今北産業


今北産業

 ま、"twitter"(*1)も"Faceなんとか"も、ましてや"Google+"なんかも私はやってない、そう、横にカレンダーが見えるような仕組みの"ブログ"(*2)すら書いていない。

 *1 1年前にアカウントを作ったが、作ったことすら忘れていた。
 *2 場所は作ったが、ブログに文を埋めるのが目的ではない。

 某雑誌のあるコラムに、
「2ちゃん語でいうところの"今北産業"ですね。『このスレに今来たとこだから3行で説明して』と。ブログやSNSでも長文や頭使わなきゃ読めないような書き込みはスルーされるし、ちょっと曖昧な書き方すると誤解されてするし」
と、書いてあった。

 最近は大河ドラマでも"今北産業"みたいなことするのか、そりゃ変だろ、という趣旨のコラムなのだが。
 「ほう、そうなのか。私は大河ドラマは見てませんが」
と思う。

 私もドラマの中で"今北産業"がクドいほど出るというのなら御勘弁願いたい。大河ドラマって、最初から延々と大河のように雄大な流れを見て楽しむものだろう? あちこちに垣間見える"今北産業"がクドイというのなら、それは淀んだ渦があちこちにある歪んだ汚い川みたいだな。少なくとも大河じゃない。(以上、コラムを読まないとわからないことばかりでしたが)

 大河ドラマを見るというのは、長編小説を読むのに似ているのかな。それも枕みたいな。そう、アイザック・アシモフの自伝とかみたいな、か。買ってないけど。世が長文を嫌うように見えるのは、おそらく長文を読んだり書いたりと慣れ親しんだ人の比率が小さくなっているのだろう。
 読むことはともかく、私も高校、大学という時期には長文を書いたことがほとんど無かった。そんな宿題が出されるとつらかった。幸い大学入試ではいわゆる小論文を出題するような大学を受けなかった。

 それでも今は、つたないながらも長文を書いている。もっともここのサイトでだけですが。しかし、今こうやってまがりなりにも長文を書けているのは、社会的な経験がそれなりに豊かになった、つまり、いろいろと知りその上で考える習慣がなんとか出来るようになったからじゃないかと思うのです。
 どんな年齢でそうなるかは各人で差があるでしょうが、ある年齢(そうだなあ、遅くとも子供ができる年齢か)になっても長文が書けない、という場合には、少し過去を反省する必要があるんじゃないかと、思う。

 あと、子供が親の言うこと(特に長々としたお説教)を聞かない、聞かせてもムダ、というのは、親の長文作成能力が劣るか、さもなくば子供の長文読解力(と我慢)が欠けている、ということでもあるのかな、と思ってしまいました。

 そう考えると、日本の教育や社会は、歪みがかなり大きくなってきているんじゃないですかね、という方面にも思考がつながっていくというものです。

(2012/3/2)



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