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考察 NG騎士ラムネ&40

第1回 「シュッパーン! キングスカッシャー復活」

『NG騎士ラムネ&40』の第1話を、物凄いヒドイ映像で無事に見た私だった。
当時、何故かTV東京だけ映りが悪くて困った。
今でも第1話の録画テープが残っているが、映りがいいとは言えない。
セリフなど、途中で電波が乱れてちゃんと聞き取れなくなったりする。
(おまけに当時の私のビデオデッキは、幻のベータマックスだったのだ)
よくこんなんで、見ていたものである。アンテナの具合を直して、
少しはましに見られるようになったが、最終回をこの状態で見ると
感動が半減するので、職場のビデオで録画した。忘れられない事である。

映りは悪かったけど、『NG騎士ラムネ&40』の第1話の内容は解った。
オープニングの歌も聞き取れて、アルバムが出たら買う決意もした。
ただ1つ、また引っかかってしまった。それはエンディングの歌だった。
ヒロイン・ミルクの歌で「男と女はパピプペポ」というのだ。

まるで、主人公のラムネがミルクの事を追いかけているというか、
二人が鬼ごっこしているような歌詞である。(ホントに凄い歌だよね)
「子供番組で、こんなませた歌を流すなんて良くない。」とか言いたい訳ではない。
第1話を見たから判るのだ。主人公のラムネは最終回でハラハラワールド
の人達とは別れる。ラムネは元の世界に絶対に帰らなければいけないのだ。
つまりラムネはミルクとは、別れる運命にある。
だのに何故こんなにハッキリ、ラムネの相手役としてミルクを当ててあるのだ?

そりゃ、子供番組ならヒーローやヒロインが解りやすい方がいいよな。
やっぱり勇者を導くのは、女の子と決まっている。
でも子供向けだし冒険物なんだよね…。これいいのかなぁ?

第2回 「ヒック! 本音ジュースにご用心」

初めの頃『NG騎士ラムネ&40』を毎週かかさず見ていなかった。
理由は、非常に映りが悪く録画するのも無駄だったからだ。
第2話は放映時に見ていなくて、LDを買って初めて見られた。
3話など凄かった、1話の時より映りが悪い。(映ってないと言った方が正しい)
それでも楽しみにして、よく録画セットをしたものなのです。

私が放映時、最初にラムネとミルクの2人を「凄い…。」と思ったのは11話では
ないかと思う。マッドロスがポパイで笑わせてくれると思っていたら、
ラムネとミルクのケンカが凄いのなんのって。普通ヒーローとヒロインが
こんな事になるのだろうか?ミルクはシラフじゃなかった(ホンネードを飲んでいた)から
仕方ないけど、正常だったラムネがあんなにムキになるのはまた凄い。ラムネの性格は、ミルクに
比べりゃ温厚そうである。そんなに、勇者らしくないと言われた事がショックだったのか?

でも今、考えてみるとそうなのかも知れない。ラムネを勇者にしたのはミルクなんだものな。
その相手に勇者らしくない、と思われていたなんてショックかも。
せっかく自分なりに頑張っている(ちょっと軽いけど)のに、立場がない。
それから言われる相手にも問題がある。なにが悲しくって、食いしん坊で短気であわてん坊の
ミルクに言われにゃならんのだ。ココアやレスカに言われたのなら仕方がないとも思うけど、
ミルクとダ・サイダーに言われた場合は「そんな事、あんたに言われたくないよ!」状態だ。
(ラムネよ、やはりこれだったか?) ダ・サイダーとレスカにさらわれたミルクを、
全然心配しないラムネは凄い。子供の成せるわざなのか…。

この頃は、1話に比べたら映りはましになっていて、チラついた画面でも充分見る事が出来ました。
だから「タマQって、ラムネの肩から離れられないのか?」とか、いろいろ思いました。
でもミルクってラムネ(ラムネス)の事、勇者と思っていなかったのか。そう言えば
第1話でラムネが勇者ではなかったら、自分が責任とるって言ってたもんな。
それって、ミルクが代わりに勇者になるって意味だったのか…。

