初めて聴いたのに、それに答えろなんて無理
昔、高校生だった頃の話
高校の音楽の教師は、かなりクセのある人だった。物腰が普通ではなかった。幸いに、授業内容が異様だったわけではない。それほど突っ込んだ音楽知識の習得を要求するわけでもなく、マニアックでもない。歌と楽器と、そこそこの音楽鑑賞。まあ、楽器はせいぜい縦笛程度であったが。
その教師が、珍しいことにいきなり1曲(1楽章)の鑑賞をさせてきた。作曲者も曲名も伏せて、「ある曲の一部を聴かせるから作曲者を当てなさい」ときたもんだ。普段授業で音楽史じみたことを深く教えなかったのに、いきなりどうしたのだろうか。
当時の私はこの曲を知らなかった。というか、やっとベートーヴェンの交響曲を全て聴いた程度だった。ブラームスも、全然聴いたことがなかった(今でも、交響曲第1番以外は知らないも同然である)。古典派のほんの一部しか知らない子供に、それがどの時代の誰であるかなんて、わかるはずもない。無論、クラスの誰も知らなかった。
さて、それはこんな曲だ。授業なら音を聴かせるところだが、スコアで勘弁。
初めて聴く知らない音楽だとしたら、皆さんは誰の作品かわかるだろうか。
いくつか順に特徴を並べていこう。
(1)冒頭に序奏が無い。
(2)冒頭の数小節(第1主題)の音の並びが分散和音。
(3)どうも、トロンボーンを使っていないようだ。
(4)妙に若々しい。軽い。
続いて聴いていくと、こうなる。
さて、延々と並べてもしかたがないので、その後の特徴を少し書くと、
(5)長いクレッシェンドがある。
(6)音楽の流れに、きっちりとした区切りがある。
こんな曲を書ける人は、いつの時代のどこの国にいるだろうか。古典派の有名な交響曲しか知らなかった私は、「古典派のようで古典派ではない」ということしかわからなかった。
答を書くと、フランスのジョルジュ・ビゼーになる交響曲ハ長調。1855年の作である。
大抵の有名な交響曲は、ベートーヴェン以降、シューベルト、ベルリオーズ、メンデルスゾーン、ブラームスと続くが、このあたりの作曲家を思い出しても、誰もひっかかってこないだろう。ましてやブラームスなんて聴いたことがない私のこと、何も思いつかない。
ビゼーといえば歌劇「カルメン」、あれがビゼーの作風なのだと思い込んでしまう。しかしビゼーはよく考えればフランス人、一方「カルメン」はスペインが舞台の話である。もしかしたら普段のビゼーは「アルルの女」に近いのかもしれないと考えられる。いやいや、高校生ごときの頭にそんな気の利いた考え方はできない。まあ、第2、3楽章まで聴いたら、また違っていたかもしれないが。第2楽章には地中海風な部分があり、第3楽章にはひなびた田舎の音があるからだ。
1855年はベルリオーズが変態的なあの幻想交響曲を書いてから25年も後のことなのだが、どうしてこんな古典的な作品がこの時代にあるのだろうか。やはりそれは、17歳という若い頃の作品だというのが理由だろう。たまたま勉強中に感化されていたのが、そのような時代の音楽だったというわけだ。しかし節回しがどうも古典派ではない。特に(5)はベートーヴェン(以降)の特徴であるので、やはり19世紀の中葉の作品とみなすべきことがわかる。逆に19世紀後期ではないというのは、その頃になるとどうしても楽器の種類が増えてくるからわかる。
ビゼーは「カルメン」や「アルルの女」ばかりが有名なので、交響曲があるとは、普通は思うまい。というか、フランスの作曲家自体、交響曲にはあまり関わっていないんじゃないか。思いつくのは、ベルリオーズとサン=サーンスくらいだろうか。フランスの作曲家はかっちりした形式感覚が嫌いなのかと思うが、もしかするとソナタ形式に見合う展開能力が欠如しているのかもしれない。国民性なのか?
そんな中、ビゼーのこの交響曲は珠玉の作品だ。交響曲が好きなら一度は聴いておくべき作品だ。妙に気張っていないし、ブラームスなんかよりずっと面白い。このまま経験を重ねればドボルザークの「新世界」クラスの作品も夢ではないと思う。が、出来たのは「カルメン」だった。これを残念と思うかどうかは個人の趣味だ。
交響曲ハ長調は独特の魅力を持つ作品なので、かなりの指揮者が演奏をしている。いささか古い録音であるが、ミユンシュやビーチャムが演奏している。マルティノン、小澤征爾の名前もある。カラヤンやクライバー(子)が録音を残しておいてくれたらなあと、つくづく思う。
というわけで、私のこの曲との付き合いは高校生の頃からである。なぜあの教師がいきなりビゼーを聴かせたのかは、結局わかっていない。
(2012.2.11)