ゴッホやレンブランドに比べると幸せな人生だったのかもしれません。好きな作品を描けたこと、子沢山であったことは、妻・カタリーナとの夫婦仲も良かったと思います。普通、よほど好きでなければ、妊娠した女性を描くことはないでしょう。子供を描くことが、なかったのは、生前に亡くなった子供があり、他の子供を描くと、亡くなった子供を思い出すためでは、なかったかと考えます。ヘラルト・テル・ボルフのようなモチーフを供にする友人もいたことなどから、変人・奇人という人物ではなかったのではないかと思います。また、寡作でしたが、描いた絵は、ほとんど売れていたことは、沢山描いても生前に1枚しか売れなかったゴッホと比べると、ずっと良かったと思います。こうやって、色々考えていくと、やはり、戦争の影響で、ストレスなく描けなくなったことが、この画家に影響を及ぼし、最終的に命さえも縮めた感はいなめません。


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