以前から、ラムネとミルクは言い争いみたいなものならよくやっていた。
ミルクが短気で、ラムネスはズッコけているからそうなるのだ。
子供で、しかも同い年だからだろうね。ケンカぐらいなら誰にもある。
TVを見ている子供達だって、きっと同感したに違いない。

だが、ラムネとミルクはそのうち、ケンカだけではなくなっていく。

第3回 「リューグー村は老人パワー!?」

この回で、ラムネ(ラムネス)とダ・サイダーはおじいさんになる。
子供が老人になるというのは、どう理解すればいいのだ?
かなり面白いけど、私が「あれっ?」と思ったのはラムネと
ダ・サイダーのボケではなく、ミルクだったのだ。

ラムネをもとに戻そうと、玉手箱銃があるところに単身突っ込んで行く。
ミルクよ何故だ、君はラムネの事を勇者じゃないって言ったばかりだろ。
この場合は、確かにミルクが適任。
ココアはのんびりしていて木になんて登れない。でもミルクだって充分危険だ!
彼女はあわてん坊で、危なっかしい。現に木から落こっちそうになっていた。

ミルク、教えてくれないだろうか。あのボケをかましていた連中のなかで、
何故君だけが危険をかえりみず、ラムネを助けようと思ったのだ?
良かったら、私に話してほしいのだが…。

第4回 「走れラムネス! 童話の森のワナ」

冒険の足を引っ張るのがミルクの役目だが、この話では思いっきり引っ張る。
ラムネとココアをピンチに陥らせるのだ。
本人に悪意がないのが困りもの。(何故か、誰もミルクが悪いと言わない…)

ベッピーンにダマされて、シャーレットの森にやって来て迷子になるラムネ達。
ミルクはお腹が空いて、1人だけでグーワドーワの実が成る木にやって来て、
それを食べて白雪姫になってしまう。
現われるミルクそっくりの七人の小人。他にもドロシーになっている女の子が
いたりしてなかなか楽しい。でも楽しいどころか、本当は恐ろしい。
ハラハラワールドの童話では、白雪姫は夕日が沈むと石になる。
ミルクはもとに戻れないと、死んでしまうのだ。
ああ!なんでこの連中は、こんな時までギャグを飛ばしているんだぁ〜!!
『NG騎士ラムネ&40』における、ギャグとシリアスのバランスの上手さを
思い知らされた話だった。ストーリー無視して、キャラ達はあまりにも真剣でない(T_T)

ココアを残して、ラムネが誰にも頼らず自分の力だけでウッドの大木に成る、モートモード
の実を取りに走る。(スタン帆船を置いて来ちゃったので、しょうがないんだよね)
だけど、やっぱりラムネはギャグをかます奴だ。ちったぁ真面目に
やらんかい!ベッピーンにも言われてただろーが。
日が傾き、体が石になりかけてミルクは苦しみ出す。
ミルクそっくりの七人の小人も、ギャグをやってる場合じゃないぞ。

でも、ラムネは主人公で男の子だ。頑張ってちゃんとミルクを助けてくれた。
それにしても、どうしてこんな話があるんだろうな。
ラムネ自身が本当にミルクを思いやり、行動をとる展開のさせ方がどうも引っかかる。
ラムネを勇者らしく見せる為にこんな話にしてあるんだろうけど、何故それを
ミルク相手にやってあるのだ?(ミルクがラムネを、勇者だと思ってないからではあるまいに…笑)
ラムネを視聴者に、勇者らしく見せる為なら
ココアやゲストキャラの女の子でも、構わない筈だと思うのだが。

第5回 「ワナワナ! 逆襲のダ・サイダー」

『NG騎士ラムネ&40』の第1話を見て、ミルクをラムネに対するヒロインだと、
余りにハッキリさせているところが気にかかる。
それは、最後に2人が別れてしまうからなのである。
ならば冒険物語なのだし、適当に友達ぐらいにしておくのが無難であろう。
だが、スタッフはそうするつもりが全く無いのか。
前回はラムネがミルクを思いやる話だったが、今度はこの18話である。

