3人め


 私が特定の作曲家に偏って聴いているのは、このサイトをある程度読んでいただければわかるはずだ。クラシック音楽を聴き始めて40年近くになるが、世間一般で名曲とされているものでもいまだに通して聴けていないものが多数ある。たとえば、チャイコフスキーの「悲愴」交響曲。正直、あんなものに人生の50分を捧げて聴くなんて、ちゃんちゃらおかしい。もっと楽しい音楽を聴けばよいのに。ブラームスにも交響曲が4曲あるが、通して聴いたことがあるのは第1番のみ。第2、3交響曲なんて、冒頭の1小節がどうなっているかすらも知らないくらいだ。なんだか音楽史ではブラームスをベートーヴェンに続く存在に置きたいらしいが、全然違うんだよ。
 こういうことなので、私は「いわゆるクラシック音楽」を好きというわけではない。しかしどうも、世の人は「クラシック音楽」をひとくくりにしてそれで良しとしてしまう。中にどっぷり浸かればわかるように、「クラシック音楽」というレッテルであれらの音楽をひとつにまとめるのは乱暴この上ないが、まあ、好きにしておくれ。

 およそ30年前になるが、テレビ朝日で「
COSMOS」を放映した。テレビ朝日の長い歴史で、これのみが(輸入しただけであるが)輝ける実績であると思っているが、その「COSMOS」の冒頭に鳴る音楽がヴァンゲリスの作になるもので、見事にツボにはまったのだ。私のような人はかなりいるはずである。
 クラシック音楽好きの方に説明するなら、たとえば「キャスリーン・バトルジェシー・ノーマンの2人がいっしょに参加したアルバムがある」というだけで、ヴァンゲリスがどのような位置づけの作曲家であるか想像できるに違いない。
 ヴァンゲリスは、ひとり多重録音でアルバムを作るのが基本だ。「天国と地獄」、「反射率 0.39」、「IGNACIO」、「Voices」、「大地の祭礼」などが好きなアルバム。映画がお好きな人には「1492 コロンブス」、「炎のランナー」、そして若干カルトであるが「ブレードランナー」という作品もある。

 ヴァンゲリスの主な活動時期は20世紀後半のアナログ・シンセサイザー全盛の時代にほぼ重なっていた。日本では冨田勲が(編曲モノであったが)シンセサイザーで一世を風靡したし、他にもシンセサイザーでアルバムを発売した人もいた。海外でもジャン・ミッシェルジャールとかがいたらしいが、そんなまがいものに惑わされる私ではない!
 ヴァンゲリスは活動の初期からシンセサイザーの巨匠と呼ばれることもあったが、決してシンセサイザーのみに頼ることはせず、アコースティックの(いわゆる普通の)ピアノや各種打楽器も自分で演奏して重ね、声が必要と思えば合唱団や独唱者も呼ぶ。また、オリジナルな音楽を常に創り続けた巨匠であり、先駆者でもあった。つまり、常に努力と工夫を怠らなかった。このあたり、どこかベートーヴェンに重ならないかね? もちろん歴史に名を残す人物は少なからず同じ要素を持つものだ。

 さて、そんなヴァンゲリスも数年前に引退したようだ。そしてベートーヴェンは2世紀前に死んじゃってる。私が気に入る新しい音楽は、生まれてくるのだろうか。

 ってことで、私の場合はこの次に"ふわシナさん"が来るのだ。

 VOCALOID云々についての記載はやめるが、これは書いておきたい。
 いわゆる20世紀から隆盛を誇っているポップスが、実は作曲者/作詞者にではなく歌手にほとんど全ての栄光を帰するものであるというのは、ちょっと普段の芸能ニュースを思い出せばわかる。ポップスは「ショー」なのだ。たとえば一連の曲の作詞を秋元某がしているにもかかわらず前面に出ているのがAKB48であるようなものだ。そのような芸術をショーが駆逐した今世紀に出現したVOCALOIDは、かつてのチェンバロやピアノ、そして20世紀のシンセサイザーと同じく、作曲者/作詞者を再び音楽の最前面に出す契機となった楽器なのだ。言ってることはスゴいかもしれないが、なんてことはない、クラシック音楽もシンセサイザー音楽も、もともとはそのような音楽だった。

 以上3名は分野も傾向も全く違う音楽を作っているが、VOCALOIDの最初期から素質を開花させ倦むことなく良質の曲を生み続けるふわシナさんは、私としては「3人め」として間違いなく列挙できる素敵なお嬢さんなのである。会ったことは無いけど。
 彼女の本領は決してVOCALOIDではなく、器楽の分野だと思う。今後どのようなジャンルの音楽に進んでいくのかわからないが、注目することは絶やさないでおきたいと思う。

(2012/3/2)



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