ラムネの美人に弱いのが災いして、ミルクとケンカに別れになってしまう。
ケンカして仲直りするのは、よくあるお話です。
ただ、仲直りの話だけではないから驚いてしまう。何でこんなに危機迫らせる?
効果は上がると思うが、『ラムネ』はギャグじゃなかったのかぁ〜!!
(単なるギャグではなかったのだな。お話自体は、ギャグじゃない。ギャグ・コメディに
なっているのはキャラクターと、その作画の芝居ではなかろうか?多分…)
「やるとは思ってたけど、やっぱりやってくれたな!」
それは、『ラムネ』のライター陣が他の作品で既に経験済みの“ギャグとシリアスの両立”であった。
『ラムネ』は、キャラがふざけなくなったらシリアスにもなれる。

ケンカをしたけどミルクはラムネを心配して、ダ・サイダーが描いたワナの設計図を
手に入れ彼を助けようとする。それなのに助けようとした事が、逆に仇となってしまう。
爆弾のスイッチを踏んでしまい、もの凄い大爆発が起こる。上空に吹き飛ばされた
サムライオンはボロボロに傷ついて地面に落ちて来る。この時のミルクを思うと心が痛む。
彼女は悲しかったろうな。助けようと思ったのに、自分のミスでラムネを傷つけてしまったのだから。
倒れているサムライオンへどどめを刺そうとするヤリパンサーの前に、ラムネ守ろうと
ミルクが立ちはだかる。この時、ミルクごとサムライオンを倒そうとはしないダ・サイダーを
「やはりダ・サイダーってそういう奴なんだな。」と思った。(ダ・サイダーは悪人ではないのだ)

ミルクの涙と渓谷にこだまする彼女の叫び声に、気絶しているラムネの熱血メーター
が上がり、何故かセイントボムが発射される。例によって、セイントボムを浴びてしまった
クイーンサイダロンは動かなくなる。ラムネは気がついて、倒れていたサムライオンは起き上がる。
ダ・サイダーとレスカは不幸だ。また逃げなきゃならない。お仕置きが待ってるぞ。

サムライオンが、顔をミルクに近づけるところがとても好きです。
夕日のなかで寄り添い合うのは、ラムネの乗るサムライオンとミルクだ。
この2人はここで心が通じ合い過ぎてしまう。かなりいいシーンだ。
ガラパッチ族の人たちがこれを見て涙を流して、笑わせてくれるけどね。
(ガラパッチって名前、ガラの悪いアパッチだからかな)

しかし、こういう話はいいような悪いような。あまりお互いを思いあう話をやりすぎると
私を含めて、TVを見ている子供達もラムネとミルクが別れてしまうのは
可哀想だと感じてしまう。だから、ほどほどにしておいた方がいいと思うけど。

第6回 「ガンバレー! ミルクの子守歌」

この話は、個人的に忘れられない。

RPGのような冒険に憧れて、ハラハラワールドで勇者となった馬場ラムネくん。
果たしてこの先、ズッコケてる彼に勇者が務まるであろうか。
取りあえず勇者になるには、「相手の事を思いやる」。それが出来れば十分だろう。
自分の事より、他人を思いやれなきゃ勇者にゃなれない。
そしてラムネは、ちゃんと相手を思いやる事の出来る子だったのだ。
ミルクがドラゴンにさらわれた時も、ミルクを探してココアとガンバレーに来た時も、
母ドラゴンにピーちゃんを返すようにミルクを促した時も、
ピーちゃんと別れてしょげているミルクを励まそうとする時も、
行動と言葉の全てが、自分よりも相手を思いやる勇者らしいものだった。
「これならば少なくとも大丈夫であろう…。」そう思い、私はここで彼を勇者の器だと認めた。

ドラゴンにさらわれて、ココアやラムネ達とはぐれてしまったミルクは
ジャングルの中で子供のドラゴンと出会う。
一目見て「可愛い!」と叫ぶ彼女。ドラゴンという生き物は現実に住む私達にとって
「可愛い」ものなのだろうか?と思いつつその心理はよく解る。
子犬や子猫を見て「可愛い。」と思ったりする、あれと同じだ。
ミルクを見て、怯えた様子も無く側に近付いて来る子供ドラゴン。
その人懐っこさに「可愛い!」と叫び続けるミルクを、何と微笑ましく思った事か。
「やっぱり女の子なんだなぁ。」と、いたく関心させられた。
いつもの食いしん坊で短気で、わがままとも見えるミルクはそこにいない。
母を恋しがる子供ドラゴンを、自分が母親になったようなつもりで
ピーと名付けて子守りをする少女がいるだけだ。

ピーちゃんとの別れに、笑顔で元気に手を振るミルク。
そこで流されていた名BGM「グランドプロローグ〜旅する子供たちへ〜」
旅の終わりにかかる曲。『NG騎士ラムネ&40』の最終回がこの曲で
終わりを告げるのは、容易に判断出来る事だった。

最終回 「リトルロマンス… 君の名は!?」

アニメ雑誌に、『ラムネ』で恋物語をやると書いてあったのを読む。
ラムネとミルクの話なのか?
本には、2人が歳をとってしまう事まで書いてあった。
「なるほどなぁ。子供のままでは出来ないから、歳をとらせてそんな話を作るのか。」
この時点では、この程度にしか受け止めていなかった。
以外な展開が自分を待っているとは、夢にも思わなかったのだ。

破壊四天王シャーベッタから挑戦状を受けるラムネたち。
場所はマメマメワールドのOKドームだ。でもマメマメワールドは時間の流れを速くしたり
戻したりする所がある。ひとつは左側にある小さな衛星。ダ・サイダーは、
子供になったりおじいさんになって笑わせてくれる。レスカは子供になってしまうのだ。
もうひとつは右側にある大きい惑星の湖だ。ラムネとミルクは、イチバーン号に乗ってこの星に降りる。
と言っても、行くのはラムネだけで、ミルクは定食屋さんに行きたいなんて理由で
くっついて来る。それを拒否しない、ラムネもラムネだよな。断ってもムダなのは確かだけどさ。

トラブルを起こすのがミルクの役目だけど、この話でもやっぱりやる。
定食屋さんがないからってラムネの首を絞めたりする。これで操作を誤りそうになり、
何とか助かったと思ったら小さな岩にイチバーン号の足がぶつかって
2人は湖に墜落。ラムネとミルクはイチバーン号から脱出する。
その時の湖の色は、歳をとってしまう青い色だった。

ラムネとミルクは、霧がかかった森の中で出会う。
2人とも、歳をとってしまっている事に気づかずに。
ラムネは墜落した時の弾みで、頭からバイザーがはずれていて、タマQともはぐれている。
ミルクも髪飾りがとれていた。水に濡れた為、いつもの上着を脱ぎ捨てた、
そんな姿で2人は出会ってしまう。

もう私は…、どんなに面白いギャグがあろうと笑えなくなっていた。
ラムネにとってミルクは、恋の対象ではなかったのだ。
ラムネは、ココアに対して思っている事とミルクに思っている事が少し違う。
レスカやゲストの女の子たちに思う事と、ミルクに思う事が同じではない。
ラムネにとってミルクは、「大切な友達」なのだ。
ミルクにとってもそうだった筈だ。普段、彼女が考えているのは食べ物の事だ。
ラムネの事を快く思っていても、それは友達の範囲だ。それなのに…。

ラムネがミルクに心を奪われたように、私はミルクに心を奪われる。
彼女のしぐさのひとつひとつに。やさしい声の響きに。
ミルクがラムネに恋をしたように、私はラムネに恋をする。
目の前にいる少年の、やさしげな瞳の奥をみつめて。
私はどうすればいいのだろう。ラムネとミルクに、どうしてあげればいいのだろう。
2人は、最後には別れなければいけない。私はそれを知っている。
いや、ラムネとミルク自身も、旅の終わりに別れがあるのを知っている筈だ。
もしかして、二度と遭えなくなるかも知れない2人に、どうしてあげればいいのだ!
何故こんな事になってしまったんだ!!

私は本編を見終わった後、考えて、2人の気持ちを大切にしてあげる事にした。
忘れないでいてあげよう。
あのズッコケ勇者のラムネが、本当に心惹かれた少女はミルクだったのだと。
ミルクが恋をした男の子は、いつもケンカばっかりしていたラムネだったのだと。
お互いを思いやろうとするあの時の2人を、ずっと覚えていよう。
私には、それぐらいしか出来ないのだ…。

その後、最終話でラムネとミルクは「再び会える約束」をして、別れて行ったのである。


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